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❶道徳は、気持ちの推測から、全員が協力する認知的な謎解きの場へ

「この時、主人公はどんな気持ちだったでしょう?」

教科書を読み進め、物語の山場でこのように問いかける。
しかし、手を挙げるのはいつもの決まった子どもたちだけ。

  • 自己アピールが好きな子

  • 頭の回転の速い子

  • 先生に認めてほしい子

返ってくるのは、
「悲しい気持ち」
「本当は親切にしたかった気持ち」
といった、教科書のあらすじをなぞったような模範解答ばかり。

そして、教室全体になんとなく漂う、
「知ってるよ、その答え…」
「先生が言ってほしい正解を答える時間でしょ」
という白けた空気感・・・・。

小学校中学年から中学生を担当する多くの先生方が、一度はこの「モヤモヤ」を経験されたことがあるのではないでしょうか。

これは、先生の発問技術や情熱が足りないのではありません!


真面目な先生ほど、
「自分の発問が鋭くないからだ」
「もっと気持ちを揺さぶる言葉かけ(問い返し)をしなければ」
とご自身の指導技術のせいにしてしまいがちです。

ですが、原因はそこにありません。

子どもたちが乗ってこないのは、「登場人物の心情を追体験し、予想する」という学習そのものに物足りなさを感じているサインなのです。

心情推測を中心とした授業が行き詰まる「3つの理由」

なぜ、心情推測の授業は「白け」を生んでしまうのでしょうか?
そして、行き詰まりを生んでしまうのでしょうか?

理由は明確に3つあります。

①「正解が決まっている(S-R型)」と子どもが見抜いているから

あらすじを追うだけの心情推測は、「この場面(刺激:S=Stimulus)だから、こう感じるべき(反応:R=Response)」という、あらかじめ用意されたパターンの確認(低次の思考活動)になりがちです。

こうした構造の授業が続くと、子どもたちは勘が鋭いので、
「結局、良い子の回答を答えるゲームなんだな」
と見抜いてしまいます。

ここで、ネームカードの移動や心情円盤、アンケートのリアルタイム表示といった「変化のある活動(授業技術)」を取り入れれば、一時的な全員参加や盛り上がりは作れるかもしれません。子どもたちも活動自体は楽しみます。

しかし、授業の骨格(S-R型)が同じであれば、学んでいる内容も同じです。子どもたちは「学びの深さ」ではなく「活動の珍しさ・楽しさ」に惹きつけられているだけなので、活動が終われば再び「白けた空気」へと戻ってしまうのです。

②子どもたちを、教師の意見へと追い詰めてしまうから

登場人物の感情に迫ろうとすればするほど、教師は無意識のうちに子どもを「狙った正しい気持ち」へと誘導(問い返し)せざるを得なくなります。

  • 子ども:「私は〇〇と考えたと思います」(先生の意図とは異なる発言)

  • 教師:「本当にそうですか? △△の部分を考えるとどうですか?」

  • 子ども:「(……あ、答えが違うんだな)」

このようなやり取りを経験すると、子どもは自分の頭で探究することをやめ、教師の顔色や「期待されている正解」を探すようになってしまいます。

③自我関与先行モデルとなり、認知の罠に陥ってしまうから

小学校4年生以上になると、子どもたちの思考能力は急激な発達をし、抽象的な思考ができるようになり、知的な探究力が高まります。
しかしこうした段階で「登場人物の心情」を繰り返して聞いたり、「あなたならどうしますか?」と、人物の立場から考えさせたりする活動を行うと、次のような「認知の罠」と呼べるような状態に陥ってしまいます。

<認知の罠1>
・価値がまだ見えていない段階で「自分」を投影させられるため、子どもは「価値」ではなく、自分個人の「立場・経験・感情」を基準に物事を判断してしまう。「自我関与(self-involvement)の早期誘発

<認知の罠2>
・「気持ち」を問われることによって、登場人物と自分が一体化してしまい、論理よりも感情が優先されてしまう。「同一化(identification)の早期発生

<認知の罠3>
・子どもがまだ「価値の構造(意味や条件)」を捉えていない状態で意見を言わせるため、判断が「好き嫌い」や「その場の気分」といった未熟な枠組みに固定されてしまう。「未熟なスキーマへの固定化(premature schema commitment)

<認知の罠4>
・「人物の気持ち」を問う発問は、認知的な思考よりも感情を優位にし、一貫性が低く、文脈に依存しがちな判断に陥ってしまう。「感情優位処理(affect-driven processing)

<認知の罠5>
・授業の早い段階で自分の立場を表明してしまうと、子どもは「自分の意見を守らなければならない」「自分の立場を正当化したい」という心理が働き、客観的な価値の検討ができなくなる。「自己防衛的推論(self-defensive reasoning)

<認知の罠6>
・判断場面で直観が先行し、「直観」や「好き嫌い」をそのまま温存・強化してしまうため、肝心の価値理解が後回しになる。「道徳的直観の先行(moral intuition dominance)

子どもが本当に面白がるのは「感情の予想」ではなく「構造の解剖」

子どもたちの探究心に火がつくのは、「主人公がどう感じたか」という感情の当てものではありません。

「正しいと分かっているのに、なぜこのような行動をしてしまうのだろう?」
「どうして、このような素晴らしい行動ができるのだろう?」
「二つの立場や選択肢がある中で、どう折り合いをつければ良いだろう?」

こうした、言動の背景にある理由や価値同士の衝突(構造)を、自分の頭で紐解く「認知的な謎解き(高次の思考活動)」に取り組む時です。

「認知的な謎解き」に向かう時、出される意見は一つではありません。
多角的な見方や解決策が教室に溢れ出します。
これらは、一人の頭の中だけで考えつくような内容ではありません。

「そんな捉え方があったのか!」
「その考えなら上手く解決できる!」
「ここにも配慮しなければいけないのか!」
と、友達の意見を聞くほどに探究が深まり、
子どもたちは授業での「学びそのもの」に価値と魅力を見出すようになります。

教材観を「物語」から「思考の素材(構造)」へ

小学校中学年(4年生頃)からの教室では、一度「気持ち」を尋ねるのをお休みしてみませんか?

登場人物の感情を追う「物語」として教材を読むのをやめ、問題の背後にある「構造」に目を向けた時、

道徳の時間は、子どもたちが夢中で探究する
「認知的な謎解き」の場へと劇的に変わるのです。


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