第4話|「仕事ができる私」が私の居場所になった。
『奇跡のそばで。』―私が現在の仕事に辿り着くまで―
これは、現在の私に至るまでを綴った自叙伝シリーズです
第1話はこちらから
私は大学を卒業すると同時に、私は7年間続けた夜の仕事を辞めた。
そして、不動産会社に就職した。
人生で初めての会社員。
ここからようやく、昼間の世界だけで生きることになった。
とはいえ、就職した会社は、今の言葉で言えばなかなかのブラック企業だった。
朝から晩遅くまで働く。
休みの日にも仕事がある。
でも私は、それをそれほど苦にしていなかった。
高校時代からずっと働いていた私にとって、働くこと自体はすでに日常だったし、
何より私は、
仕事ができる人間になりたかった。
そして、この会社で私の人生を大きく変える出来事が起きた。
ある時、私は会社で使っている業者の請求金額に違和感を持った。
他の業者と比べて、一社だけ、妙に高い。
しかも、その業者が毎月継続的に使われている。
なんでだろう?
最初は、それだけだった。
でも私は昔から、何かがおかしいと思うと、そのままにしておけない。
だから調べた。
すると、裁量権を持つ、とある社員が業者に高い金額で請求書を出させ、会社がそれを支払い、その一部をバックマージンとして受け取っていることが分かった。
完全なる不正だった。
そして、一つ見つけると、
「これ、本当に一つだけなの?」と思い
私は過去の資料を調べ始めた。
契約書。
請求書。
物件の資料。
遡れるものは、徹底的に遡った。
そして気づけば10年分の資料を調べ上げていた。
すると、出てきた。驚く程にどんどん出てきた。
詳しいことはここには書かないけれど、
その結果は私としては信じられない様な内容だった。
そして私は調べたことをまとめて、全て社長に報告した。
今考えると、若い社員がよくやったなと思う。
ただ、当然に、それを面白く思わない人もいた。
その後、不正に関わった社員たちは、会社を辞めるのではなく、反省して残ることになった。
つまり私は、その人たちとその後も一緒に働くことになった。
なかなか気まずい。
というより、彼等からしてみると私は
完全に敵である。
私は別に正義のヒーローになりたかったわけではない。
ただ、おかしいものをおかしいと思った。
そして見つけてしまった以上、見なかったことにできなかった。
でも会社という場所では、
正しいことをすれば、全員から「ありがとう」と言ってもらえるわけではない。
むしろ、その逆もある。
私はその時、社会の一つの現実を知った。
一方で、社長は私を評価してくれた。
そして少しずつ、仕事の裁量を任せてもらえるようになった。
そこから私は、自分が「こうした方がいい」と思っていたことを、次々と始めた。
まず、業者を見直した。
そして古くなった物件は、ただ元の形に修繕するのではなく、
インテリアコーディネーター達と組み、
当時はまだ珍しかったデザイナーズ物件の様にリノベーションした。
古いからと家賃を下げるのではなく、
古くても、住みたい部屋にすればいい。
内装を変え、見せ方を変える。
そうして物件そのものの価値を上げる。
すると入居率が上がった。
家賃も上げられた。
会社の売上もどんどんと伸びていった。
私はそれが、物凄く面白かった。
でも私が変えたかったのは、部屋だけではなかった。
住んでいる人に、
「ここに住んでよかった」と思ってもらいたかった。
だから共用部分も徹底的に綺麗にした。
エントランス。
廊下。
ゴミ置き場。
そこに毎日業者の掃除を入れて、花壇には沢山の花も植えた。
毎月貼るゴミの日のカレンダーも、毎月手作りし、
貼りっぱなしにはしなかった。
月が変われば、絵も変える。
花も変える。
ほんの小さなことだけれど、
管理されている場所というのは、入った瞬間に分かる。
さらに、内覧に来る人には、
ただ部屋を見せるだけではなく、
カーテンをつけたり、小物を置いたりして、
「ここで暮らしたらどうなるか」が想像できるようにした。
そして、近くのスーパーや病院、幼稚園など、
生活に必要な場所も伝えた。
私は「物件」を売っているというより、
その人がこれからそこで始める生活を見ていたのだと思う。
すると、お客様との関係も変わっていった。
「あなたが来てから、このマンションは住みやすくなった」
そう色々な方に言ってもらえるようになった。
旅行へ行った入居者の方が、お土産を持ってきてくれることもよくあった。
そして退去する人からは
「次の家もあなたに探してほしい」と言われることもあった。
紹介も増え、営業成績も上がった。
こうして私はいつしか、トップの成績を取るようになっていた。
そして20代の終わりには、役員に抜擢された。
たぶん私は、仕事が好きだった。
自分が考えたことで物件が変わる。
人が喜ぶ。
数字が上がる。
結果が出る。
そして評価される。
面白くないはずがない。
ただ、その頃から私は、少しずつ危うい働き方をするようになっていた。
社内には、私を快く思っていない人もいた。
若い女性が役員になったことを、面白く思わない人もいたと思う。
役員会へ行けば、年上の男性たちがずらりと並ぶ中に、
20代の女性の私が一人。
そこで毎月、数字を報告する。
前月より売上を上げる。
そして翌月は、さらに上げる。
結果を出せば、何も言われない。
だったら、
結果を出し続ければいい。
私は、そういう生き方を選んだ。
朝9時から働いて、夜中の2時、3時になることも珍しくなくなった。
休みの日も会社の携帯を手放さない。
お客様から連絡があれば出る。
何か起きれば対応する。
365日、
頭のどこかに仕事があった。
でも私は、それを異常だと思っていなかった。
むしろ、頑張れる自分を誇らしく思っていた。
仕事ができる。
人から必要とされる。
数字を出せる。
問題が起きても解決できる。
それが、私の価値だと思っていた。
17歳の頃から、私はずっと「自分のことは自分でなんとかする」と生きてきた。
誰かに迷惑をかけない。
弱音を吐かない。
できないと言わない。
そして気がつけば、
私は随分「できる人」になっていた。
でもただ一つだけ、
できなかったことがある。
自分がもう限界だということには、まったく気づけなかった。
そんな勤続10年目。
私の身体は、突然おかしくなった。
最初に始まったのは、
耳の不調からだった。
ある日、弁護士事務所に行っていた時、
目の前にいる先生の話が遠くで聞こえてる様に聞こえづらかった。
不思議に思い、一緒に行っていた社長にそれを言うと
「お前、それ突発性難聴だ、直ぐに病院に行け!」と焦った様に言われた。
社長の表情から、私は自分に何が起きているのか分からず、
とりあえず直ぐに近くの耳鼻科に行って検査したところ、
片方の耳が殆ど聞こえなくなっていた。
その時初めて知ったのだが耳の不調は絶対に放置してはならないそうで、
医者からはもう少し来るのが遅かったら完全に聴こえなくなっていたと言われた。
そして原因は言わずもがな過労と激しいストレスだった。
それから、私はしばらく通院しながら治療に励んだのだが
完全復活とまではいかず、結局片方の耳には低音性感音難聴という症状が残ってしまった。
そして、それに続くように
通院がようやく終わった頃に始まったのが
激しい頭痛と嘔吐だった。
――続きます。
