経営という魔物に憑りつかれて
独立して間もなく8年。
経営者としては7年目になる。社会人になってから10年が経った。こうして数字を並べてみると、人生のかなりの時間を「経営」というものに捧げてきたのだと、否応なく突きつけられる。
32歳という年齢、社会人で10年、経営7年。人生について考えるようになった
最近、人生について考える時間が増えた。
このnoteを書いているのも土曜日の朝だ。特別な予定があるわけでもない。ただ、自然と目が覚めてしまった。起きた瞬間から、頭の中には会社のこと、社員のこと、数字のこと、判断のことが流れ込んでくる。

SNSを開けば、鹿児島の旧友たちの投稿が並ぶ。結婚、家庭、子ども。休日に公園で遊ぶ姿や、何気ない日常の写真。
それらを見て、何も感じないわけではない。でも同時に、もう自分はそこには戻れない場所に立っているのだと、静かに理解してしまう。
恋人は作らないの?と聞かれることがある。友人からも、社員からも。
でもその問いに、言葉が詰まる。作らないのではない。作れないのでもない。
ただ、経営というものが、あまりにも多くの時間と思考と感情を奪っていく。誰かと人生を分かち合う余白を、気づかないうちに手放してしまっていた。
楽しいか?幸せか?という問い
新卒でサラリーマンとして働いていた頃は、確かに楽しかった。
仕事が終われば区切りがあり、週末があり、休みがあった。上司に愚痴を言い、同僚と笑い、給料日を楽しみに生きる。あの頃は、人生をもう少し単純に考えられていた。

今はどうだろう。
楽しいかと聞かれれば、答えに詰まる。幸せかと聞かれれば、いや幸せではない、と思う。
達成感はある。結果が出たときの高揚感もある。
だがそれは、心から力が抜けるような「楽しさ」とは違う。常に次の課題が頭の片隅にあり、安心できる時間は驚くほど短い。
経営という魔物に憑りつかれたこの生き方を愛して
それでも、この生き方を後悔することはない。
別の道を選んでいたら、もっと穏やかな人生があったのかもしれない。家庭を持ち、休日を家族と過ごし、仕事を仕事として割り切る人生。
それでも、きっと何度人生をやり直しても、僕はまた経営を選ぶ。完全に、経営という魔物に憑りつかれてしまっている。
経営は、静かな孤独を生む。
最初は目標だった。自分の力で何かを作りたい、価値を生み出したい、仲間と成長したい。その思いに嘘はなかった。
だが会社が成長するにつれ、目標は責任へと姿を変える。数字、判断、決断、失敗。そのすべての最終責任が、自分に集約されていく。
うまくいかないことは、波のように押し寄せる。
一つ解決したと思えば、次の問題が顔を出す。乗り越えても、乗り越えても、終わりはない。
休もうとした瞬間にトラブルが起き、気を抜いた翌日に別の不安が現れる。経営に「完全な休息」は存在しない。

社員が増えれば増えるほど、孤独も深くなる。
給料を払う責任、成長の機会を用意する責任、判断を誤らない責任。
そして何より、人の人生に関わる責任。その重さは、誰かと完全に共有できるものではない。
相談相手がいないわけではない。話を聞いてくれる人もいる。
それでも、最後に決めるのは自分だ。その事実が、経営者を孤独にする。夜中に一人で資料を眺め、判断を下し、その結果を一人で引き受ける。
誰にも見せず、誰にも言わず、ただ飲み込む感情が増えていく。
孤独ではなく孤高と呼びたい
幸せかどうかを考えることがある。
正直に言えば、幸せだと言い切れる自信はない。むしろ、苦しいと感じる瞬間の方が多いかもしれない。
それでも、この道を歩んできた自分を否定する気にはなれない。
幸せと納得は、別のものなのだと思う。
楽ではない。孤独だ。報われないと感じる夜もある。それでも、この生き方を選び続けていること自体には、揺るぎのない納得がある。
そして今の僕は、自分の理想からは程遠い場所にいる気がしている。それでも、バランスを崩した先でしか見えない景色があり、得られない経験があることも事実だ。
いつか、このフェーズが終わる日が来るのかもしれない。
経営との距離が変わり、人生の重心が少しずつ移動する日が来るのかもしれない。
ただ今は、この孤独を含めて、経営という魔物と共に生きることを選んでいる。そしてこの孤独も、孤高と呼びたい。停滞しない。上に向かって走る。
経営者という生き方は、華やかではない。
静かで、重くて、孤独だ。それでも前に進み続ける。
この積み重ねの先に、会社の未来と、社員たちの人生があると信じている。
