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人は、愛か恐怖でしか動かない

「人間の行動原理は、『愛』か『恐怖』のどちらかしかありません」

ヒプノセラピスト養成講座の初日、講師はそう言いました。

「えっ!」

胸の奥がドクンと鳴りました。人の心が、そんな単純な原理で決まるとは思えなかったからです。

ところが、そう簡単には割り切れないと思う一方で、なぜか妙に気になりました。そこでエンジニアの私は、本当かどうか、自分で確かめてみることにしました。

前回、ヒプノセラピーのセッションで母との関係に向き合ったところまでお話ししました。今回は、その直後の話です。

今度は、自分がやる側になりたくなった

セッションを受けたのは、35歳のときでした。初めての経験であり、知らない世界に衝撃を受けました。たった一度で、自分でも忘れていた記憶にたどり着き、いまの悩みがどこから来ていたのかが見えてきました。

すると、次の好奇心が湧いてきます。

人の心は、どういう仕組みになっているのか。

エンジニアの癖だと思います。動くものを見ると、中を開けたくなる。心についても同じでした。受ける側でいるより、仕組みを知りたくなったのです。

そこで、ヒプノセラピストの養成講座を探すことにしました。不思議なもので、意識をそちらに向けると、情報の方から寄ってきます。ちょうどよいタイミングで、全米催眠療法協会から講師を招いた養成講座が始まると知りました。6か月間、土曜と日曜。通訳付きのコースです。

講師はリンダ・ローズさんという、Ph.D.(博士号)を持つヒスパニック系のアメリカ人でした。**彼女自身が、人種差別を受けてきた人でした。**同じ立場の人を助けたい。それがヒプノセラピストになった理由だと聞きました。

人の心が、そんなに単純なのか

養成講座の内容は、もちろん催眠療法の誘導も練習しますが、心理学が中心でした。

人の心はもっと複雑で、割り切れないものだと考えていた私にとって、初日に聞いた「愛か恐怖」という言葉は衝撃でした。

今なら、当たり前のことだと思えます。ですが当時の私には、自分の辞書にない言葉を言われたような驚きでした。ところが同時に、別の感覚が湧きました。数学の問題を解いていて、美しい答えにたどり着いたときの感じです。

そんなときは、解答を確かめなくても、「これは正しい」という直感が生まれます。

確かめてみることにした

とはいえ、直感だけで信じるわけにもいきません。エンジニアの仕事は、事実と推測を分けることです。面白い仮説を聞いたら、まず自分の目で確かめる。それが習い性になっていました。

そこで、身の回りの人の行動を観察してみることにしました。

たとえば、上司が怒っている。なぜ怒っているのかを考えます。さらに上の上司に叱られることを恐れているのか。それとも、自分の業績が下がることを恐れているのか。私が観察した範囲では、多くはこのどちらかでした。

母親が子どもを叱っている。愛情からという場合もありますが、自分がまともな母親ではないと思われることへの恐れもあるように見えました。子どもの心配をするときにも、子どもへの愛だけでなく、自分が不安になることを避けたい気持ちが隠れている場合があります。

観察していて分かってきたのは、恐怖はいろいろな顔をしているということでした。怒り、心配、嫉妬、見栄、支配。別々の感情に見えますが、私がたどっていくと、その奥には恐怖がありました。怒りは、何かを失う恐れ。心配は、悪いことが起きる恐れ。叱責は、自分が否定される恐れです。

少なくとも、私が観察した範囲では、人を動かしていたのは愛か恐怖でした。

母のことは、きれいに説明がついてしまった

前回書いた母の話に、この原理を当てはめてみました。

9人きょうだいの3番目で、十分に甘えられなかった。しっかりしていることが自分の価値だった。進学を諦めさせられた。だから子どもには学歴をつけさせようとした。人を褒めなかった。

私の中では、すべて恐怖で説明がつきました。

あまりにきれいに当てはまってしまって、少し怖くなったのを覚えています。

分かったからといって、すぐに怒りが消えたわけではありません。

前回、母を本当に許せたと感じられたのは50代になってからかもしれない、と書きました。**この原理を知ったのは35歳です。**頭で理解してから、心が追いつくまでに、15年以上かかっています。

理屈が先に着いて、感情はずっとあとから歩いてきます。

人の中には、書き込まれたものがある

講座でもうひとつ学んだのが、「プログラミング」という考え方です。親や教師、社会の常識、あるいは強烈な体験。そういうものから受けた影響が、本人の気づかないところで行動の規則になっている。それを、講座では「プログラミング」と呼んでいました。

「男の子なんだから泣くな」と言われ続けた子は、感情を押し殺すという規則を身につけるかもしれません。

面白いのは、同じ親に育てられても、きょうだいで受け取り方が違うことです。何が書き込まれるかは、その人の感受性と、実際に受けた扱いの両方に影響されます。

では、私には何が書き込まれていたか。

人に対して敵対的になること。過度に裏を読むこと。

あるとき、自分が人の意見にまず「否定」から入っていることに気づきました。その一方で、自分には自信がありませんでした。

本当の自分は、別のところにいた

ところが、自分の本音を出せるようになるにつれて、意外なことに気づきました。

私はもともと、オープンで直感的に動くタイプだったのです。

これは、ある日ひらめいたことではありません。**何年もかけて、自分の反応を見続けた結果です。**人を観察したのと、同じやり方でした。

裏を読む癖も、否定から入る癖も、あとから書き込まれたものでした。本来の私ではありませんでした。

気づくまでは、本来の自分と、あとから身につけた反応とのあいだで葛藤していました。考えと行動に矛盾が出る。それが、私の悩みの正体でした。

そう言えば、思い出したことがあります。

大学に合格したあと、高校に続いて、中学校にも顔を出しました。そのとき、国語の女性の先生が私にこう言いました。

「あなたは文化系に行くものだと思っていた。」

当時は、何を言っているのだろうと思いました。私は理系で、それ以外の道など考えたこともありません。

でも今なら分かります。「生活のためには理系の方が得だ」というのも、書き込まれたものでした。 あの先生は、その奥の私を見ていたのかもしれません。

私は、笑えていなかった

もうひとつ、書いておきたいことがあります。ただ、これはずっとあとの話です。

私は、きちんと笑えていませんでした。

自分では笑っているつもりでした。ところが、スマホが普及して写真の数が増えると、いやでも目に入るようになりました。撮られた自分の顔が、笑っていない。妙にぎこちない。

はっきり気づいたのは、会社を辞める前後でした。長い会社員生活のあいだに、少しずつ笑えなくなっていたのだと思います。 いつからとは言えません。気づいたときには、そうなっていました。

これは、ショックでした。顔の筋肉が固まっていたのだと思います。つまり、リラックスしていなかったのです。

58歳のとき、自撮り教室に行きました。そこで、ようやく自分の笑い方を思い出しました。**「思い出した」という言い方が、いちばん近いです。**新しく身につけたのではなく、どこかに置いてきたものを拾い直した感じでした。

あのときは、ホッとしました。

**35歳の講座で「プログラミング」を学んだはずでした。**それなのに、自分の顔といういちばん分かりやすいものに気づくまで、20年以上かかりました。

人のことは、よく見えます。自分のことは、最後まで見えません。

会社を辞めたあとだった、というのも関係している気がします。肩書きも責任も手放して、そのあとに顔の力が抜けた。順番として、そうだったのかもしれません。今では、自然に笑えるようになっています。

表情が変わったことは、自分を隠さずに生きられるようになったことの表れでした。

みなさんは、写真の中で、ちゃんと笑えているでしょうか。

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これまでの記事は、マガジン「70年かけて検証した――心と体、お金と人間関係、見えないもの」にまとめています。連載完結まで1年以上かかる予定ですが、週4回更新しています。


次回は、この講座を修了したあとの10年間の話です。会社勤めを続けながら、土日だけでのべ1000人にセッションを行いました。その中で、自分を縛っていたものをほどく合言葉に出会います。

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