「非まじめ」――真面目な人を楽にする言葉
ヒプノセラピスト養成講座を修了したあと、私は平日は会社員、土日はヒプノセラピストという生活を10年続けました。セッションを行ったのは、延べ1000人ほどです。
ところが、その出発点では、自分の母のことさえ話せませんでした。
前回は、養成講座で「人間の行動原理は、愛か恐怖しかない」という言葉に出会ったところまでお話ししました。今回は、そのあとの10年間の話です。
講座で、私は口を閉じた
養成講座では、受講生どうしでセッションをし合います。セラピスト役とクライアント役を、交代で務めるのです。
退行催眠を受けると、自分でも忘れていた記憶が出てきます。私の番のとき、母が出てきました。 私は苦しくなり、話すのをやめました。
母のことは、すでに一度セッションで扱っていました。理解もしたつもりでした。ですが、正面から向き合う準備は、まだできていなかったのです。
そんな私が、人のセッションをする側になりました。
土日だけの、10年間
講座を修了して、全米催眠療法協会認定のヒプノセラピスト(催眠療法士)になりました。
当時、講座で聞いた話では、資格を取っても、実際にセッションを行う人は5%程度だということでした。多くの受講生の目的は、資格ですらありませんでした。講座で得た体験や知識で、自分自身の悩みを解決することだったのです。
私は、もっと多くの事例に触れて、人の心を知りたいと思いました。だから、セッションをする側を選びました。
平日は会社に勤め、土曜と日曜にクライアントに会う。そういう生活を、およそ10年続けました。
最初の半年くらいは、無料で経験を積みました。この期間は相手の場所に出向いてセッションすることがメインでした。
最初のクライアントは、講座の仲間からの紹介でした。 郊外の新興マンションの一室を訪ねました。講座の中とは違い、そこには先生も仲間もいません。自分の責任だけで、人の無意識に触れる。初めての体験でした。正直、不安でしたが、セッションは思ったよりもうまくいきました。講座で習ったことは、身についていたようです。
クライアントも感謝してくれました。始めた理由は好奇心でしたが、続けられた理由は、これだったと思います。
ホームページを立ち上げると、それを頼りに依頼が増え、コンスタントに土曜、日曜が埋まりました。
そのうち自宅でのセッションに変わりましたが、クライアントが家族と顔を合わせてしまう問題もあり、部屋を借りました。
土曜に1人、日曜に1人。1年でおよそ100日です。それを10年続けて、延べ1000人ほどになりました。
その生活は、10年目で終わりました。通勤時間が長くなり、仕事も忙しくなったからです。
中途半端に続けるくらいなら、やめた方がいい。そう考えて、活動を終えました。
1000人分を聞いて分かったこと
10年やって、はっきりしたことがあります。
私が担当したセッションでは、持ち込まれる悩みの大半が、親との関係につながっていました。仕事のことで来た人も、夫婦のことで来た人も、そして、いちばん多かった子育ての悩みも、たどっていくと親に行き着きます。
前回書いた「プログラミング」を、ほとんどの人が抱えていました。そして多くの場合、自分では気づいていません。
講座で、自分のことには口を閉じた私が、10年かけて、形を変えた同じ悩みを約1000回聞いたことになります。
1人分の体験だけでは、それが自分だけのことなのか、多くの人に共通することなのか、分かりません。1000人分を聞くうちに、聞いている私自身も変わっていきました。
自分の悩みが、特別なものに見えなくなったのです。私だけが抱えていると思っていたものを、みんなが抱えていた。 それが分かるだけで、ずいぶん軽くなりました。
人の話を聞く中で、私自身も少しずつ前へ進みました。ですが、母のことに本当に決着がついたのは、そこからさらに10年ほどあとのことです。
「お父さんが泥棒だったら」
では、親から受け取ったものを、どう扱えばいいのか。
ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』に、こんな話が出てきます。
ある若者が、胸を張ってこう言いました。
「私は共和党員です。祖父も父も共和党員でしたから!」
それを聞いた年長者が、静かに諭します。
「それでは、君のお父さんが泥棒だったら、君も泥棒になるのかね?」
核心を突いた問いです。 言われた若者は答えに詰まりました。
私たちは、親の影響を受けて育ちます。問題は、それを一度も確かめずに引き継いでいることです。
受け取ったものを、自分の人生にどう使うか。それは、自分で決めていいのです。
「真面目に生きろ」も、縛りになる
真面目な人ほど、親の期待に応えようとします。
私もそうでした。ですが、言われたとおりに生きる前に、一度は自分で考えていいはずです。 親の期待に、必ずしも応える義務はありません。
「真面目に生きろ」
「人に迷惑をかけるな」
親が子を思う言葉としては、正しいと思います。 私も、子どもに同じことを言うかもしれません。
ただ、以前にも書きました。宇宙は、正しいか間違いかで動いているわけではありません。 正しい言葉が、その人を楽にするとは限らないのです。
この種の言葉は、場合によっては人を縛ります。迷惑をかけまいとするあまり、助けを求められなくなる。 真面目であろうとするあまり、道を変えられなくなる。
路肩のない道路のようなものです。 少しでもはみ出したら終わりだと思うから、息を抜く場所がなくなる。そうやって、自分で自分を追い詰めていきます。
「非まじめ」という言葉
そこで、合言葉を一つ提案したいと思います。
「非まじめ」
「不真面目」ではありません。「非まじめ」です。
私がこの言葉に出会ったのは、会社にいた頃でした。「新しい発想を生み出すには何が必要か」というブレーンストーミングで出てきたのです。真面目に議論していて、答えが「非まじめ」だったのですから、おもしろい話です。
今回あらためて調べると、ロボット工学者の森政弘氏が、すでに1977年に『「非まじめ」のすすめ』という本を出していました。私たちはそれを知らずに、同じ言葉にたどり着いたのかもしれません。ただし、私たちが考えた「非まじめ」には、**「問いを疑い、それでも自分でやる」**という意味がありました。
不真面目とは、何が違うのか
分かれ目は、2つあります。
ひとつは、与えられた問いを、そのまま受け取るかどうか。 もうひとつは、それでも自分がやるかどうか。
真面目な人は、問いをそのまま受け取って、やります。決められた中で、完璧に近いところまで。
不真面目な人は、問いをそのまま受け取って、やりません。ただ、やらないだけです。
評論する人は、問いを疑います。ですが、やりません。疑うところで止まるので、何も生み出しません。
非まじめな人は、問いを疑って、そのうえでやります。「そもそも、この問いは正しいのか」と一度立ち止まってから、自分で手を動かします。
違いは、疑ったあとに、自分で引き受けるかどうかです。
不真面目はやらない理由を探し、非まじめはやる理由があるかを考えます。
ものづくりで見た、まっすぐ解く力
この「非まじめ」は、日本でこそ効くのではないかと思っています。
私がものづくりの現場で見てきた日本人は、問題をまっすぐ捉えて、一つずつ完璧に近い形で解決するのが得意でした。この国の繁栄を支えてきたのは、この力だったと思います。
一方で、既存の問いを疑う「斜め上の発想」は、得意とは言えません。うまくいったやり方をまっすぐになぞるうちに、発想が固まり、選べる道が減っていきます。
「非まじめ」は、その幅を広げます。そして、思考と直感をつなぎます。
私は、非まじめだったかもしれない
この4つに自分を当てはめてみると、思い当たることがあります。
就職のとき、同期が配属をじゃんけんで決めようとしました。私はそれを拒否しました。
真面目に従うこともできました。どうでもいいと放り出すこともできました。そのどちらでもなく、「じゃんけんで決めていい問題なのか」と、問いそのものを疑ったわけです。
管理職になったときも同じです。「どうすればよい管理職になれるか」ではなく、**「管理職を演じる必要があるのか」**と考えて、演じるのをやめました。役割を果たしながら、問いを立て直したのです。
そういえば、設計の仕事も同じでした。 与えられた仕様のとおりに作るのが仕事だと思われがちですが、私の経験では、よい設計は、たいてい「その要求は本当に必要か」を問い直したところから生まれます。
設計をしていて「なんとなく違和感がある」と感じた箇所も、あとから問題が出てくることが多い。 理屈で説明できなくても、その感覚は拾っておいた方がいい。経験上、そう言えます。
当時は、そんな言葉を知りませんでした。 ただ、そうする方がいいと思っただけです。それが「非まじめ」だったのだと、あとになって分かりました。
力を抜くための、合言葉
「非まじめ」は、真面目さの呪縛をほどく合言葉だと思っています。
真面目な人に「力を抜きなさい」と言っても、たいてい抜けません。力を抜くことを、真面目にやろうとするからです。
ですが、「ここは非まじめでいこう」と自分に言ってみると、少し楽になります。
みなさんは、どれに近いでしょうか。
真面目か、不真面目か、評論か、非まじめか。
私は、長いあいだ1番目でした。ときどき、4番目になれただけです。
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この連載をまとめて読む
これまでの記事は、マガジン「70年かけて検証した――心と体、お金と人間関係、見えないもの」にまとめています。連載完結まで1年以上かかる予定ですが、週4回更新しています。
次回で、第1の習慣「心と体の力を抜く」が終わります。なぜ、力を抜いた方がうまくいくのか。 ここまで書いてきたことをまとめて、私なりの答えを書きます。
