「管理職の平均寿命は65歳」――ほんまかいな?
「この会社の管理職の平均寿命は65歳だ」
人事部の先輩が、世間話の流れでふと、そう言いました。
「ほんまかいな? そりゃかなわんな!」
冗談めかして返しましたが、内心はまったく笑えていませんでした。
前回は、痛風の激痛によって体から強制的に止められた話でした。今回は、心の力を抜くまでの話です。
定年まで勤めて、それから数年
65歳。当時30代だった私にとって、それは遠い未来の数字のはずです。ところが、その数字は妙に生々しく響きました。定年まで勤め上げて、それから数年で終わる。そういう人生の輪郭が、突然目の前に描かれてしまったからです。
先輩がどこまで正確な統計を持っていたのかは、今となってはわかりません。社内でまことしやかに語られていた話だったのかもしれません。それでも、この一言は私の中に居座り続けました。
そして今、もうすぐ70歳という時期を迎えて振り返ると、たしかに65歳前後で亡くなった先輩や後輩が、少なからずいます。あの言葉が、私には現実味を帯びて感じられるのです。
父の胃がんと、消えなかった疑い
その言葉がこれほど刺さったのには、理由があります。父のことです。
父は40代で胃がんになり、胃を切除しました。当時、大阪の大きな営業所の所長を務めていて、相当なストレスを抱えていました。反社会勢力とのトラブルを抱え、マスコミからも上司からも責められる。深く悩み続けている姿を、私は間近で見ていました。
父は強いタバコ(両切りの缶ピース)を吸っていました。それでも中学生だった私には、深い悩みを抱え続ける父の姿と胃がんが、どうしても無関係とは思えませんでした。医者は、切除した父の胃を私に見せてくれました。一緒に見た年長の従兄弟が、「これで、父親の腹の中まで見たな(笑)」と、笑えない冗談を言ったことを覚えています。
その後、父は79歳まで生きました。 がんを発症してからは、それまでよりもストレスの少ない生活を送っていたように思います。直接の死因は、足を滑らせて頭を打ったことでした。母に至っては、今年100歳になります。
40代で大病をした父が79歳まで生きる一方で、65歳前後で亡くなった管理職もいる。**ストレスは、寿命を左右する大きな要因の一つなのだと思います。**それでも、ストレスを抱えたあとをどう生きるかで、人生は変わってくる。それが、私の実感として心に残りました。
私はその後、自分を縛っていた二つのものを手放していきます。一つはタバコ。もう一つは、「立派な管理職でいなければならない」という見栄でした。
山頂の一服 ―― タバコが「うまい」と思った日
私自身も、大学時代からタバコを吸っていました。父や周りの大人が当たり前のように吸っていて、子どもがその姿に憧れた、そういう時代だったのです。
最初はまずいと思ったのに、慣れるとやめられなくなりました。酒が入って、禁煙を中断した人も多いのではないでしょうか(笑)。
ただ、人生で一度だけ、心の底から「タバコってうまいなぁ」と思ったことがあります。
大学時代の体験です。京都の北山に、貫井谷(ぬくいだに)という沢があります。登るのが難しいと言われる沢で、地層が登る方向と一致し、岩が下向きに突き出している。「滑(なめ)」とも呼ばれる地形です。そこを水が流れる姿は、本当に美しい。しかし傾斜が急で手がかりが少なく、集中力と握力を切らさずに登り続けなければなりません。
しかもこの沢は、登り終えると山頂の直下に出ます。普通は沢を詰めて尾根に取りつき、少し歩いてから山頂に至るものですが、貫井谷は登り切った瞬間に、山頂の景観が目の前に広がります。
そこで一服です。難しい沢を登り切った達成感。緊張から解放された体の心地よさ。そして目の前の景色。**タバコを楽しむための条件が、すべて揃っていました。**あの一本は、間違いなくうまかった。

直感が「やめよう」と言った
それでも今、私はまったく吸っていません。
30代になる頃には、1日1箱から2箱に増えていました。当時は社内の喫煙率が高く、居室の机には灰皿が置いてあり、煙が充満していました。当時のパチンコ屋や雀荘も同じ環境でした。吸わない課員や庶務の女性たちは、よく我慢していたと思います。
やめたのは30代半ば、痛風をきっかけにダイエットを始めた頃でした。理屈で決めたわけではありません。ある日ふと、直感的に「タバコをやめよう」と思い立ちました。今にして思えば、この時期に、自分に必要なものといらないものを整理し始めていたのだと思います。
時代の流れもありました。1990年代に入ると居室が禁煙になり、喫煙スペースが設けられ、徐々に禁煙の空気が強まっていきます。禁煙に関する本や情報もたくさん出回っていました。
そうした情報の中に、「禁煙は5日目が第一関門で、1週間続けば成功しやすい」というものがありました。少なくとも、私には当てはまりました。1週間我慢すると、タバコへの欲求がはっきりと減ったのです。その後も何度か吸う機会はありましたが、常習的に吸うことはなくなりました。
禁煙してしばらくすると、面白いことに気づきました。**タバコの匂いが、驚くほど細かく分かるようになったのです。**香ばしい匂いのする人もいれば、ヤニ臭さが強い人もいる。
この違いは何なのだろうと考えて、私はこう感じました。**タバコを楽しんで吸っているか、ストレス発散のために吸っているかの違いではないか。**山頂で吸った一本と、締切に追われながら吸う一本は、同じタバコでも別物なのではないでしょうか。
私には、タバコを理性的にコントロールする自信がありませんでした。だから、一切吸わないことにしたのです。タバコへの欲求が小さくなるのと同時に、その匂いも嫌いになっていきました。
もう一つ、管理職を演じることもやめた
さて、管理職の話に戻ります。
「平均寿命は65歳」と聞いて以来、私は管理職になりたいと思わなくなりました。とはいえ、成長企業では自然に地位が上がっていきます。そして地位が上がれば、ストレスのかかる仕事が増えていきます。
私がいちばんストレスを感じたのは、部下の査定でした。正直に言えば、人を評価するほど自分に自信がありません。他人を支配下に置きたいという権力欲もない。帝王学を学んだこともない。
当時の会社は、まともなマネージャー教育をしていませんでした。今でこそ管理職向けのカリキュラムがありますが、当時は基本的にOJT、つまり現場で見て覚えろ、です。
管理職になると、よく言えば大人扱い、悪く言えば放任されます。そのうえで、能力も適性もまるで違う部下たちを、一律の基準で評価しなければならない。しかも私がつけた評価で、その人の給料が変わります。この重圧が、何よりつらかった。
そんな葛藤の中で、私はだんだん落ち込んでいきました。「管理職になんかなりたくなかった」。その思いが膨らんでいきます。そうして私がたどり着いた答えは、ずいぶん頼りないものでした。
無理に管理職を演じないこと。
部下からどう思われるか、気にするのをやめました。できないことはできないと言い、分からないことは分からないと言う。立派なマネジメント論ではありません。ただ、見栄を張るのをやめただけです。つまり、肩書きに執着することを手放したのです。
もちろん私自身の評価は下がりましたが、これ以上、出世とストレスを引き換えにすることはしなくなりました。
これで私のストレスは確実に減りました。振り返れば、これが私にとって最初の「力を抜く」だったのだと思います。 体の力を抜くことは痛風が教えてくれましたが、心の力を抜くことは、この査定の重圧が教えてくれました。
あなたは、自分のストレスを何かと天秤にかけていませんか。「何事も頑張った方がよい」という思い込みを見直せば、少し楽になるかもしれません。
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これまでの記事は、マガジン「70年かけて検証した――心と体、お金と人間関係、見えないもの」にまとめています。連載完結まで1年以上かかる予定ですが、週4回更新しています。
次回は、ストレスが限界に近づいたころ、理系人間だった私が「論理では解けない問題」に出会う話です。解決の糸口は「ヒプノセラピー」との出会いでした。
