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「ほらね!」――100点を取って、友達を失った

たった一言でした

中学生時代、理科にEという先生がいました。ひっかけ問題で有名で、しかも答案は成績順に返されます。良ければ誇らしいのですが、そうでない生徒には公開処刑のようなものです。正直、人気のある先生とは言えませんでした。

あるテストで、天体の運動の問題が出ました。設問の中に、答えを導くには必要のない情報が混ざっていることに私は気づきました。返却日、先生が入ってくるまでの間、隣の席の友達とその問題の話になりました。

「あの部分は関係ないと思うよ」と私は言いました。

友達は「そんなはずはない!」と言い張ります。議論の途中で先生が入ってきて、いきなり答案を返し始めました。

いちばんに呼ばれたのは私でした。「〇〇君、100点!」

その瞬間、思わず口走ってしまったのです。

「ほらね!」

彼の表情が固まりました。以来、少しずつ距離を置かれ、やがて口もきかなくなりました。たった一言で、関係が壊れてしまったのです。若気の至りでした(苦笑)。

論理では正しかった。けれど、社会の中では、それだけでは生きていけない――そのことに気づいた最初の出来事でした。

前回は、肩書きへの執着を手放し、心の力を抜いた話でした。それでも、頭で考えるだけでは解けない問題が残っていました。

いちばん高いプラモデルを選んだ理由

思えば、理屈で考える性格は、もっと幼い頃からありました。私は好奇心が強く、理科の実験が好きでした。予想が当たればうれしいし、外れたら外れたで、どこが違ったのかを考えるのが面白い。

小学生の頃はプラモデルが好きでしたが、あまり買ってもらえませんでした。あるとき叔母がおもちゃ屋に連れて行ってくれて、「なんでも買ってあげる」と言うので、いちばん高いものを選びました。母には、こんなことはねだれません。叔母にはできました。

正月に母が、叔母の夫のボーナスの高さをうらやましがっているのを聞いていたからです。叔母になら、少しくらい高いものをねだってもいい。子ども心に、そう計算していました。

このあと、母が叔母に謝り、「この子は、なんてものをねだるの!」という顔で私を見たのを思い出します。でも私は平気でした。母への嫌がらせであり、同時に、母にはできなかった甘えでもあったのだと思います。それが、叔母へのわがままという形で現れたのでしょう。

子どもに我慢させすぎると、思わぬ形でしっぺ返しをくらうかもしれません(笑)。

論理では、どうにもならないもの

こういう経験をしても、人はなかなか変われません。私は何度も同じ壁にぶつかりました。

年を重ねてから気づいたのですが、若い頃の私には、人の話を聞いているようで聞かず、自分の論理でしゃべる癖がありました。振り返れば、母がそういう話し方をする人で、私はいつも従わされていたのです。子どもは親をまねると言いますが、まさにそうでした。

無意識のうちにその態度をとり、自分では気づかず、自分は正しいと思っている。そんな態度で、人を説得できるはずがありません。その結果、自分のストレスが大きくなっていったのです。

学生時代は、似たもの同士の狭い世界です。ですが社会に出ると、求められるものが増えていきます。専門職なら許されたことが、管理職になると通らない。人間関係の弱点も露呈します。

どれも、頭で考えても答えが出ません。むしろ考えれば考えるほど、思考が堂々巡りして苦しくなる。前回書いた部下の査定の重圧も、まさにそれでした。

私は、何でも論理で解決しようとしていました。ですが、ストレスには通用しませんでした。薄々、何か別のアプローチが必要なのだろうと感じていました。

そして不思議なもので、何かを強く意識していると、答えにつながるものが目に入ってくることがあります。

雑誌の中の、知らない言葉

ある日、家にあった雑誌を何気なくめくっていたときのことです。

『ヒプノセラピー』

その単語が目に飛び込んできました。知らない言葉です。知らないことには、好奇の虫がうずきます。読んでみると、悩みを解決する手段でもあるらしい。それでも半信半疑でした。

その雑誌は、元妻の持ち物でした。スピリチュアルの世界では有名な雑誌だそうです。彼女は看護師で、がんのターミナルケアを受け持っていましたから、死や精神世界に関心があったのだと思います。

半信半疑だからこそ、試してみたくなりました。近くのヒプノセラピストを探し、予約を入れたのです。

眠っているわけではない

セッションは、だいたい2時間かかります。前半は、通常の会話に当てられました。セラピストがこちらの状況を把握し、信頼関係を作っていく。「ラポールを築く」と呼ばれる段階です。

担当してくれたのは、30代前半と思われる女性でした。話しやすい雰囲気で、「この人に任せて大丈夫だ」と感じられる人でした。ラポールが築かれたあと、催眠状態へと誘導されました。

催眠と聞くと、意識がなくなって操られるような場面を思い浮かべるかもしれません。しかし、私が体験したのは、自分の内面に深く集中していく感覚でした。リラックスしているのに、思考はクリア。ただ体の力が抜け、体が重くなり、呼吸はゆっくりと深くなって、ソファに沈み込んでいくようでした。

私が受けたセッションでは、セラピストの質問に答えながら、自分の内側を探っていきました。**自分が抱えている問題の原因を、自分で探しにいく。**そういう時間でした。

体の力を抜けば、心もゆるむ

このとき学んだことが、ひとつあります。

心と体は、つながっている。

緊張しているとき、私たちは体のどこかに力が入っています。肩だったり、腕だったり、脚だったり。ならば逆に、心ではなく体から働きかけて、体の力を抜けば、心もゆるむのではないか。

体と心が互いに影響し合う仕組みだと考えれば、理系の私にも納得できました。

思えばこれが、「心と体の力を抜く」を、初めて具体的な方法として受け取った瞬間でした。このセッションは、心をゆるめたければ、まず体からでいいと教えてくれたのです。

たどり着いたのは、母でした

十分にリラックスしたことを確認すると、セラピストは穏やかに言いました。

「問題の原因となった過去に、戻ってみましょう」

ヒプノセラピーというと、ブライアン・ワイス博士の『前世療法』を思い浮かべる人もいます。しかし、前世まで戻る人は極めて少ないと、私は聞いていました。多くは、幼い頃の記憶にたどり着くそうです。

私がたどり着いたのも、前世ではありませんでした。

母との記憶です。

思いがけず、深く眠っていた感情が呼び覚まされました。まるで時が巻き戻るように、あの頃の自分に戻っていく。そこには、私の人生に影響を与え続けてきた出来事と、それを生んだ母の思いがありました。その記憶が、長いあいだ無意識の奥で自分を縛り続けていたことに気づいたのです。

もちろん、それが過去を正確に再現した記憶なのかは分かりません。ただ、そのとき自分の中から出てきた感情は、無視できないものでした。

セッションが終わり、目を開けました。体はまだ重いままです。けれど、ずっと入りっぱなしだった肩の力が抜けていました。

トイレに立ったとき、視界のすべてが違って見えることに気づきました。心は晴れ晴れとしていました。

母と向き合うのは、ここからでした。

理屈では片づかない問題を、抱えたままの方もいらっしゃると思います。私の場合、その入口は頭ではなく、体の側にありました。

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この連載をまとめて読む

これまでの記事は、マガジン「70年かけて検証した――心と体、お金と人間関係、見えないもの」にまとめています。連載完結まで1年以上かかる予定ですが、週4回更新しています。


次回は、そのセッションで向き合うことになった、母との関係についてお届けします。

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