常識は変わる――50年前と今の塩
前回まで、二人の子どもを自宅で迎えた話を書きました。私は、その体験から体に必要な栄養について考えるようになりました。
最初に取り上げるのは、塩です。塩は栄養素?と疑問に思うかもしれませんが、体内で大切な仕事をしています。
ですから、基本的な栄養素と捉えています。私には、塩に関して忘れられない思い出があります。
中学校の朝礼で聞いた話
約55年前。私が中学生だったころのことです。
その頃の中学というと、全校生徒は、1,000人くらいいました。生徒が校庭の端から端まで並ぶと、校庭がいっぱいになりました。
朝礼では、たいてい校長先生が講話をします。校長先生の話は何一つ覚えていませんが、この日は様子が違いました。
朝礼台に上がったのは、校長先生ではなく、一人の男性教師でした。ここではA先生とします。
A先生は、風貌も弁舌も爽やかでした。大阪人は、饒舌な男を見かけると、「この人、信じてええんか?」と警戒する人も多い(笑)。顔は、人気アナウンサーだった押阪忍さん(故人)に似ていたかもしれません。
一部のお母さんたちには人気がありましたが、逆に胡散臭い先生だと思っていた母親もいたようです。授業を担当してもらったことはないので、名前も担当教科も覚えていません。
A先生が、朝礼台に上がるのはこの日が初めてだったと思います。
「あれっ?今日はいつもと違うんだな」と思ったので、はっきり覚えています。
この朝、A先生が話したのは、塩の害についてでした。
塩分の摂りすぎは体に悪い。味噌汁は薄く作り、うどんやラーメンの汁は最後まで飲まない方がよい、というような話でした。
「保健の先生でもないのに、なんでこんな話をするのだろう?」そう疑問に思いました。
ところが、家に帰ってその日の新聞を何気なく見ていると、まったく同じ内容の記事が載っていました。
そこで少年(の私)は、妄想しました。朝の職員会議の場面です。
校長「おい、野郎ども。朝礼のネタがないぞ。誰かなんかないんか?」
A先生「親分! 今日の新聞に、ちょうどいい記事がありやす!」
校長「よし、それでいけ!」
A先生「はい!よろこんで。(よし! 点数稼いだぜ)」
先生を勝手にキャラクター化して、一人で笑う。少年の密かな楽しみでした(笑)。
あれから半世紀
これは1960年代の話です。
あれから半世紀。2010年代になって、複数の研究機関が「味噌汁の塩分は血圧を上げない」との発表を行いました。なかには、血圧を上げないだけでなく、血管年齢の改善を示した研究もありました。
ではなぜ、味噌汁の塩分は血圧を上げにくい、とされたのでしょうか。
**発酵の効果**:発酵によって作られたペプチドが、血管を収縮させるACEの働きを抑える可能性がある。
カリウムの働き:カリウムがナトリウムの排出を促し、血圧の上昇を抑える。
腸内環境への作用:味噌由来の一部のペプチドが、腸内細菌叢の乱れや代謝異常を改善する可能性が、動物実験で示されている。
そのほかの成分:イソフラボンやサポニンが、血管の拡張や抗酸化に関わる。
食べ方の影響:味噌汁として摂ることで、塩分だけを単独で摂る場合とは体への作用が異なる。
つまり味噌は、発酵食品としての特性や、含まれている成分の働きによって、塩分が含まれていても血圧を上げにくいということなのです。
私たちが「常識」だと思っていることも、時代とともに変わります。
塩は控えめに。味噌汁は薄く。ラーメンの汁は残す。
――私も長いこと、そういうものだと思っていました。
しかし、味噌の研究により、塩分量だけで血圧対策を語るのは、不十分だという可能性が示されたのです。
イオン交換膜が、塩を変えた
私が子どものころ、食卓にあったのは「食卓塩」という小瓶でした。料理に使われていたのは、茶色い袋に入った「精製塩」でした。この精製塩は、いまも販売されています。
日本では戦後、海水をイオン交換膜で濃縮する製塩技術が開発されました。
海水に電気をかけ、陽イオン交換膜にはナトリウムイオンを、陰イオン交換膜には塩化物イオンを通して、塩化ナトリウムを主体とする濃い塩水を作ります。それを煮詰めて、塩の結晶を取り出すのです。
それまでの塩田に比べて、天候や広い土地に左右されず、効率よく「塩」を作れるようになりました。1971年から製塩方法の転換が進められ、1972年には国内の製塩が全面的にイオン交換膜法へ切り替わりました。2,200ヘクタールあった塩田は姿を消しました。
日本が技術によって、塩の作り方を大きく変えたのです。塩の工業化とでも言えば良いのでしょうか。
その結果、塩化ナトリウムを主成分とする白い「塩」が、日本の家庭で当たり前になりました。自然塩と、塩化ナトリウムが約99%を占める精製塩。成分の異なる二つが、どちらも同じ「塩」と呼ばれていたのです。
この工業的に作られた「塩」には、自然塩に含まれていたカリウムやマグネシウムをはじめとするミネラル分が大きく削減されていました。
味噌の研究が示していたのは、同じ塩分量でも、一緒に摂る成分によって体への作用が変わる可能性でした。では、塩そのものに含まれる成分の違いは、体に影響しなかったのでしょうか。
さらに時代を経て、1997年、92年間続いた塩の専売制度が廃止され、自由化が始まりました。5年間の経過措置を経て、2002年には製造・輸入・流通が原則自由になりました。
1972年に製塩方法が全面的に切り替わってから、自由化が始まるまでの約25年間、精製塩は日本の家庭のスタンダードでした。それが日本人の健康にどのような影響を与えたのか、あるいは与えなかったのか。いまとなっては、詳しく比較して確かめることは困難です。
それでは塩の歴史から離れ、塩と血圧の関係へ話を進めましょう。
塩を減らすと、血圧は実際にどれほど下がるのでしょうか。
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これまでの記事は、マガジン「70年かけて検証した――心と体、お金と人間関係、見えないもの」にまとめています。連載完結まで1年以上かかる予定ですが、週4回更新しています。
