経験を積んだ、つもりでした
前回は、一人目が生まれた日の話でした。今回は、二人目の話です。
私の失敗談です。
三年後、「家族だけで産みたい」
一人目が生まれて、三年が経ちました。
今度は妻が、こう言いました。
「家族だけで産みたい」
助産師さんも呼ばない、ということです。一人目を無事に産んだ経験に加え、四十歳が近いという年齢もあってか、さらに肝が据わっていたように思います。
私も、経験を積んだつもりでいました。一人目の経験をなぞれば、**「家族だけでやれるだろう」**と考えたのです。
病院に行くのは、検診のときだけでした。胎児が正常であることは確認できていました。
出産は、種の存続の綱渡り
しかし、結果を振り返ると、私は、1回の経験でベテランになったつもりでいた、大馬鹿者でした。
出産は、人間にとって最も危険な出来事のひとつです。
人間は進化の過程で脳を大きくしました。その代償として、赤ちゃんの頭は産道ぎりぎりの大きさになっています。頭蓋骨はいくつかの骨に分かれていて、産道を通るときには、骨同士を少し重ねるように形を変えます。
まさに「種の存続の綱渡り」だと思います。
脳の進化と引き換えに、出産の危険が大きくなることを背負い込んだ。そういうことかもしれません。
そういえば、「卵で産みたい」と言った女優がいました。今なら、その気持ちわかります(笑)。
じっと待つ、ということ
出産の日、床にペットシートを敷いて、妻は横たわりました。
最初の陣痛は、午後4時ごろに始まりました。腰の痛みに顔をしかめる姿を見ていると、こちらまで痛みが伝わってくるようでした。
「腰が重だるい」と言うので、腰をさすりながら、そのときを待ちました。このつらさは、出産を経験した女性にしか分からないのでしょう。
腰のあたりが膨らんでいる感触があり、体に負担がかかっていることを察することができました。
午後8時を過ぎて、陣痛がクライマックスを迎えます。
このとき、一人目の出産から学んでいたことがありました。
子どもが出てくるのを、じっと待つ。
子どもは、自分のタイミングで生まれてきます。母親が過剰にいきむ必要も、周りが騒ぎ立てる必要もない。
そしてやがて、二人目は驚くほどあっけなく、「ちゅるん」と生まれてきました。
一人目のときのような叫び声もなく、妻は静かで落ち着いていました。
一人目が最初の陣痛から8時間くらいかかったことを考えると、4時間ほどの安産でした。
「よしっ! 終わった」
生まれたあとの手順は、分かっている**――つもりでした。**
臍の緒を切り、切り口を消毒する。生まれた時間を記録する。産湯につからせて、産着を着せる。
赤ちゃんもおとなしくて、可愛かった。
「よしっ! 終わった」
そう言って、ホッと一息つきました。
忘れていたこと
そのとき、重大なことを忘れているのに気づきました。
後産です。
胎盤を出していませんでした。
出産から、すでに30分以上が経っていました。 慌てて胎盤を出そうとします。臍の緒をそっと引きました。
抵抗がありました。
それ以上は、怖くてできませんでした。おそらく、子宮口が閉じかかっていたのだと思います。
母子ともに元気ではありました。それでも、不安は拭えませんでした。
朝になって病院へ行きました。医師は、すぐに胎盤を取り出してくれました。
自宅で産んだと話すと、医師はあまり良い顔をしませんでした。
そのあと妻は子宮収縮剤を点滴され、3日ほど入院することになりました。
四十歳近い出産の疲れも重なっていたのだと思います。結果としては、良い休養になりました。
産後の回復には、6〜8週かかると言われます。それだけ、出産は大変なものだということです。
素人が、油断してはいけない
これが、二人目の出産での私の失敗です。
当時は冷や汗ものでした。いま思えば、**「過信と油断はしてはいけない」**という、大切な教訓でした。
一人目がうまくいったから、二人目もできるだろう。そう思ったところに、穴がありました。
やはり、多くの出産に立ち会って得た経験や、そこから得られる学びには価値があるのです。
ミネラルを意識した日々。 そして、家で迎えた二人の子。
生まれてきてくれて、産んでくれて**「ありがとう」と心の底から言いたいと思います。**
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