書くことの力
創作大賞おつかれさまでした。
出された方も、読まれた方も。
どなただか失念してしまったのだけれど、創作大賞のために気合いが入った記事を読むのが大変、みたいなことを書かれている方がいらした。
そうかあ。そうかもしれない。
読み手としてはとくだん苦労はしなかったけれど、書き手としては申し訳ないなあ、と思う。
わたしは、創作大賞のために最後に振り絞って書けたのがよかった。
選考を通ること云々ではなくて、やっぱり、締め切りと目的があって書けるものってあるから。
わたしにとっては、フード部門に出したものも、エッセイ部門に出したものも、自分がこれまで歩んできた道を、コンパクトな集大成として底から汲み出し切れたと思っている。
技術的な上手い下手で言うと足りないのかもしれないが(どれだけ推敲しても、完全に納得のいくかたちにはならなかった)、それでも自分にとっての真実を抽出できた、ということだ。
わたしは書き手、読み手、どちらの立場においても、真実でないものに意味はないよな、と思うから。
でも、本当に本当のことを書くのって、実に大変なことだと思う。
わたしは自分をそこまで持ってくるのにけっこう時間がかかったと思っているから、noteをはじめて間もないのに上滑りしない文章を書ける方はすごいと思う。
わたしはずっと上滑りしていた。
数ヶ月くらい上滑りを続けて、その後腹を括って毎日書きはじめたら、ようやく言葉が自分に追いついてきた感覚がある。
だから、よいタイミングで創作大賞が終わったなあと思う。
ここからまた1年切磋琢磨して、来年また書けたらいい。
だって、期待なんてまったくしていない。
でも、出したかった。出すために書くこと、それを出したことに意味があった。
それだけで自分を褒めたたえたい。
そう、それで、「書くことの力」だ。
わたしは、フード部門のフードエッセイと、
締め切り当日に出した、エッセイ部門のエッセイになっているのか謎なもの、
このふたつを書けたことが、とても大きなことで。
自分にとって、これらを言葉にすることでやっとその呪縛から解き放たれたような感覚がある。
もちろん、すべてがきれいさっぱり完ぺきに終わったわけではないけれど。
でも、ここから今からようやく自由になれるなあという感覚がたしかにあって、それがもう、「書くことの力」でしかないということを実感した。
だから、それを読んでくださる方がいるということがありがたくて、コメントも本当にありがたかったです。
今日は珍しく短めですが、こんなところで。
来週半ばからあたらしい仕事がはじまりますが、今までのような書き方ができるのか、このように絞って書いていくのか、やってみなければわからないし、当たり前だがテーマによって、日によっても変わるだろう。
どちらにせよ、わたしにはもう確固たる目標があるのです。
それは、「毎日最高にいかした文章を書きつづける」ということ。
いやもう、こんなこと言ってる時点でださいのかもしれないけれど、ご容赦くださいまし。
わたしは創作大賞の成果がもりもりあったよ、という話でした。
結果がほしい方は結果が、ここからの変化がほしい方は変化が、それぞれしっかりあられますように。
おなじ言葉の海を泳ぐ仲間たち。と勝手に思っています。
