見出し画像

WWEはなぜファンを離さないのか――プロレス団体が運用する「感情」という資産


プロレスは、勝敗を競うスポーツであると同時に、物語を楽しむエンターテインメントでもある。ただ、最近WWEを見ながら感じるのは、プロレスを単に「試合とストーリーの組み合わせ」と捉えるだけでは、その強さを十分に説明できないということだ。

WWEが作っているのは、一つひとつの試合や興行ではない。選手、王座、因縁、歴史、観客の感情が相互につながった、一つの巨大なUniverseである。そしてプロレス団体の経営とは、そのUniverseの中で、ファンの感情を預かり、育て、時に揺さぶりながら運用することなのではないか。

試合すら、物語を前に進める装置である

プロレスを見るうえで、試合の技術的な完成度はもちろん重要である。しかしWWEでは、試合そのものも、より大きなストーリーを動かす装置の一つとして扱われているように見える。

誰が勝つかは、単純な技術的優劣だけでは決まらない。スター性、観客人気、今後の展開、次の対戦相手との関係、王座の価値など、さまざまな要素を踏まえて勝敗が設計される。競技として見れば不純に映るかもしれないが、プロレスを継続的に追いかけるエンターテインメントとして見れば、その設計は合理的である。

一試合を見て満足して終わるのではなく、「次はどうなるのか」「この人物はどこへ向かうのか」「この敗北は何につながるのか」という未完了の感情を残す。WWEは、PPVだけで完結させるのではなく、RAWやSmackDownまで追いかけたくなる状態を作る。毎週ドラマを見ている感覚に近い。

会社の都合を、ストーリーの制約ではなく装置に変える

どのプロレス団体にも、会社としての都合がある。人材不足、負傷、退団、契約、興行日程、地域戦略、スポンサー、放映、次の大型大会までのカード温存など、その制約自体をなくすことはできない。

問題は、それをごまかすのか、物語へ変換するのかである。

WWEは、会社都合を隠すだけではなく、その制約があるからこそ成立するストーリーへ変える力が強い。王座を直接移動させれば単調になるなら、別のレスラーを間に置く。トップ同士をすぐに戦わせたくないなら、別の因縁を並行して育てる。主役級のレスラーが複数いるなら、王座を単なる最強の証明ではなく、人物同士をつなぐ編集装置として使う。

制約を消すのではなく、制約によって物語を動かす。その力が、WWEのストーリーテリングの強さなのだと思う。

プロレスでは、ファンの感情が納得感を支える

普通のスポーツでは、勝敗の納得感をルールが支えている。応援している選手が負けても、ルールの中で公平に決まった結果であれば、「勝負だから仕方ない」と受け止めることができる。ルール変更についても、中立的な競技団体や協議のプロセスが正当性を与える。

一方、プロレスでは、勝敗も王座もルールも団体が自由に設計できる。その自由度が高いからこそ、壮大な世界観を作ることができるが、同時に、団体の都合によって何でも変えられるという疑念も生まれやすい。

誰を勝たせるか。どの王座を残すか。歴史をどう扱うか。誰を主役にするか。すべてに会社の意思が反映される。

だからプロレスでは、ルールの代わりに、ファンの感情が納得感を支える。団体が過去の歴史や選手の格、観客が積み重ねてきた記憶を丁寧に扱えば、意外な展開でも受け入れられる。しかし、その感情を置き去りにすると、ファンは単に「この展開が嫌だ」と感じるだけではない。

「この団体は、もう自分が見ていた世界を大切にしていない」

そう感じた瞬間、試合や王座に対する不満は、団体そのものへの距離へ変わる。プロレスは感情のエンターテインメントである。だから感情の断絶は、そのまま団体との断絶になり得る。

新日本プロレスで感じた、世界観の切断

新日本プロレスを見なくなった大きなきっかけの一つが、IWGPヘビー級王座とIWGPインターコンチネンタル王座が統一され、IWGP世界ヘビー級王座が新設されたことだった。

王座体系を整理する会社側の意図は理解できる。しかし、ファンとして積み重ねてきた感情が、十分な物語を与えられないまま切断されたように感じた。IWGPヘビー級王座にも、インターコンチネンタル王座にも、それぞれ別の歴史と意味があった。

特にインターコンチネンタル王座は、中邑真輔や内藤哲也を通じて、単なる二番手ではない独自の存在になっていた。その歴史を終わらせるなら、ファンが納得できるだけの物語が必要だったはずである。

しかし実際には、会社の制度変更をリング上のストーリーが後追いしているように見えた。会社が変えたいから変えた。その印象が先に立ってしまった。

会社にできないことがあるのは仕方がない。コロナ禍もあれば、人材流出もある。AEWという新しい競争相手も登場した。ただし、それと団体が作るストーリーの質は別の問題である。

制約があるからこそ、その制約をどう物語で包み込み、前へ進めるかが問われる。大きなテコ入れを急ぎ、ファンの感情を置き去りにすると、変化は前進ではなく切断として受け取られる。

ファンの感情は、流動性の高いブランド資産である

プロレス団体にとって、ファンの感情はブランド資産と考えられる。ただし、非常に流動性が高く、毀損リスクの大きい資産である。

ファンは、試合を見ているだけではない。選手に期待し、王座の歴史を覚え、過去の敗北に意味を見つけ、未来の展開を想像する。長い時間をかけて、自分の感情をその団体に預けている。

この感情が積み上がるほど、チケット、映像配信、グッズ、SNS上の発信、他者への推薦へとつながる。一方で、「この団体は自分たちの感情を大切にしていない」と感じた瞬間、その資産は急速に流出する。

視聴頻度が下がり、大会を見なくなり、グッズを買わなくなり、団体について語らなくなる。ファンビジネスでは、この感情の流出がそのまま収入に直結する。

プロレス団体は、自ら世界のルールを設計できる。だからこそ、その世界を壊したとき、外部環境ではなく団体自身の意思による裏切りと受け取られやすい。自由度の高さは、創造性であると同時に責任でもある。

ファンの声を聞くことと、期待を理解することは違う

ブランド資産を守るために、ファンの声をすべて聞けばよいわけではない。ファンの要望をそのまま実現するだけでは、物語は予測可能になり、サプライズもなくなる。

重要なのは、表面的な声ではなく、その背景にある期待を理解することである。

「この選手を勝たせてほしい」という声の奥には、「報われてほしい」「格を取り戻してほしい」「長い物語を回収してほしい」という感情があるかもしれない。その本質を理解できれば、単純に希望通りの結果を出さなくても、期待を超える答えを見せることができる。

強い団体は、ファンに従うのではない。ファンの感情を理解しながら、その少し先にある景色へ導く。

予想を外すことと、期待を裏切ることは違う。信頼のある団体が予想を外せば、「そこにつながるのか」という驚きになる。信頼を失った団体が同じことをすれば、「また迷走している」と受け取られる。

サプライズがブランド価値を高めるか、毀損するかは、その団体が持つ感情の信用残高によって決まる。

「またこのカードか」と「ついにこのカードか」

同じ選手同士が長く戦っていても、それが必ずしもマンネリになるわけではない。違いは、物語が進んでいるかどうかにある。

「またこのカードか」と感じるとき、そこには人材不足や選択肢の欠如が透けて見える。一方、「ついにこのカードか」と感じるとき、世界の中でさまざまな因果が積み重なり、その対戦以外にあり得ない状態まで物語が収束している。

同じ顔ぶれでも、立場、感情、関係性、賭けるものが変われば、試合は次の章になる。Roman Reignsの長期政権が単なるマンネリとは違ったのも、王者が同じでありながら、周囲の関係性が常に変化していたからだと思う。

Bloodline内部の緊張、家族関係、服従、裏切り、Sami ZaynやThe Usosとの関係。王座は動かなくても、物語は動いていた。

新陳代謝とは、単に選手を入れ替えることではない。世界の状態を変えることである。

Universeを作るということ

強いプロレス団体では、会社がカードを決めたようには見えない。選手の過去、王座の歴史、感情、権力関係、ファンの記憶が積み上がった結果として、世界そのものがその試合を要求しているように見える。

それがUniverseである。

Universe型のブランドは、顧客を単なる視聴者ではなく、世界の住人に変える。住人は、その世界の歴史を知り、未来を想像し、他者と語り、自分なりに物語を解釈する。だからこそ、その世界に住み続けたいと感じる。

しかし、世界を作るということは、壊すリスクも背負うということである。設定や歴史を都合よく変更し、住人の感情を置き去りにすれば、ファンはその世界から出ていく。

惰性で残る人はいる。昔から見ているから、ほかに見るものがないから、習慣になっているからという理由で残る人もいる。しかし、それは高いロイヤリティとは違う。

本当に強いブランドとは、住人がその世界を信じ、誰かを連れてきたくなり、続きを見届けたいと思う状態である。

スターは生まれるものではなく、作るもの

Universeを維持するためには、スターを継続的に作らなければならない。一人の偶発的なスターに依存すると、負傷、離脱、退団がそのまま経営リスクになる。さらに、同じスターにカードが集中し、同じ対戦を繰り返し、次世代が育たなくなる。

重要なのは、スターを発見することではない。スターを再現性を持って作り、循環させることである。

若手を勝たせるだけでは、スターにはならない。既存スターとの対立、共闘、継承、裏切りを通じて、観客の感情を新しい人物へ移していく必要がある。スター育成とは、人材育成というより感情移転の設計に近い。

強い団体では、スターが抜けても世界は壊れない。その不在によって誰が立ち上がるのかが、次の物語になる。弱い団体では、人が抜けると穴が見える。強い団体では、その穴さえ新しい物語の入口になる。

プロレス団体が運用しているもの

プロレス団体は、試合を開催する会社でも、レスラーを管理する会社でもない。少なくとも、それだけではない。

ファンの期待、記憶、不満、驚き、信頼を預かり、それらを長い時間軸で運用する会社である。試合は、そのための装置の一つである。王座も、ユニットも、勝敗も、PPVも、週次番組も、すべてUniverseを前へ進めるために存在する。

ファンが求めているのは、常に希望通りの結末ではない。自分の感情がこの世界の中に存在していると感じられること。そして時々、自分の想像を超える景色へ連れていかれることである。

プロレス団体の強さとは、制約がないことではない。制約を物語へ変え、ファンの感情を置き去りにせず、世界を少しずつ前へ進め続ける力なのだと思う。
【この記事が興味深かった方は、以下記事もおすすめです】

<おすすめ記事①>
ファンが何度も同じコンテンツへ戻る感情を、YouTubeのお笑いから見たい方はこちら。

<おすすめ記事②>
ファンの感情を、運営モデルとしてどう増幅するのか。カワラボから考えています。

<おすすめ記事③>
ファンだけでなく、企業がスポーツに感情や社会との距離をどう重ねるのかもこちらで。