「いくらあれば安心?」に答えがない理由──50代から考えたい、お金と安心の関係
「いくらあれば安心ですか?」
そう聞かれて、すぐに答えられる人は、あまりいない気がする。
少なすぎても不安だし、多ければ安心かというと、そうとも言い切れない。考えれば考えるほど、答えはぼやけていく。
そんな問いだと思う。
不安の正体
その理由は、案外シンプルなのかもしれない。
わたしたちはいつも、
「必要なもの」と「欲しいもの」を同時に考えている。
何かあったときに困らないためのお金。
足りなくなるかもしれないという不安。
それとは別に、
もう少し心地よく暮らしたいとか、
少しだけ余裕を感じていたいとか。
このふたつは似ているようで、少し性質が違う。
けれど頭の中では、
きれいに分けられないまま混ざっていることが多い。
すぐに必要なお金
たとえば、親の介護。
割高だとわかっていても病院の売店で買い物をしたり、
介護タクシーを手配したり、
施設入居のための保証金が必要になったりする。
予定外の支払いが重なると、
思っていた以上に「すぐに払えるお金」が必要になる。
後から戻ってくるお金もある。
申請すれば受け取れる助成や還付もある。
それでも、その場では現金が必要だ。
手元にお金があるかどうかで、
選べる方法は少し変わる。
無理をしない選択ができるかどうか。
それだけのことなのに、
暮らしの負担はずいぶん違ってくる。
欲しいものの正体
一方で、「欲しいもの」は少し厄介だ。
満たされると、
またすぐに新しく生まれる。
だから終わりの線を引くのは難しい。
むしろ、ゆっくり満たしていくほうが、
気持ちは落ち着いていくように感じる。
無理に生活を削って手に入れようとすると、
その分だけお金の動きに敏感になる。
減ることが気になって、
使うこと自体に少し緊張が混ざる。
けれど、余裕の中で楽しむものだと考えると、
同じ支出でも感じ方は変わってくる。
答えが出ない理由
こうして見ていくと、
「いくらあれば安心か」に答えが出ないのも無理はない。
必要なものも、
欲しいものも、
暮らしとともに少しずつ形を変えていく。
年齢や状況が変われば、優先順位も変わっていく。
だから、ひとつの金額に落とし込むのは、そもそも難しい。
それでも、少しだけ落ち着ける方法があるとすれば──
「必要なもの」と「欲しいもの」を、
意識して分けてみることかもしれない。
きれいに分けることはできなくても、そういう視点を持ってみる。
不思議と焦って答えを出そうとしなくてもいい、と感じられる。
必要なものは、足りないと困る。
欲しいものは、足りなくても生きてはいける。
けれど、人は、
必要なものだけでは、あまり幸せになれない。
お金の先にあるもの
もしかすると、
わたしたちが本当に欲しいのは、
お金そのものではないのかもしれない。
お金が欲しい。
そう思ったとき、
本当に欲しいのは何だろう。
困ったときに助かる安心だろうか。
誰かに頭を下げなくてもいい自由だろうか。
好きなことを選べる余白だろうか。
安心して選べること。
自分で決められること。
そうした感覚を手に入れるために、
わたしたちはお金という形を使っているだけなのかもしれない。
だから、「いくらあれば安心か」という問いには、
はっきりした答えはない。
けれど、
自分が何に安心を感じるのかを考えることはできる。
本当に知りたいのは、
「いくら必要か」ではなく、
「私は何を求めているのか」なのかもしれない。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
少しでも響くものがあれば、“スキ”で教えていただけるとうれしいです。
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