美にお金を払う理由が変わる瞬間── わたしの中の違和感の正体
百貨店に化粧品を買いに出かけることが、
いつの間にか少なくなった。
昔は、あんなに楽しかった場所なのに。
売り場を歩くのは、ちょうどいい気晴らしだった。
海外に行けば「買い付け」と言い訳して、
免税店で香水や口紅をまとめて買う。
あれは買い物というより、
“美の世界”へのちょっとしたイマーシブ体験だったのだと思う。
鏡の前に座り、ライトを浴びて、
「お似合いですよ」と言われる。
その一連の儀式ごと、持ち帰っていた。
けれど、いつからだろう。
あの場所に、少し酔いにくくなった。
何にお金を払っていたのだろう
価格は、成分や効果に比例する。
それは、きっと正しい。
でも、わたしが払っていたのは、たぶん、それだけではない。
日本の繊細さ。
フランスの余裕。
アメリカの凛とした意志。
アーティストの気まぐれな色彩。
そのブランドにしかない“美の定義”。
大きな美しさの世界の端っこを、小さな瓶で持ち帰るような感覚があった。
高価でも、不思議と納得できたのは、
その“納得”ごと手に入れていたからだと思う。
そしてもうひとつ。
あの場所では、少しだけ“きれいな自分”になれる気がしていた。
──それも、込みだったのだと思う。
“美しさ”の決まり方が見えにくくなった
いつからか、世界はずいぶん効率的になったらしい。
どのブランドも優秀で、
どの製品もそつがない。
なんなら、少し出来すぎているくらい。
優秀すぎるものは、ときどき退屈だ。
それは悪いことではないけれど、
どこで“美しさ”が決まっているのかが、
見えにくくなった気がする。
知らない美しさに出会う楽しみも、
いつからか、ほんの少し減った気がする。
物語が薄くなると、
“高級”という言葉が、居心地悪くなる。
パンデミックを境に、カウンターの風景も変わった。
衛生は最優先。それは、当然のこと。
けれど、美容部員さんの手が空くのを待った末に、
「ご自分でどうぞ」と使い捨てのスパチュラを渡されると、
ああ、儀式は終わったのだな、と思った。
効率と快適さなら、オンラインで十分。
そう思った瞬間、百貨店は少し遠くなった。
お金の使い方を、少し変えただけ
代わりに手に取るようになったのが、
韓国コスメやプチプラ。
最初からトレンドと機能前提で、
わかりやすくて、ちゃんとかわいい。
試しに買った一本のリップが、
一瞬で今の空気を連れてきてくれた。
──あ、これでいいのかもしれない。
約束がはっきりしていると、迷わなくてすむ。
それは妥協というより、
ただ、期待を裏切らないという安心感だった。
エステもやめた。
効果を求めるなら美容医療の方がはっきりしているし、
体を整えるなら、運動が今の気分。
美に冷めたわけではない
どれも否定するわけじゃない
ただ、置き場所を少し変えただけ。
幻想に払うのをやめて、
手応えに払うようになった。
わたしの中で、
支払いの理由が、静かに更新された。
それだけのこと。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
少しでも響くものがあれば、“スキ”で教えていただけるとうれしいです。
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