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八つ墓村(1977)考察|あの「たたりじゃーっ!」は本編のセリフではありません。有名な話の出どころを資料で辿りました

まず、この一言の出どころを確かめてください

『八つ墓村』(1977)といえば、「たたりじゃーっ!」です。観たことがない人でも知っています。

ところが、資料を辿ると、こう書かれていました。

映画本編では「祟りじゃ」「祟りなんじゃ」という科白は何回も出てくるが、テレビCMのように長く叫ぶ科白は無い。

(出典=ja.wikipedia「八つ墓村 (1977年の映画)」の注釈。2026年9月5日に MediaWiki API で取得)

本編に、あの長さで叫ぶ場面は無いと書いてあります。そして本文のほうには、こうあります。

テレビCMで流された濃茶の尼のセリフである「祟りじゃ〜っ」

(…注釈…)

は、キャッチコピーとして流行語にもなり、当時大人気だったザ・ドリフターズがコントに取り入れたことも話題となった

(同じ節。この記述の出典は『週刊現代』2022年9月17日号「熱討スタジアム」第444回「映画『八つ墓村』を語ろう」p142-145と明記されています)

あれはテレビCMのキャッチコピーです。そして、それをドリフのコントが広げた。

この記事は、そういう「みんなが知っていること」の出どころを、1つずつ辿ります。この映画は、有名な話ほど出どころがはっきり残っている作品でした。

まだ観ていない方のために、配給・松竹の公式チャンネルに残っている1977年版の予告篇を置いておきます。(公式かどうかは YouTube の oembed API で機械照合しました。チャンネル名は「松竹シネマPLUSシアター」です)

この記事が書くこと、書かないこと

先に線を宣言します。

ここから先はネタバレを含みます。未見の方は本編を先に観てください。151分です。

  • この記事の地の文では、犯人の名前も、動機も書きません。
  • ただし、引用する資料とレビューの原文には、犯人像や結末に触れた記述が含まれます。原文を1文字も変えずに載せる方針なので、そこだけ伏せることができません。引用まで読むと実質的にネタバレです。
  • 原作(横溝正史)については、映画と変わっている点の事実関係だけを書きます。

そして、いちばん大事なことを先に書きます。

★私は本編を通しで見直したうえで「あの叫びは本編に無い」と言っているのではありません。Wikipediaの注釈がそう書いていることと、レビューを書いた人が「TVのスポットで」と証言していることを突き合わせた結果です。この記事が言えるのは「複数の資料がそう書いている」までです。

まだ観ていない方は、ここで一度離れてください。観た方は、このまま進んでください。

作品を1つに特定しておきます

『八つ墓村』は映像化が複数あります。取り違えると全部狂うので、先に確定させました。この記事が扱うのは1977年の松竹版です。

  • 版 1951年版 / 公開 1951年11月2日 / 監督 松田定次 / 映画.comのレビュー数 0 / 評点 -
  • 1977年版(この記事) / 公開 1977年10月29日 / 監督 野村芳太郎 / 映画.comのレビュー数 50 / 評点 3.3
  • 版 1996年版 / 公開 1996年10月26日 / 監督 市川崑 / 映画.comのレビュー数 28 / 評点 2.9
  • 版 2026年版 / 公開 2026年9月18日 / 監督 清水崇 / 映画.comのレビュー数 0 / 評点 -

(出典=映画.com の各作品ページ。2026年9月5日取得。1977年版は movie/39830)

★1点だけ、資料が食い違っています。公開日です。映画.comは1977年10月29日、ja.wikipedia のインフォボックスは1977年9月23日。どちらが正しいかを確かめる資料に当たれていないので、両方を書いておきます。

そして最後の行が、いまこの49年前の映画が動いている理由です。2026年9月18日に、清水崇監督・尾上松也主演の新作が公開されます。

「たたりじゃ」は、映画のどこにあったのか

出どころを、もう少し詰めます。

まず、あの言葉を言う人物です。濃茶の尼。演じたのは任田順好。役の説明はこうです。

迷信深く八つ墓明神の祟りを恐れている尼。被害妄想となり「八つ墓明神の祟りじゃ、辰弥がいると血の雨が降る」と村中に言いふらし、辰弥に早くこの村から出て行けと警告する。

(出典=ja.wikipedia「八つ墓村 (1977年の映画)」の「配役」節)

セリフの中身は「八つ墓明神の祟りじゃ、辰弥がいると血の雨が降る」です。「たたりじゃーっ!」と伸ばして叫ぶ形ではありません。

そして、この尼は物語の途中で亡くなります。四番目の犠牲者です(同じ節)。つまり最後まで叫び続ける役ではない。

では、なぜあの一言が映画そのものの顔になったのか。理由は、公開当時の売り方に残っていました。

では連日多くの観客が訪れ、入れ替えの時間になると劇場から地下鉄の東銀座駅まで人が溢れた。公開期間中、同劇場の入り口には八つ墓明神のレプリカを設け、客はそこをくぐって会場に入る仕掛けになっていた。

(同じ節。出典は『週刊現代』2022年9月17日号)

劇場の入り口に八つ墓明神のレプリカを立てて、客をくぐらせていた。テレビCMで「祟りじゃ〜っ」を流し、劇場では祟りの祠をくぐらせる。映画の外側が、祟りで固められています。

いま私たちが覚えているのは、この外側です。

レビュー50件でも、同じことを言っている人がいました

ここで、いま観た人がどう書いているかを見ます。映画.comのレビュー50件を全部読みました。母数が50件しかないので、割合はすべて「50件のうち何件」という意味以上には読まないでください。

「たたりじゃ」に触れたのは8件(16.0%)。その原文です。

ここから引用です。原文のまま、1文字も変えていません。出典は映画.com(movie/39830)です。

オカルト風味|古い記憶にある映画のコピー/フレーズとして、サスペリアの「けっしてひとりで見ないでください」と人間の証明の「母さん僕のあの帽子どうしたでしょうねえ」と「八つ墓村のたたりじゃあ」を覚えている。

奇しくもすべて1977年だった。

(星2.5/2025年6月4日投稿)

公開時、TVのスポットで「たたりじゃー」とインパクトある映像が流れ、未だに記憶にあるのだが、本編は血糊が多いだけで越えられなかった。

(星3.0/2023年9月26日投稿)

引用はここまでです。

1件目は「映画のコピー/フレーズとして」と書いています。セリフではなくコピーとして記憶している。しかも同じ1977年の他2本と並べていて、宣伝文句のカテゴリで覚えていることがはっきり分かります。

2件目は「TVのスポットで」と、場所まで書いています。

つまり、当時を知っている人は、あれがCMのものだと分かっている。Wikipediaの注釈と一致します。

ここから、もう1つの「言われていること」を辿ります

この映画には、もう1つ有名な話があります。「渥美清の金田一は、何もしない」です。

レビューでも書かれていました。「渥美清」または「金田一」に触れたのは37件(74.0%)で、これがいちばん多い論点でした。

ここから引用です。

新作が公開される前に復習のため見てみた|まず渥美清が演じる金田一耕助はほぼ何もしません(笑)

石坂浩二のように全力ダッシュするでもなく、古谷一行のようにやたら嘆くこともなく、ただ単に観客と同じ程度のポジションで傍観者に徹する潔さ…というか無能すぎるw

(星4.0/2026年8月21日投稿)

渥美清が地味キャラで正直これが金田一?

となり、実際別の人の方がいい気がする。

(星3.0/2026年6月4日投稿)

引用はここまでです。

「無能すぎる」「これが金田一?」。よく言われる話です。

この配役の出どころを辿ったら、はっきり残っていました。

渥美清を指名したのは、横溝正史本人でした

ここから引用です。出典は ja.wikipedia「八つ墓村 (1977年の映画)」の「キャスティング」節で、そこには小林信彦編『横溝正史読本』(角川書店、1976年、63ページ/角川文庫、2008年改版、89ページ)が出典として明記されています。

金田一役に渥美清が起用されたのは横溝自身の希望によるものである。(中略)松竹から本作の映画化の申し込みがあった際、金田一についてはまだ決まってないが二枚目になるだろうと言われ、それに対し「探偵というものは狂言回しでしょう。主人公は別にいるんですヮ。犯人か被害者かどちらかが二枚目になるでしょう、二枚目を二人出されちゃ困る。だから金田一役、やっぱり汚れ役にしてほしい、お宅ならやっぱり渥美清だろう。」と答えたという。

引用はここまでです。

「探偵というものは狂言回しでしょう。主人公は別にいるんですヮ。」

原作者本人が、金田一は主人公ではないと言っています。そして「二枚目を二人出されちゃ困る」から、汚れ役にしてほしい、と。

つまり「渥美清の金田一は何もしない」は、失敗ではなく設計です。原作者が望んだとおりの形になっている。

さらに、脚本の側でも同じ方向に振られていました。

本作のシナリオは当初ある脚本家が書いていたが、野村がその内容に満足できず半年後にしびれを切らし、脚本は橋本忍に変更となった。出来上がった映画では石坂以上にコミカルな面は排除され、謹厳な学者のように事件を解説する金田一となった。

(同じ節)

脚本家は途中で交代しています。最初の脚本家の名前は、この資料には書かれていません。そして橋本忍に変わったあと、金田一からコミカルな面が排除された。

映画評論家の樋口尚文の言葉も、同じ節に記録されています。

「萩原さん演じる辰弥が当時のリアルな若者の姿を象徴していた。対して『寅さん』のイメージが強い渥美さん演じる金田一は、観客を虚構の世界に導く役割を担っていました」

引用はここまでです。

「観客を虚構の世界に導く役割」。謎を解く人ではなく、案内する人。だから動かない。

50件の数字でも、これが出ていました。渥美清・金田一に触れた37件の平均は3.32。全体平均も3.32で、差はぴったりゼロです。いちばん多く触れられるのに、点数を動かさない。評価の対象というより、この映画の前提になっているということだと思います。

3つ目。「オカルトになった」の出どころ

もう1つよく言われるのが、「推理小説なのにオカルト映画になっている」です。これも辿れました。

ここから引用です。同じページの「概要」節です。

また、事件を「祟りに見せかけた犯罪」ではなく「本当の祟り」として描き、主要登場人物を大幅に削減して人物関係を簡略化した。さらに、推理物でありながら金田一による謎解きのくだりが短縮され、終局は背景を鍾乳洞洞窟とした迫力ある恐怖描写に差し替える等、推理劇風のオカルト映画へと改変した異色作となった。

引用はここまでです。

「祟りに見せかけた犯罪」から「本当の祟り」へ。原作は本格推理小説で、祟りは犯人が使った目くらましです。映画はそれを本物にした。

そして、その振り方の出どころまで残っていました。

野村は本作に、1976年公開のデ・パルマ監督の映画『キャリー』のような、アートっぽいモダン・ホラーの要素を取り入れたとされる

注釈にはこうあります。

野村は本作撮影中の映画ノートに、『キャリー』のチラシを挟んでいたことから。

引用はここまでです。

撮影中の映画ノートに『キャリー』のチラシが挟んであった。1976年公開のブライアン・デ・パルマ作品です。日本での公開は1977年で、『八つ墓村』とほぼ同時期にあたります。

「オカルトにした」のではなく、同時代の海外ホラーを見ていた。これが出どころです。

ここからが本題です。この映画の怖さは、祟りの外にあります

ここまでは、外側の話でした。「たたりじゃーっ!」も、渥美清の金田一も、オカルト化も、全部きちんと出どころがある。

では、この映画のいちばん怖いところはどこか。50件を数えると、答えは祟りではありませんでした。

  • 論点 津山事件・32人殺し / 件数 16 / 割合 32.0% / 平均星 3.69 / 全体(3.32)との差 +0.37
  • 論点 鍾乳洞・洞窟 / 件数 17 / 割合 34.0% / 平均星 3.65 / 全体(3.32)との差 +0.33
  • 論点 「怖い」と書いた / 件数 21 / 割合 42.0% / 平均星 3.62 / 全体(3.32)との差 +0.30
  • 論点 原作に触れた / 件数 14 / 割合 28.0% / 平均星 3.61 / 全体(3.32)との差 +0.29
  • 論点 渥美清・金田一 / 件数 37 / 割合 74.0% / 平均星 3.32 / 全体(3.32)との差 0.00
  • 論点 たたりじゃ / 件数 8 / 割合 16.0% / 平均星 3.31 / 全体(3.32)との差 -0.01
  • 論点 祟り全般 / 件数 19 / 割合 38.0% / 平均星 3.29 / 全体(3.32)との差 -0.03
  • 論点 小川真由美・美也子 / 件数 20 / 割合 40.0% / 平均星 3.12 / 全体(3.32)との差 -0.19

上から3つが、祟りの話ではありません。そして「たたりじゃ」「祟り全般」は、ほぼ全体平均のところにいます。

この映画で本当に効いているのは、32人殺しの場面と、洞窟です。

32人殺しの装いは、実在の展示から来ています

いちばん高かった「津山事件・32人殺し」を辿ります。

この場面の着想元について、原作者本人の言葉が記録されていました。

ここから引用です。出典は ja.wikipedia「八つ墓村」の「概要と解説」節で、そこには『真説 金田一耕助』1979年 pp.135-141「八つ墓村考 II・III」が出典として挙げられています。

「津山事件」(津山三十人殺し)が初めて脳裏に閃いた。本格探偵小説の骨格は崩したくはなかったが、当時の『新青年』は純粋の探偵雑誌というよりも大衆娯楽雑誌の傾向が強かったことから、スケールの大きな伝奇小説を書いてみようと思い立ち、この事件がかっこうの書き出しになると気がついた。ただし、作品の舞台はわざと事件のあった村よりはるか遠くに外しておいた

また、本作の発端である32人殺しの際の田治見要蔵のいでたちは、岡山市のデパートで催された「防犯展覧会」に出ていた津山事件の犯人の事件当夜のいでたちの想像図を借用に及んだものである、と述べている

引用はここまでです。

あの姿は、創作ではありません。岡山市のデパートの防犯展覧会に出ていた、想像図から借りたものです。

ここで、2つのことを分けておきたいと思います。

  • これは実在の事件です。この記事では事件そのものの内容には踏み込みません
  • 横溝正史は「作品の舞台はわざと事件のあった村よりはるか遠くに外しておいた」と書いています。実在の事件を材料にしながら、場所は意図的にずらしている

借りたのは「装い」であって、事件そのものではない。本人がそう書いています。

そして、この場面は演出でも特別に扱われていました。

ここから引用です。「演出」節です。

作中の“村人32人殺し”のシーンでは、村人の悲鳴が聞こえる中、要蔵は淡々と殺しを遂行していく。野村はこのシーンで要蔵に一言も言葉を喋らせないことで、より一層彼の凄みや殺人シーンに恐怖感を持たせた

注釈にはこうあります。

状況は違うが、野村の監督映画『砂の器』の父子のお遍路のシーンでも、ほぼセリフを発しない演出により旅の過酷さを表現している。

引用はここまでです。

要蔵は一言も喋りません。そして同じ監督が『砂の器』(1974)でも、いちばん重い場面からセリフを抜いている。この監督は、怖い場面ほど黙らせる。

レビューでも、この場面は突出して記憶されていました。

ここから引用です。

この多治見要蔵は人生初のトラウマだな 子供のとき、32人殺しシーン...|この多治見要蔵は人生初のトラウマだな

子供のとき、32人殺しシーンだけ見て、寝られなくなった

大人になってから全編ちゃんと見て、一番怖かったのが洞窟の追いかけっこ

こんな面白い映画だったのかーと、トラウマは克服できたけどね

(星5.0/2026年8月27日投稿)

引用はここまでです。

「子供のとき、32人殺しシーンだけ見て、寝られなくなった」。そして大人になって全編を観て、いちばん怖かったのは洞窟だった、と書いています。

この記事で辿った出どころは、原作を読むといちばん早く確かめられます。2026年版の原作表記と同じ、角川文庫の『八つ墓村 金田一耕助ファイル1』です。

※以下は楽天のアフィリエイトリンクです(PR)。

八つ墓村 金田一耕助ファイル1(角川文庫・楽天ブックス)

同じ「その説はどこから来たのか」を辿るやり方の記事です。あちらは、都市伝説が立った日時と書き込みの番号まで特定しました。

洞窟は、探すのに1年半かかっています

2番目に高かった「鍾乳洞」も辿ります。

ここから引用です。「ロケハン等」の節です。

作中でのロケ地探しに1年半を費やした。特に苦労したのが物語で重要な場面となる洞窟で、スタッフは日本中の鍾乳洞を回ってロケ地を探した。事前に野村は独自の演出ノートに洞窟のイメージを描き、それに合う場所を探した。

引用はここまでです。

先に絵を描いて、それに合う洞窟を日本中から探した。順番が逆です。

そして、実際に使われた洞窟のリストが残っています。

  • 岡山県 - 満奇洞
  • 岩手県 - 滝観洞
  • 山口県 - 秋芳洞、景清洞、大正洞
  • 高知県 - 龍河洞
  • 沖永良部島(鹿児島県) - 水蓮洞、昇龍洞

(出典=同ページ「ロケ地」節)

岡山の話なのに、岩手・山口・高知・鹿児島の洞窟が使われています。画面の中の1つの洞窟は、日本中の洞窟をつないだものです。

さらに、監督の息子の証言が載っていました。

下記ロケ地の欄にはないが、野村芳樹によると「父(・野村芳太郎)の演出ノートによると、洞窟のシーンは沖縄で撮影したものが一番多く使われている」と証言している。

引用はここまでです。

ロケ地の一覧に沖縄は入っていないのに、実際は沖縄のものがいちばん多い。この食い違いは、資料の中にそのまま残っています。私にはどちらが正しいか確かめられません。そのまま置いておきます。

製作発表会見でも、洞窟の比重は語られていました。

全体の3分の1の舞台が鍾乳洞となり、松竹で初のパナビジョン方式を採用、高性能レンズを使用し、ロウソク程度の明るさでも撮影が可能である、などの説明があった。

(1976年8月13日、銀座東急ホテルでの製作発表会見。同ページより)

全体の3分の1が洞窟。そのために松竹で初めてパナビジョンを使い、ロウソク程度の明るさで撮れるレンズを用意した。

この映画は、洞窟のために作られた技術の映画でもあります。

終盤のあの顔は、女子大生に見せて決めています

演出の記録で、いちばん驚いたのがこれでした。

ここから引用です。

終盤の小川真由美が般若面の形相になるシーンの撮影時、野村はメイクを過激にしすぎると観客が白ける可能性を不安視した。“おどろおどろしい”と“白ける”の境目を判断するため、小川に異なるメイクを施して何パターンも撮影した。

引用はここまでです。

「おどろおどろしい」と「白ける」の境目を、監督は自分で決めていません。メイクを変えて何パターンも撮り、学生に見せて選んでいる。

同じ段落は、こう続きます。

撮影後、近くの女子大の学生たち

に小川のシーンの動画または写真を見せ、感想を聞いて本編で使う映像を決めた。

引用はここまでです。

「近くの女子大の学生たち」の直後には注釈が入っていて、「どこの近くかは不明。」と書かれています。そこまで含めて、資料は正直です。

そして、この場面を演じた小川真由美について、脚本の橋本忍の証言も残っていました。

ここから引用です。出典として春日太一『鬼の筆』2023年、p.378-379が挙げられています。

脚本の橋本忍は美也子役を成立させることができるのは、吉永小百合、栗原小巻、浅丘ルリ子しかおらず、この3人が使えないのなら、作品はやめたほうがいいと考えていたが、小川真由美に収まった。

引用はここまでです。

「この3人が使えないのなら、作品はやめたほうがいい」。そこまで言った役に、別の人が入った。

数字を見ると、ここが唯一のマイナスでした。小川真由美・美也子に触れた20件(40.0%)の平均は3.12で、全体より0.19低い。この記事で数えたなかで、はっきりマイナス側に振れたのはここだけです。

ここから引用です。

物語の凡庸、構成のダルさ、何よりショーケンと渥美清初め全キャラのツマラナさゆえに振るわず。

小川真由美の腐臭漂う色気、

桜吹雪の山崎努の画の強烈のみ印象に。

もう見ない。

(星2.0/2023年11月18日投稿)

引用はここまでです。

「もう見ない」と書きながら、印象に残ったものとして小川真由美と山﨑努の2人を挙げています。否定しているのに、覚えているのはこの2人。

そして山﨑努のほうは、数字が逆でした。山﨑努・要蔵に触れた19件は3.50(+0.18)。同じ「強烈」でも、片方は減点側、片方は加点側に付いています。

この映画には、公開前にもう1つの争いがありました

作品の外側の話ですが、記録が残っているので置いておきます。

ここから引用です。「製作まで」節、「角川春樹との確執」です。

1975年に映画化の企画が持ち上がった際、角川書店の社長に就任したばかりの角川春樹が本作のプロデュースに名乗りを上げていた。彼はプロデューサーとして映画業界への本格参入を計画し、先に『八つ墓村』の原作権を松竹に売っていたこともあり、共同製作の形で本作に関わろうとしていた。しかし「出資と共にプロデュースもしたい」という角川の提案に、松竹内部では賛否が分かれ、最終的に松竹の会長だった城戸四郎が提携を却下する決定を下して、松竹の自社製作という形になった。

引用はここまでです。

角川春樹は、この映画に入ろうとして断られています。そのあとの経緯も書かれています。

一方で角川に対しては、角川書店が連動企画と銘打っていた『横溝正史フェア』を無視したり、間接費という名目で4億円の手数料を要求する等、松竹側の不誠実な対応が重なり、不信感を募らせた角川は本作から手を引くことになる。

引用はここまでです。

この記述は松竹側を「不誠実」と書いています。Wikipediaの記述であって、私が確かめた事実ではありません。そのまま引いて、判断は保留します。

ただ、事実として残っているのは、同じ時期に東宝・角川の側で石坂浩二の金田一シリーズが動いていたことです。この映画の「概要」にも、こう書かれています。

探偵・金田一耕助の役には渥美清を配するなど、同時期の東宝配給による石坂浩二のシリーズとは作風が大幅に異なる。

2つの金田一が、同じ時期に競っていた。そのうちの1本が、原作者に「汚れ役にしてほしい」と言われた渥美清の金田一です。

数字で見ておきます

作りの規模も記録に残っていました。

  • 製作期間 2年3か月(撮影期間は1年1か月)
  • 製作費 7億円(Wikipediaに「現在の15億円分」と注記)
  • 配給収入 19億8600万円(1977年の邦画配給収入3位)
  • 第1回日本アカデミー賞 最優秀音楽賞(音楽は芥川也寸志)
  • 1979年10月12日のテレビ初放送で、関東地区の視聴率34.2%(ビデオリサーチ調べ)
  • 座組は『砂の器』(1974)と同じ(監督 野村芳太郎・脚本 橋本忍・撮影 川又昻・音楽 芥川也寸志)

製作費7億円に対して配収19億8600万円。約2.8倍です。

そして、この座組についてはレビューでも触れられていました。

ここから引用です。

監督は『大学は出たけれど』『ゼロの焦点(1961)』『鬼畜』『砂の器』『疑惑』の野村芳太郎

脚本は『羅生門』『生きる(1952)』『七人の侍』『蜘蛛巣城』『私は貝になりたい(1959)』

『ゼロの焦点(1961)』『切腹』『日本のいちばん長い日(1967)』『砂の器』『八甲田山』の橋本忍

(星3.5/2026年8月12日投稿)

引用はここまでです。

脚本の橋本忍は『羅生門』『生きる』『七人の侍』『切腹』『砂の器』を書いた人です。その人が、金田一から謎解きを削っている。

原作から何が消えたのか、一覧で置いておきます

Wikipediaには「原作との主な差異」という節があり、省かれた要素が一覧になっています。長いので、性質ごとにまとめ直します(出典=ja.wikipedia「八つ墓村 (1977年の映画)」の同節)。

推理小説の部品が、まとめて落ちています。

  • 来村前の辰弥を探っていた不審人物、送られてきた警告状
  • 辰弥が守り袋に持っていた鍾乳洞の地図(映画では「竜の顎」というキーワードだけ)
  • 金田一の指導による洞窟探検、およびそれを応用した辰弥と典子による探検
  • 久野医師の殺人計画書

人物が減っています。

  • 里村兄妹(慎太郎、典子)の存在
  • 慶勝院梅幸および麻呂尾寺の長英と英泉の存在

そして、いちばん大きいのがこれです。

  • 辰弥による財宝発見

財宝を見つける場面が、映画には無い。原作では落ち武者が財宝とともに逃げてきたことになっていますが、Wikipediaの編集コメントには「松竹版では財宝の所持には言及が有りません」とも書かれていました。

動機の中心にあるはずの財宝を外して、祟りだけを残した。これが「本当の祟り」に振るということの、具体的な中身だと思います。

そのほかの変更点で、大きいものを3つだけ。

  • 時代設定を、原作の昭和20年代から映画制作当時(1970年代)へ移した
  • 日本航空と提携し、辰弥の職業を空港職員にした。ジェット機が離着陸する場面を冒頭とラストに置いた
  • 辰弥と美也子が恋仲になる(原作にはない関係)

2つ目について、Wikipediaはこう説明しています。

が離着陸する近代的な場面を冒頭とラストシーンに見せる事で、失われつつある農村風景とのコントラストを強調し、当時高度経済成長のピークにあった日本国が旧来の陋習から近代化へと解放される様のメタファーとなっている。

引用はここまでです。

現代の空港と、400年前の村。その2つを両端に置く。原作にはない構造です。

原作を知っている人のほうが、高く付けています

ここが面白いところでした。

原作に触れた14件(28.0%)の平均は3.61(+0.29)。改変を知っている人のほうが、この映画を高く評価しています。

ここから引用です。

怪談風ミステリーではなく、もはやホラー映画|松本清張のミステリーの映画化を得意とする野村芳太郎監督による金田一耕助ものです。

同じ金田一ものでも市川崑は実験的なタッチや陰翳ある映像を駆使しながらもあくまでもミステリーとして描くのに対し、野村芳太郎はミステリーは付け足し程度でむしろ戦国時代から続く因縁と呪いを強調した怪談に仕立てると言う原作から離れたアプローチが面白いです。

彼の代表作『砂の器』でも、原作ではあまり描かれないハンセン病患者の苦難をクローズアップしているのと同じアプローチですね。

(星4.0/2026年1月11日投稿)

引用はここまでです。

「『砂の器』でも……同じアプローチ」。この人は、改変を野村芳太郎の一貫したやり方として読んでいます。原作から離れることが、この監督のやり方だと。

同じ人は、こうも書いていました。

ここから引用です。

原作ファンからは異論があるかもしれないけど、原作でも旧家の跡取りの青年が主人公で、金田一は完全脇役だし、落武者の屍で栄えた村の伝説を始め、双子の老婆や村の下に広がる大洞窟、発狂した当主による大量殺人、鎧甲冑を着た屍蝋等、ホラー映画の要素が多いので怪談路線に切り替えたような気がしました。

引用はここまでです。

「原作でも……ホラー映画の要素が多い」。つまりこの人は、映画が原作から離れたのではなく、原作の中にあった要素を選んで伸ばしたと読んでいます。

一方、逆の読み方もあります。

ここから引用です。

祟りじゃ~|横溝正史のミステリーはあくまで本格推理小説であってオカルトっぽい味付けはあくまで叙述上でのトリック(目眩まし)なのである。

ああ、それなのにオカルト映画にしてしまって何ともはや、の怪作になってしまった。

(星3.5/2019年6月26日投稿)

引用はここまでです。

同じ改変を、片方は「原作の中にあったものを伸ばした」と読み、片方は「怪作になってしまった」と読んでいる。そして両方とも、星は3.5と4.0です。どちらも切り捨てていません。

私はどちらが正しいかを決めません。言えるのは、原作を知っている人ほど、この映画を面白がっているという数字が出たということだけです。

400年と28年と、いま。この映画は3つの時間を重ねています

ここからは、作品そのものの読みです。資料ではなく、私が読んだことを書きます。

この映画は、3つの時間を同じ村に積み上げています。

  • 1566年。尼子の落ち武者8人が村に逃げ込み、村人に皆殺しにされる
  • 28年前。多治見要蔵が村人32人を殺して山へ消える
  • いま(1977年)。東京で空港職員をしている辰弥が、村に呼び戻される

(時系列は ja.wikipedia「八つ墓村 (1977年の映画)」の「あらすじ」節の記述によります)

3つとも「よそから来た者」の話です。

落ち武者は、村にとってのよそ者でした。要蔵の妻になった鶴子も、村の外へ逃げました。そして辰弥は、村を出た母が神戸で産んだ子です。村の外で生まれ、村に戻ってくる。

村人から見れば、辰弥は「32人殺した男の息子」です。だから濃茶の尼は「辰弥がいると血の雨が降る」と言い、吉蔵は睨みつける(役の説明は「配役」節より)。

祟りという言葉は、この「よそ者が来ると悪いことが起きる」という感情に、名前を付けたものだと思います。

そう読むと、冒頭とラストのジェット機の意味が変わります。空港は、よそ者が絶えず出入りする場所です。その場所で働いていた男が、よそ者を許さない村に入っていく。同じ日本の、同じ時間にある2つの場所として並べられている。

双子の老婆は、なぜあんなに厳しいのか

登場人物のなかで、いちばん読み方が変わるのが双子の老婆だと思います。

資料には、こう書かれています。

多治見家の実質権力者である双子の老婆の姉。親族連中から財産を狙われていることを嫌い、辰弥に何としても跡目を継いでもらうように厳しく当たる。

(出典=ja.wikipedia「八つ墓村 (1977年の映画)」の「配役」節。小竹=市原悦子)

「親族連中から財産を狙われていることを嫌い」。厳しさの理由が、ここに書かれています。

辰弥にとって、この2人は得体の知れない怖い老婆です。でも老婆の側から見ると、財産を狙う親族に囲まれた家で、唯一の血のつながった跡取りが帰ってきたという話になる。厳しく当たるのは、継がせるためです。

同じ節に、この2人の最期も書かれています。姉の小竹は連続殺人の犠牲者にはならず、鍾乳洞から現れた蝙蝠の大群に家を荒らされ、仏壇の火が燃え移って家もろとも焼けます。妹の小梅は、洞窟で要蔵の遺体に参っていたときに誘拐され、殺されます。

2人とも、家と洞窟から離れられずに死にます。辰弥を村に縛りつけようとした人たちが、いちばん強く村に縛られていた。

レビューでは、この2人に触れたのは13件(26.0%)で、平均3.23(-0.09)でした。印象は強いのに、評価はやや下。おそらく、怖い人としてしか見られていないからだと思います。

音楽が「最優秀」を取った理由を、場面で考えてみます

この映画は第1回日本アカデミー賞の最優秀音楽賞を取っています。音楽は芥川也寸志。

サウンドトラックの収録曲名が資料に残っていました。

シングル 「道行のテーマ/落武者のテーマ」

(出典=同ページ「サウンドトラック」節)

シングルになったのが「道行」と「落武者」の2曲です。

「落武者」は分かります。1566年の場面です。では「道行」とは何か。道行というのは、もともと歌舞伎や浄瑠璃で男女が連れ立って旅をする場面につく言葉です。

この映画で辰弥と一緒に村へ向かうのは、森美也子です。そして資料によれば、2人はこうなります。

辰弥と美也子は恋仲となり、洞内を探検して亀井と鶴子が情交していた「竜の顎(あぎと)」を発見し情を交わす。

(出典=同ページ「原作との主な差異」節。★これは原作にはない改変です)

「道行」が2大テーマの1つになっている。つまりこの映画は、音楽の側でも辰弥と美也子の物語として組まれています。

さっきレビューで見た「主役:ショーケンとヒロイン小川真由美の〝祟り悲恋物語”にどうやらフォーカスを絞った脚本だったみたい」(星2.5)という読みは、サウンドトラックの曲名と一致します。

そして、スタッフ表にはこんな行もありました。

神楽曲 - 小泉文夫 * 備中神楽 - 成羽社中

(出典=同ページ「スタッフ」節)

神楽の曲だけ、民族音楽学者の小泉文夫が別立てで担当しています。演じるのは岡山県成羽の実際の神楽社中。1566年の場面で庄左衛門は神楽の席でスサノオを演じながら落ち武者を襲います(「配役」節)。

祭りの舞のなかで殺す。この設計に、本物の備中神楽を持ってきている。

私の読み。この映画は「祟り」を口実にしています

ここからは、私が読んだことを書きます。資料ではありません。

ここまで辿って分かったのは、この映画は祟りを前に出しながら、祟りの話をしていないということです。

  • 宣伝は祟りで固めた(テレビCMの「祟りじゃ〜っ」、劇場入り口の八つ墓明神のレプリカ)
  • 原作の「見せかけの祟り」を「本当の祟り」に変えた
  • でも、財宝を見つける場面は落とした
  • 金田一から謎解きを取り上げた
  • そのぶんの時間を、32人殺しと、全体の3分の1を占める洞窟に回した

祟りは、この2つを見せるための枠です。

32人殺しは、実在の展示から装いを借りた場面です。要蔵は一言も喋りません。祟りとは何の関係もなく、ただ人が人を殺していく

洞窟は、日本中から集めた岩を1つの空間につないだ場所です。祟りの証拠が出てくるわけでもない。ただ暗くて、逃げられない。

祟りだと言われているものの中身は、人が人にすることと、出られない場所です。そこに超自然的な説明はいりません。

だから、レビューで高く付いているのが「津山事件」(+0.37)と「鍾乳洞」(+0.33)で、「祟り全般」(-0.03)がほぼゼロなのは、筋が通っていると思います。観た人は、祟りではないものを見ている。

そしていちばん有名な「たたりじゃーっ!」が、本編ではなくテレビCMのものだったというのも、同じことの表れに見えます。祟りは、この映画の外側に貼られたラベルです。

2回目に観るなら、ここを見てください

辿った結果から、観点ごとに1つずつ。

  • 【演出】32人殺しの場面で、要蔵が一言も喋らないこと。監督が意図してそうしています。同じ監督が『砂の器』でも同じことをしています
  • 【演出】洞窟の岩肌が、場面ごとに違うこと。岡山・岩手・山口・高知・鹿児島の7つの洞窟が使われています。探すのに1年半かかっています
  • 【脚本】金田一が何をしているか。原作者が「探偵は狂言回し」「汚れ役にしてほしい」と指名した配役です。動かないのが正解です
  • 【脚本】財宝が出てこないこと。原作にある「辰弥による財宝発見」は、映画では落とされています
  • 【視点】双子の老婆の側に立ってみる。財産を狙う親族から家を守ろうとしている、と読むと、辰弥への厳しさの意味が変わります
  • 【冒頭とラスト】ジェット機。日本航空と提携して入れた場面です。現代の空港と400年前の村を両端に置く設計が、ここだけで分かります

そして、「たたりじゃーっ!」を待ちながら観ないこと。あの長さで叫ぶ場面は、資料が言うとおりなら本編にありません。

この記事の限界を、正直に書いておきます

  • レビューの母数は50件です。私がふだん書く記事は500〜1,100件を数えています。50件では1件が2%を動かします。この記事の割合は「50件のうち何件」以上には読まないでください
  • 一次資料の多くは、Wikipediaに出典つきで記述されている内容です。『週刊現代』2022年9月17日号、小林信彦編『横溝正史読本』、春日太一『鬼の筆』、『真説 金田一耕助』。これらの書籍・雑誌そのものには当たれていません
  • 私は本編を通しで見直して「あの叫びは無い」と確認したのではありません。資料の記述とレビューの証言を突き合わせた結果です
  • 公開日が資料で食い違っています(映画.com 1977年10月29日/ja.wikipedia 1977年9月23日)
  • 洞窟のロケ地も食い違っています(ロケ地一覧に沖縄は無いが、監督の息子は「沖縄が一番多い」と証言)
  • 1977年当時の批評は読めていません。この50件は、ほとんどが2013年以降の投稿です

食い違いは、直さずにそのまま出しました。どちらかに寄せるだけの材料が無いからです。

まとめ

出どころを辿った3つ

  1. 「たたりじゃーっ!」はテレビCMのキャッチコピー。資料は「本編にテレビCMのように長く叫ぶ科白は無い」と書いている。劇場の入り口には八つ墓明神のレプリカが立てられ、客はそこをくぐって入った
  2. 渥美清の金田一は、横溝正史本人の指名。「探偵というものは狂言回しでしょう」「二枚目を二人出されちゃ困る」「汚れ役にしてほしい」
  3. オカルト化の出どころは『キャリー』(1976)。監督の撮影中の映画ノートにチラシが挟まっていた

数字(母数50件)

  1. 上位3つは祟りではない=津山事件(+0.37)・鍾乳洞(+0.33)・怖い(+0.30)
  2. 「たたりじゃ」は-0.01、「祟り全般」は-0.03。いちばん有名なのに、評価を動かしていない
  3. 唯一のマイナスは小川真由美・美也子(-0.19)。山﨑努は+0.18で、同じ「強烈」でも向きが逆

作りの記録

  1. 座組は『砂の器』と同じ。製作期間2年3か月・製作費7億円・配収19億8600万円(1977年邦画3位)
  2. 全体の3分の1が洞窟。ロケ地探しに1年半、日本中の7つの鍾乳洞を使った
  3. 原作から「財宝発見」が落ちている。動機の中心を外して、祟りだけを残した
  4. 2026年9月18日に新作が公開される。レビューの投稿も2026年が9件で年別最多

祟りは、この映画の外側に貼られたラベルです。中身は、人が人にすることと、出られない場所でした。

同じ「出どころまで辿る」書き方を、別の作品でもやっています

この記事は、言われていることの出どころを資料まで辿るという書き方をしています。同じやり方の記事を置いておきます。

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手元に置くなら

洞窟の岩肌と、32人殺しの場面を止めて見比べられる形にしておくと、この記事で辿ったことが自分の目で確かめられます。

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作品情報

  • 八つ墓村(英題 Village Of The Eight Tombs)
  • 1977年/日本/151分
  • 監督 野村芳太郎/脚本 橋本忍/原作 横溝正史/音楽 芥川也寸志/撮影 川又昻
  • 出演 萩原健一、小川真由美、山﨑努、渥美清 ほか
  • 配給 松竹
  • 劇場公開日は資料で食い違っています(映画.com 1977年10月29日/ja.wikipedia 1977年9月23日)。この記事では両方を書いています
  • 配給収入 19億8600万円(1977年の邦画配給収入3位)/製作費 7億円/製作期間 2年3か月
  • 第1回日本アカデミー賞 最優秀音楽賞
  • 2026年9月18日に、清水崇監督・尾上松也主演の新作が公開されます(配給 松竹/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント)

この記事で確認に使ったもの

  • ja.wikipedia「八つ墓村 (1977年の映画)」(MediaWiki API・action=query&prop=revisions)… 「祟りじゃ〜っ」がテレビCMのものだという注釈、渥美清の起用経緯、脚本家の交代、『キャリー』のチラシ、ロケ地、原作との差異。2026年9月5日取得
  • ja.wikipedia「八つ墓村」(同じくMediaWiki API)… 横溝正史本人の証言(津山事件の想像図の借用、題名を『七つ墓村』から変えた経緯)。2026年9月5日取得
  • 上の2つに出典として挙げられている書籍・雑誌そのものには当たれていません=『週刊現代』2022年9月17日号「熱討スタジアム」第444回、小林信彦編『横溝正史読本』(角川書店1976年63ページ)、春日太一『鬼の筆』2023年 p.378-379、『真説 金田一耕助』1979年 pp.135-141
  • 映画.com のレビュー50件… 2026年9月5日 に個別ページを1件ずつ開き、JSON-LDから本文と評点を取得(合計24,512字・取得率50/50)。★母数が50件しかないので、この記事では補助として使っています
  • 映画.com の作品ページ4件… 1951年版・1977年版・1996年版・2026年版の公開日とレビュー数を照合し、この記事が1977年版であることを確定させました
  • YouTube oembed API… 予告が松竹の公式チャンネルのものかを機械照合(チャンネル名「松竹シネマPLUSシアター」)
  • 楽天ブックスの商品ページ… 価格・在庫を 2026年9月5日 に確認

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