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変な家(2024)考察|「作者が怒った」はどこから来たのか。ラストの意味と伏線、原作との違いまで(ネタバレあり)

まず、「作者が怒った」の出どころを確かめました

映画『変な家』(2024年)を検索すると、候補に「作者 怒る」「作者 激怒」「作者 ゴミ」が並びます。原作者の雨穴(うけつ)さんが、映画に怒っている。そう書いてあるページも、いまは簡単に見つかります。

この記事では、その話がいつ、どこで、誰の書き方で生まれたのかを、日付の分かる資料で順番に並べました。先に結論を書きます。

  • 雨穴さん本人が映画について書いた言葉で、確かめられたのは公開前の2つだけでした。2023年6月の投稿と、2023年10月の映画化発表の公式コメントです。コメントには「嬉しく思います」とあります
  • 公開後に、雨穴さんが映画を名指しして何かを言った記録は、見つかりませんでした。褒めたものも、けなしたものもです
  • 「ゴミ」という言葉が、確かめられた範囲で最初に出てくるのは、公開から19日後の夕刊紙の記事です。本人の投稿の画像ではなく、名前の出ていない「映画制作関係者」の談話でした
  • 「ブチギレ」という言葉は、報道からではなく、短い動画の題名と掲示板のスレッドの題名から広がっていました

つまりこの話は、「作者が怒った」という確かめられた事実の記録ではありません。名指しのない一文に、あとから意味が貼られていった記録です。

そしてこの流れは、『変な家』という映画そのものと、よく似ています。間取りに「作った人の意図」を読み込んでいく物語だからです。この記事の後半では、ラストの意味と伏線を、同じ手つきで辿ります。

結末に触れる場所と、「」の使い方

先に線を引いておきます。

  • 前半は結末に触れません。「作者が怒った」の出どころ、監督の話、ポスター、音楽まで
  • 「ここからは、映画と原作の結末に触れます」という見出しから先は、全部書きます。誰が何をしていたのか、誰がどうなったのか、ラストの2つの場面まで
  • 原作(2020年の記事と動画、2021年の小説、2025年の完全版)の結末にも、後半で触れます
  • 実在の人の言葉は、本人の言葉として確かめられたものだけを「」で書きます。噂や推測は、推測だと分かる形で書きます
  • 映画の台詞は、予告で確かめられたものと、複数の資料で文言まで一致したものだけを「」にしました。資料によって言い回しが違うものは、中身だけを書いています

「予告変」と名付けられた、公式の予告

まだ観ていない方のために、東宝MOVIEチャンネル(公式)の予告を置いておきます。

この予告の冒頭の語りは、2020年に雨穴さんがオモコロに書いた最初の記事の書き出しを、話し言葉にしたものです。記事のほうは、こう始まります。

これは、ある家の間取りである。

あなたはこの家の異常さがわかるだろうか。

おそらく、一見しただけではごくありふれた民家に見えるだろう。

4年前の記事の最初の3行が、そのまま映画の予告の最初の声になっています。

そして予告の終わり近くに、「もう一度ご覧ください」「何かが変ですよね」という言葉が入ります。宣伝ではこの予告を「本予告」とは呼ばず、「予告変」と名付けていました。題名の「変」を、予告の名前にまで持ち込んでいます。

劇場のあと、『変な家』はどこで観られるようになったか

  • 劇場公開は2024年3月15日。110分、G(年齢制限なし)、配給は東宝です
  • Blu-ray・DVDは2024年10月23日発売。ソフトの題名は『映画版 変な家』で、劇場公開のときと題名が違います。探すときはこちらの題名で
  • Prime Video は2025年6月13日から見放題の独占配信を始めています。ただ、この記事を書いた2026年9月14日には Amazon の作品ページが開けず、いまも見放題が続いているかは確かめられていません
  • 公式サイト(hennaie.toho.co.jp)は、2026年9月14日の時点で閉じています。この記事で公式サイトの文言を引くときは、インターネットアーカイブの保存版から取っています

原作は1つではありません。記事、動画、小説、完全版

「原作と違う」と言うとき、どの原作を指しているかで話が変わります。『変な家』には、形の違う原作が少なくとも4つあります。

  • 日付 2020年10月12日 / 出たもの オモコロの記事「【不動産ミステリー】変な家」 / どういう形か 雨穴さんが、知人の家の間取りを設計士に電話で相談する。現地には行かない
  • 日付 2020年10月30日 / 出たもの 同じ題名のYouTube動画(21分54秒) / どういう形か 記事と同じ筋を、語りと電話の会話で見せる。2026年9月14日時点で2,586万回再生
  • 日付 2021年7月 / 出たもの 小説『変な家』(飛鳥新社) / どういう形か 「その先」を書き足した長編。家系と儀式の話はここで入る
  • 日付 2022年3月 / 出たもの 小説の帯で実写映画化を告知 / どういう形か 映画化の発表は、動画ではなく本の帯でした
  • 日付 2023年12月 / 出たもの 『変な家2 〜11の間取り図〜』 / どういう形か 映画の続きではなく、別の11の間取りの話
  • 日付 2024年3月15日 / 出たもの 映画『変な家』公開 / どういう形か 110分
  • 日付 2025年10月17日・24日 / 出たもの オモコロ「【完全版】変な家」と、YouTube「【完全版】変な家 (全新録)」 / どういう形か 小説の中身を作り直し、「これまで明かさなかった本当の真相」を加えた版。動画は1時間44分20秒

映画は、完全版より前の原作のどれか1つを、そのまま映像にしたものではありません。動画の「間取りの謎解き」と、小説の「家系と儀式」を1本につないで、そこに映画だけの場面を足しています。この点は後半の「原作との違い」で詳しく書きます。

ここから、「作者が怒った」の話に入ります。

確かめられた雨穴さんの言葉は、公開前の2つでした

1つ目は2023年6月9日の午後9時58分、雨穴さんのXへの投稿です。

これから漫画や映画でいろんな「栗原さん」が登場すると思うので、一応、公式設定をあげておきます

これが私の中の栗原さんです

栗原さんは、動画と小説で雨穴さんの相談に乗る設計士です。映画では佐藤二朗さんが演じました。漫画化・映画化を前提にして、「私の中の栗原さん」を示している投稿です。

2つ目は2023年10月6日、映画化の発表と同時に出た公式コメントです。

最初に映画化を聞いたときは「えっ!?」という驚きと、「ありがたい」という気持ちを抱きました。

自分が書いた一つの記事がここまで大きくなったことを嬉しく思います。映画の撮影も見学させていただきましたが、間宮さんの演じる雨宮と佐藤さんの演じる栗原さんがキャラクターとして完成されているのを感じました。彼らが活躍していく物語が、どのように描かれるのかをとても楽しみにしています。

(映画化発表の記事に掲載された、原作者コメントの全文です)

撮影を見学し、2人の人物を「完成されている」と書いています。一方で物語については「どのように描かれるのかをとても楽しみにしています」で、まだ評価をしていません。

わたしはこのコメントを、怒りの前ぶれとしても、太鼓判としても読みません。書いてあるのは、見学した時点での人物への手応えと、物語への期待だけです。

そして、公開された2024年3月15日より後に、雨穴さんが映画の名前を出して何かを書いた記録は、探した範囲では見つかりませんでした。当たったのは、本人のXの投稿(インターネットアーカイブに保存されたものと、個別に取り出せた投稿)、2024年7月のnote、2025年の完全版の記事と動画の説明、2025年1月の記者会見の記事です。Xの全投稿の検索と、テレビ番組の本編には当たれていません。

そしてもうひとつ。公開前の雑誌「アニメージュ」と劇場パンフレットに、雨穴さんのインタビューが載っていると公式が告知していました。わたしはその2つを読めていません。この記事の「見つからなかった」は、この2つを含んでいません。

2024年3月20日、午前0時46分の一文

では、「怒った」と言われているのは何なのか。いま確かめられる起点は、公開5日後の深夜の投稿です。

今「雨穴」という名前に関係して巻き起こってることに、私は興味もないし関係もないので心穏やかなものです。

(2024年3月20日 午前0時46分02秒の投稿)

その10秒後に、続けてこう書いています。

私はうさぎとロックと和菓子とオモコロが好き。それ以外はどうでもいい。

(同日 午前0時46分12秒)

さらに32分後に、ひとことだけ足しています。

あとジャルジャルも

(同日 午前1時18分46秒)

3つとも、投稿の本文と時刻を、投稿データを返すサービスから取り直して確かめました。

読んでのとおりです。「映画」という言葉も、「パロディ」という言葉も、誰かの名前もありません。書いてあるのは「今『雨穴』という名前に関係して巻き起こってること」だけです。

そして「心穏やかなものです」と書いています。文面そのものは、怒りではなく、距離を置く宣言です。

その3時間46分前に、何が公開されていたか

この投稿が出た時点で、「雨穴という名前に関係して巻き起こってること」は、少なくとも2つありました。

1つは、公開5日目の映画です。

もう1つは、パロディ動画です。YouTubeチャンネル「終わった人」が、2024年3月5日の午後9時に「【変な家】察しの悪い雨穴【モノマネ】」を出し、3月19日の午後9時に第2弾「【変な家2】察しの悪い雨穴2【モノマネ】」を出していました。2026年9月14日時点の再生数は、1本目が1,856万回、2本目が918万回です。

第2弾が出たのは、雨穴さんの投稿の3時間46分前です。

ここで大事なのは、だから投稿はパロディのことだった、とも言えないことです。本人はどちらとも書いていません。映画も、パロディも、同じ週に「雨穴」の名前で動いていました。

実際、投稿が出た当日のうちに作られた Togetter 編集部のまとめは、題名を「映画かパロディかどっちもか」としています。その日のうちは、受け取る側も決めかねていたわけです。

「映画にブチギレ」という言い方は、約4時間後の短い動画から

それが「映画に怒った」に変わるまで、時間はかかっていません。

2024年3月20日の午前4時37分、YouTubeに39秒のショート動画が出ています。題名は「変な家の映画酷すぎて雨穴さんがブチギレ」で始まり、「〜してた件について」で終わります(途中の1語を略しました)。2026年9月14日時点で245万回再生です。

投稿から約3時間50分後です。この題名の段階で、すでに「映画」「酷すぎて」「ブチギレ」という、本人の文には無い3つの言葉が付いています。同じ題名の短い動画は、TikTokにも4分早く出ています(題名は検索結果の表示で、時刻は動画の番号から計算して分かりました。中身は見られていません)。

同じ3月20日の午後には、匿名掲示板に「【悲報】雨穴さん、映画化するも原作改変されてブチギレ」という題のスレッドが立ちました。このスレッドをまとめた動画が4月13日に出ていて、その題名は「【悲報】雨穴さん、映画化するも原作改変されてブチギレ←私は興味もないし関係もない」です。「ブチギレ」の根拠が3月20日の一文だったことを、まとめた側が題名で示しています。

ここで「原作改変されて」という理由も付きました。これも本人の文にはありません。

同じ日の夜には、質問サイトに「雨穴さんが消した映画の感想に対しての引リツの内容教えてください」という質問も立っています。映画を批判した誰かの投稿を、雨穴さんが引用して、あとで消したという噂です。ただ、その投稿の本文も日時も、わたしは一次で確かめられませんでした。どちらにも寄せずに、ここに置いておきます。

整理すると、3月20日の1日のあいだに、こう変わっています。

  1. 午前0時46分 本人「名前に関係して巻き起こってることに、興味もないし関係もない」
  2. 午前4時37分 動画の題名「映画酷すぎて」「ブチギレ」
  3. 午後 掲示板の題名「原作改変されてブチギレ」
  4. 同じ日 まとめ記事の題名「映画かパロディかどっちもか」

強い言い方のほうが、題名として広がっていきました。

「ゴミ」が確かめられる最初は、公開19日後の匿名の談話でした

では、いま検索候補に出る「ゴミ」はどこから来たのか。

確かめられた範囲で最初に出てくるのは、2024年4月3日の朝6時に配信された日刊ゲンダイの記事です。見出しの後半は「『変な家』実写映画に原作者が意味深反応」。記事の2ページ目に、次の談話が載っています。

雨穴氏が映画の公式アカウントのフォローをしていないことや、映画の告知などもしていないことに加え、3月18日の(中略)『ゴミ』とだけつぶやき、その後、削除しました。一連の不穏な動きに対し、原作ファンが《実写映画のことをゴミと言っているのでは?》と推察する(後略)

談話の主は「映画制作関係者」とだけ書かれ、名前はありません。

この談話には、確かめられないことが3つ重なっています。

  • 話し手が匿名です
  • 「ゴミ」とだけ書いて消したとされる投稿の、画像や保存版が記事に無い。わたしが当たった範囲では、インターネットアーカイブにも3月18日付の雨穴さんの投稿は保存されていませんでした
  • 映画を指していたのか、という部分は、談話自体が「推察する」と書いている。つまり「映画をゴミと言った」とは、談話の中でも言い切っていません

加えて、3月20日の Togetter のまとめにも「ゴミ」という語は1回も出てきません。もし3月18日に話題になっていたなら、2日後のまとめに出てきてもおかしくない言葉です。

同じ4月3日には、この記事をライブドアニュースが転載しました。見出しは「『ゴミ』投稿が憶測呼ぶ」。いまは本文が削除され、概要だけが残っています。

そして翌4月4日の夜、質問サイトに「雨穴さんが変な家の映画に対して『ゴミ』とコメントしたという噂を聞いたのですが本当ですか?」という質問が立っています。質問サイトで「ゴミ」の噂が質問として見つかるのは、この記事の翌日からでした。

見出しに「激怒」を使った報道は、見つかりませんでした

いま検索候補に出ている言葉を、どこが最初に使ったのかも当たりました。

  • 報道の見出しは「意味深反応」「意味深投稿」「憶測呼ぶ」止まりでした。日刊ゲンダイ、ライブドアニュース、日刊サイゾー、サイゾーウーマンのどれも、「怒る」「激怒」「ブチギレ」を見出しに使っていません
  • 「怒っているのでは?」は、日刊ゲンダイの本文に、ファンをざわつかせている疑問として出てくるだけです
  • 「ブチギレ」は、3月20日の短い動画の題名、同じ日の掲示板の題名、そのまとめ、まとめサイトが使った言葉です
  • 「怒る」を見出しに入れた記事で、いちばん早く見つかったのは2025年7月の個人運営の解説サイトでした。その記事も本文では、指す対象が映画だと「断定することはできません」と書いたうえで、「可能性が高い」と続けています
  • 「激怒」を見出しに使った記事や動画は、見つかりませんでした。検索候補にあるだけです

もう1つ、同じ「ブチギレ」が、夏には別の相手に向けられています。

2024年8月3日、まとめサイト「オレ的ゲーム速報@刃」は「『変な家』などの作者『雨穴』さん、『人間ぶっ殺しゾーン』などで有名なパロディネタにブチギレしていたことが判明」という見出しを立てました。根拠にしたのは、雨穴さんが7月28日に書いたnote「記事書いたよ」です。

いま公開されているそのnoteは、その年に辛いことが重なっていた、という近況の文章です。映画という言葉も、パロディという言葉も、いまの版にはありません。書き換える前の版にはパロディに触れた言葉があった、と伝えるページはありますが、わたしはその保存版を開けていません。なので、ここは「そういう見出しが立った」までにとどめます。

3月には「映画にブチギレ」、8月には「パロディにブチギレ」。同じ「ブチギレ」の矛先が、見出しによって入れ替わっています。3月の投稿は、相手を名指ししていません。8月のnoteは、書き換える前の版に「パロディ」という語があったと伝えられていますが、わたしは確かめられていません。

2025年の完全版で、雨穴さんは映画に触れていません

2025年10月17日、雨穴さんはオモコロに「【完全版】変な家」を出しました。序文はこうです。

5年前、オモコロに掲載した「【不動産ミステリー】変な家」はその後に書籍化され、発行部数は200万部を超えた。

5年目の節目に出版社の許可を得て、書籍に収録されたすべての内容を再構成し、これまで明かさなかった本当の真相を加えた「【完全版】変な家」を公開することとなった。

1週間後の10月24日には、YouTubeに1時間44分20秒の「【完全版】変な家 (全新録)」を出しています。公開3日で335万回を超えたと報じられ、2026年9月14日時点では1,179万回です。

この記事の本文にも、動画の説明にも、映画のことは書かれていません。記事の中で「映画」という文字が出てくるのは、サイト共通のタグ一覧だけでした。

映画が110分、原作者自身が作った完全版が104分。ほぼ同じ長さの「長編の変な家」が、原作者の手でもう1本できたことになります。これを映画への返事として結びつけたくなる並びではあります。でも、本人はそう書いていません。なので、この記事もそうは書きません。

わたしの読み。「怒った作者」は、説明のない一文に貼られた札です

ここからは、わたしの読みです。資料ではありません。

ここまで辿って分かったのは、「作者が怒った」を支える一次資料は、わたしが当たった範囲では見つからなかったということです。確かめられたのは、公開前の「嬉しく思います」と、公開後の「興味もないし関係もない」だけでした。

それでも、なぜこの話がここまで残ったのか。わたしは、条件が3つ重なったからだと考えています。

1つ目は、名指しのない一文だったこと。「巻き起こってること」が何なのか、本人は書いていません。空白があると、読む側はそこに一番わかりやすい中身を入れます。

2つ目は、同じ週に「雨穴」の名前で動いていたものが2つあったこと。公開5日目の映画と、前の晩に出たパロディの第2弾です。どちらを入れても文が成り立ちます。

3つ目は、映画の作り方に、はじめから賛否があったこと。公開9日後のリアルサウンドの評でも、原作を楽しんだ観客のなかには「違和感をおぼえたケースが少なくなかったのではないかと思える」と書かれ、2025年の記事も、大きな音や映像で驚かせる演出について「雨穴さんのファンの間でも賛否両論があった」と振り返っています。わたしには、「作者も怒っているはずだ」という話が、その賛否の片側に収まりやすい形に見えます。

この3つがそろうと、「原作改変に作者がブチギレ」という物語が、いちばん収まりのいい答えになります。そして収まりのいい答えは、題名として広がりやすい。3月20日の1日で起きたのは、まさにそれでした。

ここで、わたしが面白いと思ったことがあります。

映画『変な家』の公式サイトには、こういう言葉が書かれていました。

間取りには、必ず作った人の 意図 が存在する。

映画の前半で、設計士の栗原は、窓の無い子ども部屋と二重扉を見て、この家は人を殺すために作られた家だと読みます。その直後に、近くで遺体が見つかったというニュースが入り、推理は当たったように見える。その読みが最後まで持つのかどうかは、結末の節で書きます。

「作者が怒った」の広がり方は、これと同じ形をしています。名指しのない一文という「間取り」を見て、そこに意図を読み込む。2週間後に「ゴミ」という談話が出てきて、読みは当たったように見える。でも、その談話そのものが「推察」でした。

意図を読み込むことは、この作品の楽しみ方そのものです。ただ、それが実在の人の心の中に向いたときは、確かめられたところで止まるほうがいい。わたしはこの記事を、そこで止めることにしました。

監督が語っていた、原作と映画の怖さの違い

ここからは、映画を作った側の話です。

監督の石川淳一さんは、公開日に出たインタビューで、原作の怖さと映画の怖さの違いを、はっきり言葉にしています。

雨穴さんのYouTubeや小説の怖さは見えないところで起こっている伝聞に信憑性があるところ。本当かどうかわからないけれど、確かに辻褄が合っている。それが本当だったら怖いという怖さです。しかし、映画では主人公たちが巻き込まれていく中で、どうしても直接的な画が出てきてしまいます。とはいえ、お子さんから高齢者の方まで幅広い年齢層の方々に見ていただくためにもグロい画は出したくない。ではどうしたらいいのか。

(SCREEN ONLINE 2024年3月15日、石川淳一監督インタビュー)

同じインタビューで、物語の組み立てを変えたことも話しています。

雨穴さんのYouTubeは一人語りから始まり、雨穴さんが誰かと話をすることでどんどん展開していきます。小説も同じ形なのですが、映画ではキャラクターが巻き込まれていく流れにしました。

原作は「聞いた話」の怖さ、映画は「その場にいる」怖さ。監督は、この違いを分かったうえで作っていた、と話しています。

公開の直前、ポルトガルのポルト国際映画祭で審査員特別賞を受けたときには、こうコメントしました。

日本固有の間取り、住宅事情や呪いなどの風習をもとにした映画で、こうやって世界で観客の皆さんに楽しんで頂けるのは非常に嬉しいです。原作小説の怖さや面白さを損なわずに映像化できたのは、全スタッフ、キャストが一丸となって取り組んだ結果だと思います。

監督は「呪いなどの風習」を、この映画のもとのひとつに数えています。わたしは、後半の家系と儀式の話は、作り手にとって寄り道ではなく柱だった、と読みます。

一方で、映画評論家の小野寺系さんは、公開9日後のリアルサウンドの評で、ここに違和感の出どころを見ています。原作は「本当に怖いのは幽霊よりも人間」という「ヒトコワ系」に分類されるはずなのに、映画は「恐怖の表現自体はオカルト風の雰囲気に寄っている」。そして「もともとの記事や動画版における謎解き部分が、『変な家』の面白さのピークであったことも確かではないのか」と書いています。

ここは、わたしの読みを書きます。

電話で話を聞くだけの雨穴さんは、安全な場所にいます。原作の読者も同じです。間取り図という平面を、外から覗いている。だから怖さは「もし本当だったら」という仮定の中にとどまります。

映画は、主人公をその家の中に入れました。入った以上、何かが「画」として出てこないといけない。でもグロい画は出したくない。その答えが、暗がり、仮面、大きな音、そして家の外へ広がっていく一族の話だった、とわたしは受け取っています。

つまり、小野寺さんが指摘した違和感と、監督が話した作り方の変更は、同じ場所を別の側から見た言葉だと、わたしは受け取っています。謎解きのピークを越えた先を、映画は「入ってしまった人の話」として作った。そこを面白いと思うか、余計だと思うかで、この映画の受け取り方は分かれます。

主人公を雨穴さんにしなかったのは、雨穴さん側の希望でした

原作の主人公は、雨穴さん本人です。映画の主人公は、間宮祥太朗さんが演じる動画配信者の雨宮(活動名「雨男」)。なぜ変えたのか。監督は同じインタビューで答えています。

台本を作るにあたって、雨穴さんからご本人のキャラクターと映画のキャラクターは別にしてほしいという意向がありました。

別の人物にしたのは、原作者側の意向でした。「作者が怒った」の話と並べると、ここは大事な事実です。雨穴さんは、台本づくりの段階で、主人公を自分とは別の人物にしてほしいと伝えていたことになります。

監督は、雨宮という人物の芯をこう説明しています。

配信動画を作ることである人物を助けられたのかもしれないと思ったところに救いが出るようにしたい。ただ、それについての説明が本編にはありません。

そして、「自分自身に納得し切っておらず、ちょっとやさぐれている人物として雨宮というキャラクターを撮りながら作っていきました」と続けています。

「説明が本編にはありません」。監督自身が、雨宮の救いを台詞では説明していないと言っている。この一文は、結末の節でもう一度使います。

相棒の設計士・栗原(佐藤二朗さん)についても、原作との違いを話しています。

栗原というキャラクターはYouTubeや小説では声だけの設定です。

原作の栗原は、電話の向こうの声でした。映画はその声に、体と顔と、パフェをかき混ぜる手を与えた。監督は栗原を「変人ですが、決して間違ったことを言っていません。冷静沈着な常識人です」とも言っています。

栗原が初めて出てくる場面で、イチゴパフェをぐちゃぐちゃにかき混ぜていることについては、「何となく怖さを連想させる絵面を狙っていました。何かが起こってもおかしくないことを冒頭部分で感じてほしかった」と答えています。

パフェをかき混ぜる音が、いちばん不気味でした

栗原が初めて出てくる場面です。ファミレスの席で、イチゴパフェを、スプーンでぐちゃぐちゃにかき混ぜている。

わたしは、この映画でいちばん居心地が悪かったのは、仮面の場面でもチェーンソーの場面でもなく、この何も起きていない場面だったと感じました。

なぜかというと、この場面には、怖がる理由がひとつも無いからです。場所はファミレスで、話しているのは中古住宅の間取りで、相手は設計士。なのに、かき混ぜる手つきと音だけが、ずっと残る。理由のない不快さは、理由のある恐怖より、長く残ります。

監督がこの場面で狙ったことは、すぐ上に引いたとおりです。わたしが感じた居心地の悪さは、狙いどおりだったことになります。

一方で、この場面は笑える場面として受け取ることもできます。佐藤二朗さんの栗原は、パフェを崩しながら、とんでもない推理を話す。このあと書くとおり、監督自身が「2回目は笑えると思います」と言っていて、2回目に観ると、わたしもここで少し笑いました。怖さと可笑しさが同じ手つきの中にある。この映画の栗原は、その両方を最初の数分で見せています。

企画の入口は、本屋の平積みでした

もうひとつ、企画の入口の話です。宣伝は「YouTube再生回数1500万回超え」を掲げていましたし、小説そのものも動画から生まれています。それでも、企画・プロデュースの遠藤学さんが最初に手に取ったのは、動画ではなく小説でした。

遠藤さんは、映画化発表のときにこう書いています。

本屋さんで平積みになった「変な家」という変なタイトルと、変な間取りの表紙に惹かれて原作小説を読み始めたところ、瞬く間に雨穴さんの世界にひき込まれ、ページをめくる手が止まらなくなりました。

遠藤さんは続けて、脚本の丑尾健太郎さんと先に物語のプランを立て、そのうえで石川監督に依頼した、という順番も書いています。映画のための家は各地でロケハンをして探し、物件探しには苦労した、とも書いています。

脚本の丑尾健太郎さん本人が、この映画について語った言葉は、探した範囲では見つかりませんでした。

ここから言えることがあります。後半の「一族」と「儀式」の話は、映画が勝手に足したものではありません。それは2021年の小説で雨穴さん自身が書き足した部分で、企画はその小説から始まっています。映画が足したのは、その先の、主人公たちが現地で巻き込まれていく部分です。

「原作と違う」と感じたとき、それが動画と比べての違いなのか、小説と比べての違いなのかで、話はかなり変わります。

ポスターの読み方。柚希だけが、間取り図のすき間にいる

映画『変な家』公式メインビジュアル

公式サイトが共有用に出していた、公開時のメインビジュアルです。(画像=映画『変な家』公式サイトの共有画像。©2024「変な家」製作委員会)

構図を、上から順に書きます。

  • いちばん上に雨宮(間宮祥太朗さん)。床に伏せるように身を乗り出し、目を見開いて、こちらを覗き込んでいます
  • いちばん下に栗原(佐藤二朗さん)。下から見上げるように、眉を寄せています
  • 2人のあいだの帯に、「1F」と「2F」の間取り図が、白い線で左右に並んでいます
  • 1Fの図と2Fの図のあいだのすき間に、柚希(川栄李奈さん)。黒い髪で、表情を消して、まっすぐこちらを見ています
  • 左に赤い縦書きの題字「変な家」。右に縦書きで「あなたには、この間取りの異常さがわかりますか?」「異常さ」の3文字だけが赤です
  • 下に「YouTube再生回数1500万回超え ゾクッとミステリー誕生 3.15[Fri]」
  • 右下の©表記のすぐ上に、白い仮面をかぶった小さな人物が描かれています

Blu-ray・DVDの発売に合わせて、同じ絵柄の題字が「映画版 変な家」に変わり、日付の部分が「2024年10月23日(水) Blu-ray&DVD発売」に差し替えられた版も出ています。

ここは、わたしの読みです。

雨宮は上から、栗原は下から、間取り図を「外から」見ています。2人は図を読む側です。ところが柚希だけは、図と図のあいだに立って、図を読まずにこちらを見ている。

そしてもうひとつ。この映画の前半でいちばん大事な推理は、1階と2階の間取りを重ねて見ることです。予告にも、1階と2階の間取りを合わせて見る場面が入っています。

ポスターは、その1階と2階を重ねずに、左右に離して置いています。そして、離した2枚のあいだに、柚希を立たせている。

わたしには、このポスターが「この家の秘密は、図の上だけにあるのではない」と先に言っているように見えます。この配置は、結末まで観たあとで、もう一度見てほしいところです。

宣伝の言葉。「ゾクッとミステリー」と「ホラー映画ではない」

この映画は、宣伝の段階で、自分のことを何と呼んでいたのか。

監督は「ゾクッとミステリー」と呼んでいました。

僕たちはこの作品を“ゾクッとミステリー”と呼び、その辺を全面に出した台本を作っていきました。

柚希役の川栄李奈さんは、映画化発表のコメントの終わり近くにこう書いています。

ちなみにホラー映画ではないので、おばけが苦手な方も観れます!笑

そして公開1か月前のイベント「変な報告会」では、間宮祥太朗さんが「アトラクションのような映画」と言い、監督は「2回観るのがお勧めです。1回目はアトラクションみたいにわー、きゃーとなる。2回目は笑えると思います」と話しています。

ミステリー、ホラーではない、アトラクション、2回目は笑える。宣伝の言葉だけで、少なくとも4つの顔を持っています。

わたしは、この言葉の並びが、公開後の受け止め方のばらつきの出どころのひとつだと考えています。「間取りの謎解き」を期待した人、「ホラーではない」と聞いて安心して来た人、「アトラクション」として驚きに来た人。同じ110分を、別の約束をされた人たちが観たわけです。

シネマトゥデイの「映画短評」には、後半を「横溝正史風の土着信仰や狂気、サバイバルなど、さまざまな恐怖のエッセンスが込められた、良い意味でのB級感が味」と楽しむ評も載っています。同じ後半が、ずれにも、味にもなる。約束の受け取り方しだいです。

音楽。劇伴はYaffle、主題歌はアイナ・ジ・エンド「Frail」

  • 音楽(劇伴)は小島裕規 “Yaffle”
  • 主題歌はアイナ・ジ・エンドの「Frail」。映画のための書き下ろしで、作詞はアイナ・ジ・エンドさん、作曲はアイナさんと Shin Sakiura さん

アイナ・ジ・エンドさんは、主題歌の発表のときにこう書いています。

初めて見させていただいた時に、衝撃で寝付けず、曲作りを始めたのを覚えています。怖い気持ちで埋め尽くされた私の脳内はどんどん人の温もりを感じ始めて見終わる頃には涙が出ていました。

怖い気持ちから、人の温もりへ。そして涙。怖さを売りにして宣伝された映画を、主題歌を書いた人は、観終わるころには泣いていた映画として受け取っています。

雨宮役の間宮祥太朗さんは、MV公開のときのコメントで、「今回の主題歌『Frail』を初めて聴いたのは試写会のエンドロールだったのですが、映画鑑賞後の不穏感と爽快感が大きく広く膨らんでいきました」と書いています。

栗原役の佐藤二朗さんは、「『Frail』の意味は『弱い』とか『脆い』でしょうか」と書き、そこに「人間の弱さ、脆さの果てに」「人の温もりへの憧憬」を感じると続けています。

劇伴を担当した Yaffle さん本人のコメントや、劇伴が本編のどの場面でどう使われたかを具体的に書いた資料は、探した範囲では見つかりませんでした。

ここは、わたしの読みです。

「Frail」=脆い。この映画に出てくる大人たちは、誰も強くありません。

わたしは、主題歌の題名を先に知ってから結末を観ると、ラストの後味が少し変わると思っています。この曲の「温もり」を、わたしがどこに重ねたかは、結末の節のあとで書きます。

ここからは、映画と原作の結末に触れます

ここから先は、映画『変な家』の結末と、原作(小説・完全版)の結末に触れます。まだ観ていない方は、ここで一度離れてください。

筋の書き方について、ひとつだけ先に書いておきます。この先の出来事は、公式のあらすじ・予告と、複数の資料で内容が一致したものだけを「起きたこと」として書いています。資料が1つしかないものは「〜とされています」の形にし、資料どうしで食い違うものは書いていません。

前半で何が起きたのか。世田谷の家から埼玉の家まで

  • 雨宮(雨男)は、再生数が伸び悩んでいるオカルト系の動画配信者です。マネージャーの柳岡から、買おうとしている世田谷の中古一軒家の間取りを見せられます。台所の横に、2枚の壁で囲まれた、どこからも入れない空間がありました
  • 雨宮は知り合いの設計士・栗原に相談します。栗原は、ファミレスでパフェをかき混ぜながら話を聞きます
  • 2階の子ども部屋には窓がなく、扉は二重で、専用のトイレが付いている。そして1階と2階の間取りを重ねると、謎の空間は子ども部屋と浴室をつなぐ通路になっていました
  • 栗原の仮説は、閉じ込めた子どもに、訪ねてきた客を殺させるための家だ、というものです
  • その直後、柳岡から、近くで事件があったので買うのをやめた、と連絡が来ます。家の近くの雑木林でバラバラの遺体が見つかり、左手首だけが無かった。被害者は宮江恭一という男性でした
  • 雨宮がこの話を動画にすると再生数が一気に伸び、宮江柚希と名乗る女性から連絡が来ます。柚希は、夫の恭一があの家の住人に殺されたのかもしれない、と言い、埼玉にある、もう1軒の変な家の間取りを持ってきます
  • ある晩、雨宮は自分の部屋で停電に遭い、仮面の女に襲われて薬を打たれます
  • 雨宮と柚希は、世田谷の家に忍び込みます。子ども部屋の床には無数の引っかき傷があり、棚の下には穴と梯子が隠されていました
  • その最中に、栗原から電話が入ります。宮江恭一には妻がいない、という知らせでした。柚希は妻ではありませんでした

後半で何が起きたのか。長野の本家と「左手供養」

  • 近所の住人が、窓際に立つ子どもを撮った写真を持っていました。明るくすると、その子は雨宮を襲った女と同じような仮面をかぶっていました
  • 柚希の正体が分かります。柚希は、世田谷の家に住んでいた片淵夫婦の妻・綾乃の妹でした。父が亡くなったあと、姉は家からいなくなっていた
  • 3人は、柚希の母・喜江を訪ねます。喜江はホームレスの人たちへの炊き出しのボランティアをしています。喜江は、塗りつぶされた亡き夫の手帳を見せ、「片淵の家に狂わされた。あの家は呪われている」と言って、本家に行くのを止めます
  • 栗原が1人で喜江の家に戻ると、仮面と薬が見つかります。雨宮を襲ったのは喜江でした
  • 雨宮と柚希は長野の山あいにある片淵家の本家へ向かいます。村の住人の多くは片淵家の親類です。当主の重治、妻の文乃、親戚の清次、そして綾乃と夫の慶太がいます。しかし、綾乃の息子の浩人の姿がありません。そして柚希が薬を盛られて倒れます
  • あとから来た栗原が、喜江から聞いた「左手供養」の由来を話します。明治のころ、女中の高間潮が当主の子を身ごもり、本妻の暴力で流産し、座敷牢に閉じ込められ、自分の左手を切り落として死んだ。それ以来、片淵家には左手の無い子が生まれるようになった
  • 霊媒師の言葉から始まった儀式は、片淵の血を引き、日の光を浴びずに育てられた男の子が、人を殺して左手を切り落とし、潮に供える。それを3年続ける、というものでした
  • 家探しの途中、仏壇の蝋燭の火が揺れていることに気づき、仏壇を動かすと隠し通路が出てきます。奥の洞窟には潮を祀った祭壇があり、左手のミイラが2つ供えられていました。さらに奥の座敷牢に、仮面の子ども・桃弥がいます
  • 一行は清次に襲われて捕まります。ここで慶太の過去が語られます。高校でいじめられていたところを綾乃に救われ、左手供養に加わることを条件に婿に入った。けれど桃弥を育てるうちに、儀式をさせたくなくなり、一家で本家を離れて暮らしていた。本家に連れ戻され、浩人を人質に取られ、薬漬けにされていた
  • 栗原は、最初の推理を改めます。世田谷の家の通路は、殺すためではなく、本家が桃弥を連れ戻しに来たときに隠れるための場所だった。綾乃は、黙ってうなずきます

結末。燃えた本家と、綾乃の告白

  • 仮面をつけた村人たちが集まり、儀式が始まります。雨宮が生贄にされ、桃弥が斧を振り下ろします。でも、左手には当てません
  • 雨宮が祭壇に体当たりし、重治が下敷きになります。慶太は、みんなを逃がすためにおとりになって残ります。火が出て、文乃がチェーンソーで追ってきます
  • 一行は隠し通路に隠れてやり過ごしますが、そこに清次が現れます。清次は、呪いなど信じていない、自分の目当ては片淵家の財産だと明かします
  • そこへ、死んだと思われていた重治が現れ、清次の左腕を斧で切り落とし、その左手を持って、燃える通路の奥へ戻っていきます
  • 山道を逃げる一行を、喜江の車が拾います。振り返ると、本家が燃えています

その後が、結末です。

  • ニュースで、片淵家が全焼し、重治と文乃らの焼死体、さらに地下から左手の無い遺体が複数見つかったと報じられます。慶太は見つかっていません
  • 綾乃がカメラの前で打ち明けます。儀式をすると約束して本家を出たけれど、桃弥に人を殺させる決心がつかなかった。訪ねた先で宮江恭一が心臓発作で亡くなっていたので、その遺体から左手を切り取って本家に送った。つまり、殺してはいない
  • そして綾乃は、翌年は先延ばしにしていたのに、誰かが代わりの左手を本家に送ってきた、と言います。そのせいで本家に疑われ、連れ戻された
  • 雨宮は、この件を動画にしないことを決めます。綾乃は、慶太の帰りを待つと言います

桃弥が斧を振り下ろして、左手に当てなかった場面

儀式の場面です。仮面をつけた村人たちに囲まれ、雨宮が生贄にされる。桃弥が斧を振り上げ、振り下ろす。でも、刃は左手に当たりません。

わたしは、この映画でいちばん救いを感じたのは、実はこの場面だったと感じました。結末で雨宮が動画を出さないと決めるより、先に来る救いです。

なぜかというと、桃弥は、この儀式のためだけに育てられた子だからです。日の光を浴びずに、仮面をかぶらされて、この一振りのために生かされてきた。その子が、いちばん大事な一振りを外す。慶太と綾乃が、しきたりから守ろうとして育てた時間が、この一瞬に出ている、とわたしは受け取りました。台詞はありません。外した理由を台詞で言う場面は、わたしが当たった資料には出てきません。

もちろん、別の受け取り方もあります。子どもの力では狙いが定まらなかっただけかもしれないし、ただ怖くなっただけかもしれない。映画はどちらとも言いません。わたしも1回目は、雨宮が助かったことにほっとしただけでした。桃弥が外したことの意味を考えたのは、慶太と綾乃の過去を聞いたあとで、場面を思い返してからです。

そして、この場面のすぐあとに、重治は清次の左手を切り落として、燃える通路の奥へ戻っていきます(次の節で書きます)。育てられた子は外し、育てた側の老人は外さない。この並びが、わたしにはこの映画の後半でいちばん大事な対比に見えました。

重治が清次の左手を持って、火の奥へ戻っていく場面

終盤、死んだと思われていた重治が現れ、清次の左腕を斧で切り落とし、その左手を持って、燃えている通路の奥へ戻っていく場面です。

わたしが観ていて、いちばん意味を考え込んだのは、この場面でした。

燃えている家から、逃げるのではなく、奥へ戻る。普通に考えれば筋が通りません。でもわたしは、この場面を重治という人の、恐ろしいほどの一貫性として受け取りました。重治にとって大事なのは、自分が生き延びることではなく、潮に左手を供えることだったのだと、わたしは読みました。家が燃えていても、儀式は終わらせない。

そして、その左手が、呪いを信じていないと言った清次のものだというのが、わたしには重く感じられました。信じていない人の手を、最後まで信じた人が、火の奥へ運んでいく。この場面は、ラストで喜江が引き受ける場面の、ひとつ前の世代の姿です。

ここは「なぜ燃える通路に戻るのか分からない」と引っかかる場面でもあると思います。わたしも1回目は、ただ唐突に見えました。でも、恐怖で回っていた仕組みの中心にいた人は、仕組みが燃えても外に出られないと読むと、わたしにはこの場面がこの映画の結論に見えました。

ここまでで、この映画が山あいの本家と一族のしきたりの話へ進んでいくのを見てきました。同じように一族と祟りを扱った『八つ墓村』(1977)の考察では、あの有名な「たたりじゃーっ!」が本編ではなくテレビCMの言葉だったことを、資料で辿りました。みんなが知っている話の出どころを辿るという点で、この記事と同じ書き方です。

ここまで何度か出てきた2021年の小説『変な家』は、いまは文庫版が出ています。小説の結末は、いま書いた映画の結末と違います。どう違うかは、このあとの「原作との違い」の節で書きます。映画を観たあとに読むと、同じ一族の話が、まったく別の終わり方をするのが分かります。

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ラストの2つの場面で、何が映っているか

「ラストの意味が分からない」と言われるのは、結末のあとに、場面が2つ続くからです。まず、何が映っているかだけを書きます。

場面1。喜江と綾乃。柚希が、母の喜江と姉の綾乃の会話を目にします。綾乃が今年の左手供養の時期が近いことを口にし、喜江は、お母さんがなんとかする、という意味のことを答えます。そのそばには、炊き出しに集まったホームレスの人たちがいます。

(この台詞は、資料によって言い回しが違います。「また」が入るかどうかも割れているので、「」ではなく中身だけを書きました)

場面2。雨宮の部屋。雨宮と栗原が、残った疑問を話しています。喜江は、どうやって雨宮の部屋に入ったのか。襲われる直前に聞こえた、ドアを叩く音はどこからしたのか。栗原が雨宮の部屋の間取り図を見ると、そこにも謎の空間があります。壁の下から蛆が這い出し、壁の中から、何かを引っかく音がする。映画はここで終わります。

ラストの意味その1。左手供養は、終わっていない

場面1から言えることは、ほぼ1つです。本家が燃え、当主の重治と文乃が死んだあとも、左手供養は終わっていません。

材料は3つあります。

  • 儀式の決まりは、3年続けることでした。そして洞窟の祭壇に供えられていた左手は2つ3年目が、まだ残っています
  • 綾乃は、翌年は誰かが代わりに左手を送ってきた、と話していました。送り主は、映画の中で名指しされません
  • ラストで喜江は、今年のぶんは自分がなんとかすると引き受けます。そのそばに、炊き出しのホームレスの人たちがいる

この3つを並べると、「2年目の左手を送ったのは喜江で、3年目も喜江が用意する。その相手は、炊き出しに来る人たちかもしれない」という読みになります。映画は、それを台詞では言いません。並べて、観る側に結ばせています。

ただし、重治は燃える家の中で、清次の左手を持って奥へ戻っています。これを3年目と数えるのかどうかを、映画は言いません。わたしは、儀式の決まりが、選ばれた男の子が自分の手でやるものだったこと(あとの補助線の節で書きます)から、重治の手で切った左手は3年目に数えられていない、と読んでいます。

ここで思い出してほしいのが、喜江の最初の登場です。「片淵の家に狂わされた。あの家は呪われている」。喜江は片淵家を憎んでいるように見えました。

でも、憎んでいることと、しきたりから抜けられていることは、別です。清次は、呪いなど信じていないと言い切りました。重治は、燃える家の中でも清次の左手を持って、奥へ戻っていきました。信じていない人と、最後まで信じた人。そして、憎みながらも続けてしまう人。喜江は3つ目です。

いちばん怖かったのは、ラストで喜江が引き受ける場面でした

ラストの場面1、喜江が綾乃に、今年のぶんは自分がなんとかすると答える場面です。

わたしは、この映画の中で、この場面がいちばん怖かったと感じました。蛆が這い出す雨宮の部屋よりも、です。

なぜかというと、この場面には、怖がらせるための道具が何も無いからです。仮面も、夜の暗がりも出てきません。炊き出しの場で、母親が娘に、自分が引き受けると答えるだけの場面です。なのに、その「引き受ける」中身が何なのかを、わたしはもう知っている。

前半に書いた、栗原がパフェをかき混ぜる場面と同じです。理由のない不快さの次に、この映画は「理由を知っているのに、画面は穏やか」という不快さを最後に置きました。前者は監督が「怖さを連想させる絵面」と言ったもので、後者はその完成形だと、わたしは受け取っています。

一方で、この場面は説明しすぎだ、という受け取り方もあると思います。ホームレスの人たちを映すことで、答えをほぼ言ってしまっている。もっと曖昧に置いたほうが怖かったのではないか。わたしも、そこは少し思いました。ただ、言っているのは「材料」だけで、喜江がそれをする場面は最後まで映らない。その一線は守られている、とわたしは見ています。

ラストの意味その2。雨宮の部屋にも、変な間取りがある

場面2は、読み方がいくつもあります。わたしが見つけた範囲で、筋の通るものを並べます。

  1. 喜江が雨宮の部屋に入った方法の答え。壁の向こうに、外とつながる空間があった。ドアを叩く音も、そこからしていた
  2. 冒頭とのつながり。映画の冒頭にも、壁を引っかくような音が入っていると複数の資料が書いています。それが雨宮の部屋の音なら、ラストの引っかく音とつながります(ここは確かめきれていません)
  3. 観ている人への投げかけ。「あなたの家の間取りは、本当に普通ですか」。映画の宣伝の言葉「あなたには、この間取りの異常さがわかりますか?」を、最後に観客の側へ向け直している
  4. 続きへの引き。監督はインタビューで、雨宮が「次にまた何かの事件に巻き込まれたらどんな感じになるのか」「妄想が広がるところです」と話しています。ただし、続編の製作が発表されたわけではありません(2026年9月14日時点で、公式の発表は見つかりませんでした)

作り手が、このラストの意味を語った資料は、探した範囲では見つかりませんでした。なので、どれが正解だとは書きません。

ただ、1は映画の中にある材料だけで組み立てられる読みで、2も冒頭の音が確かめられればそうなります。3と4は、映画の外の言葉を足した読みです。わたしは、1を土台にして、3を上に重ねるのが、この映画にいちばん素直な読み方だと考えています。その理由は、次の節で書きます。

わたしの読み。この映画は、最初の推理が間違っていた話です

ここからは、わたしの読みです。

『変な家』の前半を引っぱるのは、栗原の推理です。窓の無い子ども部屋、二重扉、隠された通路。だからこの家は、子どもに人を殺させるための家だ。しかも直後に左手の無い遺体が見つかり、推理は当たったように見えます。

でも、終盤で栗原は、自分の推理を改めます。通路は殺すためではなく、隠れるためのものだった。あの通路は、しきたりから子どもを守ろうとした夫婦が、追っ手から隠れるために使っていた場所でした。

わたしは、この映画のいちばん大事な反転は、ここだと思っています。誰が犯人か、ではありません。同じ間取りが、「殺すための家」にも「守るための家」にも読めるということです。

公式サイトの言葉を、もう一度引きます。

間取りには、必ず作った人の 意図 が存在する。そこには、むやみに触れてはいけない人間の 闇 が見えることも・・・

この映画は、この言葉の半分だけを本当にしています。間取りには意図がある。ここは本当です。でも、その意図が「闇」だとは限らない。世田谷の家の意図は、闇ではなく、脆い親の必死さでした。

そう読むと、ラストの2つの場面の意味が変わってきます。

場面1は、「喜江がまた左手を用意する」と読める並びになっています。わたしもそう読みましたし、材料はそろっています。でも、この映画はすでに一度、「材料がそろった読み」をひっくり返しています。映画は喜江の手元を最後まで見せません。

場面2は、雨宮の部屋の謎の空間を見せて、「ここにも何かいる」と読みたくなる置き方です。でも、それが喜江の出入り口なのか、誰かを守るための場所なのか、映画は答えません。

わたしは、このラストを「呪いは続く」という脅しよりも、「あなたも、いま間取りに意図を読み込みましたね」という鏡として受け取りました。前半で栗原と同じ読み方をするように導かれ、終盤でそれが外れ、最後にもう一度、同じ読み方をしたくなる場面が置かれている。

この読みは、前半で辿った「作者が怒った」の話とも重なります。名指しのない一文という間取りに、受け取る側が意図を読み込んだ。映画がわたしにさせたことと、映画の外で起きたことが、同じ形をしている。わたしがこの映画を面白いと思うのは、そこです。

【伏線1】「殺人の家」は、隠れ場所だった

  • 置かれた場所:前半。栗原が、窓の無い子ども部屋・二重扉・1階と2階をつなぐ通路から、子どもに客を殺させる家だと推理する
  • 回収された場所:終盤。座敷牢の中で、栗原が、あの通路は本家が桃弥を連れ戻しに来たときに隠れる場所だった、と推理を改め、綾乃がうなずく。さらに脱出の場面では、雨宮たち自身が本家の隠し通路に隠れて追っ手をやり過ごす。「隠れるための通路」を、主人公たちが身をもって使うことで、答えが体で示されます
  • 初見で気づけない理由:推理の直後に、左手首の無い遺体のニュースが入るからです。「推理が当たった」と受け取りやすく、別の読みを考えるきっかけが消える作りです。正しそうな証拠が、間違った推理の直後に置かれている。これがこの映画の最初の、そしていちばん大きな仕掛けです

【伏線2】喜江の炊き出し

  • 置かれた場所:中盤、喜江の初登場。ホームレスの人たちへの炊き出しのボランティアをしている
  • 回収された場所:ラスト。今年のぶんは自分がなんとかすると引き受ける喜江のそばに、炊き出しに集まった人たちがいる
  • 初見で気づけない理由:炊き出しは、善い人であることを示す設定として見えるからです。しかも同じ場面で、塗りつぶされた手帳と「片淵の家に狂わされた。あの家は呪われている」という強い言葉が出る。注意が言葉のほうへ向きやすい作りです。背景の善行は、疑う対象になりにくい

【伏線3】祭壇の左手は2つ。決まりは3年

  • 置かれた場所:後半。栗原が語る左手供養の由来で、3年続ける決まりが語られる。そして洞窟の祭壇に、左手のミイラが2つ供えられている
  • 回収された場所:ラスト。綾乃が、今年の左手供養の時期を口にする。3年目が残っていることが、ここで効いてきます
  • 初見で気づけない理由:3年という数字は、長い由来の説明の中に埋もれています。祭壇の場面は洞窟の中で、そのあとすぐに清次に襲われます。数字と物が、別々の場面に、別々の緊張の中で置かれているので、観ている最中に「2と3」を結びつけるのは難しい作りです

【伏線4】仏壇の蝋燭の火

  • 置かれた場所:本家に上がった場面。人のいない家の仏壇に、蝋燭がともっている
  • 回収された場所:家探しの場面。蝋燭の火が、風で揺れていることに気づく。風が通るということは、どこかに抜け道がある。仏壇を動かすと、隠し通路が出てくる
  • 初見で気づけない理由:無人の家にともる蝋燭は、「誰かがいる気配」を出すホラーの定番の小道具に見えやすいからです。怖がらせるための物として受け取ると、それが推理の手がかりだとは考えにくくなる。この映画は、怖がらせの形をした手がかりを何度も使っています

冒頭の引っかく音も、伏線とは言い切りません

ラストの引っかく音とつながりそうなものが、映画の冒頭にもあります。ただ、ここも伏線には数えません

  • 置かれた場所:映画の冒頭にも、爪で壁を引っかくような音が入っている、と複数の資料が書いています
  • 確かめきれていないこと:それが雨宮の部屋で鳴っている音なのかを、わたしは確かめきれていません。冒頭の配信での言葉を書いた資料も、1つだけでした
  • もし同じ部屋の音なら:ラストで雨宮の部屋の壁の中から聞こえる引っかく音と、そのままつながります。冒頭の音は驚かせる演出のひとつとして受け取りやすく、すぐに世田谷の家の話が始まるので、つながりに気づきにくい置き方です

2回目に観るときに、冒頭の音がどこで鳴っているのかを、ご自分の耳で確かめてみてください。

窓際の仮面の子は、伏線とは言い切りません

もうひとつ、伏線に見えるものがあります。ただ、ここは伏線には数えません。理由も書いておきます。

  • 置かれた場所:中盤。近所の住人の写真に、世田谷の家の窓際に立つ子どもが写っていて、明るくすると仮面が浮かび上がります
  • 回収されたかどうか:結末の綾乃の話で、親のいない夜に泣く浩人を、桃弥があやしていた姿だったと説明される、と書いている資料があります。ただし、そう書いているのは1つの資料だけで、わたしはそれを本編の台詞として確かめきれていません
  • もし本編にその説明があるなら:【伏線1】と同じく、怖い読みが先に来て、優しい読みがあとから来る形になります。仮面が浮かび上がる瞬間そのものが驚かせる場面として作られているので、1回目は「怖いもの」として受け取りやすい作りです

伏線と呼べるのは、回収が確かめられたものだけです。なので、ここは2回目に観るときに、ご自分の目で確かめてほしい場所として置いておきます。

映画の中で、答えが出ないまま残るもの

映画の中で答えが出ないまま終わるものも、はっきり分けて書いておきます。

  • 慶太は生きているのか。おとりになって残り、ニュースでも見つからず、綾乃は帰りを待つと言うだけです
  • 柚希と綾乃の父は、なぜ亡くなったのか。塗りつぶされた手帳と、喜江の「狂わされた」という言葉だけが残ります
  • 雨宮の部屋の壁の向こうに、何がいるのか
  • 世田谷の家の子ども部屋の、無数の引っかき傷は何だったのか。通路が「隠れ場所」だったと分かったあとも、傷の理由は語られません
  • 本家で、柚希だけがどうやって薬を盛られたのか
  • 栗原は、いつ、どうやって本家に入ったのか
  • 2年目の左手を送ったのは、本当に喜江なのか。ラストの並びはそう読ませますが、映画は喜江がそれをしている場面を見せません

このうちいくつかは、「続編のための空白」と読むこともできます。ただ、続編の製作は発表されていません。わたしは、これらを「答え待ち」ではなく、「答えが出ないまま置かれたもの」として受け取っています。

原作との違い。小説の結末と、映画の結末

原作と映画の違いは、たくさんあります。ここでは、結末と、その意味を変えている違いに絞ります。原作の小説(2021年)は、映画と同じく家系と儀式の話に進みますが、中身はかなり違います。

  • 点 主人公 / 小説(2021年) 雨穴さん本人にあたる「私」。対話で推理し、現地での大立ち回りは無い / 映画(2024年) 動画配信者の雨宮。現地に入って巻き込まれる
  • 点 左手の相手 / 小説(2021年) 分家の血を引く者を殺す、という条件がある / 映画(2024年) 誰の左手でもいい。分家との因縁は削られている
  • 点 潮の立場 / 小説(2021年) 当主の正妻 / 映画(2024年) 女中から当主の子を身ごもった人
  • 点 喜江の襲撃 / 小説(2021年) 無い / 映画(2024年) 仮面で雨宮を襲う(映画だけの場面)
  • 点 村・火事・チェーンソー / 小説(2021年) 無い / 映画(2024年) 後半の見せ場として足されている
  • 点 結末 / 小説(2021年) 慶太が当主たちを殺して逮捕される / 映画(2024年) 慶太は行方不明。喜江と綾乃がしきたりを続けようとする
  • 点 最後に残る謎 / 小説(2021年) 客間とリビングのあいだの小さな窓 / 映画(2024年) 雨宮の部屋の、謎の空間

(小説の中身は、複数の解説で一致したところだけを載せました。本そのものには、わたしは当たれていません)

大きいのは、結末の向きです。

小説では、慶太が自分の手で終わらせ、罪を引き受けます。しきたりは、人の手で断ち切られる。

映画では、本家は燃えますが、しきたりは人の中に残ります。慶太は消え、喜江と綾乃は続けようとする。燃やしても終わらない

そして、最後に残る謎が「窓」から「謎の空間」に変わっています。2020年の動画も、最後は窓の謎を残して終わります。原作の「窓」は、部屋から部屋を覗く穴です。映画の「謎の空間」は、何かが入り込める場所です。覗く側の話から、入られる側の話へ。ここにも、監督の言う「巻き込まれていく流れ」が出ている、とわたしは読んでいます。

完全版で、原作者は何を足したのか

2025年10月の【完全版】では、雨穴さん自身が、小説の結末をさらに作り直しています。オモコロの本文から、映画と比べて大事な点だけを書きます。

  • 舞台の家は東京都狛江市。雨穴さんが自分で内見に行きます
  • 片淵家の本家は群馬県にあります
  • 栗原が、左手供養が行われた数か月後に、必ず新薬の申請をしていた製薬会社を見つけ出します
  • そして、喜江の旧姓がその製薬会社と同じ読みだったことから、喜江は内側の人間だったのではないか、という推理に進みます
  • そして最後の最後に、柚希という人物そのものについて、読者がそれまで信じていた前提を揺さぶる一言が置かれます

完全版の推理は、喜江を内側の人間として疑うところまで進みます。喜江を疑う推理そのものは、2021年の小説の最後にもありました。完全版は、その理由を製薬会社と旧姓に置き換えています。映画のラストも、並びで喜江のほうを指します。

ただし完全版は、そのあとに柚希についての一言を置いて終わります。原作者が最後にどこを指したのかは、最後のページを読めていないわたしには言い切れません。

(完全版の最後のページは、本文の多くが画像になっていて、文字として確かめられた部分は限られます。ここで書いたのは、本文の文字で確かめられたところまでです)

「分からない」と言われる点に、補助線を引いておきます

この映画で「分からない」と言われやすい点に、映画の中の材料で補助線を引きます。

「左手は誰のものでもいいなら、なぜ桃弥にやらせるのか」

映画の儀式は、日の光を浴びずに育てられた片淵の血の男の子が、自分の手でやる、ということに意味があります。左手の持ち主は問われませんが、切る人は選ばれている。だから本家は、桃弥を連れ戻そうとしました。

「本家が全滅したのに、なぜ喜江と綾乃は続けるのか」

清次は、呪いなど信じていないと言い切りました。つまりこの映画の呪いは、超自然の力ではなく、恐怖で人を動かす仕組みとして描かれています。仕組みは、家が燃えても、人の中に残ります。

「前半のミステリーと、後半のホラーが、別の映画に見える」

前半は間取りを外から読む話、後半はその家を作った一族の中に入る話です。監督が言う「巻き込まれていく流れ」の、ちょうど折り返し地点で、映画の手ざわりが変わります。ここは好みが分かれて当然の作りです。

「ラストの雨宮の部屋は、本筋と関係あるのか」

わたしは、関係があると読んでいます。喜江がどうやって部屋に入ったのかという、本筋の中で答えが出ていなかった疑問に、場所だけを示しているように見えるからです。

チェーンソーが出てきた場面で、わたしは少し置いていかれました

本家が燃え始め、文乃がチェーンソーを持って追ってくる場面です。

正直に書くと、わたしはこの場面で、少し置いていかれたと感じました。前半の、間取り図を1階と2階で重ねて静かに推理していた映画と、同じ映画だと思えなかったからです。

なぜそう感じたのか。前半の怖さは、頭の中で組み上がる怖さでした。窓が無い、扉が二重、通路がある、だから何かがおかしい。わたしは自分で考えて、自分で怖くなりました。チェーンソーの怖さは、それとは逆で、画面の外から一方的に来る怖さです。考える前に逃げるしかない。映画の手ざわりが、ここで一段切り替わります。

ただ、この場面をいちばん楽しい場面として受け取ることも、十分できます。監督は「1回目はアトラクションみたいにわー、きゃーとなる」と言っていましたし、宣伝もアトラクションをうたっていました。そういう映画として観るなら、ここは約束どおりの見せ場です。

公開後の舞台あいさつで、佐藤二朗さんは、劇場のトイレで男子高校生たちが「どこが1番怖かった?」「えー。俺、斧」と話していたのを聞いた、と明かしています。あの映画のいちばん怖いところとして「斧」を挙げる人がいた。わたしが前半の静けさを怖いと感じたのと同じくらい、後半の斧を怖いと感じた人がいる。この映画は、その両方に向けて作られています。

わたしの読み。呪いは、家ではなく人のほうに残っている

最後に、この映画全体について、わたしの読みを書きます。

『変な家』という題名は、家を主語にしています。変なのは家だ、と。でも、結末まで観ると、この映画で変なのは、ずっと人のほうでした。

世田谷の家も、埼玉の家も、それだけでは誰も傷つけていません。家を「殺すための家」にしたのは、栗原の推理と、それを信じたわたしです。家を「守るための家」にしたのは、慶太と綾乃です。そして、家が燃えたあとも左手供養を続けようとするのは、喜江という人です。

清次の言葉が、この映画の芯だとわたしは思っています。呪いを信じていない人がいて、それでも儀式は回っていた。回していたのは呪いではなく、「やらなければ何かが起きる」と思わされた人たちの恐怖でした。

だから、本家を燃やしても終わらない。燃えたのは家で、恐怖は喜江と綾乃の中に残っているからです。

そう読むと、主題歌の「Frail」=脆い、という題名が、ラストにそのまま重なります。しきたりから子どもを守ろうとして、それでも最後まで逃げ切れなかった親たちの脆さ。わたしがこの曲の「温もり」を重ねたくなるのは、慶太と綾乃が桃弥と浩人を守ろうとした部分です。

雨宮が動画を出さなかったことを、わたしは救いとして受け取りました

結末で、雨宮がこの件を動画にしないと決める場面です。

雨宮は、再生数が伸びずに困っていた配信者でした。世田谷の家の話を動画にしたことで再生数が跳ね上がり、柚希から連絡が来て、ここまで来た。本家での出来事は、動画にすれば間違いなく当たる話です。それを出さない。

わたしはこの選択を、台詞にならないもう一つの救いだと感じました。

監督は雨宮について、「配信動画を作ることである人物を助けられたのかもしれないと思ったところに救いが出るようにしたい。ただ、それについての説明が本編にはありません」と話していました。監督が言う救いは、動画を作ったことのほうです。わたしはそこにもう一つ、最後に動画を出さなかったことを重ねて受け取りました。わたしは、雨宮が「この話を面白い間取りの話にしてしまえば、そこに住んでいた人たちの必死さが、また見世物になる」と分かったのだと受け取りました。助けられたかもしれない人を、もう一度さらさない。それが、台詞にならない救いです。

もちろん、別の受け取り方もあります。再生数に困っていた配信者が、いちばんの素材を捨てるのは、話としてきれいすぎる。あるいは、動画を出さないのは、ただ怖くなったからかもしれない。映画はどちらとも言いません。わたしは前者で受け取りましたが、後者で観ても筋は通ります。

興行の数字。4週連続1位と、50.7億円

  • 初週末(2024年3月15日〜17日)は初登場1位。3日間で動員34万4,000人、興行収入4億7,400万円
  • 4週連続で1位。公開24日間で動員277万8,000人、興行収入34億5,900万円
  • 最終の興行収入は50.7億円。2024年の邦画で7位でした(日本映画製作者連盟の「2024年 興行収入10億円以上番組」)
  • 2024年の邦画でこれより上は、『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』158.0億円、『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』116.4億円、『キングダム 大将軍の帰還』80.3億円、『劇場版 SPY×FAMILY CODE: White』63.2億円、『ラストマイル』59.6億円、『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』53.8億円。実写に限ると、『キングダム』『ラストマイル』に次ぐ3番目です
  • 公開直前には、ポルトガルのポルト国際映画祭で審査員特別賞を受けています

原作者が映画について公に何も書かなかった(確かめられた範囲で)2024年の春に、映画は4週続けて1位を取り、年末には50億円を超えていました。「作者が怒った」の噂が広がったのは、ちょうどこの4週のあいだです。

2回目に観るときに、確かめてほしい9か所

  • 【冒頭】壁を引っかくような音。それが雨宮の部屋で鳴っているのかどうか
  • 【前半】栗原の推理の直後に、遺体のニュースが入るタイミング。「推理が当たった」と思わせる置き方です
  • 【前半】パフェの場面の絵と音。監督が「怖さを連想させる絵面」を狙ったと話している場面です
  • 【中盤】喜江の炊き出し。初登場のときに、背景に誰がいるか
  • 【中盤】窓際の仮面の子の写真。結末の綾乃の話と、本当につながるのかどうか
  • 【後半】3年続けるという決まりと、祭壇の左手の数。2と3です
  • 【後半】仏壇の蝋燭の火が揺れる瞬間。怖がらせの小道具が、手がかりに変わるところ
  • 【結末】桃弥が斧を振り下ろす先。左手に当てていません
  • 【ラスト】今年のぶんを引き受ける喜江のそばに、誰がいるか

そして、ポスターの柚希の立ち位置を、観終わったあとにもう一度見てください。1階と2階の図のすき間です。

この記事で確かめきれなかったこと

  • 映画の台詞は、予告で確かめられたものと、複数の資料で文言まで一致したものだけを「」にしています。それ以外は中身だけを書きました。ラストの喜江の台詞は、資料によって言い回しが違います
  • 窓際の仮面の子が誰だったのかは、説明を書いた資料が1つしか見つからず、伏線には数えていません
  • 小説(2021年)の中身は、複数の解説で一致したところだけです。本そのものには当たれていません
  • 劇場パンフレット(原作者の雨穴さんのインタビューが載っていると公式が告知していました)と、雑誌「アニメージュ」2024年3月8日発売号(監督と雨穴さんのインタビューが載っていると公式が告知していました)は、手に入れられていません。作り手や原作者がラストの意味や映画について語っているとすれば、この2つです。この記事の「探した範囲では見つからなかった」は、この2つを含んでいません
  • 「ゴミ」とだけ書いて消したとされる投稿は、あったとも無かったとも確かめられませんでした。確かめられたのは「確かめられる資料が見つからなかった」ことまでです
  • Xの検索(ログインが必要なもの)と、雨穴さんが出たテレビ番組・配信番組の本編には、当たれていません。3月20日午前4時37分の動画より前に、個人の投稿で映画と結びつけたものがあった可能性は残ります。「いちばん早く見つかったもの」は「最初」とは限りません
  • 完全版の最後のページは、本文の多くが画像で、文字として確かめられた部分は限られます
  • 劇伴が本編のどこでどう使われたか、主題歌が本編のどこで流れるかは、資料で確かめられませんでした。主題歌については、間宮祥太朗さんの「試写会のエンドロールで初めて聴いた」というコメントがあるだけです
  • Prime Video の見放題が、2026年9月14日時点で続いているかは確かめられていません

『変な家』について、よく聞かれること

Q. 『変な家』の原作者は、映画に怒っているのですか?

A. 確かめられる資料は見つかりませんでした。雨穴さんが映画について書いた言葉で確かめられたのは、公開前の「嬉しく思います」を含む2つだけです(公開前の雑誌と劇場パンフレットのインタビューは読めていません)。公開後の「興味もないし関係もない」という投稿は、映画もパロディも名指ししていません。「ゴミ」の話は、公開19日後の記事に載った匿名の談話が、確かめられた範囲での最初でした。

Q. ラストの意味は何ですか?

A. 場面は2つです。1つ目は、喜江と綾乃の会話で、左手供養が終わっていないことを示しています。2つ目は、雨宮の部屋にも謎の空間があることで、喜江が部屋に入った方法につながる、とわたしは読んでいます。作り手がラストの意味を語った資料は、探した範囲では見つかりませんでした。

Q. 左手供養は終わっていないのですか?

A. 映画のラストでは終わっていません。決まりは3年続けることで、祭壇の左手は2つでした。本家が燃えたあとも、綾乃が今年の供養の時期を口にし、喜江が引き受けています。

Q. 続編はありますか?

A. 2026年9月14日時点で、公式の続編製作の発表は見つかりませんでした。監督はインタビューで、雨宮が次に事件に巻き込まれたらどうなるか「妄想が広がるところです」と話しています。なお『変な家2 〜11の間取り図〜』は、映画の続きではなく、別の間取りの話を集めた本です。

「映画版 変な家」で、ラストの2つの場面を見直す

この記事では、ラストの2つの場面と、【伏線1】から【伏線4】の置き場所を書きました。とくに祭壇の左手の数と、仏壇の蝋燭は、2回目に観ると見え方が変わります。ソフトの題名は『映画版 変な家』です。

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同じ書き方を、別の作品でもやっています

この記事は、言われていることの出どころを日付の分かる資料まで辿り、伏線を3点セット(どこに置かれたか/どこで回収されたか/なぜ初見で気づけないか)で書くという型でやっています。同じ型で書いた邦画の記事を置いておきます。『8番出口』は、同じ東宝の配給で、ネットで生まれた原作を実写にした作品です。『来る』は、原作者の言葉と映画の作り方の距離を辿った記事です。

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作品情報

  • 映画 変な家(Blu-ray・DVDの題名は『映画版 変な家』)
  • 2024年3月15日公開/110分/G/日本/2024年製作
  • 原作 雨穴『変な家』(飛鳥新社)
  • 監督 石川淳一/脚本 丑尾健太郎
  • 音楽 小島裕規 “Yaffle”/主題歌 アイナ・ジ・エンド「Frail」
  • 撮影 柳田裕男/美術監督 相馬直樹/編集 上野聡一/企画・プロデュース 遠藤学
  • 出演 間宮祥太朗(雨宮トオル/雨男)、佐藤二朗(栗原文宣)、川栄李奈(宮江柚希)、長田成哉(片淵慶太)、DJ松永(Creepy Nuts)(柳岡)、瀧本美織(片淵綾乃)、根岸季衣(片淵文乃)、髙嶋政伸(森垣清次)、斉藤由貴(松岡喜江)、石坂浩二(片淵重治)
  • 製作 「変な家」製作委員会/制作プロダクション TOHOスタジオ、共同テレビジョン/配給 東宝
  • 第44回ポルト国際映画祭 審査員特別賞
  • 興行収入 50.7億円(2024年 邦画7位・日本映画製作者連盟)
  • Blu-ray・DVD 2024年10月23日発売(東宝)
  • 配信 Prime Video(2025年6月13日から見放題独占配信。2026年9月14日時点で続いているかは未確認)
  • ©2024「変な家」製作委員会

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