【ゲーオタ専用恋愛小説】ベタに平成を生きた男。
登場人物
哲 うだつのあがらない編プロ勤めの25歳。「へんな夢を見る男」と同じ名前だがスターシステムである。
サトミ 哲がベタな展開で出会った女。銀座のホステス。
彼女 哲が大学入学時に出会った女子高生。大家の娘。
バル 電信柱の下にいたサトミの飼い犬。白のトイプードル。
バス サトミの飼い犬。茶色いトイプードル。
田村くん 哲の同僚。大学生アルバイト。競馬がうまい。
あの頃の俺は、編集プロダクションに毛が生えたような有限会社で働いていた。編集部が入っている雑居ビルは古く、エレベーターは苔むしていて、いつ途中で停止して閉じ込められてもおかしくなかったし当然冷房もないし低速だし、どう考えても階段を使った方が安心で早かったので、社員は誰ひとり利用していなかった。
というか社員はいなかった。アルバイトが二人と嘱託社員が俺ともう一人の二人だけ。ただ一人の社員だった部長も役員になってしまった。もっとも役員とはなにか、社員となにが違うのか? 四人の非正規労働者はそんなことを知る由もなかったし、深く考えてもいなかった。
そこでは主に、部長の知人を介してゲーム誌の仕事を請け負っていたので、編集部のオフィス……と表現するのもはばかられる社内には家庭用ゲーム機だけは潤沢にあったが、ゲーム用ディスプレイは当時まだ現役だったブラウン管テレビで、しかも二つしかなかった。つまりゲームプレイを要する仕事が同時にできるのは二人だけだった。
でも、あれはとても楽しい職場だった。
雑居ビルの一階には弁当屋が入っていたので、俺たちは毎日そこで弁当を買った。真夏は自販機にジュースを買いに行き、真冬は弁当屋の保温ケースから温かい缶入りのお茶を買った。冬の日、ケースのサーモスタットがぶっ壊れて、殺傷力を持つレベルに熱々のお茶が産み出されたのも、今となっては懐かしい。
弁当はおおむね500円で、レシートを集めると500円の弁当が一個タダになるチラシがたびたびもらえたので、俺たちはレシートをこつこつ貼った。たまに大学生バイトだった田村くんが、
「僕、昨日の競馬で万馬券とったので、あげますよ」
と、あと一枚で弁当がタダになるチラシをくれたこともあった。
田村くんには馬券の才能があり、のちにどこかのクラブの一口馬主になって、その馬がG1を取ったと聞いたのだが、当時の俺はそのすごさをよくわかっていなかったので、
「すごいね」
くらいの温度で聞いた。しかし改めて考えるとあれはものすごいことだった。大学生だったし、そう何口も買っていなかったと思うけど。
ところで地方都市の駅弁大学に良くいるタイプの文学青年だった俺は、いつからか小説家になりたいと思っていた。
古本屋でブーブー紙につつまれたほこりっぽい文学全集をバラで買ってきては、ボロ下宿の片隅に積んで悦に入っていた。
仕事で手がけたコラムや特集も、部長からは、
「哲くんの文章って、おもしろいよね、センスある」
と言ってもらっていた。
そんな部長と四人の非正規労働者は、たまに薄暗い蛍光灯の下で企画会議をした。A4ぺらいちの企画書を作り、一人ずつ発表するのだが、
「うーん」
と部長は言った。企画が通ったためしはなく、俺たちはひたすらに部長が持って来るゲーム誌の仕事をした。そんなんでもなんとかなっていた。
むろん氷河期世代には就職先などなかったしバブルは完全に終わりかけていた。が、小室ファミリーのデジタルサウンドだけは世間をうっすらと覆っていて、ゲーセンに行くと、すごい乳揺れの格闘ゲームのデモ画面を中学生が凝視していた。今ふりかえれば、まだ全然のんきな時代だったと思う。
その日は、朝から雨が降り続いていた。
俺は残業を終え、ふらふらと帰路についていた。21時をすぎた頃だったか、自慢の65センチのジャンプ傘を手に、地下鉄の最寄り駅からアパートへ歩いていると、電信柱の根元で白いものが動いた。
「レジ袋を犬か猫と見間違えるやつかな」
声に出しつつ近づいていったが、それは本格的に犬だったのでびっくりした。白くてモコモコしていた。赤い首輪とリードがついていたので、あきらか飼い主を振り払って逃げてきたたぐいだ。
俺は傘を犬にさしかけて、しゃがんだ。
「おいおい、お前の飼い主は、どこにいったんだ?」
我ながらセリフっぽすぎることを話しかけると、犬は、
「キューン」
と鳴き、しっぽを振った。犬と相合傘でしゃがんだまま、俺はぼんやりしていた。お腹がすいていた。そのとき、
「バル! バル、そんなとこにいたのぉ」
と、甲高い声がして、髪を振り乱した若い女が一心不乱に走ってきた。そして女は泣きそうな顔で俺を見て、
「あっ、ありがとうございます!」
と叫んだ。お礼を言われるようなことは何もしていなかったので、
「いえ、おかげさまで」
と俺は言った。脳の活動に必要な栄養が枯渇していたのだと思う。
立ち上がると足がしびれていたが、がんばって笑顔を作って女を見た。女は着ているパーカーが濡れるのもかまわず犬に頬ずりしながら、
「ああ~もう、心配したんだから……」と言った。どえらい美人だった。
「かわいい犬ですね。……なんでバルって名前なんですか?」
と聞くと、
「二匹飼ってて……今日は弟はお留守番。弟は、バスっていうんです」
と女は言った。
「バーチャロンですか」
反射的に致命的なことを聞いたのに、
「そうです」
こともなげに女は答えた。これはもう完全にへんな人だった。
女は綺麗なマンションに住んでいた。行きがかり上ついていくことになった俺は、見たこともない広くてきれいな風呂場で、バルを洗うのを手伝った。バスは風呂のドアの向こうでめちゃくちゃ吠えていた。
「どうしてバーチャロンなんですか」
風呂場でバルを取り押さえながらずぶ濡れで聞く俺に、女は、
「んー、思いつかなくって」
とバルを洗いながら笑った。
「でもほら、ワンコって、バウ! て鳴くなあって思ったら、ちょうど二匹だし、バルバスバウ! かなあって……」
もはや、へんな人の域を通り越していた。
女は、サトミと名乗った。セガのゲームであるバーチャロンのバーチャロイドから犬の名前をとる女の名前がさとみ。ちょっと出来すぎじゃないかと思ったけど、セガの名誉会長にしてサトノダイヤモンドの馬主である里見氏のそれは苗字であるし、この関連性に気付くのもゲームオタクくらいだし、本題と関係ないのでどうでもいい。
俺はサトミに着替えを出してもらった。それは先週別れた彼氏が置いていった部屋着一式だった。そしてそれでなんというか俺たちはそのままそういうことになった。
当時の俺には他に、大学時代からつかずはなれず関わってきた女の子がいたけれど、彼女は恋人ではなく、友人でもなかった。
彼女は俺が下宿していたボロアパートの大家の娘だった。
知り合った時は高校生だったので、死んでも手を出すまいと誓いを立て、そのまま守り続けていた。彼女も関東で就職したので会うようになったけど、俺にとってはずっと、手出し無用の大家の娘のままだった。とっくに女子高生ではなくなってたのに。
ある日、アパートに着替えを取りに戻ると留守番電話が点灯していた。映画へのお誘いだった。日付を確認すると一昨日。
サトミのマンションに戻った俺は、次の土曜、地元の知り合いと映画行ってくる、と言った。サトミは出勤前のフルメイクで、バリバリに髪を巻き終わったところだった。戦闘服に着替えながら嫣然と、いいよ、と言った。
土曜の朝、俺は最寄り駅から地下鉄に乗った。そして有楽町で降り、映画館まで歩いていった。
サトミは銀座の高級店で働く夜の蝶だが、家ではゲームばかりしていた。だから気が合ったのだった(出会いはバーチャロン犬だし)。俺が書いたゲーム誌の記事も喜んで読んでくれていた。しかしある日、
「哲くんって、ほんとは小説家になりたいんじゃないの?」
と言った。
「大手出版社の編集さんとか営業さん、いっぱいくるけど……みんなライターさんのことなんか、人間扱いしてないんだよ」
サトミは、
「哲くんが書いた小説、読んでみたいなぁ」
と甘えた声を出してしがみついてきた。胸が重たくなった。
有楽町マリオン前にたどりつくと、ちょうど壁のからくり時計が音楽を奏で始め、金色の人形が現れたところだった。
「哲くーん!」
遠くから、彼女の声がした。その懐かしい顔を見た途端、鼻の奥がつんと痛みだし、困った。
「どしたの?」
あの頃のままな顔をして、彼女は言った。
「なんかあった?」
二人で観た映画は、スタジオジブリの『耳をすませば』だった。
よく考えるとキツい内容だった。大学入学で下宿に入って知り合ったのだから、そろそろ7年になる。彼女はずっと慕ってくれていたと思う……が、互いの気持ちを確かめたことはない。ありえない? 事実だもの。しかたない。大家の娘が女子高生。両親ともばっちり顔見知り。あなたならあっさり乗り越えます? 乗り越えられまい? え、もう今は違うだろって?
それはその通り……。
「連絡くるまでけっこうあったから、心配しちゃった」
オレンジジュースをストローで飲みながら彼女は言った。
「お仕事いそがしかった? こないだゲーメストの記事、見たよ。おもしろかった」
ちなみに有名な〝インド人を右に〟の記事が掲載されたのは、この数年後だし、俺が書いたんじゃない。俺は言った。
「そんなちょくちょく見てくれてんだ、ありがとう。仕事は?」
「順調だよ。でも今度、出張あるんだ……ちょっとやなんだ」
「なんで?」
「上司と一緒に行くんだけど、セクハラ気味の人なんだ」
おだやかじゃない。
俺はアイスコーヒーの底に沈んだ氷をむやみに転がしながら言った。
「そういう上司にはね、彼氏いるって言うといい。だいぶ違うよ」
「いないじゃん、だって」
「言うだけだよ、いなくても、いるって……」
彼女は俺をじっと見た。
「哲くんは、彼女いるの?」
「い」
「いるよね」
視線を落として笑った。
「そう言ってみる。てきとうに彼氏の話、捏造してみる。なんて名前? て聞かれたら、聖なる司と書いてセイジですって言う」
「それ、今日の映画に出てきた人じゃないの」
「だって……」
口ごもり、彼女は何も言わなくなった。せっかく観てきた映画のストーリーも話さないまま、俺たちは駅前で別れた。
サトミの部屋からは、足が遠のいた。
それからほどなく編集プロダクションは親会社に吸収されることになり、俺たちは雑居ビルで段ボール箱にゲーム機を詰め、親会社と同じビルの下階に移転した。ゲーム関連で新規プロジェクトを始めるにあたり、四人の非正規労働者もデスクをもらえる手はずになっていた。が。
「哲さん、いろいろお世話になりました」
出勤最後の日、田村くんは言った。
「いろいろお世話になったのはこっちな気もするけど」
「それは、おもに弁当でしょ」
田村くんは笑った。俺も笑った。
「元気でね」
田村くんとは連絡先もかわさなかったけど、当時はよくあることだった。
実家やアパートの住所、固定電話を明かすほどでもない知り合いとは、顔を合わせたときしか話ができなくて当たり前だった。
ある日、懐かしくなって田村くんを実名で検索してみたことがあるが、ロンドンブーツ2号と同じ名前だったので検索で負けた。あれから一度も調べていない。元気でいるといいな……と思うことが今もある。
あの頃一緒に働いた他の二人の非正規労働者のことも、よく覚えている。主にみんなが愛用していたバーチャロイドのことだけども。俺はアファームドだった。田村くんは……ライデンだった。
クリスマス仕様の『ナイツ』が数量限定予約販売されたときは、みんなで電話かけたっけな(会社の電話で)。無事に予約を取れてうれしかった。とてもきれいなゲームだったけど、今は、もう手元にない。セガサターンも。初代バーチャロンも専用コントローラーも。クリスマスナイツも。マルチコントローラーも。マイケルジャクソンズムーンウォーカーも。
小説家になりたい、と俺は思っていた。
しかし結局のところ、なれないまま年をとった。
あれから俺は会社をやめ、フリーランスでしばらくライターをしながら、彼女とつきあいはじめた。そしてほどなく結婚し、田舎に帰った。
今はもう定年退職して、彼女の親類がもてあました古い一戸建てに住んでいる。長男は大学を卒業して就職した。次男は一浪して大学生になり、だいぶかかってようやく卒業したばかり。二人とも彼女はいない。手が遅いのは親譲りでしかたないと思っている。
俺も、若いころは若い時代が永遠に続くと思っていた。
いや、本当にそう思っていたわけではない。
そんな気がしていただけで、時間は進んでいった。ただこの歳になって思うのは、進んだだけマシだった、ということか。
今はもう会えない人たちがたくさんいる。
そして俺のかたわらには、まだ彼女がいて、女子高生のころと変わらない笑顔で、
「哲くんは、そろそろ小説書かないの?」
と言っている。
そろそろ書こうか。
どうしようかな。
(了)
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