【EBM実践編】詳しい人がいなくても「正しい判断」が残る組織の作り方
前回の実践編では、エビデンスベーストマーケティングを社内で通す方法を考えました。
正しい提案をするだけではなく、意思決定者の心理的な負担や調整コストを減らし、必要な人を巻き込み、組織が動きやすいタイミングを使う。つまり、担当者自身が「より良い意思決定が起きやすい環境」を作るという話です。
ただ、ここには一つ問題があります。
その担当者が異動したら、どうなるのでしょうか。
次の担当者がまた一から論文を読み、上司を説得し、他部署を巻き込み、効果測定を設計しなければならない。それではEBMが組織に浸透したとは言えません。
私自身、事業会社でマーケティング戦略を担当していた頃、権限を持たない状態から関係部署を巻き込み、会議体を作り、データを共通言語にして意思決定を変えていった経験があります。結果として事業成果にはつながりましたが、同時に感じたのは「できる人が頑張り続ける組織には限界がある」ということでした。
人が変われば元に戻る仕組みは、仕組みとは呼べません。
この問いを考える補助線になったのが、以前調べたP&Gです。
P&Gは、企業目的・価値観・行動原則を企業文化の基礎とし、配属初期から実際の仕事を任せるDay1カルチャーや、内部から将来のリーダーを育てる内部昇進制を人材戦略に組み込んでいます。
P&Gの制度がそのまま他社でも機能するとは限りません。ただ私は、この構造から一つ学べることがあると思っています。
共通の判断基準を持つ。それを研修だけでなく実際の仕事で何度も使う。その中で育った人が、次の意思決定者になる。
今回は、この「文化が自己複製する構造」をEBMへ移植してみます。
目指すのは、EBMに詳しい人を増やすことではありません。
詳しい人がいなくても、より良い判断が残る組織を作ることです。
1|研修をしても、組織はEBMにならない
EBMを組織へ広めようとすると、まず教育を考えます。
本を配る。勉強会をする。外部講師を呼ぶ。因果推論やマーケティングリサーチについて学んでもらう。
どれも意味はあります。
しかし、研修の翌日から使う企画書が同じで、会議で聞かれる質問も同じ、評価指標も予算の決め方も同じなら、組織はそれほど変わりません。
たとえば「広告は増分効果で評価しよう」と教えても、担当者がROASだけで評価されているなら、本人にとって合理的なのはROASを高く見せることかもしれません。
「失敗から学ぼう」と言いながら、失敗した人だけ評価が下がるなら、正直に失敗を報告するより、成功したように説明する方が合理的です。
これは社員の意識の問題だけではありません。
組織には、市場より上司、長期より今期、会社全体より自部署、本当の効果より説明しやすい数字へ人を引っ張る「重力」があります。
評価や権限がその方向を向いていれば、合理的な人ほどその重力に従います。
だから責任者がやるべきなのは、「もっとエビデンスを大切にしてください」と唱えることではありません。
正しい判断をすると損をする構造を減らすことです。
2|EBMを「仕事の型」に埋め込む
全員にNBD-Dirichletや因果推論を詳しく教える必要はありません。
それよりも、重要な意思決定で戻ってくる問いを揃える方が実務的です。
「それは本当に施策によって増えた成果なのか」
「市場全体を見ているか」
「事実と解釈を分けられているか」
「この仮説が間違っているなら、何が観測されるか」
ただし、これをポスターにしても文化にはなりません。
仕事そのものへ入れます。
たとえば企画書なら、目的や予算だけでなく、重要案件では「仮説」「根拠」「比較方法」「反証条件」「結果によって次に何をするか」まで書く。
EBMを学ばせるのではなく、EBM的に考えないと完成しない企画書を作る。
会議でも、「何もしなかった場合と比べて増えたと言えるか」「別の説明はないか」といった問いを標準化する。
良い上司が毎回いることに依存せず、良い上司がする質問を仕組みにするわけです。
効果測定も同じです。
施策を実行した後に「これ測れますか」と分析担当へ聞いた結果、比較対象も必要なデータもなく、結局何も分からない。実務では珍しくありません。
ならば、仮説を考えた時点で測定方法も決める。
「施策をやった後に測る」のではなく、「測れる施策をやる」。
ただし、すべての仕事に同じ重さを要求すると官僚化します。
そこで案件を「軽量・標準・重点」程度に仕分けます。
既知性が高く、少額で、すぐ戻せる施策は軽くする。不確実性や投資額が大きくなるほど、仮説や反証、測定設計まで求める。
一定額以上の投資、価格変更、全社KPIや重要システムへの影響など、企業ごとに「この条件なら自動的にレビューを重くする」という強制条件を持っておく方法もあります。
すべての意思決定を重くするのではなく、間違えたときの損失と不確実性に応じて、必要な強さのガードレールを置く。
新しい型を導入した直後は、以前より面倒に感じることもあるでしょう。
しかし、企画が進んでから「何が目的だっけ」「これ測れない」「成功条件が分からない」と手戻りする方が高くつくこともあります。
仕組み化の目的は、承認を厳しくすることではありません。後から考え直す仕事を、前に持ってくることです。
3|オーナーシップと反証を両立する
EBMを重視しても、誰もリスクを取らなくなれば事業は進みません。
だから担当者には、本物の意思決定を任せる必要があります。
一方、自分で考え、予算を取り、時間をかけて実行した施策ほど、「効かなかった」と自分で結論づけるのは難しくなります。
そこで、オーナーシップと同時に反証機能を持たせる。
通常案件なら、別案件の担当者によるピアレビューでも構いません。「別の説明はないか」「比較対象は妥当か」「成功条件を後付けしていないか」といった問いを固定しておくだけでも、自分一人で自分の仮説を評価するよりは強くなります。
その際、担当者が都合よく加工した最終スライドだけでなく、外れ値の扱いや集計期間といった**「データの抽出条件」そのものもレビュー対象に含めます。**
高度な統計設計や大規模投資など、本当に専門性が必要な案件だけ分析担当やリサーチャーへ上げる。
すべてを専門家に見せれば、今度は専門家がボトルネックになります。
一方、反証側にも注意が必要です。
分析担当が「その分析では言えません」「因果関係は証明できません」と指摘するだけなら、正しくても事業は前に進みません。
逆に事業側と同じ売上目標だけを背負わせれば、都合の悪い結果を言いにくくなる。
だから、目的は共有する。しかし役割まで同じにはしない。
事業側は事業を伸ばす。
反証側は不確実性を減らし、間違った投資を続ける確率を下げる。
同じ事業のために働く。しかし同じ結論を出すことは求めない。
Amy Edmondsonの研究では、対人リスクを取っても安全だというチームの共通認識、いわゆる心理的安全性と学習行動との関連が示されています。
都合の悪い事実を言った人が損をする組織では、反証機能は形だけになります。
必要なのは対立を消すことではなく、意思決定を強くする健全な摩擦です。
4|「失敗から学べ」ではなく、失敗する前に決める
EBM組織を作るとき、もう一つ難しいのが評価です。
正しく実験したが売上は伸びなかった人と、偶然売上を伸ばした人をどう評価するのか。
結果だけ見れば、組織は確実な施策ばかり選ぶようになります。一方で「失敗しても学べばいい」だけでは、失敗後にもっともらしい言い訳を書くゲームになります。
ここで使えるのが、研究における事前登録に近い考え方です。
重要案件では、施策を始める前に「意思決定ログ」を残す。
仮説は何か。主要指標は何か。何と比較するか。**外れ値の除外や集計期間などの「データ抽出条件」はどうするか。**どんな結果なら継続・中止するか。
失敗する前に、何を学ぶつもりなのかを書いておく。
途中で計画を変えることは禁止しません。ただし、元の記録は消さず、「何が起きたため、何を変えたか」を残す。
変更禁止ではなく、上書き禁止です。
当初KPIは動かなかったが、偶然別の指標が伸びたなら、それは新しい発見として扱えばいい。ただし「最初からそこを狙っていた」ことにはしない。
次回の事前仮説にする。
「失敗から学んだ」は、失敗後の文章力ではなく、失敗前の設計によって証明する。
さらに、記録しただけでは組織学習にはなりません。
担当者のローカルフォルダに残ったログは、異動すれば死にます。
過去にどんな仮説を検証し、何が分かったのかを検索できるようにし、新しい企画では過去の類似案件を確認する。
「記録した知識」は資産ではありません。「次の意思決定で再利用できる知識」が資産です。
評価も同じです。
「挑戦を評価する」と言いながら、賞与や昇進が短期売上だけで決まるなら、人は不確実な案件を避けます。
James Marchが整理した「探索」と「深化」のように、新しい可能性を探す仕事と、既に分かっている仕事を磨く仕事では不確実性が違います。
既知性の高い仕事では業績責任を重くする。不確実性の高い探索案件では、事前に学習の評価軸も決め、それを実際の査定や報酬にも反映する。
正しく探索することが、本人のキャリアにとっても合理的になる制度を作る。
理念より、誰が実際に報われたかの方が強いメッセージになります。
5|正解は更新する。でも、何でも変えない
EBMを重視すると、「新しいデータが出たら方針を変えよう」となります。
それ自体は正しい。
しかし毎月方針が変われば、現場は「どうせまた変わる」と考えます。
そこで、私は意思決定を三つに分けて考えています。
一番上の「目的」は簡単には変えない。
その下の「判断原則」は、新しい研究や経験を蓄積しながらゆっくり更新する。
一番下の「戦略・施策」は、事実が変われば変える。
一貫性とは、昨日と同じことをすることではありません。同じ目的に向かって、事実が変われば手段を変えられることです。
責任者自身が、「去年は私が決めましたが、今回のデータなら変えましょう」と言えることも重要です。
ただし、この考え方にも適用限界があります。
P&Gのような日用品と、結果の観測に長い時間がかかるB2B、不動産、インフラでは、同じ速度で判断を更新することはできません。
ゼロイチの探索でも、短期KPIを厳格に求めすぎれば、既に分かっている施策だけが残りかねません。
EBMとは、測りやすい数字だけを高速改善することではありません。
データがまだ少ないなら、断定を弱くする。最終成果が出るまで時間がかかるなら、その途中でどの前提を確認できるかを見る。
エビデンスが少ない領域ほど、探索する余地を大きく残す。
それもEBMの一部だと思います。
6|仕組みそのものも、放置すれば腐る
最後にP&Gへ戻ります。
以前私は、P&Gの組織文化を「選ぶ × 染み込ませる × 強化する」という構造で捉えました。P&G自身がこの数式を使っているわけではなく、採用、Day1、共通の価値観、育成、内部昇進を見て私がそう解釈したものです。
EBMでも同じです。
事実によって判断を変えられる人を重要な仕事に置く。
実務の中で仮説、測定、反証、判断更新を繰り返させる。
そのために企画書、会議、効果測定、意思決定ログ、評価を同じ原則につなげる。
そして、その環境で育った人が次の責任者になる。
ここまでいけば、EBMは個人の知識から組織能力へ変わり始めます。
ただし、一度仕組みを作れば終わりではありません。
レビュー条件は「念のため」で増え続けます。意思決定ログは貯めるだけなら墓場になります。学習を評価する制度も、実際の昇進や報酬と乖離すれば形骸化します。
だから仕組み自体も定期的に見直す。
重すぎるルールは削る。強制レビューの基準が厳しすぎるなら緩める。使われないログは保存方法を変える。制度上は評価されるはずなのに実際には報われていないなら、人事運用を見る。
ルールを追加するときだけ理由を求めるのではなく、残すときにも理由を求める。
EBMを浸透させるための制度だけを、エビデンスの外側に置いてはいけません。
仕組み化とは、すべてを厳格に管理することではありません。
人間の判断だけに任せると間違えやすい場所に、必要な強さのガードレールを置くことです。
担当者編では、一人の担当者が「正しい答えが選ばれやすい環境」を作る方法を考えました。
責任者の仕事は、その担当者が毎回頑張らなくてもいい状態を作ることです。
普通に企画する。普通に会議する。普通に測定する。普通に振り返る。普通に評価される。
その「普通」の中にEBMを入れてしまう。
文化を作るとは、価値観を唱えることではありません。企画書、会議、予算、測定、評価のすべてに、同じ判断原則を埋め込むことです。
EBM浸透の最終形は、社員が「EBMをやろう」と意識することではありません。
普通に仕事をした結果、EBM的に考えてしまう仕事の型を作る。
詳しい人を増やすことがゴールではない。
詳しい人がいなくても、より良い判断が残る。
私は、それがEBMを組織に浸透させるということなのだと思います。
プロフィール
マーケティング戦略コンサルタントです。 事業会社とコンサルティング会社の両方で、販売・CRM・データ分析・市場調査・需要予測・価格・広告・Webなど、マーケティングの上流から下流まで経験してきました。 このnoteでは、実務と研究を行き来しながら、仕事・キャリア・発信に使える再現性の高い考え方を紹介しています。
詳しい自己紹介はこちら。
自己紹介|実務とエビデンスから、マーケティングの本質を探しています
この記事がおもしろかったら、スキで教えてください。
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権限を持たない担当者が、社内の意思決定者や他部署をどう動かすかを実務経験からまとめています。
参考URL
P&G|企業目的、共有する価値観、行動原則
P&G|入社初日から大きな裁量権を持ち、リーダーシップを発揮。“成長”を加速するP&Gの「Day1」カルチャー
https://jp.pg.com/newsroom/pg-day1/
James G. March|Exploration and Exploitation in Organizational Learning https://doi.org/10.1287/orsc.2.1.71
Amy Edmondson|Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams https://doi.org/10.2307/2666999
PLOS Biology|Ensuring the quality and specificity of preregistrations https://journals.plos.org/plosbiology/article?id=10.1371/journal.pbio.3000937
