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#004 問題の八割は人間 ~エンゲージメント追及の弊害~

風はどこからともなく吹いてきて、どこかへ去っていく。
僕らの人生の大半も、そんな風の通り道にただぼんやりと立ち尽くしているようなものだ

会食の約束は二日後の夕方に決まった。僕はいつもの贔屓にしている小料理屋の暖くぐった。贔屓にしていると言えば響きはいいけれど、実際のところは、最寄りの駅の周辺に気の利いた店なんてものはほとんど存在しないからだ。工場がどっしりと居を構えているその土地には、東京の本社周辺が持つような華やぎのかけらもないし、ファッション雑誌のページから抜け出してきたような若い女性の姿を見かけることもない。僕らは多国籍企業の一員として働いているというのに、まるで本社と工場とでは、別の惑星にでも存在しているかのような乖離がある。文化だって違うし、漂っている空気の湿度そのものがまったく違うのだ。

日中も職場で顔を合わせているというのに、いざこうして二人きりになると、わずかな余所余所しさと同時に、なぜか彼の表情にはむしろどこか晴れやかな響きさえ漂っていた。メニューに目を走らせつつ、僕らはビールとともに、料理を二品ほど飛ばしながらいくつか注文した。もはや、僕たちのどちらにとっても、料理そのものへの関心なんてものはたいして残っていなかった。それはただの、会話の合間に挟むための箸休めにすぎないことを、僕たちは互いに承知していた。

お互いに、どこか冷徹でドライな仕事のやり方をくぐり抜けてきた人間同士だ。僕は遠回しな言葉を捨てて、率直に切り出した。

「達也さん、無理にお誘いしてしまって申し訳なかったです。……率直にお聞きしますが、お気持ちは変わりませんか?」
「はい、退社します」

その瞬間、僕には痛いほどよく分かった。このオセロのゲームは、始まるよりずっと前から四隅すべてに彼の駒ががっちりと置かれていて、僕がどんな奇策を弄したところで、もう二度とひっくり返ることはないのだと

「わかりました……。達也さんの将来に向けて、その方向で調整を進めましょう」
「先日、退社の意図を伝えたじゃないですか。なんだか、それから不思議と気持ちがすっかり楽になりましてね」

なぜそんな決断に至ったのかと問い詰めることで、彼をさらに追い詰めてしまうのではないかという僕の懸念は、ただの杞憂に終わった。彼は自らの口で、淡々と、しかし澱みなく自身の内側の思いを語り続けた。
それはまるで、長い間ずっと橋の欄干に引っかかり続けていた流木が、ある夜を境にきれいに撤去され、川が本来のあるべき清らかな流れを取り戻していく光景のようだった。彼の中に流れていた川は、きっと元々が僕が想像していたよりもずっと澄んでいたのだろう。

「人間関係に、ちょっと疲れてしまいましてね……」

ここ四、五年というもの、組織のエンゲージメントという言葉をやたらに耳にするようになった。年に一度、全社一斉に実施されるサーベイの結果が無慈悲に突きつけられ、そこから具体的なアクションプランの提出が容赦なく要求される。僕らが身を置く日本の法人は、例によってご多分に漏れずスコアの数字が決して高くない。日本人特有の遠慮深さなのか、あるいは防衛本能なのか、五段階で回答するアンケートになると、誰もが反射的に真ん中の「3」を選んでしまう。そして後日、本社の人事部からありがたいご指導が入るという寸法だ。同業他社とのベンチマークを引き合いに出され、大手コンサルティングファームが示して見せる業界標準のグラフでは、ほとんどの項目で「4」を超えているのだと献献と教科書通りの説明がなされる。

”職場にベストフレンドはいますか”という問いを目の当たりにするたび、僕の心の中では小さな声が囁く。 ――ベストって、文字通り「BEST」なんだから、たった一人しかいないはずだろ? そんな運命的な出逢いをこの職場に求めている連中がどれほどいるのだろうか、と。

達也は多くのメンバーから確かな信頼を勝ち得ていた。だが、その職場という小さなどんぶりの中には、まるで大昔からの民族紛争に近いような、ねじれた遺恨が根深く巣食っていた。どれほど慈悲深い君主が平和を願ったところで、複雑に絡み合った宗教や歴史の壁を超えて真の和平を結実させることなど、困難を極めることだろう。それに引き換え、本社の人事部は何事もないかのように、「今年度中にはそのあたりをよろしく頼むよ」と言わんばかりだ。やはり彼らと僕らとでは、息をしている惑星そのものが根本的に違うのかもしれない

まあ、どちらにせよ、突き詰めれば世の中のたいていの問題の本質なんてものは、結局のところ「問題の八割は人に起因している」というシンプルな事実に行き着くのだろう。


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