小説連載 森の子~ある少女と、フウシュウ~ 第8話 村人との語らいとリザ(下)
「大丈夫よ、リザ。あたしは、村で生きていくのが不幸だとは思っていないし。村人たちとも、仲良くやっているもの。異国もんはちょっとした好奇心に過ぎないよ」
ジェリービーンズに夢が詰まっているのは、本当だ。あれは、味わった人にしかわからない喜びがある。エマなら、理解しているのではないか。彼女にとって、あのお菓子は家族に注ぐ愛情そのものであるはずだ。ナミにとってあれは、ピリリとした酸味、甘味があって、そして――郷愁を思い起こさせる存在だった。ナミは、この村から一度も離れたことがないのに、郷愁だなんて。おかしな表現だが、一番的を得ている。舌に乗せた瞬間、ナミの内側に木漏れ日を受けて光と溶け合う白髪交じりの女の泣き声が聴こえた。白髪に色味のよく似た黄味色の髪が、ナミの柔い頬を包んで、愛おしそうに体をかき抱く細腕はしっかり温まっていた。……〝かなしい〟顔をした母だ。ビーンズの甘味を舌に乗せたあの時、「母がかなしかったのは、己に降りかかる死ではなく、死が娘に及ぼす害悪だったのだろう」という自然な考えに至った。
〝かなしい〟はずなのに。……ナミの中では、あの日々は暖かな色に満ちていた。――あたしは、ちゃんと幸福だった。
「ナミ。ちゃんと、わかってちょうだい。……あなたは、私の可愛い子なの」
ナミの回答に、リザは満足しなかった。次の日から、キッチンにあったマスタードの小瓶が消えていた。
「だからよぉ、ナミ。あんまり母ちゃんを泣かすなよ。……立派に母ちゃんになろうとする心意気に、敬意が必要だろう?」
トールの声が、ナミを現実に引き戻す。
「『詩集』を書き留めるだけあって、おじさんは、難しいこと言うんだね」
昨晩、ナミの寝床から『異国詩集』が姿を消した。同時に、『詩集』以外の持ち物が、念入りに整頓されてあった。リザがまた俗を払ったのだ。動揺はなかった。あの言葉たちは、既にナミの唇にしっかりと包まれてある。
母親が俗を払うたびに、ナミの内にある何かが蠢く。母親が取り除けない、眼球に貼りついた何か――セミョルの望む破壊より激しい欲――誰も、あたしから俗を奪えない。
「おじさん」
他人を潰しても構わない。この衝動は、何なのだろう。
「あたし、マーシャ様に巫女候補に選ばれたの」
「……んっ?」
トールの揺らいでいた目が、銀色に瞬き、一つ鏡面となる。
「おまえが、マーシャ様に? そりゃ、めでてぇなあ!」
村の定型表現が耳を打つ。
村の「いい人」はやはり、巫女に選ばれることをめでてぇと思うのだ。
「ナミが巫女になるなら、村は安泰だわなぁ」
お婆姉妹の反応は、より俗物的だ。
「ララが巫女なぞ、とんでもねえわ。あんの癇癪持ちが、いつから巫女職を乗っ取ろうと企みだしたんだかあ……。聞いてて寒気のする話だ」
「村長様がぁ、甘やかしただ」
「そうさな」
姉妹の推測に、ナミは笑いをこらえるのが大変だった。甘やかす。……ヌシサマの慈悲深さを理解しているオウルが、我が子に与えられるかもしれぬ慈悲を拒む? そんなことは決してあり得ないからこそ、ララは巫女職に飛びついたのではないか。自己中心的な彼女らしく、誰よりも人間味にあふれている。
「おばあちゃんたちに聞いても、いいことなのか、知らないけど。どうすれば、より良い巫女に、近づけるのかなぁ」
口元に笑みを浮かべて、一言一言浸透させるようにして聞く。より良い巫女、は使い勝手の良い語句だ。強欲なララと対照的な差し障りのない響きに聞こえる。
ナミの利点は、村人の間で認められている優しさと愛嬌の良さ。養父が築き上げてきた人柄に重ねがけした、ルドの娘らしさだと自覚している。
「やっぱり、村に貢献する巫女様だべ。村をいの一番に考える……そう、あんたの父ちゃんみたいな人に近づけばいいね」
「ルドのような」という時点で、ナミを認めている人たちは余程当人を知らないのだろう。村をいの一番に考えてきたルドが誰よりもめでてぇ風習を嫌い、慈悲深き風習として尊ぶ実兄を軽蔑しているのだ。ジェリービーンズに最も惹かれているのは彼だ――ナミは常に見ていた。彼の愛する妻は、見抜いているだろうか。見抜いてもなお、村長に賛同するのか。傷つく夫を横目で知っていてもなお……。
村の誰もが信頼するルドの本質をナミしか知らないとは、『外』の世界風に言えば、これは喜劇だろう。
「父ちゃんみたいにねぇ……」
ナミは今、上手く笑えているだろうか。嘲笑にならないように、気をつけなければ。
お婆姉妹の家を出てから、籠の中のサンドウィッチを風呂敷の上から数えた。いつもより軽い籠の内に、一食分足りないことに気づいた。セミョルの分がない。一瞬浮かび上がった推測は、秋風で粟立つ背筋を大きく震わした。
リザは、何を思って一食減らしたか――もしや、セミョルとの交流を遠回しに断たせるためではないか。
(つづく)
↓ 前後の話のリンクを貼っておきました。
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