小説連載 森の子~ある少女と、フウシュウ~ 第7話 村人との語らいとリザ(上)
「んっ」
くちゃくちゃと唾液混じりの咀嚼が聞こえる。時折合間に、首を傾げるような鼻から声が抜けた。
「これ、異国もんじゃないだろ?」
サンドウィッチを食べ終えると、トールに一言投げかけられた。
「よくわかったね」
「味に深みがねぇな。こりゃあ、どうしちまっただぁ」
「さあ」
むしろこっちが聞きたい。いきなりソヨンとの交流を止めた養母は、マスタードの取引をも停止してしまい、最近のサンドウィッチは異国風味が減っていた。あたしが次代の巫女候補に選ばれたからだろう、とナミは推測している。
それにしても、おかしな話だ。原初から生存していると伝えられるヌシサマのために、巫女候補には少しの俗世間も許されないというのか。ならば、十年前に、異国から輸入されたサンドウィッチに、俗(ぞく)は一片も存在しないのだろうか。
「あ、おじさん。いつもの取引はなしで」
「急にどうしたんでぇ」
トールの曇らぬ硝子の目が、心配そうに細められる。
「別に。……強いていうなら、リザの方針」
「おまえの母ちゃんの?」
「そうよ」
わざわざ言い直された呼び名に、反発はしない。トールはどうしてもあたしに「母ちゃん」と言わせたいらしい、と薄っすら積み重なっていた感情がさらに積み重なっただけだ。
「なあ、俺、お婆姉妹から聞いたんだがなぁ」
マスタードのない、味気ないソースで唇の端を汚しつつ、トールが尋ねてくる。
「ララが、次代の巫女に選ばれたんだってよお」
「へえ」
ララが「噂」を広めて既成事実化を進めていることを、もう一方の候補が「噂」で知る。……村社会とはよくできたものだ。
「そんで、マーシャ様に真偽を確かめたんだよ。そしたら、あの方が『候補たちが精を出すのは良きことじゃ』たらなんたら言ってて笑っていたよ。俺、巫女様が笑うと、なーんか嫌な予感がするんだよ。……あっ、なんだ。まだ候補なのかぁ」
口を挟ませず、早口で喋るうちに、トールの考えはまとまりを見せ始める。
意外にも、マーシャは「いい人」代表には好かれていないようだ。
「他の候補もいるってか。巫女様だから、未婚の娘たちの誰か――しっかし、あのわががま娘は、巫女って柄じゃねえな、大好きなノギと結婚できねぇのによ……なんでそんなにはりきっているんだか――」
トールの言う通り、ララはノギをどうするつもりだろう。今彼と近しい村娘は、ナミぐらいなものだが、ララに正面切って牽制されることはなかった。同時に、ララが持つ「巫女」の意味合いを思う。ナミとララが共有できる利点は、「巫女」になればヌシサマにコロされる恐怖は取り除かれることだ……と簡単な推測を思い浮かべる。不利益が生じるとしたら、「巫女」を担うこの先数十年もの間、「巫女」を担う前に築いてきた大切な人たちをコロされる恐怖が付きまとうことだろう。己の人生を断たれるのと、心の拠り所となる肉親や親しい知人たちが己の人生から退場していくのと――どちらがより辛いのだろう。
そもそも、本当に自分は『異国』に行く決心がついているのか。コロされぬ可能性に釣られて、このままトールやお婆姉妹やじじぃの世話を続けて、いつの間にかヌシサマに選ばれてしまうのではないか。後三年というヌシサマの一方的な約束に勝手に安心し、日々を生きている自分がいる。こんな安っぽい思考にふけっていられるのも、年終わりの「成人の儀」の直前までだ。
「成人」してしまったら、ヌシサマにコロされる候補に加えられてしまう――。
セミョルの家で知識を吸収して理解できたことは、『内』側の人間が『外』側の人間に反転する事例は、今まで一度もなかったということだ。
「なあ、ナミの方には、そういった話は来なかったのか? 俺にしてみりゃ、ナミの方がよっぽど『巫女』にふさわしく見えるぜ」
ふさわしいといったら、リザだろう。リザが巫女だったら、きっとマーシャのような立ち姿で、粛々と人柱を捧げる。村人の心を均すように、人柱の抱える不安をも浄化してしまう。その役目を己の使命だと、穏やかな心持ちで引き受けるだろう。……そう思うと、秋風に冷やされた指先に細かな静電気が走る。これは、たぶん……嫌悪だ。
「巫女をするなら、リザの方が似合っているわ」
ナミの声が、冷え込んだ空気に響く。
「それは、どうだろう。……リザには、ルドの奥さんの方が似合ってるんじゃないか?」
トールの声が妙に高かった。その違和感に、彼の顔を見上げると、硝子の目が揺らいでいる。曇りはせず、光を含んで潤んでいた。
「今やこの村のガキ世代の結束は、バラバラになっているが、俺たちの頃、知り合いの子供は皆親友だった。だがリザは内気な奴で子供たちの輪から離れてて、ルドと……ジークとか言ったっけ? その二人といる時だけは、そこら辺の悪戯っ子並みにはしゃいでいたんだ。うん、とにかく、ルドがいるから、リザはリザなんだよ」
ナミは、眼裏に自分の知る養父母を描く。ナミがジェリービーンズを食べた、と妻に包み隠さず話すルド。あれは夢でできた菓子だから食べちゃいかん、とナミにではなく妻に向かって喋るルド。夫の一言一言に口角を淡く上げて、時折パンを一欠片(ひとかけ)口元に運ぶリザ。食事を終えてから、先程の夫の言葉を綺麗に均(なら)して作った優美な台詞を、ナミに言い含めるリザ……。
「あなたの父ちゃんは、『異国』への憧れを止めろとは言っていないわ。憧れるせいで、村社会に絶望するんじゃないかと心配してるのよ。……父ちゃんが守ってきたこの村を嫌わないでちょうだい。ね?」
違う。あなたが言いたいことはそれじゃない。あなたは、あたしから親を奪った『村』を憎むのではないかとずっと恐れているんだ……本音は口に出せるはずもない。ナミは、とっくにこの村に絶望している。それがちっとも『異国』のせいではなく、風習のせいでもなく、親を理不尽に失ったこの村全てのせいだと知れば――完全な『内』の人間である養母は苦しむだろうと容易に想像できた。
(つづく)
↓ 前後の話のリンクを貼っておきました。
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小説連載 森の子~ある少女と、フウシュウ~ 第8話 村人との語らいとリザ(下)|鷺沼 新
