小説連載 森の子~ある少女と、フウシュウ~ 第17話 記憶とフウシュウ(上)

#小説 #連載 #森の子

 祭壇の上に立つマーシャの祈祷が、緑多き『森』の入り口をゆるゆると震わした。
 『森』は、沈黙している。ヌシサマの存在をあやふやにするほど静かに横たわっていた。
「我らの祈りを聞きたまえるヌシ神よ
 村の大地より生まれし我らが子を愛したまえ
 我らが子の成年は ここに始まれり
 三つの魂は ヌシ神に引き合わせ
 一つの魂は 巫女となりその人生を捧ぐべし
 三つの魂よ 前へ!」
 マーシャが小刀を握って、『森』に生える一本の樹木に傷を付けた。
 ナミは、はっと息を呑んだ。樹木の傷から、人と変わらぬ鮮血が一筋垂れていた。
 まるで人間。植物なのに。その時、ふっとニコラの花を思い出した。ヌシサマは、人柱を植物の種に変える――とセミョルは言った。
 この樹木は、「元人間」なのか?
 ニコラの亡骸に思いをはせた。何千とある樹木のどれがニコラなのか。または、この樹木群れの中にナミの実母がいるのだろうか。
 ナミの前に、三つの魂が横一列に並んでいる。
「ララ」
「はい」
 ララが壇上に立ち、小刀で指先に傷を付けていく。ぷっくらと膨れた血の粒が現れると、巫女はその指を樹木の傷に添わせた。
「妾の言う通りに繰り返せ」
 ララが頷くと、老巫女は文言を唱え始めた。
「我らは森の子 ララは成年を迎え 森に仕える者なり」
「我らは森の子 ララは成年を迎え 森に仕える者なり」
 『森』の天辺にたたずむ太陽が、祭壇を柔らかな黄味色に染めていた。
 三つの魂と一つの魂が儀式を終える頃、太陽は沈むだろう。
「ヌシ神よ 我に力を与えん 喜びを授けよ 我が命をヌシ神の許す限り 生かしたまえ」
「……我が命をヌシ神の許す限り 生かしたまえ」
 ララの表情は、曇りなく澄んでいた。良くも悪くも素直な彼女の気質を、ヌシサマは見透かしているだろうか。
「ノギ」
「はい」
 ノギが祭壇に上がる。墨で紋様を描いた彼の顔色は、風に吹かれれば倒れるぐらいに悪かった。
「我らは森の子 ノギは……」
 我らは森の子ノギは……と丁寧に唱えていく。そこに喜びはなかった。彼は、今でも『内』に入りたいのだろうか。本当にヌシ神に仕えたいと思っているのか。
「ヨウコ」
「はい」
 祭壇に現れたヨウコの姿に、その場にいた一定数の大人が自然と息を潜めた。
「我らは森の子 ヨウコは成年を迎え 森に許しを請う者なり」
「我らは森の子 ヨウコは成年を迎え 森に許しを請う者なり」
 ヨウコだけ、文言が違っていた。
「ヌシ神よ 我に生きる術を与えん 我は罪を拭うて生きるべし」
 周囲に隠されてきた年数の分、文言は長かった。
「罪を拭いし日に 我が命をヌシ神の思うがままに 与えんとす」
「与えんとす」
 ヨウコが呟いた瞬間、木から流れる赤い樹液が、彼女の指の傷を覆った。
 周囲にどよめきが起きる。たぶん、安堵のため息。
 傷の代わりに、ヨウコの人差し指に赤い指輪が巻きついている。
 三年後の人柱が、巫女の呪言で定められたのだ。
「めでてぇ」
「めでてぇなあ」
 村人たちが歓声を上げた。誰もが身内の誰かが選ばれなかったことに喜んでいた。ルドの顔を盗み見ると、その顔には罪悪感に揺れている。
 ナミの心が、重く沈んでいくのがわかった。
 イオレが選ばれたあの日と同じことが、頭をよぎった。
 村の大人は、皆嘘つきだ。
「一つの魂よ!」
 マーシャの叫びが、歓声を切り裂いた。
「前へ」
 ナミは、祭壇へ向かって歩く。
 異様な興奮を抑え込んだ空気を、重い体と心で突き進む。
「妾の言う通りにせよ」
 無言で頷き、差し出された小刀で自らの指を薄く切る。刀をマーシャに返すと、彼女自身もその指に傷を付けた。
「我はヌシ神の子」
「我はヌシ神の子」
 その台詞を口にした瞬間、頭の奥で何かが爆ぜた。

(つづく)

↓ 前後の話のリンクを貼っておきました。

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