小説連載 森の子~ある少女と、フウシュウ~ 第10話 ソヨンとの会話(上)
朝になると、村の一軒一軒にマスタードなしのサンドウィッチを配る。マスタードなしが気に食わないのか、道具屋のじじぃは最近、「もうお腹いっぱいだ」とサンドウィッチの半分を夕食用に残す。ナミが気づいた変化は、他にもあった。獣肉店のおばちゃんが、サンドウィッチを多めに要求するようになった。増えた分のサンドウィッチには、代金を支払うと言っている。山の獣たちが冬眠を始め、肉屋はすっかり食料不足のようだ。『行商人』から肉を買い取るしかない、と寒気で縮こまった目を凍てつかせていた。
「村長さんに、会わんといけないねぇ」
冬は食料不足を補うべく、『異国』を嫌う村人さえ村長の仲介する『行商人』を頼る。おばちゃんが不機嫌なのは、この時季だけ山側の者は、普段は無関係な村長の権力を思い出すからだろう。
「機会があれば、ララに渡しとくれよ」
おばちゃんは帰り際に一言告げると、何かを手に握らせた。
あと一軒で配り終えるところまできて固まった拳を開くと、深紅に染まる宝玉を埋め込んだ一対の耳環だった。ルビイかしら、と久しく訪れていないセミョルの家の書物の絵を眼裏に描いてみる。ルビイは、書物に滲んだ古びた赤インクよりずっと艶やかで、毒々しい。……指の腹に膨らむ傷跡より古びているのに、クラリと誘惑する華があった。――賄賂。そう思うと、吹き出してしまう。村長に権力があるからといって、村長の娘に権力があるとは限らないというのに。山側の人々の無知ぶりに呆れた。
――ララがあたしの立場だったら、ルビイを無断で自分のものとするだろう。でも、あたしは思いついてもやらない。
咄嗟に巡らせた想像に、うなじの辺りが寒くなった。ナミの「『異国』脱出計画」も、同様に起こりえない予感がある。
――予感だと思い込んじゃいけないよ。思い込むと、吉も凶も真実となるからね。
言い含めるセミョルは、とっくに思い込んでいる顔をしているくせに。そう指摘すると、あの皺でひび割れた頬を引き上げた。
――あんたは、若いから。若いと、心持ちでとんでもない行動力を起こせる。……あたしゃ、信じてるんだよ。
彼女の信じているものは若さじゃない、と思っている。彼女の信頼対象は、彼女自身の心から掬い取った苦みを共有できる他人なのだ。
「ノギは、いないの。会いたかったかしら?」
代わりに応対したソヨンは、冬に似合わぬ薄い生地でできた衣装に身を包んでいた。くるぶし辺りのレースが透けていて、光沢のある革靴から覗く白い足は雪のように寒々しい色をしている。
「ありがたく頂戴するわ」
ナミから受け取った風呂敷の結び目を桃色に染まった指先でほどく。ただし、指の爪は皮膚とは対照的に灰色にくすんでいた。
「ソヨンさん、体調よくないの?」
「冬のせいだから、平気よ」
上がりなさいな、とナミの籠を掴む。
「ノギ伝いにしかナミちゃんの近況を聞けなくて。……退屈してたのよ」
退屈の意味合いが、容易に想像できた。ノギが、あまり母親と話していないのだろう。ノギは、『内』の人間じゃない母親のことが嫌いだ。親なのだから、話し合う努力をしてもいいと思うが、ナミはいざ忠告した時の彼の返答を恐れている。
――そっちこそ、リザさんを認めてやれよ。
水掛け論になることは、目に見えている。
ソヨンが指を口元に運び、ふふっと漏れた笑みを隠す。
「変な顔しちゃって、どうしたの」
ルドの愛するリザがやらない仕草で、彼が妻に似ていると思うエマがやる仕草。……そういえば。
「ソヨンさんは、ララと会ったことはありますか」
村八分にされているソヨンと交流する村人は、ナミを含むルド一家と『異国』好きのエマぐらいだ。だから、腑に落ちなかった。
オウルに呼び出された時、同席していたララが父親の嫌う『異国』の仕草をしていた。エマの影響なのか。彼女は仕草の意味を理解して、やったのだろうか。
「よく来るわよ」
半分予測できた回答なのに、なぜか動揺してしまう。
「ララは、ソヨンさんに優しいですか」
ララは、村一番の我儘娘で癇癪持ち。ナミは、彼女をそういう枠に入れていた。
「ララちゃんね」
ソヨンの紅を差した唇が、淑やかに笑う。口元に添えた灰色の爪に、紅が付いた。
「とってもいい子よ。あの子、初対面の時から『外』の世界に詳しかったわ」
あのララにエマの影響があることに驚いた。――ナミの中では、ララは父親にべったりな印象だった。
「周りの人は、ララがここに通っているのを知っているんですか」
「お隣の材木屋さんと……あとジークさんならご存じよ」
「ジークさん?」
ジークとヨウコ父子が、村内で「いない者」として扱われている――と最近知ったから、これにはますます動揺した。ルドにヨウコの話を振った時、珍しく養父の声色が低くなったのだ。
「よせ」
めでてぇ宴会の時同様の、かすれた声で言葉を連ねた。
「ジークはルナを亡くして以来、塞ぎこんでいるんだ。これ以上兄貴に取り上げさせねぇよ」
その時に悟った。
「オウル伯父さん、もしかして知らないの」
ヨウコのこと、と自然と声を潜める。
(つづく)
↓ 前後の話のリンクを貼っておきました。
小説連載 森の子~ある少女と、フウシュウ~ 第9話 出会い|鷺沼 新
小説連載 森の子~ある少女と、フウシュウ~ 第11話 ソヨンとの会話(下)|鷺沼 新
