志賀の波の絶えるまで —— 「千代に八千代に」*志賀島の記憶8
舞能ヶ浜に響く神楽と、磯良の登場
7日7晩、舞能ヶ浜で鳴り響いた神楽。
その音色に誘われるように、ついに海が割れ、海底から安曇磯良(あずみのいそら)が姿を現します。
顔にフジツボや貝がつき、異形の姿をしたその神は、安曇族が崇める「海の主」でした。
龍宮からの至宝「潮満珠・潮干珠」
磯良が皇后に手渡したのは、龍宮の秘宝「潮満珠(しおみつるたま)」と「潮干珠(しおひるたま)」。
これは単なる武器ではなく、海の満ち引きを操り、自然の理を味方につけるための「聖なる鍵」でした。
この宝玉を手に、皇后は安曇族の船団とともに玄界灘へと漕ぎ出します。
「山褒め祭」の歌と、永遠の誓い
この時、海底から現れた安曇磯良、そして彼を迎え入れた安曇族を讃えて歌われた言葉が、今も志賀海神社の「山褒め祭」で唱えられています。
神功皇后はこの時
「この志賀島の波が、消えてなくなるまで伝えよ」
と申されたそうです。
時を超えて伝承される、生きた神事の詞。
その一節をご紹介します。
神事の中で、社人(古老)たちはこう唱えます。
「あゝら よいやま しげったやま」
山を誉め称え、たとえ酔い伏せていても
「志賀三社 志賀大明神のちからをもって 一ぴきたりとものがしはせぬ」
と鹿を狩り、
「よせてつる」「いくせでつる」
と鯛を釣る様子を勇ましく表現します。
海と山、そのすべての恵みに感謝を捧げたあと、詞はこう続きます。
「きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで」
この世界が、志賀の波が絶えることなく打ち寄せるように、永遠に平和でありますように——。
勝馬の浜で交わされたこの誓いこそが、私たちの知る「君が代」のルーツであり、安曇族が皇后へ贈った最強の言霊(ことだま)だったのです。
かつて舞能ヶ浜で皇后が舞い、磯良が現れたあの夜。
安曇族が捧げたのは、戦うための軍歌ではなかったと思われます。
山が茂り、獲物が溢れ、波が穏やかに寄せ続ける。そんな「当たり前の豊かさ」が永遠に続くことを信じて疑わない、力強い「言祝ぎ(ことほぎ)」だったのです。
この「お祝いの歌」を背負って海を渡ったからこそ、皇后は困難を乗り越え、無事に宇美での出産という「最高の慶事」へと辿り着けたのかもしれません。
▼志賀海神社「山褒め祭」の様子(福岡黄金ロード YouTubeより)
古今和歌集
「君が代」の歌詞は、平安時代に編纂された日本最初の勅撰和歌集、『古今和歌集』の中に「読人知らず(作者不明)」の短歌として収められているものが原典となっています。
平安時代初期(905年頃)、醍醐天皇の命により紀貫之(きのつらゆき)らによって編纂された和歌集です。
当時の宮廷文化の粋を集めたものですが、その中に作者のわからない「読人知らず」の歌が含まれているのは、それが特定の個人の作品ではなく、古くから民衆の間で、あるいは神事の中で大切に唱え継がれてきた「共通の祈り」だったからに他なりません。
志賀島で交わされた安曇族の「言祝ぎ」が、波に乗って都へと伝わり、和歌という形になって『古今和歌集』に刻まれた。
そして今、私たちが歌う国歌へと繋がっている……。
志賀島から香椎へ、そして薩摩を経て全国へ。
諸説あると言われていますが、Wikipediaにこのようにありました。
この「筑紫の神楽」から始まったという説は、この地に立ち、今も変わらず響く山誉祭の歌声を聴くとき、最も納得のいく真実として心に響きます。
志賀海神社の亀石
伝説によれば、彼女は安曇の神が遣わした『黄金のカメ』の背に乗り、光り輝く海を渡って帰ってきたとも言われていて、その時、皇后を背負ってきたカメが石になったと言い伝えられているのが、志賀海神社の境内にある「亀石」です。

宇美(うみ):神話が「命」に還る場所
戦いののち、和布刈(北九州 の和布刈神社)で宝玉を海へ還した皇后は、福岡県宇美町(現在の宇美八幡宮)へと辿り着きます。
ずっと腰に石を巻き、国を守るために出産を遅らせてきた彼女は、ここでようやく一人の「母」に戻りました。
「宇美(うみ)」という地名は、彼女が「産み」を終え、安堵した場所。
志賀島で授かった「お祝い(言祝ぎ)」のエネルギーは、時を越え、場所を変え、ここで新しい命——のちの応神天皇の誕生という、最高の喜びへと結実したのです。
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福岡の街に息づく、皇后の足跡と日々の暮らし
宇美での出産を経て、皇后が歩んだ道は今も私たちの暮らす街のあちこちに、地名や思い出として刻まれています。
• 新宮(しんぐう)町
志賀島から戻った際、この地に新しく宮を建てて滞在したことが地名の由来です。
私自身、結婚後17年ほどこの地で暮らし、家族の歴史を刻んできた思い入れのある場所でもあります。
• 小戸(おど)
皇后が戦いから戻り、身を清めるために禊(みそぎ)を行ったとされる場所。ここはアマテラス、ツクヨミ、スサノオという三柱の神々が誕生した地とも伝えられ、今も凛とした清らかな空気が流れています。
ちなみに私が通っていた女子校もこのすぐ近くにあります。
• 香椎宮(かしいぐう)
夫である仲哀天皇を祀り、遠征の無事を報告した場所。
私にとっても、子供たちのお宮参りで訪れた、大切な家族の節目を見守っていただいた場所です。
• 筥崎宮(はこざきぐう)の「筥松(はこまつ)」
皇后が応神天皇を出産された後、胞衣(えな)を筥(箱)に納めて埋め、標として松を植えた場所です。
実は、料理家として活動する私が日頃から愛用している「お櫃」や「曲物」は、この筥崎宮の柿葺(こけらぶ)き薄板の製造を担っている『柴田徳商店』さんのもの。博多の無形文化財として大切にされています。
伝統の技で作られた道具に料理を盛り付けるとき、遠い昔、皇后が大切なものを「筥」に納めた慈しみの心と、どこか繋がっているような気がするのです。

海を介して混ざり合う、ダイナミックな時代
ここで、少しだけ視点を広げてみましょう。
当時の東アジアは、現代のようなカチッとした国境がある世界ではありませんでした。海そのものが巨大な「道(海のシルクロード)」であり、人々はそこを介して激しくぶつかり合い、混ざり合いながら、新しい時代を作っていました。
歴史を客観的に見れば、皇后の遠征も、安曇族との深い繋がりも、そうした大きな歴史のうねりの一つなのだと思います。
志賀島へのアクセス
🚗志賀島へは、福岡市内から車で約40分。
海の中道を通って、陸続きで行くことができます。
🚢また、博多港から船で約30分。
市営渡船時刻表⤵︎
福岡市 福岡市営渡船 時刻表・運賃表
🚃JR西戸崎からは電車が出ています。
🏝️勝馬へのアクセスは、志賀島国民休暇村行きのバスもしくは、勝馬行きのバスに乗れば行くことができます。
もしくは、実家「満帆荘」へご宿泊の方は、志賀島渡船場もしくは西戸崎渡船場、JR西戸崎駅までは送迎があります。

参考文献・関連リンク
• 志賀海神社 公式サイト
(山褒め祭や亀石の由緒について)
• 宇美八幡宮 公式サイト
(応神天皇ご降誕の地、安産信仰の歴史)
http://www.umihachimangu.or.jp/
• 筥崎宮 公式サイト
(「筥松」の由来と、勝負の神様としての歴史)
• 博多曲物 柴田徳商店
(筥崎宮の柿葺き薄板や伝統の曲物について)
• 福岡市文化財データベース:山褒め祭
📢 次回予告
真説・龍宮物語 —— *志賀島の記憶9
神話、歴史、そして現代の暮らし。
すべての点と線が繋がったとき、志賀島が私たちに語りかけるます。浦島太郎伝説へと繋がる龍宮伝説
—— ついにその全貌が明らかに!
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この記事は史料を基に、私(著者)が志賀島の一出身者視点で再構成したものです。
専門家のご意見と異なる場合もありますが、「島の記憶」としてお楽しみください。
