
BYD、部品70%内製の原点はサプライヤーからの拒絶――完成車を分解し、各部門に開発を割り振った2003年
[メンバーシップ限定]中国BYDの執行副総裁、李柯(ステラ・リー)氏は、フランスのインタビュー番組「Liberté by Vant News」に出演し、同社が自動車部品の約70%を内製する垂直統合型メーカーへ成長した経緯を明らかにした。
その出発点は、2003年の自動車事業参入時に直面したサプライヤーとの取引の難しさだった。
当時のBYDは電池メーカーとして一定の実績を持っていたものの、自動車開発の経験はほとんどなかった。エンジンを調達しようとしても、サプライヤーに相手にされず、通常の2倍に相当する価格を提示されることもあったという。
そこでBYDが選んだのは、完成車を購入して分解し、その構成部品を各事業部門に割り振り、自分たちで開発するという方法だった。
李柯氏によれば、現在では自動車部品の約70%をBYDが社内で製造している。
注目されるのは、こうした内製化が単なるコスト削減策ではなかったことである。
BYD創業者の王伝福氏は、たとえ部品の開発に失敗したとしても、その部品に関する知識は社内に残ると考えていた。
外部調達の困難から始まった内製化は、やがて部品の構造を理解し、技術を改良し、複数の機能を統合するための開発基盤へと変わっていった。
2003年、自動車事業に参入したBYDには経験も資金もなかった
BYDは1995年、電池メーカーとして創業した。
李柯氏によれば、創業当初の従業員は約20人、初期投資は35万ドルほどだった。事務所は小さな建物の一角にあり、創業者の王伝福氏も限られた空間で従業員とともに働いていた。
同社は携帯電話向け電池事業を成長させ、2002年に株式上場を実現した。
その翌年、BYDは自動車メーカーを買収し、完成車事業へ参入した。
李柯氏は、当時の王伝福氏が電気自動車の開発を長年の夢としていたと説明する。
電池技術を持つBYDが自動車メーカーを取得すれば、自社の電池を搭載した電気自動車を開発できる。
発想そのものは単純だった。
しかし、実際の自動車開発には多額の資金と膨大な部品、専門的な技術が必要だった。
BYDには、自動車メーカーとしての経験がほとんどなかった。
投資家からも自動車事業への参入を強く反対されたという。
李柯氏によれば、投資家から自動車事業を手放すよう求められ、株価が3日間で半分に下落した時期もあった。
それでも王伝福氏は、将来の自動車産業は電動化へ向かうという考えを変えなかった。
エンジン調達で通常の2倍の価格を提示された
自動車事業への参入後、BYDが最初に直面した問題の一つが、部品の調達だった。
李柯氏は、当時のBYDは規模が小さく、資金力も十分ではなかったと振り返る。
エンジンを購入しようとしてサプライヤーに接触しても、交渉に応じてもらえないことがあった。
取引が可能な場合でも、通常の2倍に相当する価格を提示され、研究開発費などの追加負担も求められたという。
さらに、部品の供給まで12カ月程度のリードタイムを提示されることもあった。
自動車開発を始めたばかりの企業にとって、こうした条件は大きな負担となる。
李柯氏自身も、王伝福氏とともにスペインやブラジルを訪れ、部品サプライヤーとの交渉を試みたという。
しかし、必要な部品を望む条件で確保することは難しかった。
そこでBYDは、外部から購入することを前提とした開発方法を見直した。
李柯氏は、当時の判断を「誰も私たちを十分に支援してくれないのなら、自分たちで作ろう」という趣旨で説明している。
現在のBYDを特徴付ける垂直統合は、最初から完成された戦略として導入されたのではない。
自動車産業への新規参入企業が、既存のサプライチェーンに十分アクセスできなかったことへの対応として始まったのである。
完成車を分解し、各事業部門に部品を持ち帰らせた
李柯氏が紹介したエピソードのなかでも、特に興味深いのが部品開発の始め方である。
BYDは市場から完成車を一台購入した。
そして、その車を部品単位まで分解し、取り外した部品を床に並べた。
各事業部門の責任者を集め、それぞれの部品を確認させた。
自分たちの部門で製造できると思う部品があれば、それを持ち帰るよう求めたという。
半日ほどすると、並べられていた部品の多くが各部門に引き取られた。
しかし、ここには大きな問題があった。
部品を引き取った担当者の多くは、自動車部品の開発経験を持っていなかったのである。
それでも、自分の部門で製造すると引き受けた以上、開発を実現しなければならない。
各部門は、必要な知識や人材を集め始めた。
自動車関連分野を学んだ大学卒業者を採用し、業界経験者を探した。
適切な人材が見つからない場合には、退職した技術者や専門家にも協力を求めたという。
現在の自動車メーカーであれば、部品ごとに専門サプライヤーを選定し、性能やコスト、納期を調整する方法が一般的である。
これに対し、当時のBYDは、完成車を分解することで必要な部品を把握し、各部門が自ら製造能力を獲得するという方法を採った。
この過程で、BYDは自動車を構成する部品について、設計、製造、人材育成を社内に蓄積していった。
「失敗しても部品の知識が残る」という王伝福氏の考え方
李柯氏は、内製化の過程で王伝福氏が重視していた考え方も紹介した。
すべての部品について、最初から業界最高の製品を作れるとは限らない。
しかし、自社で開発を試みれば、その部品の構造や技術を理解できる。
仮に開発が成功しなかったとしても、得られた知識は社内に残る。
李柯氏によれば、王伝福氏はこのため、部品の自社開発には失敗した場合にも価値があると考えていた。
ここに、BYDの垂直統合を理解する重要な視点がある。
内製化の目的を、外部から購入するより安く作ることだけに置いていないのである。
自社で部品を開発すれば、部品の内部構造や製造工程、性能を左右する要素を理解できる。
その知識は、次の製品開発や技術改良に利用できる。
さらに、複数の部品を組み合わせる際にも、個々の部品の仕組みを理解していることが強みとなる。
外部調達では、サプライヤーが持つ技術を利用できる一方、その技術の詳細まで完成車メーカーが把握できるとは限らない。
BYDは、必要な部品を自分たちで開発する過程を通じて、部品そのものと、それを改良するための知識を社内に蓄積してきた。
李柯氏が説明する垂直統合は、製造設備を保有することだけでなく、技術的な理解を社内に持つことでもある。