サザンソウルはR&Bではない ひとつの新しいジャンルとしての現在地
「サザンソウルはR&Bの一種ですか?」
この問いに、もうYESと答えられなくなった気がする。
Daddy B. Niceと出会い、noteを書き、調べ続けた先に辿り着いた、ひとつの結論。
YESと答えられなくなった日
もし誰かに「サザンソウルってR&Bの一種ですか?」と聞かれたら、あなたはどう答えるだろう。
少し前の自分なら即答できた。
「そうやな、R&Bのサブジャンルの一つやで」と。
疑う余地もなかった。
ところが、Daddy B. Niceのサイトを読み込み、曲を掘り、noteに書き、また掘る.…
この繰り返しの果てに、その即答ができへんくなった。
正確に言えば、YESと答えることへの違和感が積み重なって、ある日それが確信に変わった。
サザンソウルは、もはやひとつの独立したジャンルになったんちゃうか。
と、そう思い始めた。
「独自進化した」の先にある問い
以前のnoteで「サザンソウルは人知れずガラパゴス進化を果たした」と書いた。
メジャーの目が届かない南部の現場で、チタリン・サーキットという独自の流通網を持ち、外圧なく進化し続けた音楽。
それがサザンソウルや、と。
では、何が混ざって、どう進化したのか。
そこを今回は掘ってみようと思う。
サザンソウルが、間違いなくR&Bを出発点とした音楽であることは今でも自信を持って言える。
ベースにはR&BとBluesという、すでに完成されたジャンルがある。
そこは疑いようがない。
しかし、その「完成された音楽」の上に、いくつもの別の何かが混ざり合った。
その結果として生まれたものを、まだR&Bの一種と呼べるだろうか。
サザンソウルのDNAを分解する
R&Bのシンガーが幼少期にゴスペルを歌っていたケースは多い。
魂を揺さぶる歌唱の本質を、教会という場所で叩き込まれてきた。
そこに成長とともにBluesやR&Bという世俗の音楽を吸収していく。
これが「性と聖の表裏一体」の正体。
そして現行サザンソウルは、そこからさらに混ざり続けた。
R&B / Blues
すべての出発点。感情を声に乗せる技法と、痛みを歌にする思想。+
Gospel
祈りの歌唱法。コーラスの重なり、魂を揺さぶる声の質感。
パンツを探す歌でさえ神聖に聞こえる理由。
+
Zydeco
ルイジアナの土着リズム。
クレオール文化が生んだ跳ねるビート。
Trailrideの現場に今も鳴り響く。
+
Country
ビヨンセが再定義した黒人とカントリーの関係。
Trailrideのカウボーイ文化と溶け合って現行シーンを塗り替えた。+
消された歴史
ブラックカウボーイ250年の記憶。
奴隷制から始まり、歴史書から消され、しかし音楽の中に生き続けてきた魂。
これらを全て足したのが
=現行サザンソウル ひとつの新しいジャンル
ということやないんやろか。
2024年、ビヨンセは『COWBOY CARTER』でカントリーという「白人の音楽」とされてきたジャンルに黒人の文脈を取り戻した。
世界中がそれを「革命」と呼んだ。
しかしサザンソウルの現場では、それはずっと前から当たり前のことやったと。
歴史的にはアメリカのカウボーイの4人に1人は黒人だったとも言われている。
しかしその事実は長く隠されてきた。
ブラックカウボーイの文化、Trailrideのラインダンス、カウボーイハットとダメージデニム、そしてブーツ。
サザンソウルはビヨンセより先に、黒人とカウボーイの関係を音楽として体現し続けとった。
ビヨンセが「再定義」したことで、世界がようやくサザンソウルの現場に追いついた、とも言える。
これだけのものが混ざり合えば、もう「R&Bの一種」という言葉では括れへん。
それぞれが独立したジャンルとして確立されているものが、南部という土地を器に溶け合った結果として生まれた音楽。
そう捉えた方が、今の現行サザンソウルをより正確に説明できる。
これは新しいジャンルだ
音楽の歴史を振り返れば、新しいジャンルはいつもそうやって生まれてきた。
Classical→Jazz→Blues→Rock→Soul→R&B→Hip-Hop→Southern Soul ?
既存のものが混ざり合い、土地と時代の文脈を吸収し、独自の文法を持ち始めたときそれはもう新しいジャンルと呼んでええ。
現行サザンソウルは今、その臨界点を越えつつある。
803FreshがBillboardの首位に立ち、Jake Carterという白人シンガーがチタリン・サーキットで認められ、Trailrideのラインダンスが全米に広がる。
これはR&Bシーンの出来事ではない。
もっと大きな何かの出来事やろ。
きっと現行サザンソウルは、新しいジャンルになりうる力がある。
新しいジャンルになりうるストーリーがある。
それでも彼らは「ジャンル」とは呼ばない
現地アメリカでも、サザンソウルはまだ市民権を得たとは言い難い。
メディアはようやく振り向き始めたばかりで、Billboard首位という快挙も「一過性のバイラル」と片付けようとする声がある。
でも現場のアーティストたちは、ずっと前から自信を持って「サザンソウル」と呼んでいた。
チャートに乗ろうが乗るまいが、誰かに認められようが認められまいが、彼らにとってそれは最初から自分たちの音楽だった。
もちろん、昔からの「サザンソウル」とは違う。
でもそこには先人たちへのリスペクトを込めながら、進化した音楽を同じ名前で呼び続けるという、静かな誇りがあるんやろな。
奴隷制から始まり、ブラックカウボーイとして消され、ゴスペルで魂を磨き、ブルースで現実に抗い、R&Bで洗練された。
そのすべてが溶け合って生まれた音楽が、今Billboardの首位に立っている。
数年後には、サザンソウルも世界で市民権を得ているかもしれない。
King GeorgeやTonio Armaniが来日する日が来るかもしれへん。
(広島にはこんやろうけど笑)
日本で、同じ目線でサザンソウルを語り合える人に出会える日が来るかもしれない。
そんな思いを抱きながら、今日もnoteを書いてみました。
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