肩の力を抜くことを覚えた、アラフィフの何もしない数日間
何もしなかった数日間のこと
ここ数日、私はほぼ何もしていない。
家ではずっとパジャマのまま、
ソファと静かに融合していた。
もはや家具。意思のあるクッション。
冷蔵庫を開けると、
そこには夢も希望もほとんど残っていない。
「買い物、行ったほうがいいよ」
という冷気だけが、やけに正論を言ってくる。
でも私は聞こえないふりをして、
なんとかあるもので食いつないだ。
人間は意外としぶとい。
家事も、
「どうせこれからしばらく休みだし」
という魔法の言い訳を盾に、
きれいに明日へと先送り。
YouTube、Amazon、Kindle。
ギャグ漫画で笑い転げ、
ゴロゴロ、ゴロゴロ。
予定も成果もないけれど、時間だけは一丁前に過ぎていった。

電気毛布に包まりながら、一日中化石のように動かなかった。
夫が帰ると、この席は夫に奪われる。
そんな時は仕方なく、自室のベッドで寛ぐ。
何もしなかった日は、ご褒美の日
何にもしなかった日って、誰にでもある。
でもこれは、
いつも頑張ってる人にだけ与えられる、
たまのご褒美の日なんじゃないかと思う。
自分を癒すための、
心の洗濯日。
洗剤は「まあいいか」。
がむしゃらに頑張ってきた理由
私はどうも、がむしゃらに頑張りすぎる。
何かに焦らされているような、
不安を消したいだけのような。
人に言われたことを気にしすぎるし、
人と比べていないと、
自分の存在位置がGPSロストする。
たぶん、夫が
「年収で人を判断するタイプ」だった影響もある。
(今はだいぶ丸くなった。人は変わる。稀に)
昔の何気ない一言や、
「もっと働いてる人はいくらでもいるのに、
私はこれしかできていない」という自己嫌悪。
そういうものに、
ずっと背中を小突かれながら生きてきた。
肩の力が抜けた、ある一言
お金を、より多く稼いでいないと、
自分の価値が見えなくなる。
そんな呪文を、いつの間にか唱えていた。
でも周りを見渡すと、
色々抱えながらも、無理なく働いている人なんて山ほどいて、
みんな案外、
そのことで自分を責めていない。
なんだ、私だけ必死だったのか。
この前、仕事を減らすときに、
元モラハラ夫が
「子育てしながら、家事して、自分のペースで働いていたら十分だと思う」
なんて、急に模範解答みたいなことを言った。
塩対応な人の、塩らしくない一言。
だから余計に胸に残ったのかもしれない。
その瞬間、
「あ、もうそんなに焦らなくていいのか」
と、肩の力が抜けた。
やっと、自分の存在価値を
他人の物差しじゃなく、
自分で測っていい気がしてきた。

料理好きの母は最近お稲荷さんを作るのにハマっていて、時々お裾分けしてくれる。
ここに味噌汁と和え物をプラスするだけで、ラクチンさせてもらった。
母へ感謝✨
味噌汁の具は、もやし、小松菜、カニカマ、長ネギ、卵。
味噌は麦味噌。
以前夫の転勤で愛媛にいたことがあり、そこで麦味噌に出会った。
優しい甘さが久しぶりに食べたくなって購入。
やっぱり美味しい😋
楽に生きてもいいと思える年齢になって
今さらだけど、
そんなこと、気にしなくてもよかったんだよね。
本当に、私って気にしいだなと思う。
でもまあ、
そんな生きづらさを持って生まれたこと自体は、
そこまで悪いことでもない気がしている。
その分、人には見えない景色を
見てきたんだと思うから。
アラフィフになって、
自分に課すハードルを
そっと地面に下ろすのが上手くなってきた。
若い頃は、
先が見えない山道を、
息を切らしながら登っている感じだったけど、
最近はようやく、
「あ、頂上あの辺だな」
と分かって、ペースを落とせるようになってきた。
だから若い人を見ると、
勝手に親戚のおばちゃん目線になる。
大変だろうな。
無理しすぎないで。
ほどほどでいいんだよ、って。
引き出しひとつ分の目標
本当は、今年中に断捨離したい。
大掃除なんて立派なものじゃなくていい。
引き出しひとつ分くらい空けば十分。
そして、
「今年の断捨離」というお題に、
こっそり参加したい。
それを、
今年残り数日の目標にしよう。
全部できなくてもいい。
途中でお茶を飲んで、
またソファに戻ってもいい。
もう少し自分のペースを大事にして生きて行こう。
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