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1689年第二ロンドン・バプテスト信仰告白 第4章 『創造について』——緒論

Chapter 4   Of Creation  ——Introduction


聖書は、なぜ「神は世界を造られた」という一言では終わらず、創造についてこれほど丁寧に語るのだろうか。そして、17世紀の信仰告白は、なぜその聖書の簡潔さをさらに超えて、創造について三つもの項を割いて語る必要があったのだろうか。この章を開くとき、私たちはまず、この二重の「なぜ」に立ち会うことになる。

見取り図——この章はどこに位置するのか

1689年第二ロンドン・バプテスト信仰告白は、第3章で「神の永遠の聖定」——神が世界の始まる前から、すべてのことをあらかじめ定めておられたという教理——を語り終えたばかりである。第4章は、その計画が時間の中で初めて実行に移される瞬間を描く。聖定が「神の心の中の計画」であるとすれば、創造は「その計画が現実になった最初の出来事」である。この章の後には、第5章「摂理について」(神が造られた世界をどのように治めておられるか)、そして第6章「人間の堕落について」が続く。つまり第4章は、計画(聖定)と実行の破綻(堕落)という二つの大きな出来事の、ちょうど間に置かれている。

第4章という章題は「創造について」という一語で示されるが、この章が実際に扱う範囲はそれより広い。単に「世界が造られた」という出来事だけでなく、造られた世界の頂点である人間がどのような存在として造られたか、そしてその人間が神からどのような具体的な状況に置かれたかまでが、この一つの章の中に含まれている。

この章が書かれた歴史的な状況にも、一言だけ触れておきたい。この章の文言の骨格は、1646年にイングランド議会の招集によって開かれたウェストミンスター会議で確定されたものであり、清教徒革命という激動の時代のただ中で、国家教会の刷新を目指して書かれた。1689年信仰告白は、それから三十年以上を経て、非国教徒として国教会の外に立つバプテストたちが、自分たちの正統性を示すために、この伝統をどう受け継ぎ、どう自分たちの言葉にし直したかを映す文書である。

この章を読み進める上で、あらかじめ軽く触れておきたい言葉が二つある。一つは「聖定」——先に述べた通り、神が世界の始まる前に立てられた計画のことである。もう一つは、この章で問題になる「無からの創造」——神が、既にあった何かを材料にして世界を組み立てたのではなく、文字通り何もないところから世界を存在させた、という考え方である。この言葉が、実は本文の中でどう扱われているかには、後の分析で触れる興味深い論点がある。

なぜ、今この章を読む価値があるのか

この章が語る教理は、告白全体の中で静かに、しかし決定的な役割を果たしている。もし世界が「非常に良い」ものとして造られたのでなければ、後に続く堕落論——なぜ悪がこの世界に入り込んだのかという問い——は、その足場を失ってしまう。創造論は、堕落論が成り立つための前提を静かに用意している。

歴史的に見ても、この教理は決して当たり前のものとして素通りされたわけではない。三位一体の神——父・子・聖霊——が共に創造の主体であるとわざわざ明記すること、そして被造世界そのものが「非常に良い」ものであったと結ぶこと。この二点は、当時のヨーロッパに存在した、キリストの神性を疑う立場や、物質世界そのものを低次で悪しきものとみなす立場に対して、無言のうちに一線を引く機能を持っていた。この章が、何に対して静かに「否」を突きつけているのかは、読み進める中で少しずつ見えてくるはずである。

そして、この教理は現代の私たちにとっても他人事ではない。造られたものの価値や目的を、その機能や効率だけで判断してしまう傾向——例えば、AIによる評価や、生産性を基準にした人間観——が広がる中で、「被造物には、それを造った方の意図に根ざした本来の目的がある」というこの章の前提は、静かな、しかし重要な問いを私たちに投げかけている。この問いへの具体的な応答は、各項の分析、および章全体の総括に譲りたい。

この章の構成——三つの項

第1項は、「創造とは、そもそも誰が、何のために、どのように行った行為なのか」という問いに答える。この項が扱うのは世界全体の創造であり、まだ人間には焦点が当たっていない。一見するとどの改革派信仰告白でも判で押したように同じ内容に見えるが、後で一語一語を照らし合わせると、語順や言い回しに意外な違いが潜んでいることに気づかされる。

第2項は、「創造の頂点として、人間はどのような存在として造られたのか」という問いに移る。ここで扱われるのは、もはや世界全体ではなく、人間という一点である——その魂の本性、神との類似性、そして道徳的な能力である。この項では、他の改革派信仰告白には見られない、この告白に特有の言い回しが一箇所挿入されており、それが何を意味するのかは、注意深く読む価値がある論点になっている。

第3項は、「神はその人間に、具体的に何を託し、何を求められたのか」という問いを扱う。第2項が人間の本性そのものを語ったのに対し、この項は、その人間が置かれた試練の状況——一つの具体的な命令——に焦点を絞る。この項は三つの中で最も素直に先行する伝統を受け継いでいるように見えるが、その「素直さ」自体に、実は注目すべき点が隠れている。

この後の読み方について

この後に続く分析は、各項について、本文そのものの読み方、聖書的な根拠の検証、ウェストミンスター信仰告白(1646年)・サヴォイ宣言(1658年)・第一ロンドン信仰告白(1644/1646年)といった先行文書との照合、当時の歴史的背景、告白全体の教理体系の中での位置づけ、そして現代への含意という、複数の観点を順番に辿っていく、やや専門的な構成を取っている。

もし歴史的な経緯や比較の細部よりも、まず教理の中身と現代への意味をつかみたいという場合は、各項の分析のうち、本文の解説部分と終盤の現代的含意の部分を先に読み、比較表や証拠聖句の詳細な検討は後回しにしても、大意を見失うことはない。逆に、信仰告白同士の関係そのものに関心がある場合は、比較の節に特に注意を払っていただきたい。急がず、一項ずつ読み進めていただければと思う。



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高木高正 TAKAGI Takayuki|東松山バプテスト教会 代表・伝道師 皆様のサポートに心から感謝します。信仰と福祉の架け橋として、障がい者支援や高齢者介護の現場で得た経験を活かし、希望の光を灯す活動を続けています。あなたの支えが、この使命をさらに広げる力となります。共に、より良い社会を築いていきましょう。