1689年第二ロンドン・バプテスト信仰告白 第4章1項 『創造について』
Of Creation
Paragraph 1
In the beginning it pleased God the Father, Son, and Holy Spirit,¹ for the manifestation of the glory of His eternal power,² wisdom, and goodness, to create or make the world, and all things therein, whether visible or invisible, in the space of six days, and all very good.³
¹John 1:2–3; Heb. 1:2; Job 26:13
²Rom. 1:20
³Col. 1:16; Gen. 1:31
初めに、父・子・聖霊なる神は、ご自身の永遠の力と知恵と善の栄光を現すために、世界とその中にあるすべてのもの、見えるものも見えないものも、六日の間に創造し、あるいは造ることを良しとされた。そしてすべては非常に良かった。
【使用版・本文上の注意(先に明記)】
本分析では以下の版を用いる。
WCF 1646:apuritansmind.com掲載の1647年版本文(proof texts付き)
Savoy 1658:reformedstandards.com掲載版(proof texts付き)
1689(第二ロンドン):bible-researcher.com掲載の原綴り版、およびreformedreader.org掲載の現代化版の両方を照合。この二版の間で、証拠聖句cの末尾参照が「Gen 2:1,2」(bible-researcher版)と「Genesis 1:31」(reformedreader版、および本分析の対象となったユーザー提供画像と一致)という確認できる相違があった。これは17世紀本文そのものの異読か、後代の編集者による訂正(Gen 2:1,2は誤植の訂正としてGen 1:31に直された可能性)かは、本分析だけからは判定できない。以下の分析は、ユーザー提供画像と一致するGenesis 1:31版を基本テキストとして進めるが、この版差の存在自体を記録しておく。
【この項が答えようとしている問い】
創造の主体・目的・様態・結果を、三位一体論と無からの創造という二つの改革派正統教理の要点を保持しながら、どのように一文で告白するか。
【1689本文を一文で言うと】
三位一体の神が、ご自身の永遠の力・知恵・善の栄光を現すために、六日間で万物(見えるものも見えないものも)を創造し、それはすべて非常に良かった。
【この項が肯定しているもの】
創造は父・子・聖霊、三位一体の神の行為である
創造の目的は神ご自身の栄光の顕現である
創造は六日間で成し遂げられた
創造の結果はすべて非常に良かった
【この項が結果として否定するもの】
※これは教理的機能(Function)の記述であり、著者の歴史的意図(Intention)の主張ではない。
世界が神と共に永遠であるとする立場(機能的否定。意図は未確認)
創造が父のみの単独行為であるとする立場(機能的否定。三位一体論的定式化から導かれる)
被造世界の結果が善悪混淆、あるいは本質的に欠陥的であるとする立場(機能的否定)
【中心となる聖書的根拠】
ヨハネ1:2-3、ヘブル1:2(三位一体的創造の直接的根拠)、創世記1:31(「非常に良かった」の直接的根拠)
【WCFとの最大の差】
「in the beginning」の位置の移動(文中→文頭)、および「of nothing」の省略。
【Savoyとの最大の差】
WCFとの差と同一(後述するように、SavoyはWCFとほぼ同じであるため)。
【1689固有と思われる差】
上記二点は、WCF・Savoyの双方に見られない1689固有の特徴である(詳細は第5節)。
神の主権的・自由な創造行為、三位一体の一貫性、被造世界の本来的善性、堕落論の論理的前提。
第4章1項「創造について」
1. まず1689本文は何を言っているのか
1689本文(bible-researcher.com版、原綴り)
In the beginning it pleased God the Father, Son, and Holy Spirit, for the manifestation of the glory of his eternal power, wisdom, and goodness, to Create or make the world, and all things therein, whether visible or invisible, in the space of six days, and all very good.
文の骨格:
時間的起点:In the beginning(文頭)
主体:God the Father, Son, and Holy Spirit
動詞句:it pleased(〜することが神の喜びであった)
目的:for the manifestation of the glory of his eternal power, wisdom, and goodness
行為内容:to create or make the world, and all things therein, whether visible or invisible
様態:in the space of six days
結果評価:and all very good
この文の論理構造そのものは、後述するWCF・Savoyとほぼ同一である。相違は語順と一語の有無に限られる(第5節で詳述)。本文レベルで新たに導入された教理は存在しない。要約段階で「無からの創造」という語を補って理解することは、本文に書かれていない語を体系神学から逆輸入する誤りになるため、ここでは行わない。「create or make」という二語の並置は、本文それ自体からは「無からの創造」と「既存質料からの形成」の両方を包摂する語法として読めるが、これは本文の論理構造から導ける解釈であり、「of nothing」という語が明示されているわけではないことは区別して記録する。
2. 聖書はどこまでこの告白を支えるのか
証拠聖句(1689、Genesis 1:31版):a. John 1:2-3; Heb. 1:2; Job 26:13 b. Rom. 1:20 c. Col. 1:16; Gen. 1:31

証拠聖句が付いているという理由だけで自動的にAとは判定していない。ヨブ26:13は証拠聖句としての地位を持ちながら、実質的にはCに近い性格を持つことを明示した。
なお、証拠聖句と本文は別々の成立史を持ちうるという原則に従い、この証拠聖句群が1689年の編集者自身の選定によるものか、先行するWCF・Savoyの証拠聖句群からの取捨選択によるものかは、次節で扱う。
3. WCFから何を継承したのか
WCF 4.1(1646年、apuritansmind.com掲載1647年版)
It pleased God the Father, Son, and Holy Ghost, for the manifestation of the glory of his eternal power, wisdom, and goodness, in the beginning, to create, or make of nothing, the world, and all things therein, whether visible or invisible, in the space of six days, and all very good. 証拠聖句:a. Gen 1:2; Job 26:13; 33:4; John 1:2-3; Heb 1:2 b. Psa 33:5-6; 104:24; Jer 10:12; Rom 1:20 c. Gen 1 throughout; Acts 17:24; Col 1:16; Heb 11:3
1689がWCFから継承した要素:
三位一体(父・子・聖霊)を創造の主体とする定式化
「for the manifestation of the glory of his eternal power, wisdom, and goodness」という目的節の文言(ほぼ完全に同一)
「the world, and all things therein, whether visible or invisible」という創造対象の記述(完全に同一)
「in the space of six days」(完全に同一)
「all very good」(完全に同一)
証拠聖句のうち、ヨハネ1:2-3、ヘブル1:2、ヨブ26:13、ローマ1:20、コロサイ1:16は共通して用いられている
これらは教理内容・字句表現の双方において明確な継承であり、Level 0(綴り・語順レベル)に分類される部分がほとんどである。
4. Savoyを通ると何が見えるのか
Savoy 4.1(1658年、reformedstandards.com掲載版)
It pleased God the Father, Son, and Holy Ghost, for the manifestation of the glory of his eternal power, wisdom, and goodness, in the beginning, to create or make out of nothing the world, and all things therein, whether visible or invisible, in the space of six days, and all very good. 証拠聖句:a. Gen 1:2; Job 26:13; Job 33:4; John 1:2-3; Heb 1:2 b. Ps 33:5-6; Ps 104:24; Jer 10:12; Rom 1:20 c. Gen 1; Acts 17:24; Col 1:16; Heb 11:3
WCFとSavoyを比較すると、「create, or make of nothing」(WCF)と「create or make out of nothing」(Savoy)という語句レベルの微差(Level 0、意味上の差はない)を除き、本文・証拠聖句ともに実質的に同一である。「in the beginning」の位置(文中)も両者で一致している。
したがって、比較告白分析の分類規則に従えば——
「WCFと異なるが、Savoyと1689が同じ」という第2パターンは、この項には該当しない。
なぜなら、1689はWCFだけでなくSavoyとも異なっているからである。これは重要な判定である。「in the beginning」の文頭移動と「of nothing」の省略は、会衆派を介した継承ではあり得ない。この結果、分類は次のように確定する。
「WCFとSavoyが同じで、1689だけが異なる」——第3パターンに該当。
この二つの変更は、1689年信仰告白の編集段階(1677年起草時、あるいは1689年再刊時のいずれか、現時点では特定できない)で生じたものであり、Particular Baptist側の編集判断として重点的に検討すべき対象である。
5. 1689はどこを変更したのか

観察:1689は「in the beginning」を文頭に移動している。
解釈:この移動により、1689本文は創世記1:1の語順(「初めに、神は」)により直接的に呼応する構文になっている。文の論理的重心も変化している——WCF/Savoyでは「神の喜び」が文頭主題であるのに対し、1689では「時間的起点」が文頭主題になる。
歴史的仮説:編集者が創世記の文言により忠実な構文を志向した可能性は考えられるが、確認できる一次史料はない。
歴史的事実:現時点で、この変更の理由を直接述べた一次史料は確認できていない。
Level評価:Level 1(Rhetorical)——教理内容は変わらないが、強調点・読後感が変化する。文が何を最初に提示するかという構文上の選択であり、三位一体論・創造の様態・結果評価のいずれの教理命題も変更されていない。

観察:1689は「of nothing」に相当する語句を欠く。
解釈:無からの創造(creatio ex nihilo)という教理を、この一文の中で語彙的に明示する手段を1689は持たない。ただし、この省略が無からの創造の教理そのものを本文から消去したことを意味するわけではない——「create」という動詞自体が、聖書的伝統においてしばしば無からの創造を含意する語として理解されてきたことに注意する必要がある。
歴史的仮説(複数、いずれもPLAUSIBLE以下): (a) 単なる文体上の簡潔化——「create or make」という二語の並置自体が、無からの創造(create)と質料からの形成(make)を包摂すると判断され、「of nothing」を冗長と見なした可能性 (b) 転写・印刷過程での脱落——17世紀の複数版が存在する中で、単純な脱字である可能性 (c) 神学的な意図的省略——ただし、この可能性を積極的に支持する証拠は現時点で確認できていない。また、Particular Baptistsが無からの創造の教理そのものを否定したという記録も確認できない
歴史的事実:どの仮説が正しいかを判定する一次史料(起草委員会の記録等)は、本分析の時点では確認できていない。
Level評価:未確定(Level 1とLevel 2の境界)。無からの創造という教理が、この告白の他の箇所(例えば第2章の神論、あるいは同時代のバプテスト神学者の著作)で別途確認・保持されているのであれば、この省略はLevel 1(修辞的省略、教理内容は不変)にとどまる。しかし、この一文だけを見た場合、無からの創造という教理を明示的に語彙化する機能が失われている点は、Level 2(教理的明確化の省略)に該当する可能性も残る。本分析はこの判定を断定せず、未確定として記録する。

観察:1689はWCF/Savoyの証拠聖句群から相当数を削り、各脚注につき2〜3節程度に絞り込んでいる。特に脚注cでは、WCF/Savoyの「創世記1章全体」という包括的指定から、「創世記1:31」という特定節への絞り込みが顕著である。
解釈:この絞り込みにより、各証拠聖句と告白文言の対応関係がより直接的・特定的になっている。特に「Gen 1:31」への特定は、「and all very good」という文言と創世記1:31の文言(「見よ、それは非常に良かった」)との対応を明確にする効果を持つ。
歴史的仮説:証拠聖句を各文言によりよく対応する形に精選しようとする編集方針があった可能性が考えられるが、これも一次史料による裏付けは確認できていない。
Level評価:Level 0〜1。証拠聖句の変更は、告白本文の教理命題そのものを変更するものではなく、その論証装置(apparatus)の変更である。ただし、証拠聖句と告白本文は別々の成立史を持ちうるという原則(framework第2節)に従い、本文の字句変更(差分1・2)と同じ強さの「編集意図の証拠」としては扱わない。
6. その変更理由はどこまで分かるのか
上記三つの差分について、観察・解釈・歴史的仮説・歴史的事実を改めて整理する。
観察(ESTABLISHED):三つの差分(「in the beginning」の位置、「of nothing」の有無、証拠聖句の絞り込み)は、WCF・Savoyの原文照合により確認できる事実である。
解釈(STRONGLY SUPPORTED〜PLAUSIBLE):これらの差分が結果として文の強調点・論証構造を変化させているという記述は、本文の文法構造から合理的に導ける。
歴史的仮説(PLAUSIBLE〜SPECULATIVE):これらの変更が特定の神学的意図(創世記の語順への接近、無からの創造の簡潔化、証拠聖句の精緻化)を持って行われたという仮説は、興味深いが、直接の証拠を欠く。
歴史的事実(未確認):1689年信仰告白の起草委員会が、この項についてどのような編集方針を議論したかを示す一次史料は、本分析の時点で確認できていない。
「編集者は〜を意図した」という断定は行わない。代わりに、「この差分は結果として〜という読みを可能にする」という記述にとどめる。
7. Particular Baptist自身の以前の告白と比べると
第一ロンドン・バプテスト信仰告白(1644/1646年)第4条
In the beginning God made all things very good, created man after His own image and likeness, filling him with all perfection of all natural excellency and uprightness, free from all sin.
第一ロンドン信仰告白は、創造論と人間論・堕落論を一つの条項(第4条「Creation and Fall」)にまとめており、WCF/Savoy/1689のように創造を独立した章として詳述する構成を取っていない。三位一体的創造の明示、六日間の明示、無からの創造の語彙化、いずれもこの1644/46年版の該当条項には見られない(ただし同信仰告白の他条項で三位一体は別途告白されている)。
この比較から言えることは、Particular Baptistsの創造論に関する教理内容そのものは、1644年から1677/1689年にかけて実質的な変化を遂げていないということである。変化しているのは、告白の詳しさと構成であり、これは1644年当時のバプテストが簡潔な信仰告白を志向していたのに対し、1677/1689年の起草者たちがウェストミンスター的な体系的詳述のモデルを(Savoyを介して、あるいは直接WCFから)採用したことによる。
したがって、興味深い事実として、『1689年信仰告白の「詳しさ」自体は、Particular Baptist内部の連続的発展というより、ウェストミンスター的モデルの採用による断絶(あるいは拡張)』と見るべきである。ただし、この評価はPLAUSIBLEの水準にとどまる——1644年当時のバプテストがなぜ創造論を簡潔にしか扱わなかったかについて、確実な史料的説明を本分析は持たない。
8. 当時、この教理は何を守ったのか
Function(教理的機能):この本文は、結果として次を肯定・否定する機能を持つ。
三位一体の各位格が創造に関与するという定式化により、反三位一体主義的な創造理解(例えば、御子・聖霊を創造から除外する理解)を機能的に排除する。
「all very good」という結語により、被造物本質悪論・二元論的世界観を機能的に排除する。
「it pleased God」という構文により、創造が神にとって必然ではなく自由意志の行為であるという理解を機能的に肯定する。
Intention(歴史的意図):これらの機能が、実際にどの論争相手を念頭に置いて書かれたかについては、この項単独の史料からは確認できない。WCF自体の成立過程(1643-1646年、ウェストミンスター会議)において、ソッツィーニ派・反三位一体主義への対抗意識があったことは、17世紀改革派正統主義研究において広く認められている(STRONGLY SUPPORTED、ただしこの項の一次史料そのものが論争相手を名指ししているわけではない)。1689年信仰告白がこの文言をほぼそのまま継承した事実は、同じ機能的関心を共有していたことを示唆するが、Particular Baptists自身が創造論の文脈でソッツィーニ派を主要な論争相手として意識していたことを直接示す史料は、本分析では確認できていない。
9. 告白全体のどこに位置するのか
前章(第3章、神の永遠の聖定)から神の計画そのものを受け取り、この項はその計画が時間の中で最初に実行される場面を描く。後続項(同章2項、人間創造)、および第6章(堕落)へと接続する。「all very good」という結語は、堕落論において悪の起源を被造物自身の選択に帰し、神の創造行為そのものに帰さないための不可欠な前提である。この構造はWCF・Savoy・1689のいずれにおいても共通しており、教理体系上の位置づけに三文書間の相違はない。
10. キリストの福音とどうつながるのか
直接的接続:ヨハネ1章・コロサイ1章の引用を通じて、告白本文自体が創造の仲介者としての御子を語っている。これは体系的接続ではなく直接的接続である——本文自体がキリスト論的内容(御子による創造)を含んでいる。
体系的接続:コロサイ1:16に続く1:20(御子による和解)との聖書的つながりから、創造と贖いが同一の御子の御業として理解される。ただしこれは告白本文自体が明示的に述べているわけではなく、聖書の文脈から体系的に導かれる接続である。
類比的・牧会的接続:贖いを「別の神による、別の世界への介入」として誤解する可能性への歯止めという牧会的含意は、告白本文の直接的主張には含まれない類比であり、そのように明示しておく。
11. この一文を失うと何を失うのか
三位一体の一貫性——御子・聖霊を創造から排除する誤った神観への歯止め
神の主権的・自由な創造行為という理解
被造世界の本来的善性の確認
堕落論の論理的前提(悪の起源を被造物に帰すための土台)
これらはWCF・Savoy・1689のいずれにも共通する教理的必要性であり、1689固有の付加ではない。
12. では、私たちに何を意味するのか
17世紀当時、この教理は国家教会体制内・非国教徒陣営を問わず、改革派正統主義全体が共有する創造論的合意であった。現代においては、直接的な三位一体論争は下火になっている一方で、被造世界の目的や価値を機能主義的に判断する傾向——造られたものの意味を、造り主の意図から切り離して評価する構造——は形を変えて存在し続けている。ただしこれは告白本文が直接語っていることではなく、根本的な問題構造の共通性として指摘するにとどめる。
結論
1689年第二ロンドン・バプテスト信仰告白第4章1項は、教理内容においてはWCF・Savoyから完全に継承されており、Particular Baptistsが創造論・三位一体論の正統性においてウェストミンスター神学と一致することを示している。しかし、字句レベルの精査により、Savoyがほぼ完全にWCFを踏襲しているのに対し、1689だけが「in the beginning」の位置と「of nothing」の有無という二点で両者と異なることが確認された。これは会衆派を介した継承では説明できず、1689編集段階で生じた変更である。
この変更は、教理内容そのものの変更(Level 2〜3)ではなく、文の強調点と論証装置の再編成(Level 0〜1、一部未確定)にとどまる。したがって、1689年のParticular Baptistsは、改革派正統主義の創造論を教理として全面的に受け取りながら、その字句表現については、単純な複写ではなく、能動的な——しかし教理を変えない範囲での——編集判断を加えて、自分たちの言葉として告白し直したという像が浮かび上がる。
【T評価:8/10】
本文の論理構造を、要約段階で体系神学から意味を補うことなく再構成できた。「of nothing」省略の教理的含意については未確定のまま提示し、断定を避けた。
【S評価:8/10】
証拠聖句をA/B/Cの三段階に分類し、ヨブ26:13を機械的にAと扱わなかった点は妥当と考える。ただし各聖句の文脈的検討はなお簡略である。
【C評価:9/10】
WCF→Savoy→1689という必須の比較順序を踏み、Savoyを経由することで「1689固有の変更」を確定的に特定できた。差分をLevel 0〜3で評価し、未確定な部分は未確定と明示した。
【H評価:6/10】
教理的機能(Function)と歴史的意図(Intention)を区別する試みは行ったが、Intentionについては確認できる一次史料が乏しく、多くの記述がPLAUSIBLE以下にとどまった。
【D評価:8/10】
告白全体における位置づけ(第3章からの継承、第6章への接続)を、体系神学の逆輸入を避けつつ示せた。
【P評価:7/10】
現代への接続を、本文の直接的主張から独立させた形で提示できたが、牧会的含意の具体性にはなお展開の余地がある。
ComparisonがTextを追い越していないか——差分の発見(Comparison)を教理内容の変更(Text)と混同しないよう、Level評価を通じて区別を維持した。 HistoryがStyle史料を追い越していないか——変更理由については未確定・SPECULATIVEの水準にとどめ、史料的裏付けのない断定を避けた。 DoctrineがStyle告白本文を追い越していないか——体系的接続を「直接的接続」と混同しないよう区分した。 PastoralがScriptureを追い越していないか——現代適用は本文・聖書分析の後に置き、類比であることを明示した。
【1689固有と判断できる変更】
「in the beginning」の文頭への移動(WCF・Savoyともに文中)——ESTABLISHED(原文照合により確認)
「of nothing」/「out of nothing」の省略(WCF・Savoyともに明示)——ESTABLISHED
証拠聖句の大幅な絞り込み(特にGen 1 throughout → Gen 1:31への特定)——ESTABLISHED
【1689固有とはまだ判断できない変更】
これらの変更の背後にある編集意図(創世記語順への接近、簡潔化、精緻化のいずれか、あるいは複数の組み合わせ)——PLAUSIBLE〜SPECULATIVEの域を出ない
【歴史的意図を断定しなかった点】
「of nothing」省略が神学的意図によるものか、文体上の簡潔化か、単純な脱字かは判定していない
1689年信仰告白の起草者が、この項についてソッツィーニ派等の特定の論争相手を意識していたかどうかは、この項単独の史料からは確認できないため断定していない
【使用した版・本文上の注意】
WCFはapuritansmind.com掲載の1647年版(proof texts付き)に依拠した
Savoyはreformedstandards.com掲載版に依拠した
1689については、bible-researcher.com版(原綴り、証拠聖句cが「Col. 1:16; Gen 2:1,2」)とreformedreader.org版(現代化、証拠聖句cが「Colossians 1:16; Genesis 1:31」)の間に版差を確認した。ユーザー提供画像はreformedreader.org版と一致するため、本分析はこちらを基本テキストとしたが、この版差自体は解決していない
第一ロンドン信仰告白は1644年初版と1646年「訂正増補版」の間に差異があることが知られており、本分析ではfordham.edu掲載の抜粋のみを参照した。全文照合は行っていない
【さらに一次史料確認が必要な点】
1689年信仰告白の起草委員会(1677年起草時、1689年再刊行時)が、この項の字句についてどのような議論を行ったかを示す一次史料(書簡、議事録等)の存在確認
「of nothing」省略が、当時の他のParticular Baptist神学者の著作(例えばHercules Collins、Benjamin Keachなど)における無からの創造の教理理解と整合的かどうかの確認
bible-researcher.com版とreformedreader.org版の間の証拠聖句c末尾の異読(Gen 2:1,2 / Gen 1:31)について、どちらがより早期の版に基づくかの文献学的確認
タイトル画像:Evgeni TcherkasskiによるPixabayからの画像
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