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松本・滞在する旅~道祖神

ヘッダーは安曇野市の道祖神(右側)と二十三夜塔。いずれも約200年前に建立されました。
道祖神(特にカップルの道祖神)は、安曇野だけかと思っていたのですが、松本平をはじめとする信州で、よく目にします。

この記事では、旅の途中で目に止まった道祖神を紹介します。なお、左の二十三夜塔は、旧暦23日の月待ち行事・二十三夜講の人たちが建てた塔です。

本連載は、通過する旅に物足りなさを感じ、“滞在する旅” を試した私の体験談と、その結論としての “2年間限定移住のすすめ” です。
信州ファンや滞在型の旅が好きな方の参考になれば、さいわいです。
私のライフワーク「昔の人びとの楽しみ方」の名残りも探っています。

(関連記事:2年間・2拠点居住のすすめ


1.路傍の道祖神

私がアパートを借りていた松本市・湯の原の「辻堂の道祖神」

湯みちの路傍につつましやかに鎮座まします道祖神様は、・・・”(下に続く、立て看板より)
“旅人の旅路の安全と村人の安泰五穀豊穣を願い見守ってきた”(立て看板より)

松本中心部から湯の原(美ヶ原温泉)へ向かう「湯道」にある道祖神の建立は江戸初期。信州でも古い道祖神で、双体(カップル)で合掌しています。見守られている感じがしますね。
ほぼ毎日行った、近くの日帰り温泉「白糸の湯」(湯みちの終点)にも新しい双体道祖神が祀られています。


善光寺街道・乱橋宿の村はずれにある双体道祖神と庚申塔。優しいです。

右の庚申塔は、信仰の集まり・庚申講の記念として建てられた塔です

善光寺街道の難所・立峠を下ると乱橋宿に着きます。多くの旅人を迎えてきたのでしょう。

善光寺街道は、中山道・洗馬宿(長野県塩尻市)から善光寺へ向かう道(北国西脇街道)。江戸時代には、東国の人々が、東海道を通って伊勢に参詣した後、中山道と善光寺街道を歩いて善光寺に参り、江戸へ通じる中山道、或は、日本海(新潟県)へ抜ける北国街道を通って村へ帰りました。


松本と飛騨高山を結ぶ野麦街道・川浦の双体道祖神

1825(文政8)年、毎年出る凍死者を救いたいと奈川下郷の庄屋・永嶋藤左衛門が、避難小屋を建てました(石室、1987年再建)。
その手前に、交通安全を祈願する双体道祖神があります。古いものではありませんが、味がありますね。


松本と上田を結ぶ保福寺街道保福寺山門脇の双体道祖神像(建立は1900年)です。お寺をすぎると道は保福寺峠への上り坂になります。

街道のどこかに置かれていた像がお寺の前に集められたのかもしれませんね


松本と糸魚川を結ぶ千国街道(塩の道)の小土山石仏群
右端が双体道祖神。塩を松本平へ運ぶ人や牛を見守ってきました。

塩の道祭りで、歩行者が多い日でした


道祖神には、像を刻んだ石碑と文字だけの石碑があります。また、木造の神体を祀るところもあります。

松本市史によると、道祖神は一様のものではなく、①道の神(市内全域)、②外部から来る疫病・悪霊を遮る「さえの神」(塞ノ神、旧城下町を中心とする市域中心部のみ)とされています。
また、夫婦神とする伝承は市内全域でみられ、兄妹で結婚した神だとする伝承もあります。“こうした伝承は本州中央高地を中心とする限られた地域にのみみられるものである。長野県においては南信および中信地方に伝承されており、・・・(後略)”とあります。

出典:松本市[1997]『松本市史第三巻 民俗編』第九章 民間信仰

確かに、ほほえましい男女の双体道祖神は、全国的には多くはなさそうですね。何はともあれ、道端の道祖神は人々にとって、身近な神様です。



2.祀られ、飾られた道祖神

松本平では、集落の道祖神の祭りを続けている地域があります。

下の写真は、道祖神に色を塗ってお化粧をしているところ(左下)。ヘッダー写真のような色を塗った道祖神もときどき見かけます。


松本市内田地区横山の道祖神での小正月行事。

集落の端にある道祖神(文字碑)の横に飾り柱(御柱)を立て、五穀豊穣や無病息災などを祈ります。
柱は10日ほどで倒され、飾りは御守として各家が持ち帰ります


諏訪市武津公民館前の道祖神。4本の御柱が立てられています。諏訪大社と同じですね。


池田町(松本市の北)には、藁で作った祠に収められている道祖神があります。住民の優しい気持ち、敬う気持ちが伝わりますね。

左は庚申塔(青面金剛像)、右は二十三夜塔


芦ノ尻集落(長野市南部の山村)の道祖神

集落の端にある道祖神は、1月7日に松飾りの注連縄を使って飾り付けられ、集落に悪霊が入り込まないように見張っています。

飾り付けは石碑が建立された明治のはじめからと伝えられているので、アイデアマンが注連縄のリユースを兼ねた装飾を思いついたのでしょうか。
一年間の守護役をつとめた神面は、夜のどんど焼きの火とともに自然にかえる” と説明板に書かれています。いい風習ですね。

芦ノ尻の道祖神は、レプリカが国立民族博物館(大阪)に展示されるほど、キャラ立っています。
“縄目や結び目に呪術的な威力をこめようとする考えは、しめ縄をはじめ、さまざまな縄と綱の造形を生んだ。それを飾ることは聖域の証であり、競技や芸能の扮装にこれを用いているのも、超人的な力の表現であった”
と説明されていました(2017年の博物館訪問時)。

静かな芦ノ尻集落


【番外】野沢温泉(北信)の道祖神祭りは、村の男たちが戦う冬の火祭り。入場制限がかかる熱い祭りで、松本平とは様相が異なります。



3.道祖神への祈り(子孫繁栄編)

大日堂(松本市中央図書館の北側)の道祖神(文字碑)は1859年建立。

左の文字碑(高さ約70cm)の裏には、自然穴に向かった男性器が刻まれていて “珍しい碑である” と書かれています。性に対してオープンですね。


男性のシンボルの形をした道祖神・オンマラサマは、豊穣や繁栄をもたらすそうです。
旧城下町の道祖神祭りでは、子どもたちが木像を持って家々を廻りお賽銭を集めます(下の写真・左上、2016年)

外国人来館者が多い松戸市立博物館の展示品です。大胆ですよね。


最後は、安曇野市柏矢町駅の駅前通りにある接吻道祖神

モデルは安曇野市明科の道祖神だと思いますが、下半身も合体のもよう。コラコラ。



おわりに

道祖神の行事や文献は雲霞の如くあり、自称「昔の楽しみ研究家」の私には手に負えないレベル。2年半の滞在で、心に残ったことだけを記しました。

人々の願いを集めてきた道祖神を見ていると、ほっとします。
何が欲しいと願うわけではありませんが、見ていてくださいませね。
そう思うだけで、安心してすごせます。

教来石宿(山梨県)の明治天皇御膳水碑前の野仏さま。遠くに木曽駒ヶ岳が見えます。



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■私の書籍 2025年出版。江戸・明治時代の村人たちの楽しみ方と現代生活への応用、松本での暮らしについても少し書いています。

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■昔の楽しみ方の記事

■私のブログ つたない英語に日本語を併記しています。



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