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事業承継で、工場を引っ越した。

50年間積み上がったもの。何を残し、何を捨てるか

この会社には、事業承継の相談を受けたことをきっかけに関わった。私は外部の財務・事業承継の支援者として、旧工場の実態を見て、移転後の損益を計算し、紙の納品書を分析しながら、新しい経営者がこの事業をどう引き継ぐかを一緒に考えた。

今回は、その現場で見たことを書いてみたい。


※本稿は、実際に関わった案件をもとにしていますが、個人や企業が特定されないよう、業種・年齢・数字・経緯など一部の事実関係を変更して構成しています。事実をそのまま再現することよりも、現場で感じた本質や、そこから得た学びを伝えることを目的としています。


85歳の社長がいた。

50年ほど前に自分で会社を立ち上げた。作っているのは、Tシャツを中心としたアパレル製品だった。

工場では、パートの女性たちがミシンを踏んでいる。生地を扱い、縫製し、プリントや名入れをする。学校の体操服や部活動のウェア、消防や警察関係の仕事もあったようだ。いわゆる町工場である。

ただ、最初からTシャツメーカーだったわけではない。もともとはスポーツ用品の卸売業をしていたらしい。商売をしていると、得意先からいろいろな要望が来る。ここに名前を入れてほしい。こんなプリントはできないか。もう少しデザインを変えられないか。既製品をそのまま売るだけでは応えられない細かな注文を一つずつ拾い、だったら自分たちで作ってしまおう。そんなところから、この会社の製造業としての歴史は始まったようだった。


50年かけて、家が工場になった

面白かったのは、その工場だった。

事業所は、一般的な戸建住宅を二棟、工場として改造したものだった。中に入ると、ところどころに昔の家の面影が残っている。ここはたぶんリビングだったんだろうな。ここは和室だったのだろう。ここは寝室だったのかもしれない。そんなことが、なんとなく分かる。

当然、そのままでは工場として使えない。壁を抜く。柱を補強する。大きな機械を入れる。ミシンを並べる。在庫を置く場所をつくる。商品を梱包し、出荷するスペースをつくる。一階だけでは足りなくなれば、二階も使う。そしてまた機械が増える。商品が増える。人が増える。

二つ目の工場ができたのは、20年ほど前だったらしい。当時は仕事が忙しくなり、もともとの建物だけでは手狭になっていた。そんなとき、少し離れたところにある戸建住宅が売りに出た。社長にとっては安い買い物だったようだ。その家を買い、同じように改造して第二工場を作った。

当時としては、合理的な投資だったのだと思う。

二つの建物を、仮に西棟と東棟と呼ぶことにする。

生産の中心は西棟にあった。一階にはミシンが5台ほど並び、5人ほどのパート職員が横に並んで、毎日Tシャツを作っている。一方の東棟には、社長室、事務室、休憩室、在庫置場、商品の集配場所、大物のプレス機器などがあった。

そして、西棟にも東棟にも二階があった。そこには、ほとんど使わなくなった旧型のミシン、年に一、二回使うかどうかという特殊加工用の機械、昔の商品、長いこと動いていない在庫、インク、型紙、金型などが積み上がっていた。

50年間の製造業の歴史が、そのまま二階に積み上がっているようだった。

決定的な問題は、西棟と東棟が隣り合っていないことだった。間には、まったく別の家が二軒建っている。歩いてすぐではある。でも、工場として考えれば完全に別の建物である。

材料は東棟に届く。届いた材料を台車に載せ、人がせっせと西棟まで運ぶ。西棟で縫製する。製品ができたら、また台車に載せて東棟へ戻す。そして東棟から出荷する。

東棟から西棟へ。そして、また東棟へ。

雨の日もある。暑い日もある。寒い日もある。それでも材料が届けば西へ運び、商品ができれば東へ戻す。それが、この会社ではずっと普通の仕事だった。

おそらく最初から、こんな動線を設計した人はいない。仕事が増えた。機械が増えた。人が増えた。在庫が増えた。その都度、空いている場所を使い、必要な設備を置き、何とか仕事を回してきた。

一つひとつの判断には、その時点での合理性があった。でも、その合理的な判断を何十年も積み重ねた結果、会社全体としては、ずいぶん不思議な動線が出来上がっていた。


それでも、この会社は50年ちゃんと回っていた

ここまで書くと、「非効率な工場を改善した話」に見えるかもしれない。でも、私にとってこの案件はそういうことではない。

この工場は、これで50年近くちゃんと回ってきた。

支援する側にいると、中小企業には経営管理の仕組みがない、データがない、経営計画がない、だから整備しなければならない、とつい言いたくなる。

でも、実際には、そんなに単純でもない。

社長の頭の中には、誰からどんな注文が来るのか、どの商品がよく売れるのか、いくらなら利益が出るのか、どの加工は誰ならできるのか、といった情報が入っている。そして長年働いてきた従業員たちの間にも、言葉になっていないルールや阿吽の呼吸のようなものが大量にある。

誰が何をやるのか。材料が届いたら誰が運ぶのか。どのタイミングで次の工程へ回すのか。いちいちマニュアルに書いてあるわけではない。でも、みんな分かっている。

今回の東棟と西棟を往復する動線もそうだった。

外から来た私には、「なぜこんなことを毎日やっているんだろう」と見える。でも、そこで働く人たちにとっては、それが当たり前だった。材料が届けば西へ運ぶ。縫い終われば東へ戻す。全員がその動線に適応しているから、不思議なくらいうまく仕事が噛み合っている。

不満が噴き出すわけでもない。改善案が次々と出てくるわけでもない。

長い時間をかけて、人と仕事のやり方が、お互いに馴染んでしまっているのである。

教科書通りの経営管理ではない。効率的なオペレーションとも言いにくい。それでも、人がその環境に適応し、暗黙のルールを共有し、互いに帳尻を合わせることで、会社は案外ちゃんと回る。

それもまた、中小企業の一つの強さなのだと思う。

だから、立派なデータベースがなくても会社は回る。精緻な経営管理資料がなくても、50年続く会社はある。そして、それを一概に悪いことだとも思わない。

毎年成長しなければならないわけでもない。大きな投資を続けなければならないわけでもない。いつもの得意先から仕事をもらい、いつものメンバーが工場に来て、ミシンを踏む。無理に会社を大きくすることもなく、それぞれが居心地よく働き、生活していく。

居心地の良さだって、会社が生み出している価値の一つだと思う。

この会社には、この会社なりの生態系ができていた。


ただ、みんな年を取る

ただ、一つだけ避けられないものがある。

みんな、年を取る。

社長も年を取る。従業員も年を取る。そして、人が年を取れば、その人の中に蓄積されてきた技術や経験も、いつか会社から消えていく。

実際、この会社では、かつて作っていたカバンを作れるのは、最後には社長一人になっていた。特殊な加工も、扱える人が限られていた。

会社が間違った経営をしてきたからではない。むしろ50年間、それなりにうまくやってきた。それでも、時間が経てば少しずつ失われていくものがある。

私は、それを少し寂しいと思った。

事業承継というのは、その時間の流れの中で、何を残すのかを考えることなのかもしれない。


後継者は、カメラマンだった

85歳になった社長には後継者がいなかった。ところが運良く、この事業を継ぎたいという人が現れた。

意外なことに、その人は製造業の人でも、アパレル業界の人でもなかった。カメラマンだった。

普段は写真を撮り、広告や販促物などのビジュアルを作る仕事をしている。でも、写真を撮って納品するだけではなく、その先にある「モノ」づくりまで自分たちで手掛けられるようになりたい。そんな思いを持っていた。

国内で、しかも中小零細の規模で、実際に人がミシンを踏み、服を作っている会社は、今では決して多くない。写真やデザインを形にするところまで自分たちで担える。この会社が50年間残してきた生産機能そのものに、承継者は価値を感じていた。

だから、この会社を継ぎたい。

ただし、一つ条件があった。

「工場は引っ越します」


私は、反対だった

私は反対だった。

正直に言えば、このTシャツ製造業はそれほど儲かっていなかった。事業承継したからといって、すぐに売上が増える保証はない。利益が大きく改善する保証もない。

そんな状態で、新しい事業所を借りる。内装工事をする。ミシンを移設する。場合によっては新しい設備も入れる。私には、どうしてもリスクの高い投資に見えた。

まずは、そのまま引き継げばいいじゃないか。既存の工場で事業を続けながら、どこに無駄があるのかを見る。改善できるところを改善する。数年やって、新しい経営者にもこの事業が板についてきた。その段階で、必要なら投資すればいい。その方が安全だ。

財務屋としては、ごく自然な考えだったと思う。

でも、承継者は譲らなかった。この工場ではやらない。新しい事業所を借りる。そこを自分たちがやりたい生産に合わせて作り直す。ミシンを並べる。必要な設備を入れる。そして将来的には、自分たちで新しいものまで作れる場所にする。

そこには、かなり強い意思があった。

私はあくまで外部のアドバイザーである。本人がそれだけ強い意思を持って「ここから始める」と決めているのであれば、最後はそれを尊重するしかない。

そして、どうせ引っ越すなら、この50年間で積み上がったものを、ただ新しい建物へ運ぶだけでは意味がない。

50年間、一度も白紙から考える機会がなかった工場を、今度はゼロから設計できる。


100平米に、50年の何を持っていくか

新しい工場は、100平米ほどだった。旧工場と比べれば、体感としては5分の1くらいになる。

当然、全部は持っていけない。というより、全部を持っていかないことが、今回の引っ越しの重要な意味だった。

例えば、この会社はTシャツのほかに、昔からカバンも作っていた。受注量は、もうほとんどない。それでも昔から続けてきた、祖業に近い事業だった。

問題は、カバンを作れる人が社長しかいなかったことだった。旧工場の二階には、そのカバンを作るための機械がある。材料も大量に残っている。

これを新しい工場へ持っていくのか。

持っていかない。カバン事業をやめる。

長く会社をやってきた社長にとって、一つの事業を閉じることには寂しさもあったと思う。それでも、もう自分しか作れない商品を、次の世代にそのまま残すわけにはいかない。社長自身も納得していた。

それ以外にも、とにかくモノが多かった。布。糸。消耗品。完成品。いつ使うのか分からない材料。埃をかぶった在庫。そして、型や図面。

この会社では、これまで作ってきた製品の情報を、ほぼすべて紙で残していた。手書きの図面や型がファイルに綴じられ、社長室や事務室に大量に並んでいる。

50年間の製造ノウハウが詰まっている。ある意味では、この会社の宝物であり、心臓部だった。

でも、冷静に考える必要もあった。その図面を使って「昔とまったく同じものを、もう一度作ってほしい」という注文が、これからどれだけ来るのか。

過去に価値があったものと、これからも価値を生むものは、同じではない。

一つの事業をやめる。大量の在庫を捨てる。50年間蓄積してきた書類も整理する。そして、工場の面積を大幅に小さくする。

承継者は、それをかなり大胆に進めた。


私は、横で数字を作っていた

これは、私が考えたことではない。むしろ私は、当初この引っ越しそのものに反対していた。

私がやったのは、数字を作ることだった。

新しい工場に引っ越せば、当然コスト構造が変わる。新しい事業所の賃料が発生する。内装工事をすれば投資が必要になる。設備を入れれば減価償却費も発生する。通勤距離が伸びる従業員もいる。通勤費も増えるし、新しい場所でも働き続けてもらうための待遇も考えなければならない。

固定費は、確実に上がる。

だから私は、損益分岐点を計算した。この固定費なら、最低でもこれくらいの売上が必要になる。今の売上では足りない。一方で、高齢の社長にかかっているコストは、承継後、時間をかけて減っていく。工場が一つになれば、生産効率も上がるかもしれない。在庫を減らせれば、廃棄や余分な仕入れも減る。

新社長が現場の引き継ぎと引っ越しに追われている横で、私はそういう数字を一つずつ組み立てていった。

そして、結局最大の問題は売上だった。

新しい工場にしても、売上が増えなければ意味がない。


500枚の納品書を入力した

そこで、「そもそも、この会社は何を、誰に、どれくらい売っているのか」を調べようとした。

驚いたことに、まとまったデータがなかった。

どの得意先に、どの商品を、何個、いくらで売っているのか。そういう経営管理に使える売上データが、ほとんど存在しなかった。

もちろん、納品書はある。請求書もある。でも、紙だった。

「この会社は何で稼いでいるのか」を考えるための情報として整理されてはいなかった。何が売れているのか。どの得意先が重要なのか。どの商品が伸びているのか。それを知っているのは、社長の頭の中だった。

仕方がないので、私は紙の納品書をめくった。一枚。また一枚。得意先。商品。数量。単価。金額。それをExcelに入力していった。

全部をやるのは現実的ではなかったので、500枚ほどをサンプルとしてデータ化した。集計する。グラフにする。得意先別に見る。商品別に見る。数量を見る。単価を見る。

もちろん、500枚だけで会社の全貌が分かるわけではない。それでも、それまで社長の頭の中にしかなかった会社の売上が、少しだけ外から見えるようになった。

承継者は、50年間積み上がった工場を整理していた。私は、50年間積み上がった紙の一部を、経営に使える数字へ変えていた。

やっていることは違った。でも、今振り返ると、同じことをしていたのかもしれない。

次の経営者が、自分でこの会社を動かせる状態をつくる。


「データがない」のではなかった

この話は、もう5年ほど前になる。

当時の私は、紙の納品書を一枚ずつめくり、500枚ほどをExcelに入力した。それでも全部ではない。あくまでサンプルだった。

今なら、たぶん違うやり方をする。

大量の納品書や請求書をスキャンする。手書きの図面や型紙も、捨てる前に可能な限りデジタル化する。画像認識などを使って情報を読み取り、構造化する。そしてAIを使って、得意先別、商品別、時系列など、いろいろな角度から分析する。

この会社には、データがなかったわけではない。

データベースがなかっただけだった。

納品書はあった。請求書もあった。図面もあった。型紙もあった。50年間、何を作り、誰に売り、いくらで売ってきたのか。その痕跡は大量の紙として残っていた。そして、それらをつなぐ情報が、社長の頭の中にあった。

昔ながらの会社には、「データがない」のではなく、まだデータとして扱われていない情報が大量に眠っているのではないかと思う。

紙の納品書。手書きの図面。昔の見積書。製造記録。顧客とのやり取り。そして、ベテラン社員や社長の頭の中。

これまでは、そこにアクセスすること自体が難しかった。何十年分もの紙を人間が読み、入力し、整理するには、あまりにも時間がかかる。だから結局は、「社長に聞けば分かる」で済ませることができた。

でも、今のテクノロジーなら、少し違うことができるかもしれない。

紙を読み取る。情報を構造化する。大量の情報から共通点や変化を探す。そこに、現場の人が持っている知識を重ねる。

そうすれば、これまで社長の頭の中にしかなかった経験や勘も含めて、50年間積み重なったものを少しずつほどき、次の経営者が使える形にしていけるのではないかと思う。

これは、単なる業務効率化とは少し違う。

人と一緒に消えてしまうかもしれない価値を、次の人が使える形にする。

それもまた、事業承継なのだと思う。

あのとき、私たちは大量の紙を捨てた。もちろん、全部を残しておくことはできなかったし、当時としては合理的な判断だったと思う。

でも今なら、捨てる前に一度、全部読み取ってみたい。

50年間の紙の山の中に、どんな価値が眠っていたのか。

今になって、少し気になっている。


事業承継とは、何を次に持っていくかを決めること

この会社は、別に失敗していたわけではない。

50年間、会社を続けてきた。得意先の細かな要望に応え、商品を作り、従業員を雇い、地域の中で商売を続けてきた。戸建住宅を工場にしたことも、二つ目の建物を買ったことも、紙で図面を残してきたことも、社長の頭の中で経営してきたことも、その時々では十分に機能していた。

だから、事業承継は「古い会社を新しくすること」ではないのだと思う。

全部をデジタル化することでもない。全部を効率化することでもない。まして、50年間やってきたことを否定することでもない。

ただ、人は年を取る。経営者も、従業員も、いつかその会社を離れる。

だから、その前に考える。

何を捨てるのか。何を残すのか。そして、残したいものを、次の人が使える形にどう変えるのか。

工場を引っ越すという、一見すると単純な出来事だった。でも振り返れば、あの引っ越しでやっていたのは、50年間積み上がった会社そのものの棚卸しだったのだと思う。

残すべき価値を見つけ、次の時代で使える形にして、つないでいく。

事業承継とは、そういう仕事なのかもしれない。


まとめ

・長年続いた会社には、その時々では合理的だった判断が積み重なり、独特の仕組みや生態系ができている。それは必ずしも否定すべきものではない。
・成長や投資だけが会社の正解ではない。長く働く人たちにとっての居心地の良さも、会社が生み出している価値の一つだと思う。
・一方で、経営者や従業員は年を取る。人の頭や手の中にある技術や経験は、何もしなければ人と一緒に会社から消えていく。
・事業承継は、過去のものをすべて守ることではない。何を捨て、何を残し、何を次の世代が使える形に変えるかを決める機会でもある。
・昔ながらの会社には「データがない」のではなく、まだデータとして扱われていない情報が眠っている。AIは、効率化だけでなく、そうした価値を次へつなぐ手段にもなり得る。

事業承継とは、昔の会社をそのまま次の人に渡すことではない。残すべき価値を見つけ、次の時代で使える形にして、つないでいくことなのだと思う。


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