【仕事について語る】/あれは適応障害だったなぁというはなし②
こんにちは。
「急激に変化する現実と自己の折り合いをつける」―――Mystic Pioneer(ミスティック・パイオニア)―――DEUKUです。
前回は、わたしの仕事での転落について語りました。
今回は、現職でなんとか軌道修正を図れるようになってきた過程について語っていきたいと思います。
この経験が、DEUKUの企業における「キャリア形成」や「心理的安全性」に対する関心へと繋がっていきます。
このテーマで語りたいこと
仕事を継続するために重要な要素とは何か
仕事で挫折経験をしたときの立ち直り方
実績と配慮を獲得するまでのプロセス

○ 2ヶ所め(4~7年め)①
3年めのOJT終了時、「3年間様子を見てきたが、どの業務も自立して行うことができない。向上心もなく、成長が見込めない」との評価を受け、それがそのまま申し送り事項として2ヶ所めの職場に引き継がれることになったDEUKU。
4年めも不適応状態を引きずることになる。
・4年め
今度は自分が異動することになり、支社のトップ、直接の上司ともに変更。なお、両名ともわたしが苦手とする20以上年上の女性上司。
引継ぎのための出張の時点で、2ヶ所めの上司のわたしを見る目は厳しいものでした。ひとり別室に通されて、1対1で「3年間何をやってきて、何であれば理解しているのか」を矢継ぎ早に訊かれた記憶があります。
何一つ答えることができなくて、涙が止まらず、そのまま帰ったあの冷たい感覚は忘れられません。
1ヶ所めからは見捨てられて、2ヶ所めにも自分の居場所はない。
自分はいらない子なんだという感覚があまりに冷たかったので、もう死んでもいいなぁという脳内の声が生々しく響いていましたが、このときも、noteでたびたび触れている“もうひとりのわたし”が体を引っ張っていき家路に着きました。
4年めは出勤こそしていたものの精神的にかなり不安定で、トイレにこもって泣いたり吐いたりで1日の大半を費やす時期もありました。
4年めも結局「申し送りの通りだったね」との評価を受け、そのときはさすがに耐えられなくなり勤務時間中に帰宅し翌日も出勤しませんでした。
ここまでくれば恐らく退職ものだったと思います。ただ、支社にはその裁量がなく安易に退職のワードを出せないこと、わたしは在籍証明を意地でも欲しく、クビを言い渡されない限り絶対に居座ると心に決めていたので、翌日の休み以降は何事もなかったかのように出勤し、資格の勉強をしていました。
・5年め~前編~
転機が訪れたのは5年めです。支社のトップ、直接の上司が両名とも変更となり、後任に20以上年上の男性上司が来ました。
片方はなんだか細かくて口うるさそう、もう片方は“できない”と前評判のある人。
5年めにもなればもう上司に期待などしません。
また、どのような形であれ5年間空白期間なく勤務した実績を得られれば、その後は退職してもよかったので業務を追いかけるのを完全にやめました。
「とにかく毎日通うこと。そのための心身の状態をキープすること」のみを目的とし、他人との会話の一切をシャットアウトしました。
これまで何らか期待でもしていたのか細々と作っていた資料もごっそり捨てて数年後に困った記憶があるので、よほど絶望していたのだと思います。
ある日、口うるさそうな支社のトップから呼び出しを受け、どうして業務をしないのかと質問されました。
「え、できないから任せられないと言われているからですが」
と、回答すると
「・・・・・・なんで?」
と返され。
「・・・・・・それはわたしに質問することではないですよね?できないと判断した前任者に確認することですよね?前任者からの引継ぎは受けていないのですか?わたしたちに引継ぎの不足があると減点されるのに?やはり上のお立場の方々は、そういった面での裁量もあってさすがですねえ」
・・・もはや皮肉の一つや二つ言ってやらねば気が済まない。トップ相手にえらい口調ですが、何の誇張もなくこの言葉のまま言った気がします。
トップは目くじらを立てるでもなく
「引継ぎ資料は読んだけど、前任者に確認する必要はないと判断したのでよく知らないは知らないです。
まあ何というか、君について、電話対応って恐らくどの業務よりも難しいと思うんだけど、電話であんなにスラスラ回答できるのにそれ以外の業務が一切できないだなんて不思議だなと思って見ていました」
と、言いました。
確かにわたしは、業務の一切を放棄していましたが、電話対応については業務という感覚がなくもはや習慣だったので、普通に受けていました。
「4年間の君に対する評価もね、見たけど、評価基準に関する文章のままの理解で当てはめると、君ね、できているんです。なのに、君も含め君はできないと皆が言うもんだから、すごく不思議だ。君たちは、この文章の行間から一体何を読み取っているんです?」
「・・・・・・・・・」
答えられない。というか、できない子とずっと言われてここまで来たので、その評価が全てだと思っていた。
「まぁ自分のことをできないと思うならそう思っていてもらって構わないけど、仕事は普通にやってもらいます。これは業務命令です。君は会社の一員なんだし、やるために今ここにいるんでしょう」
会社の一員と思ったことも、思われたことも、入職してから一度もなかったので、すごく新鮮な響きとして今も耳に残っています。
ただ、こちらにも当然言いたいことはあって、
「・・・・・・自分は関係ないみたいな感じで言ってんじゃねえよ・・・・・・!」
たぶん本当にそう言い返しました。
「いい?あなたはトップ、前任者もトップ。あなたも前任者も同じ立場なわけ。つまり、前任者の下した評価は、あなたの下した評価でもあるわけ。業務をさせなかったのもあなたになるわけ。役職ってそういうものでしょ?それを『不思議ですねえ』って、よくそんな舐めたこと言えたもんですねえ。
ならば、責任取ってくださいよ、前任者の分まで。わたしのこの4年を返してくださいよ、そんなこと言うなら!!」
積年の恨みをありったけぶつけた形になりましたが、上司は飄々とした態度。
「う〜んごめん、やっぱり“人が違う”っていうことは受け入れてもらわないといけないんだわ」
と、言いつつ
「でも、わかった。極力最初は条件をこれまでと合わせるよ。
君が過ごしたかった“4年間”とやらも補填できるよう努めよう。君が過去の4年にこだわる理由が僕にはよくわからないけどね」
・・・・・・💢
そんな対応に、おちょくってんのかコイツ、と本気で思っていました。
しかし、この上司は自身が言ったことを現実化するのでした。
そしてキーパーソンとなったのは、実は“できない”と前評判のあるもう一人の上司だったのでした。
次回は、更に浮上していく過程について記していきたいと思います。
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