自分とは何者か
自己紹介に悩む
自分の名前、性格、長所、特徴、趣味、目標、何一つとして自ら定義できるものがない。
名前は苗字を先祖から引き継ぎ、両親が思いを込めて名前をつけてくれた。
性格は、外的要因によって作られている。これまでの経験が主になっている自分はこんな性格ですと言った10秒後にはその性格は変わっているかもしれない。
長所とは、うぬぼれではないか。考えすぎなのか。
特徴、他でもない。ただ今こうして生きていること自体が特徴ではないか。
趣味、人生そのものが趣味のようなものだ。別にやめたっていいのかもしれない。趣味とは、誰にも何にも左右されないものと仮に定義をするのであれば私たちの活動の全てが趣味だ。
目標、ない。立てたところで、明日の自分がそれに興奮する保証がない。目標を追いかけているつもりが逆に追いかけられていることもしばしば。
では、自分とは何者なのか。
そもそもなぜ自己紹介が必要になったかという話はまた別の機会に取っておくとして、自分をどう紹介するかを考えてみる。
しかし、いくら考えても自分で自分を紹介する言葉が出てこない。ありきたりな文章は全て偽りの言葉だ。これは自分ではない。これが自分ですだなんて自信を持って言うことはできない。
ここにも書いた通りだ。人間は、テセウスの船のようなもの。昨日の自分は今日の自分から見て同じ自分とは言えないし、恐らく明日の自分は今日の自分とはまた違った自分だろう。
そもそも、自分という漢字。自らを分けると書く。何から分けているのか?心か?周囲か?とにかくどこかから切り離しているように感じる。
と、ここまで書いていると、非常に悩んでいる人間の文章に見える。しかし決して悩んではいない。絶好調というわけでもない。大きな動きがない。だから悪くない。
同じ文章を大学時代に書けたかもしれない。ただ当時は悩んでいた。何故か?自分とは何かわからないから、何者かになろうと、必死に外の世界にしがみついていたからだ。
海外で仕事ができない自分は理想の自分ではない。
海外で仕事をするには英語ができるようにならないといけない。
チャンスを掴むためには、常に身の回りにあるチャンスを掴む人間として見られなければいけない。今で言ったらAIだ。
AIに逃げるな
— えび (@ebi_shrimpprawn) December 6, 2025
AIを何者かになりたくて使っていた。「最新のものに触れていないと置いていかれる」と強迫感で使っていた。これが自分の存在価値だと思っていた。しかしこれが自分の生きる道との確証はなかった。…
少しでもよく見られたいからスキンケアを頑張りたい。筋トレもしておいたほうがいい。体はでかい方がかっこいいからたくさん食べたほうがいい。
ずっと何者かになりたかった。でもなれなかった。
試みたのがたった数年だったからかもしれない。ただ10年続けたところで、何者かになれた保証は無い。
いろいろなものにすがるのをやめて数ヶ月。何者かになりたい思いがなくなった。もう既に欲しいものは、自分の手の中にある。あるいは極めて近いところ手の届く範囲にあるとぼんやり思っている。あえて言葉にしているが、実際のところはこんなことを思ってはいない。言葉にできない感覚がある。
それを言葉にするのが、ブログなのかもしれない。
しかし、世の中の大半のことはそう簡単に言葉にできない。
自分とは何者か、言葉にできない。だからしない。
