【創作BL】波風たてて、つかまえて:3話
【あらすじ】
「誰も俺のことを知らないところに来てみたかった」教師を辞めた小浪祥真は、衝動的に離島「たつみ島」へ向かう。
そこで再会したのは、10年前、家庭教師として関わっていた教え子の守安遥だった。島で人々に慕われながら生きる遥。
けれどその姿は、小浪が知っている彼とも、遥自身が思い描く自分とも少しずつずれていて……
波風たてぬよう生きてきた少し臆病で疲れたふたりが、見ないようにしてきたものたちと向き合っていく物語です
前回↓
***
遮光カーテンなど、ものともしない朝陽が、宿泊している部屋に染み渡る。
もう朝を恐れる必要は無い。
ここは本土から隔てられた場所で、仕事をやめてしまった小浪にとっては確かな安全地帯だ。誰にも何も頼まれない、呼びつけられない。
もう少し惰眠を楽しみたかったが、ドアの隙間から差し込む匂いが芳しい。
パンが焼ける匂い、控えめな肉の脂がはじける音も聴こえる。
「まともな朝食って、いつぶりかな」
喜ばしいはずなのだが身体が蜂蜜のようにとろけて動けない。
名残惜しさをこらえ、ベッドから這い出た。
簡単に身支度を整え、朝食会場であるリビングへと向かおうとしたそのとき
サイドテーブルのスマホが振動した。
遥からメッセージアプリに連絡が来ていた。
待ち合わせの確認のみの事務的な内容ではあったが、小浪のほほが僅かに緩む。
昨日、驚きの再会の後、この先必要だからと連絡先を交換した。
遥は目を細めて、自分のスマホを撫でていた。
「ずっと先生の連絡先、知りたかったんですよ。
でも、あの時は僕も子どもだったから勇気出なくて」
家庭教師の任を解かれてから、会うことも無ければ近況を聞くことも無かった。
遥が高校を卒業したことや、大学生になったらしいということなどは、父から「伝言」と聞かされた程度で、遥の生き方の詳細は知らずにいた。
どうやって今の遥が出来上がっていったのか。
何が起こって、何を感じていたのだろう。
目の前の人間の「人となり」が気になってしまうのは、早く治さなければならない職業病の症状かもしれない。
しかし、そんな条件を差っ引いても、遥の「これまで」については気になることが多すぎる。
小浪のリアクションを待たず、遥から新たなメッセージが届いた。
『どこか行きたいところはありますか?』
『どこでもいいよ、遥くんのお勧めで』と、返信し、また画面を見つめた。
考えるのがおっくうだということもあるが、純粋に遥が勧めてくれるものに興味もあった。
『じゃあ、その時のお楽しみで』
はにかんだような笑顔のクジラのスタンプが送られてくる。
「かわいい」
言葉が漏れた。もう随分と使っていなかった単語だった。
ペンションまで迎えに行くとの申し出は、気恥ずかしかったが断れずにいた。
予定時刻よりも数分早く部屋を出て、外の看板横の石垣に腰を掛け、ふうと息を吐いた。
朝の空気は本土と比べ少しだけ冷たいが、日差しの熱は格別だった。
足元も今度こそカヌーサンダルで良かったかもしれない。
小浪は、自身の足を纏うグレーのスリッポンを見つめ複雑そうに口を歪めた。
「おはようございます」
凛とした島風が吹き抜けた。遥が控えめに手を振りながら歩いてくる。
島の陽光の恩恵を浴びてきた肌の色と、突き抜けるような青空のコントラストが眩く、小浪は目を細めた。
「遅くなってすみません」
「大丈夫だよ。思ったより涼しかったし」
「気持ちいいですよね。でも、今日もきっと暑くなりますよ」
つかの間の島生活に便利だからと、まずは商店街を案内された。
真新しい土産物店に混ざり、昔ながらのといった風貌の専門小売店やスーパーマーケットも並ぶ。シャッターが閉じているところは、夜のみ開く居酒屋などの料理店だ。
旅番組を見ているようだった。
巨大なシャボン玉の中から、遥と、遥が見せてくれる景色を観察している心地だ。
きれいだな、おもしろいな、すごいな。
小浪の口から滑り出た言葉たちは、ぼんやりと浮遊してそのまま空に消えた。
「先生!」
張りのある女性の声だった。小浪の脳の奥でバチンと音がした。
先生!小浪先生!待って!
ねぇ、これって、先生でしょ?
隣は……
またも脳裏をかすめるワンシーン。
苦々しさが強固になり、振り向けないでいると
「こんにちは、佐竹さん」
遥が返事をした。こわばった顔のまま目線だけを遥に向ける。
穏やかに照れくさそうに笑って、遥が声の主である女性に歩み寄った。ちょうど小浪の盾になるような形で。
「先生じゃないんですけどね。
僕、小学校でボランティアもしてるんですよ」
「肩書なんてどうでもいいの!いい先生じゃない!
うちの子がいっつも話してくれて」
「アサヒが?ほんとですか?」
「あら、お連れさんはお客さん?見ない顔だもんね、ごめんね!
たつみ島を楽しんでね!晩御飯何にするか悩んだら『かめきち』に来てよ!
アタシの弟の店なの!愛想だけは抜群だからさ!よろしくね!」
「佐竹さん」と呼ばれたその女性は、嵐のような勢いで、喋り、去っていった。
小浪は安堵のため息をついた。身体の空気が巡り、やっと身体が動いた。
安堵できたのはほんの一瞬だけだった。
すれ違う島民らが時々「先生」と声をかけてくる。
自分ではない、遥に向けられた呼び名だと解っていても、バチバチと脳の奥が弾ける。
ほんの数百メートルの商店街が果てしなく長く感じた。
岬へ向かう道は、道路脇から枝葉が伸びてくるばかりで人はいない。
「このまま灯台に行ってみましょうか、運が良ければクジラが見れるかも」
「あぁ、うん」
小浪が気の抜けた返事しかできないでいると、斜め前を歩いていた遥が振り返って笑う。
「たくさん声掛けられちゃいましたね。
狭い島だからどこ行っても知り合いだらけになっちゃって」
「うん、人気者だね」
「そんな、小浪先生だって」
「俺さ」遥の言葉を遮って
「もう、『先生』じゃなくなったから」
声が震えてしまったかもしれない。遥の顔を見ることができない。
今は、彼の眩しさが、目に毒だった。
「遥くん、ごめん、だから、先生はナシで呼んでもらっていい?」
「嫌でした?」
「その、きみが、島のみなさんから、先生って呼ばれるだろう?
俺も学校で働いてたから一緒に反応しちゃって……
何ていうか、休み……なのに、仕事中みたいで」
「ですよね、せっかくのお休みだし……そうだな、小浪……さん?」
しっくり来ないと言った様子で「うーん」と口元に手を当て「考えている」というポーズの後
「下の名前何でしたっけ?」
「祥真」
「じゃあ、祥真さん。
小浪さんって、実はこの島に何人かいるから、下の名前だと誰とも被らないし」
「……ありがとう、気をつかってくれて
俺が言うのもおかしいけど、遥くんほんと成長したね」
「そう?あんまり変わらないですよ」
ほら、と横並びに立ち
「まだ祥真さんより小さい」
「誤差だよ、このくらい」
おそらく5センチ程度。
ぴったりと寄せられた肩の温度と、アーモンド型の両目から放たれた無邪気な視線は、やはり眩しいのだ。
小浪は笑って誤魔化して顔を逸らした。
「身体的というか、精神的な話。何か、しなやかになったね」
一方、小浪は自身が年々頑なで脆くなったように感じていた。
勤務先である都内の高校を辞めた時もそうだ。
勤務時間がとにかく長いことにも単純に疲れた。
日々何十人もの生徒というか人間を相手にすることにも疲れた。
それぞれの思想を拾い上げ「公平」であろうとすることにも疲れた。
トドメとなったのは一枚の写真。
授業が終わったばかりの教室で、数人の女子グループが駆け寄ってきて
スマホの画面を突きつけてきた。
「ねぇ、これって、小浪先生でしょ?隣は誰?友だち?」
「こっちのイケメンが先生だったら良かったな」
「ねー、今度連れてきてよ」
好き放題まくし立てる生徒らが、おぞましい生き物に見えた。
「そうだね」と作り笑いを置き去りに教室を出た。
隣のイケメンとは、知る人ぞ知るバーで知り合ったんだ。それから何故かそいつ、連日口説いてきて、「そっちの世界」の生き方や楽しみ方を得意げに伝授してきてね。いろいろ鼻につくことはあったけど、俺の顔、声、しぐさ、身体の相性まで、そいつから褒め倒されててさ。それなのにだ。その写真が撮られたであろう数時間後、散々やることやった後に「おまえといても、つまらない」「そろそろこの関係も終わりにしようか」とか一方的に告げてきたんだよ。
彼女らに息継ぎもなくそう言ってやれば、どんな反応をしただろうか。
残酷でずるい、なのに、彼は当時唯一の拠り所だった。
たった一枚の写真にそんなサンクチュアリをも穢されたような気がした。
こんな場所でこんな生き物に囲まれていたら「自分」は粉々になってしまう。
もうすべてがどうでもよくなり、職場だけでなく、この世界から消え失せてしまいたかった。
「しなやかかぁ」
独り言のように遥が小浪の言葉を反芻した。
「それ、祥真さんのおかげですよ」
「俺は何もしてないよ」
「そんなことないです」
手の甲が軽く触れた。
小浪は自分の身体がそこからひび割れて崩れて、全てのメッキが剥がされるような錯覚がしていた。
「中3のとき、祥真さんと一緒に勉強してたあの頃が僕の原点です」
「恐れ多すぎる、けど、そうだな」
風に枝葉が波打つ音が、剥がされたメッキを洗い流していく。
「俺の原点もきみだ」
知っていることを教えたかった。
でもそれは目の前の相手のためにならないこともある。
だから、向き合う。
この子がどう生きて、今この瞬間、世界とどう向き合っているのか。
それを知った上でこちらができることをやる。
先導ではなく、伴走をする「教育」の難しさと楽しさを知った。
だから、大学卒業後は免許だけを取得し適当に就職するつもりだったが、教師になってしまった。
教師になることは、遥と向き合うことで、見出した進路だった。
「なんてね……先生辞めちゃってるくせにね」
「先生辞めちゃったって……」
「あぁ、えっと……休みって言ったけど、そう、人生の休日的なやつ」
笑顔でも作って見せたかったが、口の端は言うことを聞かず、いびつに上下するだけだった。
手のひらほどの葉が風に吹かれて、鮮やかな緑が揺れる。
果てしなく青い空と、巨大な白い雲。
こんなにも美しく無垢な景色をまとっていて、自分は尚もちっぽけだと、小浪は呆れるばかりだった。
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