【創作BL】波風たてて、つかまえて:7話
【あらすじ】
「誰も俺のことを知らないところに来てみたかった」教師を辞めた小浪祥真は、衝動的に離島「たつみ島」へ向かう。
そこで再会したのは、10年前、家庭教師として関わっていた教え子の守安遥だった。島で人々に慕われながら生きる遥。
けれどその姿は、小浪が知っている彼とも、遥自身が思い描く自分とも少しずつずれていて……
波風たてぬよう生きてきた少し臆病で疲れたふたりが、見ないようにしてきたものたちと向き合っていく物語です
前回↓
「言わせてしまった」と小浪はひとり懺悔したが、直後、どうにかポジティブな解釈をしようと務めた。
「遥くん」
返事はないが続ける。
「ありがとう。俺は、困らないよ」
困るわけがない。
かわいい元教え子に慕われるなんて、元教師としては身に余る光栄だと、小浪は素直にそう思えた。
「困りますよ」
「困らないって」
「今ここで、キスしたとしても?」
喉が短く息を飲んでしまい、即答するタイミングを失った。
いったい何が間違いだったのか。
今しがたテーブルで手をとったことか。
オーナーにいわれるがままに、遥の家に来てしまったことか。
旅行者の男性カップルへの対応に、自分の羨望が透けて見えてしまったのか。
いっそこの島に来てしまったことそのものか。
この数日をさかのぼるごとに強い懺悔が小浪に襲来する。
喉も身体も硬直し、外の雨音をまるごと背中に受けたような心地になる。
「遥くんは、それでいいの?」
やっと投げかけた言葉だったが、やはり遥の返事はない。
「俺は……いや、俺こそきみにふさわしくないよ」
言わなければならない。
遥を守るためとはいえ、小浪はこんな言葉しか用意できないでいた。
こんな三文芝居をぶつけるなんて、遥には凄まじく申し訳ないことをしているという自覚はあった。
それでも、その「好き」は、いけないことなのだと言わねばならなかった。
前途ある若者なのだから、いわゆる「一般的な将来」を考えられる相手が望ましい。
だから、小浪自身は、逃げられるうちに逃げなければならない。
「好意はとても嬉しい、けど、きみならもっと……」
「わかりました」
震えのない明朗な声だった。
「大丈夫です、僕のわがままで伝えておきたかっただけだから。かなりスッキリしました」
聞いてくれてありがとうございます。にこりと笑うと
「今夜中には台風も去るだろうし
進路次第では祥真さんもすぐ帰れますよ」
また明日と遥が言ったので、小浪は少しばかり安心したが、まばゆい笑顔もはじける声も、痛々しくて苦しかった。
リビングから部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。
触れられた手を天井にかざし、遥がしたように指をなぞる。
熱が根を張り、心臓を掴みあげてくる。
遥の指が触れてきたときに、逆らって振り払えなかった己の浅ましさを改めて悔いた。
あんな風に応えるような動きをしておいて、手のひらを返すのは残酷すぎるし、あまりにも浅慮だと、後悔は自責に形を変え、小浪を締め上げる。
しゃくりあげたい衝動はあっても、涙は一雫もこぼれてこない。
遥を傷つけるしか無かった自身のことを、どうあっても擁護できないが、これだけははっきりしている。
困りもしない、嫌でもない。ただ、いけないことなのだ。
翌朝、リビングに遥の姿はなかった。
小浪のスマホに、小学校の避難所の手伝いをすることになったというメッセージが届いていたのみ。
がらんとした遥の家で、残されていた朝食をとる。
台風もすっかり去ったのか、きらりと木漏れ日が差し込んできた。
こんなにも穏やかな日和に、遥不在のこの家にてひとりで過ごすのは、何だかいたたまれなくなり、付近を散歩することにした。
ゆく道ゆく道、雑然としている。
折れた枝、どこからか飛んできた看板の一部、その他ゴミのようなものまで。
ゴミ袋でも持ってくれば良かっただろうかと小浪は思いながら、通行の妨げになりそうな大きな枝などを道の横に退けて進んだ。
ふと見上げた特徴的な木の葉には見覚えがあった。
この辺りは、春には花がたくさん咲くのだとか、大きな鳥が出てきて最初見た時は泣くかと思ったとか、遥に教えられながら歩いた。
カタツムリも本土とは形が違うこと、この角を曲がって進むと商店街への近道になるのだということ……この5日の間に遥から聞いたことを道標に進んでいく島の道は、どこか尊く、懐かしく、さみしい。
ずっと昔から知っていた場所のようで、まだ見ぬ花の色まで想像できるような気さえしたのに、何かが欠落している。
途中、小学校の校門が見えた。
避難所となっている体育館のほうから、少しばかり見慣れた人影が歩いてくる。
「あれ、小浪さん。どうですか?遥んちの泊まり心地は」
「おかげさまで快適です、オーナーさんは無事でしたか?」
「余裕だよ。宿主仲間で助け合って何とかやってる」
避難所で手に入れたらしいミネラルウォーターのペットボトルを掲げて、オーナーは笑って見せた。
「今日はひとりですか。遥も中で忙しそうにしてたしな」
「俺も何か手伝いましょうか」
「お客様は良いんですよ、楽しい旅を続けてください……と言いたいところだけど、こんなんじゃあね…まぁこれもこの島の醍醐味ってことで」
声を上げて笑うオーナーにつられ、小浪も笑う。
「台風も東に逸れてったから、おそらく明後日には船も来ますよ」
「よかった」と安心して見せたが、今日を入れて、遥の家にあと2泊することになるのだと悟り、ついため息が漏れた。
あと2泊。
それだけの間、どう距離を測って過ごすか。
それに、この空気のまま本土に帰っていくのも気持ちが悪い。
向き合うべきだと思いつつも、これ以上の接触は、双方とも負担になるだろうと小浪は恐れていた。
オーナーが去っていく背中を見送ることなく、小浪も歩き出した。
今、遥に見つかるのは不本意だ。
「自由」だと遥に言われ、こころが軽くなったのはつい先日だったはずなのに、そうできない自分がひどく不甲斐なく思えた。
「そうすべきだ」として遥の気持ちを撥ねつけている。
自分のことを考えさせていては、遥の「自由」が奪われると小浪は信じ込んでいた。
現状が最適解だと信じ込もうとすればするほど、足取りが危うくなる。
見落としているものがたくさんあるような気がして、そのせいで遥に合わせる顔がない。
逃げ場などないこの島でいつまでもそうはしていられないのだから、早く平常通りの自分自身に戻る必要があるというのに。
振り払え、蹴散らせと言わんばかりに、あてどなく駆け出していた。
狭い島なので、数分も走れば突き当たりに出くわしてしまうのだった。
たどり着いたそこは、いつか遥に教えてもらった灯台のある岬とは違い、鬱蒼と雑草が茂っている。
手のひらほどの大きさの葉をかき分けて進むと、かろうじて頭を出している「転落注意」の看板。
少しばかり背筋が冷えたが、木製の柵を頼りに先端まで歩いてみることにした。
枝葉を腕で払って、雑草を踏み分けて歩いていくと、おそらく展望スペースなのだろう、苔がむした石造りのベンチが佇むそこから視界が果てしなく広がった。
雲一つなくどこまでも高い青空と海が水平線で溶け合っている。
崖下では陽光を弾いた海面が、時折プリズムを放つ。
何て馬鹿馬鹿しいんだ。
果てしなく青々とした目の前の景色に向け、絶叫の代わりに、深く長く、喘鳴まじりに息を吐き出す。
あまりに自分のしていることはちっぽけだ。
たった数日の休暇で、昔の教え子とたまたま天文学的確率で再会しただけのことだ。
台風も過ぎ去ってこんなにうつくしい日常がこの島には戻ってきているのに、何を狼狽えているのだろう。
自分が本土に帰れば、遥も元の島生活に戻れる。
そうすれば正気を取り戻すにちがいない。
「そして、俺も……」
本土の、都内のあの缶詰のような部屋に戻り、適当に掃除をして、生活のために職を探す。
マイノリティとしてどこかコミュニティに属するのはもう懲りた。知った顔で優しくしてくるやつに依存してまたダメになるくらいなら、ひとりで、そうだ、マッチングアプリという手もあるのだから。こうやって日常に戻っていくだけのことだ。このあとは平常心で遥の家に戻り、粛々と帰り支度をすればいい。
このように励ますものが、島からの景観だったのか、いまだ迷走を続ける自分自身だったのかは判別できないまま、小浪はふとポケットのスマホを取り出した。
メッセージアプリに新着通知が届いている。
身体の中央から強大なインパクトが湧き、無心でアプリを開く。
送り主が誰かなどと予想する余裕はなかった。
送り主は、遥ではなく、かつて本土で隣にいた男。
生徒らに無断で写真を撮られ「友人」と思われていたその男からだった。
「次、いつ会える?」
交際していた頃とまったく同じ文言だった。
血液が大奔走していた脳も身体も一気に冷えていく。
関係を終わりにしようと言われたはずだ。
「なかなか会えない」「会えてもおまえは、いつも疲れていてつまらない」
他にはどんな勝手なことを言われたか。
「いい加減にしろ」
雑草の群れを超えて、放物線。
「あ、あー……」
間延びした悲鳴ともため息ともとれない不思議な声をあげて、小浪は膝をついた。
放り投げてしまった。虫の居所が悪かったとはいえ、ありえないことをした。
諸々のデータはクラウドにあるとして、この後の電子決済、連絡手段、それから地図もスマホ頼りだったので、当てずっぽうに歩いてやってきた今、遥の家までの帰り道すらわからなくなってしまった。
衝動で自分を余計に窮地に追い込んでいる現状に嫌気がさし、その場でうずくまった。
「何してんだろうなぁ……」
木々がやけにざわめいているなと思えば、それは雑草をかき分ける足音だった。
ひとりの少年が顔を出した。
「びっくりした。何かありました?」
小浪も驚いて顔をあげる。
「スマホ、が海に……落ちたかも」
「やば、諦めるしかないですね」
海の方を見ながら、少年が問う。
「内地の人?」
「……はい」
「帰りどうするんですか?」
「どうしよう」
「どこ泊まってるんですか?連れてったげましょうか」
「助かります、適当に歩いたらここ来ちゃってたから」
「大人でも迷子になるのウケる」
にこりともせずそんなことを言うのが、今どきの子らしいなと小浪は感じ、まだ幼い背中を追って緩やかな坂道を下っていった。
「きみは、小学生?」
「はい、小6です」
「さすが、しっかりしてるね」
「別に」とぶっきらぼうな返答の後、意を決したように少年が尋ねる。
「あの……内地ってどんなとこですか?」
「どんな……って?」
「この島と比べて……俺も、いつか内地で暮らしたくて……」
「比べられるほど、俺はこの島のこと知らないからな……
きみはどんなとこだと思う?『内地』って」
「すごく便利で、自由なところだと思ってます」
常に時間とタスクに追われ、人間関係の調整も複雑なあの場所に「自由」を想像するのか。
少年の夢や希望を壊してしまう訳にはいかず
「どこにいても、何をするかで変わるんじゃないかな」と小浪は言葉を濁す。
「おじさんは内地で何してましたか?」
「……何もしてないよ」
何を察したのか少年の顔がほのかに引き攣ったのが見え、もう少し言葉を選ぶべきだったと反省した。訂正を試みようとしたが
「で、どこ泊まってるんでしたっけ?」
「言っても場所解る?」
「宿の名前言ってもらえればだいたい解ります」
「宿名……何だったんだろう……聞いてないや……」
余計に顔を引き攣らせる少年に向けて慌てて説明を続けた。つい数ヶ月前、閉業した民泊らしいこと、元々違うところに泊まっていたが非常事態のため、特別に泊めてもらっていたことなどを。
「……遥先生のとこか」
「わかるの?」
「まぁ、それくらいは」
「遥先生……って、そうか、ボランティアで入ってるって」
「うん、よくやってくれてますよ。時々意地悪だけど」
「意地悪?」
「子どものくせにって突き放してくる感じとか、あと、あんま遊んでくれないし」
「嫌なヤツじゃないか……」
「でも、話はいつも最後まで聞いてくれます。
内地から来た人はそういう人が多いからいいなって。
おじさんもめっちゃ話聞いてくれるし」
「なかなか会うことない人達だし、面白いからね」
「わかる、元々全然知らないもの同士って気楽で話してて楽しい。
この島は狭くて息苦しいから
きっと内地に行けばもっと何か楽しいはずだって」
「それで本土に来ても、きっと同じこと繰り返しちゃうよ」
どこにいても、誰といても同じだ。
孤独なことも、他者という存在が異質であることは変わらない。
「何か」が解き明かせない状態で、「どこか」へ向かっても、いる場所が変わるだけだ。
だから、対話をしていくしかない。
相手は身近な他人だったり、自分自身だったり。
時にはそれが苦しくてしかたないけど
「……遥先生も同じようなこと言ってた」
少年は惜しげも無く不機嫌な顔を晒した。
「遥くんが?」
「うん」
「そっか」
何笑ってんのと、重ねて少年に怒られる。
「同じこと繰り返してみるのも良いんじゃないかな」
どういうこと?言葉の代わりに少年が睨みあげてくる。
「見落としてたものに気づけることもあるから」
「例えば?」
「自分の本心とか」
「それ意味ある?」
「今はなくても、そのうちできるかも」
水平線が赤みを帯び、影が伸びやかに地面を這う時間帯になっていた。
「よかった、遥先生いなさそう。また隠れてたのバレたら面倒だから」
「あぁ、じゃあきみに会ったことは内緒にしなきゃね」
「うん、じゃあね、内地のおじさん」
合鍵で中に入り、玄関の明かりのスイッチを探し当てた。
がらんとした屋内が寂しく、ポケットも軽い。
自分が手放して遠ざけたものの質量をまざまざと感じ、途方に暮れそうだった。
飲まず食わずで歩いていたため、強烈な喉の乾きを自覚し、冷蔵庫に入れておいたペットボトルを取り出して開栓した。
体調を崩した時に遥が買ってきてくれたものだった。
ちゃんと気にかけてくれていた。思いやってくれていた。
気づいていたのに、受け取るまいとしてしまった。
「いた!」
玄関が勢いよく開け放たれ、息を切らした遥がリビングに飛び込んできた。
真剣に焦った表情を向けられ、小浪の目がいつになく見開かれる。
「よかった……全然連絡も取れないし……
オーナーも、知らないって言うから……」
「ごめん、心配かけたね」
謝る顔がゆるやかにほぐれていく。
待っていたんだ、彼が帰ってくるのを、こうして話をすることを。
あまりにも単純な核心を自覚させられ、涙腺さえも緩みそうだった。
「どこ行ってたんですか?」
きみと歩いた道と、全然知らない道。
どちらも今の自分をまとめあげてくれた。
「ちょっと適当に歩いてたら迷子になっちゃって」
「スマホは?」
「投げた」
「えっ?」
さぁ何から話そうか。脳内の自分はすでにわなないている。
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