涙、涙のスキーパトロール生活③
2024年12月〜2025年3月まで冬山で住み込みアルバイトをした時のエピソード。自分が柔なことぐらい知っていたけど、この3ヶ月半に及ぶ自然の中での仕事で、何度涙を流したことか… それでも、「涙の分だけ成長はできた」というような歌詞の歌が、頭に浮かぶくらいに、私は案外前向きだった。
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スキーパトロールとは?
スキー場の安全管理を行うために、コースの巡回や傷病者の救護を行うスキー場のスタッフ。
【主な業務内容】
気象観測 気象条件によるリスクの把握
始業前パトロール 全コースの安全確認 セイフティネットの設置等
巡回 定期的にゲレンデ内を巡回 危険個所への対応や傷病者の発見、悪天時におけるお客様の誘導等を行う。
救護 救護要請のあったお客様への応急処置とスノーモービルやアキヤボートを使用した搬送。
訓練 アキヤボートを使った搬送、日赤救急法を用いた傷病者対応の訓練等。
最終パトロール お客様の最後尾を滑走し、ゲレンデ内が無人であることを確認
今回のエピソードは4. 救護に当たる。
3/9(日) 助けてくれたのは大好きな先輩との記憶だった
いつもよりも45分早出となった。理由は私たちの管轄のスキー場で、大会が開かれるからだ。リフトも通常より早く動き出し、選手や大会関係者が、朝から準備に追われていた。
そろそろ昼食休憩にでも入ろうかと思っていた頃、隣の本部から人がやってきた。
「怪我した方が来所しています。」
本部の玄関に行くと、足取りはしっかりしているものの、明らかに怪我をした男の子が立っていた。右足に目をやると、分厚いはずのスキーウェアが破け、青緑色のスキーウェアがところどころ血に染まっているのを確認した。
ひとまずパトロール室に案内して、処置をしなければ。私の脳内では、限られた経験という引き出しの中から、使えそうなスキルを引っ張り出そうとグルグルまわるが、特に見当たらない。現在パトロール室には、今まで訓練をしてくれていた経験豊富な隊員はおらず、頼れるのは自分だけだった。
男の子をイスに座らせて、ご家族に了承を得て、彼のスキーウェアにはさみを入れた。すると、真っ赤に染まった彼の脛が姿を現す。自分の手のひらがすっぽり収まるほどの大きな傷で、出血はまだ続いている。
止血をするために、近くにいた隊員にガーゼを大量に用意するように伝えて、ガーゼを何枚も重ねて上から押さえ込む。押さえた傷口は生温かく、白かったゴム手袋をした自分の手は、あっという間に真っ赤に染まった。
時々押さえ込んだガーゼを取り、傷口を確認しながら血が止まったかを確認する。しかし、まだ出血が止まる気配はない。
人間の皮膚は、表皮、真皮、皮下組織の三構造になっている。今回はこの皮下組織までがサックリ切れ、ベロンと向けている。皮下組織の下には筋膜があるのだが、その筋膜が丸見えの状態だった。筋膜は白く、とても硬い。初めて見る組織、そして余りにも白いから、最初は骨なのかと思ってしまった。その筋膜の上に一部皮下組織と思われる赤く染まったブヨブヨ(脂肪とも呼ばれる)が、居場所がなさそうに追いやられていた。
私がスキーウェアを切ったことによって、傷病者本人も、自分の怪我を見られるようになり、思った以上の自分の怪我に、意識が遠のき始めた。身体が背もたれから外れて、横へと流れていった。全身の力が抜けて、自分の体勢をキープできなくなった彼を、慌てて彼のご両親と一緒に、横にさせた。
「お姉さんが、〇〇君のために頑張ってくれているよ。ちゃんと止血してくれているから安心してね。」
ご両親の声掛けが聞こえる。
おそらく板のエッジで切ったと思われる傷だが、明らかに皮膚が足りなかった。きっとこれは皮膚をどこからか移植してこないと足りないだろうに。結局その後、彼の板を確認したら、肉片がエッジについていたそうだ。
10〜20分ほど傷口をガーゼで押さえつけていたと思う。この時の体感時間というのは当てにならないから、実際のところはわからないが。初めての大きな傷の処置、そして大量の血。『目の前の傷病者を助けたい』という一心で、黙々と応急処置をしていたから、何も感じなかったが、止血をしている時に、急に我に帰った。
突然の手の震え。
震えを抑えようと手を離すと、自分の手(ゴム手袋はつけているものの)が赤く染まっていることに、また動揺してしまう。これはダメだと震えを抑えるために、また傷口の圧迫止血法を再開する。すると急に恐怖心が出てきたことに気がついた。
このまま止血できなかったら?
この後の手順は?どうやって運ぶ?
誰か戻ってきて。
そんな怖さの中に、私の奥底に沈んでいた昔の記憶が蘇ってきた。私がこの仕事に興味を持ったきっかけの日の記憶だ。
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あれは、北海道へスキー部の大会遠征に行った時。私は予選を勝ち抜き、翌日の本戦に向けて、不整地で黙々と練習に励んでいた。途中でリズムが乱れ、まずい!っと思った時には、後の祭り。片方の板が外れ、もう片方はそのままコブに突き刺さった。その瞬間、私の膝からは嫌な音が鳴り、そこで私は動けなくなった。
かなり激しく転倒したようだが、上からは他のスキーヤーたちがどんどん滑り降りてくる。コブの凹みにいては、このまま衝突事故を引き起こしかねない。しかし立ち上がると、膝は痛み、なぜか力が入らなかった。片方の板を脱ぐ事も履く事もできない私は、片手で板を持ちながら、横歩きで斜面を下るしかなかった。
ある程度衝突の可能性の少ない場所まで移動でき、私の大好きな看護学科の先輩にメッセージを送った。「助けてください。足を怪我して動けなくなりました。」そのメッセージはすぐに読まれ、「絶対にそこから動かずに、待っているように。」と、必ず見つけるから。と言わんばかりの心強いメッセージが戻ってきた。
そして、数十分後、彼女は近くのリフト降り場からスケーティングで駆け上がってきてくれたのだ。その彼女の逞しい姿勢と優しい顔が見えた瞬間、私は涙を堪えられなくなった。彼女は、ネガティブな言葉は一切発さず、優しく「もう大丈夫だよ。」と声かけをし続けてくれたのだ。
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すると、あんなに怖かった気持ちがスッとなくなったのだ。今のこの状況も、大好きな先輩が背後から「大丈夫だよ。あなたならできるよ。」と言ってくれているような気がして、一瞬目が覚めるような感覚があった。
すると、ほどなくして経験豊富な隊員が戻ってきた。そして間もなく、救急車の音が聞こえ、救急隊員がやってきた。無事に応急処置を終えて、彼は救急車に乗って、麓の病院へ搬送された。
彼のご両親に、何度も頭を下げられた。
「迅速な応急処置のおかげです。本当にありがとうございました。」
救急車を見送った後、急に力が抜けた。近くにいた隊員に、怖かったです、と呟いた。自分の手はまだ震えていた。それでも、この状況を無事脱することができたのは、逞しい大好きな先輩との記憶だった。
あの子は今頃どうしているのだろうか?
救助する側の私だが、あのご両親の言葉が私の救いだった。私も少しはパトロール隊員として貢献できるようになっているのかもしれない。と。
涙、涙のパトロール生活④へ続く。
写真は上空からの日本アルプス📷
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