#37 “こんな飯、テンション下がるわ”——あの一言が忘れられない
結婚生活は、最初から地獄ばかりだったわけじゃない。
だけど今振り返ると、
あの“ごめん”は、私の心の自由を確実に削った。
削られたら、脆くなる。
⸻
元夫は、好き嫌いが多かった。
かぼちゃとブロッコリーが嫌いなことは交際中から知っていた。
最初は「可愛いところあるな」くらいに思っていた。誰にだって好き嫌いはある。
でも、結婚してから
「これ嫌いやねん」
がどんどん増えていった。
——きゅうり、和菓子、チーズ、パスタ、さつまいも、人参、かまぼこ etc。
付き合っていた時は「パスタ嫌い」なんて
1度も聞いていない。
でも、絶対にカルボナーラしか食べなかった。
好きなんだなと思っていたけど——。
食べたことがないものも多かった。
モロヘイヤ。
ツルムラサキ。
空芯菜。
名前で拒否。
「なんかヌメヌメしてそう」
「見た目が無理」
カレーはビーフカレーしか認めない。
ポークは貧乏くさい。
チキンはカレーちゃうやろ、と。
結婚して1年が過ぎた頃。
元夫の仕事は繁忙期で、帰宅が0時近くになることが続いていた。
どんなに遅くなっても、
夕食は家で食べる人だった。
正直、しんどかった。
私もフルタイムで働いていたのに
いつまでも家事が終わらない。
でも、元夫が体を壊したら大変なので
「ちゃんとしたものを出さなきゃ」
と思っていた。
前日は肉だったから、
今日は消化に良いものをと考え、
煮魚を作った。
でも、元夫は食卓を見た瞬間に顔を歪めた。
「は? こんな飯、テンション下がるわ」
その声のトーンが、今でも耳に残っている。
「うわ、最悪」とでも言いたげな目つきだった。
私は反射的に言った。
「……ごめん」
あのときの“ごめん”には、いろんな意味が詰まっていた。
「気に入らない献立にしてごめん」
「あなたの好きなものじゃなくてごめん」
「怒らせてしまってごめん」
「よく分からんけど、ごめん」
でも本当は——
何も謝る必要なんてなかった。
私は一生懸命だった。
私なりに考えて、選んで、作っていた。
それでも、「ごめん」と言わされる空気。
それからの私は、文句を言われたくなくて
必死だった。
料理のレパートリーを減らしながら、
「元夫が文句を言わずに食べるもの」
だけを並べるようになっていた。
——知らないうちに。
ハンバーグ
カレー
オムライス
ハヤシライス
牛丼
冷凍の餃子 メーカー指定あり
鶏の唐揚げ
一度、塩味の親子丼というレシピをネットで見つけ、作ってみた。
美味しかった。
元夫は見るなり「なにこれ、失敗したんやろ?」と強い口調で言った。
失敗じゃない、美味しいから食べてみてと
レシピを見せたが納得せず、醤油と砂糖を適当に投げ入れ、味付けを修正して食べていた。
翌朝、プリントアウトした
「親子丼」のレシピが、テーブルに置かれていた。
⸻
否定される。
選択肢を奪われる。
「お前の出したものは価値がない」
と口に出す。
それが続いたら、自分が全部、信じられなくなる。
私は、元夫との暮らしに疲弊していた。
けれども、自分がどれだけすり減っているのかには、まだ気づいていなかった。
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