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自分の目で確かめるまで、本来の自分は見えてこない

日頃このブログでも
伝えていることが
とてもわかりやすく
書かれているこちらの記事。

こちらの方、ちえさんは
「コアキーワード」の
生みの親でもあります。

私も自分のコアキーワードを持っています

コアキーワードについても
ブログに書かれているので
気になる方はそちらを読んでみて。


「自己愛」については
私も以前記事にしました。

個性を知っていくことも
自分との向き合いも

簡単ではありませんが
そのプロセスの全てが
「自己愛」と言えます。

「愛する」という言葉からは
ロマンチックなイメージが
広がるかもしれませんが、

個性を知っていくことは
おそらく少しもロマンチックでは
ないと思います。

むしろ、現実を突きつけられる。

でも、ありのままの
「今の自分」が
むき出しになるからこそ、


ようやくその自分を
愛することができるんです。

ちえさんの記事にも
こんな記述がありました。

コアから見たら、

恐れも
不安も
怒りも

どれも
自分の一部だから。

それを無視したまま
「私はもう恐れていません」
「私はもう不安ではありません」
と言うのは、

本当の意味で
自分を大切にしていることには
ならないんじゃないかなって思うんです。

自己愛とは自分を無視しないこと~恐れや不安と手を繋ぐ愛~|ちびちえ

自分が感じていることを
「無視」しているなら、

まずその自分に気づいていく
必要があります。

往々にして「無自覚」に
なっていることが多いから。

そして大切なことは

「無視していた自分を責めないこと」

です。

なぜならこの自分すらも
「愛する対象」だから。

無かったことにするのとも
ちょっと違う。

そこにあるものを
ちゃんとあるものとして見る。

自己愛とは自分を無視しないこと~恐れや不安と手を繋ぐ愛~|ちびちえ

自分を正すために見る、
のではなく

「無かったことにしない」
ために見るんです。

だって、あるんだもん。

「見たくない」

ってあなたが思うなら
そのあなたもまた
「ある」というだけ。


大事なことは
「愛せるようになるかどうか」
という結果なのではなく、

「愛せないというプロセス」
もまた、愛されるべきものだと
気づくことです。

これ、伝わりますか?


ちえさんにはちえさんの
体験と向き合いと気づきがあり、

これらの言葉が生まれている。

あなたにもあなただけの
体験と向き合いと気づきの
プロセスがあるんです。

そのプロセスを、
どうか尊重してあげて欲しい。
どうか愛してあげて欲しい。

なぜならそこには
「間違い」なんて
ひとつも起こっていないから。

不安に飲み込まれて
夜も眠れなくて、

「このまま全部
消えてしまえばいい。」


そう思ったことだってあります。

もう何も感じたくない。
考えたくない。
終わりにしたい。

そこまで暗く
沈んだこともある。

それでも朝は来ました。

自己愛とは自分を無視しないこと~恐れや不安と手を繋ぐ愛~|ちびちえ

私たちは起こる出来事に対して、
頭や心であれこれと感じます。

何かを望んだり
何かに絶望したりする。

それもまた「プロセス」です。

感じている内容は
真実ではないかもしれない
思い込みかもしれない

けれども、
「そう感じた自分」は
確かにそこにいて、

それを無しにはできない。

結局、自分の人生で起こったことや
そこに対して感じたことや考えたことは

全て自分で引き受ける
しかないのです。

そしてそこに
いいも悪いもありません。

ただそう感じた自分が、
確かにいただけ。

見たくなかった自分も
置いていかないこと。

自己愛とは自分を無視しないこと~恐れや不安と手を繋ぐ愛~|ちびちえ

「見たくなかった」とは
自分が感じたことへの
心の反応(抵抗)です。

それを信じ続けているうちは
自分が自分の一部を
「置いてけぼり」にしています。

でもその抵抗は本当に
あなたの心でしょうか?

あなたは「本当に」
それをしたいのでしょうか?

ただ、流されているだけかもしれない。


不安な自分がいるのに
「そんなのダメ」って言う。

恐れている自分がいるのに
「もっと波動を上げなきゃ」って上書きする。

傷ついている自分がいるのに
「気にしない、気にしない」って
無理に前を向こうとする。

そうすると、
内側にいるもう一人の自分は
ずっと無視されたままになる。

自己愛とは自分を無視しないこと~恐れや不安と手を繋ぐ愛~|ちびちえ

これも、多くの人が
やりがちではないでしょうか?

ちゃんと奥を見る前に
慌てて言葉で蓋をする感じ。

これも無自覚だったりする。

でも無自覚だろうと
「無かったことにはできない」
んです。


私たちは「体験」を通じて
気づいていくことができる
生き物です。

だから、こういう
「内なる反応」を
まず体験します。

その体験がなければ
気づきもありません。

けれども気づけなければ
永遠に繰り返される。
 
繰り返されることで
本人を立ち止まらせ、
「いよいよ向き合うしかない」
状況を作ってくれているんです。

それでも、それを
「無視」することも
簡単にできてしまいます。


何よりもまず、気づくべきは
「無自覚に生きていること」
かもしれません。

私が「観察」をお勧めしている
理由もここにあります。

不安も
恐れも
怒りも
絶望も

敵ではない。

それは
まだ小さく震えている
自分の一部。

そしてその存在は
排除されるためにいるのではなくて、

理解されるために
そこにいるのだと思います。

自己愛とは自分を無視しないこと~恐れや不安と手を繋ぐ愛~|ちびちえ

「理解」のために
自分の内側を見つめ始める。

その姿勢が「変化」のはじまり。

いきなりはできなくても
その姿勢があり続ける限り、
人は何度でも向かい続けられる。

私はいつでも相手の中の
「姿勢」だけを見つめています。
 
何ができたか、じゃなくて。
何に気づけたか、でもなくて。


「自己愛」の世界や
自分との向き合いは

「こうすればこうなる」とか
「これをこうすればいい」などと

説明できるものでは
ありません。

なぜなら一瞬一瞬が
自分自身との対峙だから。

知識なんていらないのです。
裸で向き合うだけだから。

そこにあるのは
そこでできるのは
「全身で相手を感じる」
ただそのひとつだけ。


そんな世界がまだ
「よくわからない」
のであれば、

それは単にまだ
体験していないだけ。

なら、体験してみましょうよ。

ただ、それだけのことです。


陰を愛することで
陰から愛されます。

すべては陰から生まれ
陰に還っていきます。


あなたの世界では
「陰」はどんな姿を
見せてくれていますか?

そこに映っている姿こそが
あなたの心の投影です。

陰に向かえば向かうほど
それが浮き彫りになります。

良し悪しはありません。

ただ、それが「ある」だけ。


そして陰とは
あなたの体です。
もう一人のあなたです。

誤魔化すのをやめて
目を逸らすのをやめて

自分の目で確かめてみる。


「できない」「わからない」と
駄々をこねているうちは
周りが助けてくれるでしょう。

それもまた、必要なプロセスです。

けれどもいつまでもそこに
甘えてばかりでは、
変わるはずがありません。

「甘える」という体験から
学んでいますか?
気づきはありましたか?


1ミリも目を逸らさずに
自分を見つめていく行為は、

「自己愛」からしか起こりません。

見つめる側の自分が
愛だからこそ、
見える全てのプロセスを
愛することができるんです。

その「力」があることに
あなた自身が気づくまでは

「愛せない」体験を
繰り返していくはずです。


ご自身のプロセスを愛し
ご自身のプロセスから
学んでください。

サポートはいくらでもします。


ふっこ☻


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