呪いが解けた話
最初に断っておくがチェロの話だ。スピリチュアルな話ではない。
自己紹介に記載したように、私はチェロに関しては今まで拗らせてきた。いままで書いた記事もそのこじれから得たネタばかりだ。
先日、今までの自分の考えが、思い込みだったのかもと自覚した(=呪いが解けた)ことがあったのでそのことを書こうと思う。
以前、別の件で長年の思い込みが覆された時と同じくらいの衝撃だった。簡単に言うと大学オケで「合奏はパート同士の闘争だ」と思い込んでいたのが、実は「助け合い」だったといまさら気づいたって話だ。(詳しくはこちら)
これと同じく、何十年ネガティブにとらわれていたんだ、という話になる。
きっかけは今習っている先生から、彼女が以前教えていた生徒たちのエピソードをきいたことだ。
チェロを始めて1年にも満たない小学生の生徒が、「バッハの無伴奏組曲第一番のプレリュードが弾きたい。それで発表会に出たい。」と言う。どうにかこうにか教えて発表会を乗り切った。彼はその後20年超継続し、今や相当上手になった。
似た経緯をたどった子がもう一人いる。習いたてなのにとにかく無伴奏をやらせてくれという。チェロ以外にも様々な楽器に手を出し、そんな浅く広くやっても、、、という先生の心配をよそに結局音大に進学したらしい。
衝撃だった。
いきなり難しい曲をやること、他の楽器に変に手を出すこと、全部上達したいなら「やってはいけない」ことだと私は思っていたからだ。
全然違うじゃないか、2人ともそれをやったうえで結果(上達)を出しているじゃないか、と。
それにしても初心者からの「バッハやらせろ」要求に応じる先生の度量も相当広い。そこに甘えて自分の話もしてみた。
私は小学生時代ピアノをやっていたときからやりたいと言った曲は親や先生に「早すぎる」として却下されることが多かったこと、社会人になってから習っていた先生にも教本に載っていたバッハだけやらせてもらえなかったこと(このことについてはこちらでねちねち語っている)。そして私はその事実を「自分にはまだ弾ける技量がないから、上達するしかない」と解釈していたこと。そんなこんなでバッハは弾いたことがないこと。
それを聞いた先生曰く
「ハァ!?!」(某人気アニメ「ちい〇わ」のうさぎの如く)
「やってはいけないなんてことはないです。やりたいなら早くやりましょう、早くやったほうがいい。」
「たしかに初心者がいきなりバッハは技量が追い付いていない分完成 度は低くなります。が、あとで何度でも弾けばいいのです。モチベーションを奪うこともまたリスキーです」「音楽との付き合い方は本当に色々です」
思えば弾いてみたい曲というのが、今、ない。聴く側として好きな曲はいっぱいあるけど、自分が演奏するとなると「基礎が完璧でなければ、上手でなければ、弾きたい曲を弾いてはいけない」と無意識に思っていたな、そういう呪いにかかってたかもなあ、とぼんやり気づき始めた。
最初に習った先生は「基礎からきちんと」と思っていたのだと思う。社会人の時習った先生は、教本に出てきた抜粋版無伴奏は飛ばしたけど、組曲全体であとから教えようしてくれていたのかもしれない。ただ彼らの意図は考えたところでどうせわからない。ポイントは私はそれを「私は下手だからやってはいけない」と解釈したのだ。その解釈にずっととらわれていた。きっかけは当時の先生だが呪い続けたのは自分自身だったかもしれない。
難しいのが、呪いを解くには信頼できる他者が必要なことだ。今回みたいに先生がきっかけをくれてはじめて、「あれ?もしかして自分頓珍漢だった??」って思い始める。上記のエピソードは事実に即しているからこそ説得力があったのだけど、そもそも先生を信頼しているから今の私に響いたというのもある。
ただ信頼できる他者とのめぐりあわせなんて運でしかない。
もし同じような人がいたとして、アドバイスできることと言えば自分が苦しさを感じた時点でセカンドオピニオン・サードオピニオンを求めたらいいのではというくらいだろうか。先生も色々なうえ、指導法も時代によって変わる。生徒の年齢によっても変わる。音楽はいつでも始められるけど、小学生の初心者と高校生の初心者、シニアの初心者はそれぞれ教え方も学び方も違う。
私の場合若いとき受けた指導を内面化してそのままブランクに突入したためずっと抱えてしまった面もある。歳をとったら歳を取ったなりの指導を受けるのがいい。
最後に、それにしてもみんな無伴奏好きだな!!!と思った出来事でした。
