小笠原は誰のものか——南鳥島、三つの顔と初めての選択
あなたが使った電気のゴミを、行ったこともない島に埋めていいのか。
その問いに、あなたは自分の言葉で答えられるだろうか。
序章|「マーカス島」について
南鳥島にレアアースの泥が眠っている。
そう知ったとき、私はまだ半導体業界にいた。
中国がレアアースの輸出規制を振りかざすたびに、「南鳥島沖に世界有数の埋蔵量」という記事が流れてきた。資源小国ニッポンの切り札。先端産業を支える鍵。そんな文脈で、自分の村の島の名前が出てくる。そのたびに私は、少し不思議な気持ちでそれを眺めていた。
私は父島で育った。

父島、義兵岩にて
南鳥島は同じ小笠原村に属しているが、父島から東南東に約1,300km離れている。面積は1.51平方キロ、周囲約7.6km。行ったことはない。定期航路もない。気象庁職員や自衛隊関係者が常駐する、日本最東端の小さな島だ。
島の人間は南鳥島を「マーカス島」と呼ぶ。米軍施政権時代の名残だ。公式には「南鳥島」、島っ子の口には「マーカス」。同じ島の呼び名ひとつに、外から意味を塗り替えられてきた歴史が重なっている。
だが行政上は、私がかつて走り回った父島と同じ「うちの村」である。

ロードバイクを担いで駆け登る

2026年3月3日、その南鳥島について、経済産業省が高レベル放射性廃棄物の最終処分に向けた文献調査を小笠原村に申し入れた。村はこれを受け、3月14日に父島、15日に母島で説明会を開くことになった。
ニュースを見たとき、驚きはなかった。
あったのは、既視感だった。

1章|本土が書き換える、南鳥島の意味
南鳥島には三つの顔がある。
そしてその三つとも、本土が必要に応じて貼り付けてきたラベルだ。
第一の顔は、資源の島である。
レアアース泥、マンガン団塊、コバルトリッチクラスト。中国依存を減らしたいとき、南鳥島は「日本の宝の島」になる。国家が必要とする資源安全保障の物語の中で、この島は戦略拠点として浮上する。
第二の顔は、安全保障の盾である。
南鳥島は日本最東端の島であり、その存在自体が広大な排他的経済水域を支えている。2014年には、小笠原周辺海域に200隻を超える中国漁船団が押し寄せ、赤サンゴ密漁が起きた。

あのとき、私の両親はまだ父島に住んでいた。EEZという言葉は、テレビの中の安全保障論ではなくなった。親の生活圏に外国の船団が現れたという、生々しい恐怖になった。あの日以来、島が地図にあることの意味を、私は内臓で理解している。
第三の顔は、核のゴミの島である。
2026年3月、南鳥島には三枚目のラベルが貼られようとしている。経産省は、南鳥島全域について、科学的特性マップ上で「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」こと、国有地であること、調査実施の見込みがあることを理由に申し入れを行った。要するに、国家にとって説明しやすく、進めやすい候補地として見られているということだ。
三つの顔に共通するのは、主語が常に本土側にあることだ。
レアアースが必要なときは「日本の宝の島」。EEZを守りたいときは「安全保障の最前線」。核のゴミの行き先がないときは「候補地」。南鳥島は、そのつど本土の事情に応じて意味を書き換えられてきた。
便利な島だ。
誰も住んでいない。だから声が聞こえにくい。
だが、「誰も住んでいない」ことと、「誰のものでもない」ことは違う。
2章|翻弄の島——外部に主語を奪われてきた歴史
これは南鳥島だけの話ではない。
小笠原諸島そのものが、外部から意味を与えられてきた場所だ。
19世紀、小笠原は欧米人の定住地であり、太平洋航路の中継地として位置づけられた。やがて日本政府が領有と統治を宣言し、島は国家の枠組みの中に組み込まれていく。戦時中には軍事色を強め、1944年には島民6,886人が本土へ強制疎開させられた。戦後は連合国施政権下に入り、一部の欧米系島民を除いて故郷に戻れない時期が続いた。1968年6月26日、小笠原は日本に返還される。そして2011年には、小笠原諸島が世界自然遺産に登録された。
開拓地、軍事拠点、占領地、返還地、世界遺産。
この200年、小笠原の国家的な意味づけは、ほとんど常に島の外から与えられてきた。
もちろん、島民に主体性がなかったと言いたいわけではない。
返還を求めた人たちがいた。暮らしを守ろうとした人たちがいた。自然を残そうとした人たちがいた。だが、島の大きな意味づけを決めるフレームそのものは、たいてい外からやってきた。
島民は毎回、その脚本を受け入れるか拒否するかを迫られてきた。
自分たちで脚本を書く機会は、ほとんど与えられてこなかった。
3章|ブランドを守るという名の従属
いま、島の中で反対の声が上がり始めている。
それ自体は自然なことだと思う。
ただ、その反対の理由は丁寧に見た方がいい。
少なくとも文献調査の段階では、争点は直接の物理的リスクというより、政治的・象徴的・経済的な含意にある。文献調査は、既存の地質図や論文、各種データをもとに行う机上調査であり、ボーリングなどの現地作業は行わない。処分場受け入れを、直ちに求める段階でもない。
では、何が嫌なのか。
本音に近いところにあるのは、おそらく「世界自然遺産・小笠原」というイメージが傷つくことへの恐怖だ。
小笠原の経済は観光への依存が大きい。
エコツーリズム、ホエールウォッチング、ダイビング。世界自然遺産というラベルは、誇りであると同時に、集客装置でもある。だから同じ小笠原村の行政区画の中に「核廃棄物処分場候補」という言葉がぶら下がることに、強い拒否感が生まれる。
その感覚はわかる。
とくに返還後に移住してきた人たち、自然保護やエコロジーへの思いから小笠原を選んだ人たちにとって、「小笠原」と「核」が同じ文脈で語られること自体が耐えがたいのだろう。
だが、一歩引いて考えてみたい。
「世界自然遺産のブランドを守りたい」という動機で反対するとき、そこでは何に依存しているのか。ユネスコが認めた価値、外部が与えたフレーム、そのラベルである。
世界自然遺産に登録されたこと自体は誇らしい。
私だってそう思う。独自の生態系が国際的に認められたことは事実だし、守るべき価値でもある。だが、そのラベルを守ることが最優先になった瞬間、小笠原はまた、外部から与えられた定義の中で動くことになる。
世界遺産のために存在する島。
観光客に見せるための自然。
それは、開拓のため、軍事のため、国家戦略のために意味づけられてきた過去と、どこまで違うのか。
ブランド毀損への恐怖から反対することは、一見すると島を守る行為に見える。
だが同時に、それは外から与えられた価値規定に最も忠実に従う態度でもある。そこに、小笠原がこれまで繰り返し呑み込まれてきた構造がある。
4章|引き受けるということ——エウラヨキの覚悟と、時間軸のズレ
フィンランド西岸に、エウラヨキという町がある。
人口は9,000人を少し超える。この町には、使用済み核燃料の最終処分施設「オンカロ」がある。
オンカロは地下深くの岩盤に整備されてきた世界初の先行事例であり、自治体、政府、議会、独立した規制当局による段階的な意思決定を経て進められてきた。
エウラヨキの事例から読み取れるのは、二つのことだ。
一つは、受益と負担の一致である。
電力の恩恵を受けるなら、そのライフサイクルの最後、つまり廃棄物の始末までを含めて自分たちの問題として引き受ける。恩恵だけ享受して、負の遺産は遠くへ押しやる。その分離を当然視しないという倫理だ。
もう一つは、自分たちの言葉で決めたという点である。
押し付けられて受け入れたのではない。議論し、手続きを踏み、納得の過程を経て引き受けた。結果だけでなく、そこに至るプロセスに意味がある。
翻って、日本はどうか。
本来なら、ここで先に問うべきなのはエネルギーの地産地消である。
東京が膨大な電力を消費する。
その電力を生む原発は地方に置かれる。そこから出た核のゴミは、さらに別の過疎地や無人島に運ばれる。受益と負担を空間的に切り離す、この中央集権型のエネルギーシステムこそが根本問題だ。
使う場所で発電し、使う場所で後始末まで引き受ける。
分散型エネルギー、マイクログリッド、スマートグリッド。技術的選択肢はすでにある。筋論で言えば、この議論が先に来るべきだ。
だが、現実は理想通りには進まない。
理想を語っている間にも、既に存在する廃棄物の問題はそこにある。
正論を言うだけでは、ゴミは消えない。
誰かが、どこかで、引き受けなければならない。
問題は、その「誰か」が自分の言葉で引き受けるのか、それとも本土の都合で押し付けられるのかだ。
結果だけ見れば似ていても、意味はまるで違う。
5章|初めての選択
小笠原村では、これから議論が本格化する。
賛成と反対で村が割れることもあるだろう。
だが、私が島の同級生や友人に言いたいのは、賛否の結論そのものではない。
何を根拠に、誰の言葉で決めるのか。
そこだ。
ブランドが傷つくから嫌だ。
それはユネスコが書いた脚本への反応だ。
交付金が出るから賛成だ。
それは国が用意した脚本への反応だ。
どちらも、まだ主語が島の外にある。
200年近く、小笠原はそうやって生きてきた。外からフレームが来て、受け入れるか拒否するか。その繰り返しだった。
だが今回は、少し違う。
今回の文献調査申し入れは、小笠原が自分の言葉で、日本社会の中での自分の役割を定義できる、めったにない機会でもある。
受け入れるにしても、拒否するにしてもいい。
大事なのは、外部のフレームへの反射ではなく、自分たちで考え、自分たちの言葉で宣言することだ。
私個人としては、引き受けるべきだと思っている。
原発の恩恵を受けている以上、負の遺産にも責任を負うべきだ。その役が小笠原に来たのなら、議論した上で引き受けるという選択はありうる。
ただし条件がある。
「押し付けられて仕方なく」では意味がない。
自分たちで議論し、考え、納得したうえで引き受けるのでなければならない。
そのプロセスこそが、小笠原が初めて脚本を書くということだからだ。
6章|36年前、私も自分で決めて島を出た
36年前、私は小笠原の中学を出て、15歳で単身内地に渡った。
島には都立高校があった。
残る選択肢もあった。
だが私は、エンジニアになりたかった。
その夢を叶えるために、自分で決めて島を出た。片道28時間半(現在は24時間)の船に乗って。
高専に入り、技術者として半導体業界を歩いた。
アスリートとしても生きた。
今はフリーランスとして、スマート植物工場を手がけながら、地域活性化に関わっている。
技術者の目で、レアアースや原子力の構造を読む。
身体を使ってきた人間として、島の距離を数字だけではなく体感で知っている。
地域活性化の現場で、ブランドに依存した経済がいかに脆いかも見てきた。
15歳のとき、私は自分で脚本を書いた。
島に残るか、出るか。
誰かに決められたのではない。自分の意志で選んだ。
小さな選択だが、あれが「自分の言葉で決める」ということの原点だったのだと思う。
36年、島の外にいる。
それでも島っ子であることは変わらない。
同級生も友人も、今も島で暮らしている。
島の中にいたら、利害が近すぎてこうは書けない。
完全な外部者なら、当事者性がなくてこうは書けない。
15で島を出て、36年間ずっと内地から小笠原を見続けてきた。
この距離でしか見えないものがある。
南鳥島は、資源の島でもあり、安全保障の盾でもあり、いまや廃棄物候補地としても語られている。
その三つの顔を全部知った上で、私は言う。
小笠原は、誰かの都合で意味を書き換えられるための島ではない。
掘った場所にしか、自分の言葉は生まれない。
自分の島のことは、自分で決めよう。
筆者は父島で育ち、エンジニアを志して15歳で単身内地へ。高専卒業後、半導体業界の技術者として勤務、アスリートとしても活動。現在はフリーランスとして神奈川県在住。スマート植物工場を運営しつつ、地域活性化に関わる。小笠原諸島・南鳥島のレアアース・資源開発の動向を継続的に発信してきた。
参考・引用
南鳥島 文献調査申し入れ
小笠原諸島の歴史
赤サンゴ密漁事件(2014年)
エウラヨキ・オンカロ/日本の核燃料サイクル
母島からの声
サムネイル
Nano Banana 2(Gemini-3.1 Pro/Google)
プロンプト:
A highly detailed satellite map of Japan and the western Pacific Ocean, 16:9 aspect ratio. The map includes crisp, clean white text labels with small white dot markers indicating the locations of "Tokyo", "Osaka", "Fukuoka", "Chichijima / Hahajima", "Iwo Jima", "Okinotorishima", and "Minamitorishima". A prominent, clean red circle clearly outlines Minamitorishima. The ocean is deep blue, and the landmasses are realistic satellite green and brown. No watermarks, no logos, minimalist and stylish design.いいなと思ったら応援しよう!
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