普通って、誰の普通?
「普通は友達がいる。」
中学生の私は、
そう思っていました。
クラスでは、
みんなが当たり前のように笑って、
当たり前のように話して、
当たり前のように友達がいる。
それが「普通」なんだと信じていました。
だから私は、
どうして私だけできないんだろう。
そう何度も思いました。
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何が足りないんだろう。
何ができていないんだろう。
何が悪いんだろう。
そんなことばかり考えていました。
友達の作り方が書かれた本を読んでみたり、
周りの子を観察して、
真似してみたり。
「努力すれば普通になれる。」
本気でそう思っていました。
でも、
どれだけ頑張っても、
私はみんなのようにはなれませんでした。
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その頃の私は、
「友達が作れない私」
ではなく、
「普通になれない私」
を責め続けていたんです。
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大人になった今なら、
分かることがあります。
私は今でも、
新しい人と打ち解けるのは得意ではありません。
でもその代わり、
一度できた縁を、
長く、大切に育てていくことは得意でした。
広く浅くより、
狭く深く。
それが私の人との関わり方だったんです。
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その時、
ようやく気づきました。
私は劣っていたんじゃない。
間違っていたんでもない。
ただ、
人との関わり方が違っただけ。
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「普通」という言葉は、
まるで正解みたいに聞こえます。
でも、
よく考えてみると、
その「普通」は、
目の前にいる人たちの中で、
たまたま多かっただけなのかもしれません。
育った環境も、
性格も、
大切にしているものも違うのに、
誰にでも当てはまる「普通」なんて、
本当はあるのでしょうか。
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もちろん、
多数派であることが悪いわけではありません。
でも、
その多数派を「正解」にしてしまうと、
そこから少し外れた誰かは、
「自分がおかしいんだ」
と思ってしまいます。
昔の私のように。
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今の私は、
「普通になろう」
とは思いません。
それよりも、
私はどうありたいのか。
その問いを大切にしています。
人と比べることより、
人の目を気にすることより、
自分が納得できる生き方を選びたい。
そう思うようになりました。
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もし今、
「普通になれない。」
そう悩んでいる人がいたら、
少しだけ思い出してほしいんです。
今見えている「普通」が、
あなたにとっての正解とは限らないことを。
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あの頃の私に、
今の私が声をかけるなら、
きっとこう言います。
大丈夫。
あなたは普通になれなかったんじゃない。
まだ、自分らしい生き方を知らなかっただけ。
だから焦らなくていい。
あなたは、あなたのままで大丈夫。
あなたが苦しんできた「普通」は、
本当に、あなたが目指したかったものですか。
