「何もしない私は悪い」から、私が社長になるまで
以前、「疲れていることに、あとから気づいた」
という記事を書いた。
そのとき初めて、疲れたときに炭酸を飲んで一息つくようになった。
反り腰にも気づいた。
でも、いつの間にか「治そう」と頑張っていて、
首や肩に力が入っていた。
その後も、「身体」というメッセージが何度も来ていた。
だから今度は、
「身体が教えてくれているなら、ちゃんと休もう」
と思った。
意識して休むようにした。
疲れたら休もう。
何もしない時間を作ろう。
ところが。。。
おかしなことが起きた。
休もうと意識すればするほど、
「ちゃんと休まなきゃ」
と思うようになった。
「今日もちゃんと休めなかった」
「何もしないができていない」
……あれ?
なんか、どんどん苦しくなっている🤣
また始まった。
私の、古い癖。
ゼロか、100。
今振り返ってみると、前も今も同じだった。
前は、疲れていることに気づいて、
何とかしなきゃ」と動いた。
今度は、身体が休んでと言っていることに気づいて、
「ちゃんと休まなきゃ」と頑張った。
でも――
何もしないでいると、なぜか落ち着かない。
休みたいのに、じっとしていられない。
私は最近まで、これを「休むのが苦手だから」だと思っていた。
でも、違った。
私はどうやら、
休むことまで頑張っていたらしい。
……なんだそれー🤣
休むのに、頑張る。
しかも、ちゃんと休めているか自分で採点する。
「今日も休めてないじゃん」
そんなふうに、自分を責めるところまでセットだった。
ここまで考えてきて、ふと、ある日の夢を思い出した。
夢の最後に私は、こんなことを言っていた。
「それなら、私が会社作っちゃう?」
……起業したわけではない。
もちろん、まだ会社も作っていない🤣
「休むこと」を頑張っていた
ここ数日、私は意識して休もうとしていた。
疲れたら、いったん止まる。
何もしない時間も作ってみる。
でも、実際にやってみると、思っていたより難しかった。
noteを書いていても、
「楽しいから、もう少しやりたい」
と思う。
でも身体は疲れてくる。
じゃあ、休もう。
そして気づけば、
「また何かしてしまった」
「何もしないができていない」
と、頭の中で採点が始まる。
休むことにも、正解を求めていた。
そして私は、気づいた。
休むために、自分を追い込んでいる。
スパルタすぎるーー🤣
今思うと、ちょっと笑ってしまう。
アーシングに行こうとしたら、雨が降った
その日、私はアーシングに行こうとした。
水や自然とつながることが身体にいいと知って、
「ちょっと行ってみよう」と思ったのだ。
途中、初めて行く諏訪神社に寄ってみた。
小さな神社だったけれど、
古くから参拝されてきたような雰囲気があった。
狐の置物がたくさんあって、
神社の裏には大きな岩があり、小さな祠もあった。
風がとても気持ちよかった。
参拝を終えた。
そして、その直後。
雨が降ってきた。
「えーーー、アーシングできないじゃん」
仕方なく、私は帰ることにした。
そして家に入る前には、雨がやんで晴れていた。
「はい、今日はもう十分。帰ってよし」
そんなふうに言われたような気がした笑
今思えば、
私は「休むためにアーシングに行く」ということまで、
予定にしていたのだ。
何もしない私は悪い
帰ってきてから、私はアパートの前で工事をしている人を見た。
結構年齢を重ねた人だった。
それを見て、なぜか心がざわざわした。
「私は仕事していない」
「何もしていない」
そんな感覚が出てきた。
そこで気づいた。
私は、ただ休むことが苦手なのではない。
「何もしない自分」を責めている。
無職だった頃、家事を一生懸命していた理由
若い頃、私は無職だった時期がある。
その頃、母の目が怖かった。
母はもういい年齢なのに働いている。
私は家にいるだけ。
それが、とても耐えられなかった。
だから、昼ご飯を作ったり、掃除をしたり、一生懸命家事をしていた。
少し前の私は、「いい子を演じていた」と思っていた。
でも、今振り返ると、もっと深いところにあった。
ただ家にいることへの罪悪感だったのだと思う。
母は、何もしないで家にいる父のことを、よく悪く言っていた。
「寝てばっかり」
そんな言葉を聞いていた私は、母の様子を見て、
反射的に「何かしなきゃ」と動いていた。
当時は、それが「嫌われたくないから」だとも分かっていなかった。
でも今振り返ると、
「お母さんに悪く言われたくない」
「嫌われたくない」
そんな思いが、私の中にあったのだと思う。
何かをしていれば、悪く言われない。
何かをしていれば、ここにいてもいい。
そんなふうに、身体が覚えていたのかもしれない。
でも、今になって思う。
あの頃の私も、もしかしたら疲れていたのかもしれない。
昼ご飯を作って、掃除をして、一生懸命家事をして。
それでも私は、
「疲れたから休みたい」
とは思っていなかった。
ただ、
「何かしなきゃ」
と思っていた。
疲れていることにも、無自覚だった。
そして今も、同じことが起きているのかもしれない。
何もしない
↓
悪く言われる
↓
悪者になる
↓
嫌われる
↓
要らない子になる
そんな古い回路が、私の中にできていたのだと思う。
だから私は、何かをしていないと落ち着かなかった。
何もしないで、ただいることに罪悪感があった。
動いていれば大丈夫。
何かをしていれば、ここにいていい。
反対に、動かないことは、どこか危険だった。
私はずっと動いて生きてきたから、
「休む」ということ自体を、知らなかったのだと思う。
夢の中で、私は男性を選んでいた
そんなことを考えていたら、今朝の夢を思い出した。
昔の友達や何人かの男性が出てきた。
最初は台所のような場所で、私は洗濯物をたたんでいた。
その中で、何人かの男性と組み合わせになり、
一人の男性と一緒に何かをすることになった。
その男性からバスタオルを預かった。
私はそのバスタオルの匂いを嗅いだ。
すごくいい香りでもない。
ほとんど無臭に近い、素朴な匂いだった。
「この人なら相性がいいかな」
「この人でいいかな」
私は、そんなふうに感じていた。
一方で、別の男性を見て、
「この人だったら嫌だけど、我慢しなきゃいけないのかな」
と思っていた。
この二人の違いが、今の私にはとても印象に残っている。
まえは、本当は嫌なのに、
「仕方ない」
「これくらい我慢しなきゃ」
「やらなきゃいけない」
と、自分の気持ちを後回しにしていた。
でも夢の中の私は、違っていた。
その男性のバスタオルから、強くも嫌でもない、
ほとんど無臭に近い素朴な匂いがした。
その匂いを嗅いで、
「この人なら、無理しなくても大丈夫そう」
と感じた。
ただ、
「嫌じゃない」
「これなら自然にいられそう」
そんな感覚だった。
今の私には、そこが大事なのかもしれない。
「どちらが正しいか」ではなく、
「私の身体は、どちらなら無理なくいられる?」
を感じること。
そして
夢でみんな男性がマッチョみたいだったのが面白い🤣
「強いからいい」のではない。
私に合う強さで生きる。
そんなことを夢が教えてくれているようにも感じた。
昔の彼が夢に出てきた
その後、昔付き合っていた彼が出てきた。
現実では、母から「別れなさい」と言われた人だった。
彼は純粋な人だった。
いつも楽しそうだった。
苦しいことも経験していた。
二十歳ですでに、いろいろなことを経験していた人だった。
それでも、自分の人生を自分で歩いていた。
自分の気持ちに素直だった。
私は、そんな彼の心が好きだった。
でも私は、母の言葉で別れた。
今思えば、彼は私が自分の気持ちに従えていないことを、
どこかで見抜いていたのかもしれない。
その彼が、夢の中では私に好意を寄せてくれていた。
もしかしたら、私の中にずっと引っ掛かっていたものがあったのだと思う。
夢の神様、昔の彼まで出してきたかー🤣
でも、もちろん、これは彼とどうこうという話ではない。
昔の彼が持っていた、
「自分の気持ちに素直に生きる力」
が、今の私のところに戻ってきた。
そんなふうに感じた。
「私の会社に取りに来て」
夢の最初には、昔の友達も出てきた。
火を使うなら、私は友達に「貸すよ」と言った。
でも、今すぐ必要なわけではないから、
「夕方、私のところに取りに来て」
という感じだった。
これも、今の私には少し面白かった。
以前の私は、誰かが必要としているなら、
自分から動いて届けようとしていたように思う。
でも今は、
「私はここにいる。必要なら、ここでつながればいい」
くらいでもいいのかもしれない。
相手とつながらないわけではない。
ただ、私が相手のところまで急いで行かなくてもいい。
自分の場所にいながら、人とつながる。
そんな関わり方もあるのかもしれない。
私は今、
「人とつながること」と「自分を相手に合わせること」は、同じではない。
そんなことを少しずつ覚えている。
最後に、夢の中で「私が会社を作っちゃう?」
夢の最後。
駅の近くのような場所で、請求書みたいなものを見ていた。
6万円いくらになっていた。
「高い」と思った。
でも、そのときの感覚は、
「こんなに高いなら、自分でチャチャッとできるじゃん」
自分でやれば安く済む。
ちょっと動けば、お金を稼ぐこともできる。
そんな感じだった。
その下には、一人あたり24,000円くらいの金額も書かれていた。
そして私は、一緒にいた人に、
「それなら、私が会社作っちゃう?」
と、面白半分に話していた。
「私が独立して作っちゃう?」
そんな感じだった。
目が覚めてから考えてみた。
これも、今の私には面白かった。
私はこれまで、
「こうしなきゃ」
「みんながやっているから」
「こうするのが普通だから」
と、外側に合わせて自分を動かしてきた。
でも夢の中の私は、
「だったら、私がやってみればいいじゃん」
と言っている。
誰かに決めてもらうのではなく、
自分でやることを決める。
そんな感覚が出てきたのかもしれない。
でも、「私が社長」というのは、何でも自分でやるという意味ではない。
社長なら、
「これは私がやってみたい」
と思ったら、やってみてもいい。
でも、
「今日は疲れた」
と思ったら、
「じゃあ、今日は休もう」
と決めてもいい。
やることも。
やらないことも。
動くことも。
休むことも。
私が決めていい。
それが、今の私にとっての「私が社長」ということなのかもしれない。
私が社長になる
私はもう、
誰かの会社の社員として生きる必要はない。
もちろん、現実の仕事の話ではない🤣
私の人生の話。
これまでの私は、外側の基準を見ながら、
「私はどうすればいい?」
と決めてきた。
これからは、
「私はどうしたい?」
から始めていい。
やりたいことは、やってみる。
楽しかったらやる。
やりたくなかったら、やらない日もある。
身体が疲れたら、休む。
人とつながりたいときは、つながる。
でも、自分の時間や気持ちまで、相手に合わせなくていい。
そして、一度決めたことだって、
「やっぱり今日はやめよう」
と変更していい。
社長なんだから、方針変更も自由。
そう考えたら、なんだか少し力が抜けた。
「ちゃんと休める私にならなきゃ」
じゃない。
「休めてない!」と採点する必要もない。
アーシングに行こうとした。
雨が降った。
じゃあ帰る。
それでいい。
ただ、
疲れたら休む。
それでいい。
誰かの人生を見て、
「私も同じようにしなきゃ」
と戻らなくていい。
私は私の人生を歩いている。
株式会社・らんぷ、ブラック企業化禁止
そして私は、これから自分の人生を、
株式会社・らんぷ
として運営していこうと思う。
「何もしない私」を悪者にしない。
昔の私が一生懸命守ってきた、
「何かしていないと、ここにいてはいけない」
というルールも、もう少しずつ手放していきたい。
『何もしない私も、ここにいていい』
本日の営業は、終了します。
理由は
社長が疲れたから🤣
そしてもちろん、
ブラック企業化は禁止。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました🍃
【追記のお知らせ】
「考える前に、自分の中から言葉が出てきた日」の記事に、その後の気づきを追記しました。
この出来事は、今振り返ると、今回の話ともつながっていました。
よかったら、こちらもどうぞ。
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