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休めない私に、夢の神様が実技試験を出してきた|「自分の声を聞く」ということ

昨日私は、「何もしない」ことまで頑張っていたことに気づいた。

何かをしていれば安心できる。
先回りしていれば安心できる。

だから「休もう」と思っても、
頭の中では何かを考えていた。

止まることができない。

どうすれば休めるのだろう。

そんなことを思っていた。

そして今朝。

どうやら夢の神様が、昨日の授業を聞いていたらしい。

しかも今日は、実技だった🤣



駅に着いた。でも、何に乗ればいいのか分からない

夢の中で、私はどこかの駅にたどり着いていた。

何に乗ればいいのか分からない。

ホームに出て、見渡した。

みんなが並んで、次の電車を待っている。

私も、その列に並んだ。

しばらくすると、そこは駅というより劇場のような場所になっていた。

椅子が、前から順番に並んでいる。

私は少し寒かったので、黒いダウンコートを羽織った。

そして、空いている席を見つけた。

前のほう。
二列目。

「あ、一番前がよかったかな」
そう思ったけれど、

まあ、ここでいいか。
私は、その席にすとんと座った。

すると、そこにいた女性が、
「あーあ、取られちゃった」
と言った。

どうやら、その女性は誰かを呼んでいて、
一緒に座ろうとしていたらしい。

でも私は、もう座っていた。

そして、夢の中の私は立ち上がらなかった。




「ここでいい」と、私は座った

起きてから思うと、ここがちょっと面白い。

「あ、一番前がよかったかな」
と思ったけれど、

まあ、ここでいいか。
私は、その席にすとんと座った。

これだけ。

めちゃくちゃ小さいことだけど、
今の私には、この「小ささ」がなんだか印象に残った。




寒かったら着る。暑くなったら脱ぐ

席に座ったあと、私はコートを脱いだ。

きれいにたたんで、ジッパーを閉めて、
コンパクトにしまった。

これも印象に残った。

寒いときは着る。
必要なくなったら脱ぐ。

脱いだからといって、捨てるわけではない。
また必要になったら取り出せるように、ちゃんとしまっておく。

もしかしたら、

自分を守ることと、
ずっと身構えていることは違うのかもしれない。

必要なときには守る。
でも、必要がなくなったら力を抜いていい。

そんな感じだった。




トイレは汚れていた。でも、全部を今すぐやらなかった

次に私は、誰かの家のトイレにいた。

少し大きめのトイレで、新しそうな家。

でも、よく見ると汚れている。
トイレマットも洗っていない。
髪の毛も落ちている。

私は掃除機をかけた。
床は白いタイルだった。

そして、
「マットはあとで洗おう。まとめて洗えばいい」
と思った。

全部を今すぐやろうとはしなかった。

すると友達が、
「掃除、面倒なの?」と言った。

そして、
「気持ちいいじゃん」と言った。

私はその友達を見ながら、

「この人は、安心のために家族の役割として頑張っているんだな」

と思った。

ここも、起きてから考えると不思議だった。

掃除をしているのは私なのに、

その姿を見ながら、

「安心のために、家族の役割を頑張る」

というものを、少し外側から見ていた。

昨日の気づきと、またつながった。




夢の神様、昨日の授業を聞いてたの?

これ、もう完全に、

自動車教習所ならぬ、夢教習所 🤣

「はい、らんぷさん、昨日の理解を実技で確認しまーす」

「では、この大きな車を運転してください」
みたいな。

夢の最後に、元夫が乗っていたような大きな車に乗ることになった。

私は、
「私、スピード出しそうだな」

と思った。

「気をつけなきゃ」
「ブレーキも、いきなり踏んだらダメだね」
「静かに踏まなきゃ」
そんなことを考えていた。

ここで私は、
あーーーー。
となった。

これ、昨日の続きじゃん。
そう思った。

しかも私、
「スピードを出しちゃダメ!」
と自分を怒っているわけじゃない。

ただ、
「私、すぐ頑張っちゃうんだよね」
と分かっている。

だから、
「じゃあ、少し気をつけよう」
となった。




「もっと頑張れ」でも「全部止まれ」でもない

昨日私は、

「頑張る」か「休む」かの二択じゃないんだと気付いた。

ゼロか100か。
動くか、止まるか。

その間に、
真ん中の安全地帯
がある。

車だって、ずっとアクセルを踏む必要はない。

でも、ずっとブレーキを踏んでいる必要もない。

少し速度を落とす。
ゆっくり進む。
必要なら止まる。
そして、また進む。

だから、

休むことは、止まることじゃない。

自分で速度を調整すること。

「あ、今ちょっと頑張ってるな」
と思ったら、

「じゃあ少し速度を落とそう」
でいい。

「何もしない私にならなきゃ」と、
休むことまで頑張らなくてもいい。

そして夢の神様は、

「もっと頑張れ」でも「全部止まれ」でもなく、

「私が運転する。速度も私が決める。」

と教えてくれたように感じた。




あれ? 席も、掃除も、運転も同じだった

ここで、夢をもう一度思い返してみた。

二列目の席に、
「ここでいい」
と自分で座った。

掃除は、
「今日はここまで。マットはあとで」
と、自分のペースでやった。

そして最後は、
「私、スピード出しそうだから、少し気をつけよう」
と、自分で速度を調整しようとしていた。

あれ?
全部つながっている。

席も、掃除も、運転も。

この夢はずっと、

「自分で選んでいい。

自分のペースでいい。」

と言っていたのかもしれない。




神様まで、外側に置いていた 

そして目が覚めた時、なぜか、

「神様のいうとおり」

という言葉が気になった。

私はこれまで、
「神様の声を聞いて、そのとおりに生きる」
そういう意味だと思っていた。

でも、よく考えてみたら、
それって、
「誰かの言うとおり」
と同じなのかもしれない。

お母さんでも、周りの人でも、神様でも。

誰かの声を聞いて、
そのとおりにする。

形は違っても、
自分の外側にある声に従う
というところは同じだった。

あれ?
形は違っても、
「自分の外側にある声に従う」
という構造は、同じだったのかもしれない。




「いやいや、神様は私じゃよ」

ここで、今日の夢を思い返した。

席も。
掃除も。
車も。

誰かに、
「こうしなさい」
と言われていない。

私が選んでいる。
私が感じている。
私が速度を調整している。

そして、
「神様のいうとおり」
という言葉が浮かんだ。

もしかしたら、
神様の声って、
外から聞こえてくるものじゃないのかもしれない。

もしかしたら、

自分の声=神様の声

なのかもしれない。

「私はここに座りたい」
「今日はここまででいい」
「ちょっと速度を落とそう」
「私はこれがしたい」

そんな、自分の内側から出てくる声。

それを聞くこと。

それが、
「神様のいうとおり」
なのかもしれない。

つまり、
誰かの言うとおりじゃない。

自分の声を聞く。
ああ。
そういうことだったのかもしれない。




神様は、運転席じゃなくて助手席にいる

そう思ったら、急に思った。

神様は、私の代わりに運転するんじゃない。

運転席にいるのは私。
ハンドルを握るのも私。
アクセルもブレーキも、私が踏む。

でも、
助手席には神様がいる。

いつも一緒。

助手席が指定席。

だから、
「神様、どうしたらいい?」
と聞いたら、

神様はたぶん、
「らんぷは、どうしたい?」
って聞き返す。

「でも神様の答えは?」
って聞いたら、
「いや、だから今あなたが言ったやつ🤣」
って。

そして今日の車が、ものすごく大きかったことも、
あとから考えると、なんだか面白かった。

私、こんな大きな車を運転するんだ。

そう思ったら、
なんだか今の自分と重なった。

今までみたいに、
誰かが運転する車に乗せてもらうんじゃなくて、

私が運転する。
速度も私が決める。

大きな車だから、今までより少し慎重に。

急ハンドルは切らない。
急ブレーキも踏まない。
でも、止まったままでもない。

私が、自分のペースで運転していく。

そして助手席には、

神様が、どーーーん。

……神様。
意外と場所取るね🤣

まあ、
ゆったり座っててください。

私は今日も、

自分の声を聞きながら、

自分の速度で、

自分の暮らしをしていこうと思う。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました🍃

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