真夜中のレスキュー騒動
高山病を発症し、血中酸素濃度が著しく低下している中、キボ・ハットに到着をしたものの⋯
いつも楽しみに読んでくださっている読者の皆さま、中には写真を楽しみにしていらっしゃる読者がいるかもしれませんが、本記事では写真がありません。写真の代わりに絵を、言うなれば絵日記的な内容となっております。いつもと違い、読みづらい部分があるかもしれませんが、ご了承ください。
本記事では、ところどころ、今(帰国後)記事を書いている自分の心情(いや、ツッコミ)を灰色枠内に書いています。
前回の話はこちらの記事になります。
ブラックアウトからのドロップアウト
「⋯さん⋯」
「⋯るのぼん⋯さん⋯」
遠くて暗いどこかで私の名前を呼ばれているような気がした。
「はるのぼんさん」
いや、呼ばれているような気がした、ではなく、実際に私は名前を呼ばれていた。勢いよく、「はい!」と返事をした。
私の名前を呼んでくださったのは、添乗員だった。
当時のこの場面を思い返すと、もし、添乗員に名前を呼ばれなかったら、冗談抜きで永眠をしていたのではないのだろうかと思った。血中酸素濃度が著しく低下をして(このあと、さらに低下)、気を失っていたため、片足半分棺桶に入れていたようなものである。
そして、私はふと考えた、ここはどこだろう。
そうだった、私は血中酸素濃度が著しく低下している中、キボ・ハットに到着をして、ベッドに倒れこんでしまい、そのまま気を失った、はたまた三日間の不眠を取り返すかのように深い眠りに就いていた。
ひとまず、起きあがろうとしたものの、頭が非常に重たかった。心霊番組っぽく例えると、目に見えない亡霊が私の頭に体重を掛けてしがみ憑いているような感じ。もちろん、そんな経験をしたことがないけれども、今まで生きてきて味わったことがないほど頭が非常に重たかった。
自分自身でも自覚をしていたが、この異常な頭の重さは高山病だ。高山病による一種の頭痛と考えられるが、ズキン、ズキンと痛みを伴う頭痛ではなかった。痛みは一切ないものの、とにかく頭が重たかった。
頭が重たくて起き上がれそうにはなかったものの、ここは某リポ○タンDのCMのケイン・コスギさんみたいに「ファイトォオォオォオー!いっぱぁああぁぁつ(一発)!!!!」並みの気合いを奮い立たせて、なんとか上半身を起き上がらせた。起き上がったところで頭の重さは1グラムも軽くなるわけではなく、少しでも気を抜いてしまうと後頭部から転倒してしまいそうになっていた。
添乗員に「ずっと、湿ったような咳をされてましたが、大丈夫ですか?」と聞かれた。私は何のことだろう、と思った。だって、咳なんてした記憶が全くなかったからだ。ただ、人から「咳をしている。」と言われたからには、きっと私は咳をしていたのだろう。自分が咳をしていることに気が付かないほど、よく眠っていたようだ。
添乗員に「ベッドから降りられますか?」と聞かれ、「はい。」と返事をした。ベッドから降りようと、中腰で立ちあがろうとしたところ、体全体がぐらついた。言うなれば、平衡感覚がなくなっていた。私の重心よ、どこへ行ってしまったのだろうか。
暗闇の中、おぼつかない足取りで、2段ベッドの梯子を一段一段慎重に降りた。

今回の山行で(山行とは言い難いけれども)、一番恐怖に感じた場面が2段ベッドから降りること。「たかが、2段ベッドで⋯」と思われる読者がいらっしゃるかもしれないが、当時の私は、頭が非常に重たい、平衡感覚がない、手足に力が入らず、足元がおぼつかない、そして暗闇。ここで、転落をしてしまったら、本当の本当に後がないような気がして、慎重になりながら、力が入らない手で梯子を無理して握りながら降りたことを今でも鮮明に覚えている。あのときが、私の中で一番緊迫した場面だった。
ここまでの話を読んだそこの君!高山病に苦しんでいる方がいらっしゃる場合は、2段ベッドの下段を譲ってあげてくださいね。(by経験者は語る)
たかだか2段ベッドの梯子を降りるだけで必死になりながら、なんとか無事に両足を床についた瞬間の安心感を忘れられなかった。
2段ベッドから降りた私に、添乗員は告げた。
「皆さん、出発をしました。」
この瞬間、添乗員は何を言っているかを全く理解ができなかった。「みんな?」と思い、ふと周囲を見渡してみると、みんながいなくなっていた。
ここで、私は考えた。
そうだった、今日の深夜にピークハントを目指すために出発をしなければいけなかった。出発する時間になったからみんなは出て行っただけだ。私はみんなが出て行ったことに全く気が付かなかった。どんな音でも敏感に拾っていた耳でさえ、みんなが出ていく様子を一つも拾っていなかった。
そして、私は今の状況が分かった、
ここで私の山行が終わったことを。
残り10%の人間になりました。
私は、今回の山行はドロップアウトという形になってしまった。
冷静に考えてみれば、そりゃそうだ。
血中酸素濃度が著しく低下をし、頭がずっしりと重たく、平衡感覚がなくなって、手足に力が入らない。たとえ、ここがキリマンジャロではなく国内の山でも、こんな身体のコンディションで何一つ登れる山はない。
ここで、キリマンジャロツアーの謳い文句を見たことがあるだろうか。
「登頂率90%!」「登頂率99%!」これは何を意味しているかと言うと、おそらく非常に登りやすいということである。ツアーに参加するま前に、ツアー会社から言われたことがあった。
キリマンジャロは体力さえあればなんとか登れる山。
ところが、私はここ、キボ・ハットでドロップアウトをしてしまった。この謳い文句である、90%や99%側の成功する人間ではなく、残りの10%や1%のある意味、貴重な人材となってしまった。
こんなとき、ふと小学生の頃を思い出した。
みんなが100点を取れるテストを私は100点が取れなかったこと。
そういえば、昔からみんなができることに対して、不器用ながらもできなかった。
なぜ、やっちもないことを急に思い出したかはよく分からなかったけれども、今の状況が小学生のテストが返却されたときと思い被せてしまった。
本当だったら、今頃出発をしてピークハントを目指していた。見たことがない景色に出会っていたはず。今までにないしんどさを味わっていたはず。
でも、私は残り10%の人間になってしまい、それが叶わなかった。
どうして、いつも私はこんなところで上手く行かないのだろうか。
何しているのだろうか。この日のために準備をしてきた私は、ただの大馬鹿者なのだろうか。自分を責めるつもりではないけど、考えることすべてが自分を責めてしまうな言葉ばかりだった。側から見れば、自業自得であるかもしれないが、不思議と自分を責めても涙は出なかった。
声には出さなかったけど、自分に向けて言った。
「あ~あっ。」
これは悔しさだろうか、後悔だろうか、諦めだろうか、高山病になってしまった自分への叱責だろうか、それとも残り“10%”の人間になって情けなく思ってしまったのだろうか、よく分からなかったけど、文字では書ききれないほどの感情が、この一言に全てが集約されていた。
真夜中のレスキュー騒動
添乗員に「皆さん、出発をしました。」と告げられて、ほんの数秒間に私の脳内は膨大な量の思考が働いた。そして、膨大な量の思考を巡らせて「そうですか、分かりました。」と、淡白に答えた。
今思えば、このような膨大な思考を張り巡らせたせいで、余計に頭が重たくなってしまったのだろうか。何回も書いてしまうが、深夜のキボ・ハットでは、頭の重さが尋常ではなかった。
続いて添乗員に「はるのぼんさんは、レボと一緒に下山をしてください。」と言われた。
レボとは、誰だろうか。
レボは今回のツアーに同行をしてくださったポーターの一人だった。私はここまで来て、レボとは話したことがなかったし、失礼ながら“レボ”を知らなかった。暗闇の中に照らされたヘッドライトの明かりを頼りに、添乗員の側に“レボ”がいることが分かった。状況が状況なだけあって、挨拶をしている暇はなかった。そして、私はピークハントではなく、ホロンボ・ハットへ戻ることになった。
とりあえず、小屋の外へ出ることになったが、今の私は平衡感覚がない、手足に力が入らない、足元がおぼつかない、一人では歩行困難となっていた。そのため、添乗員やポーターたちに支えられながら、なんとか小屋の外へ出た。
これからホロンボ・ハットを戻らなければならないが、キボ・ハットからホロンボ・ハットまですぐに到着できる距離ではない。そして、今の私は歩行困難な状態である。私はどうやってホロンボ・ハットへ戻るのだろうかと、ふと疑問に思った。
小屋を出て数歩歩いたところに、大人一人が入れるほどの大きな台車、猫車が準備されていた。この猫車を見たときに「まさか」と思ったが、その「まさか」だった。私は、猫車に乗ってホロンボ・ハットに戻ることになっていた。あまりの「まさか」な展開に驚いてしまい、一瞬だけ頭の重たさがどこかへ飛んでいった。

猫車に入る(乗る?)前に、パルスオキシメーターにて心拍数と血中酸素濃度の確認をした。このときの数値を覚えていなかったが、帰国後に保険の手続きの書類を見ると、「血中酸素濃度55%」と書かれていた。どの場面で血中酸素濃度が55%になったかは不明だが、おそらくここが一番低下したところではないかと考えられた。
今後の内容を先に書いてしまうと、私は下山後、血中酸素濃度が55%は嘘だったのではないか?と疑うぐらい、私の血中酸素濃度は一気に回復をした。そして血中酸素濃度が著しく低下したことによる後遺症が何もなく、今にいたるわけだが、文章を書いている最中に冷静に「血中酸素濃度55%」は背筋をゾッとさせてしまう数値である。本当の本当によく生きてたなぁ~と、自分で自分を慰めたくなる。間違いなく、2025年の運をキボ・ハットで全て使い果たしてしまったのだろう。
ポーターはレボ以外に3人いた。後にも先にも、この3人のポーターの名前を聞くことはなかった。私は、ポーターの言われるがままに猫車には入り、寝袋に入った。
ここで、私はふと思った。
人一人分が入れる巨大な猫車には人が入っている寝袋が積まれている。これは、事情を何も知らない人から見れば、私は立派な死体になっているのではないだろうかと。2025年の夏、キリマンジャロで死亡者が発生したことを意図するのではないのだろうかと思った。おそらく、タンザニア放送局を始め、全世界、そして母国の日本の放送局で全国ニュースとして取り上げられてしまうヤツである。
しかしながら、一人で歩行困難、血中酸素濃度が半分の私は、死体だろうが、なんだろうが、文句を言ってられない状況であることには変わりがなかった。
私は寝袋に入ったものの、寝袋のジッパーを首より下まで上げて、猫車には身体を預けた。ところが、ポーターの確認が入ると、なぜか寝袋のジッパーをほぼ全部閉められてしまった。私はより一層、死体に近付いてしまった。そして、今の私からすると酸素が半分ぐらいしかないため、寝袋を閉められてしまうと余計に酸素がなくなり、助かる命も助からないのではないのだろうかと、余計な不安に包まれてしまった。正直、このポーターたちは私を救おうとしているのか、殺そうとしているのかがよく分からなかった。

ポーターたちに寝袋のジッパーを全部閉められたならば、自分で寝袋のジッパーを開けばいいと考えられるが、当時の私は言うまでもなく、そこまでの発想にいたらなかった。
そして、レボを含めるポーターたち4人が私を乗せた猫車をゆっくり、ゆっくりと動かし始め、猫車が進み出した。そして、猫車は徐々に加速をしていき、自転車でのんびり漕ぐぐらいの速さで、砂漠の砂利道を走り出した。

砂漠の砂利道、それは海外特有の悪路を走るため、猫車は非常に安定が悪かった。過去の記事を読んでいただければ分かるが、私は「三半規管弱い人選手権」があると上位に入れるほどの自信がある。(そのような自信は不要であるけれども。)
(↑)悪路ではないが、盛大に船酔いをしたことを事細かく書いた記事。
自分でも虚しくなるぐらい、私の三半規管は貧弱である。そんな貧弱な三半規管に海外特有の悪路は御法度である。のちに、みんなからも「(搬送中に)酔わなかったの?」と、当時のことを聞かれたが、当時の私は、頭が非常に重たい、血中酸素濃度が半分ぐらいのため、意識が朦朧としており(ある意味、非常に危険な状態)、奇跡的に酔わなかった。酔わなかった、というよりかは、記憶になかった、と表現する方が正しいかもしれない。
おそらく、酔っていたと考えられるが、酔うよりも意識の朦朧が優っていたため、酔いによる気分の悪さはなかった(感じなかった?)
真夜中のドラゴンクエストごっこ
ガタガタの悪路の中、猫車で私を搬送している最中に、意識が朦朧としながらも、私はふとドラゴンクエストを思い出した。
ここで、故・鳥山明さんの代表作であるドラゴンクエストをプレーしたことはあるだろうか。
たしか、あれは私が小学生ぐらいのときだっただろうか。当時、兄のドラゴンクエストのプレーを横目で見ていた記憶がある。ドラゴンクエストのシリーズを忘れてしまったけれども、横目で見ていながらもストーリーやキャラクターを全く覚えていないが、ある場面だけは大人になった今でも鮮明に覚えている。
それは⋯
ドラゴンクエストは、複数人のパーティーを組んでストーリーを進めていく。パーティーのメンバーがまっすぐな隊列で目的地へ向かう。パーティーが目的地へ向かう最中に、モンスターと戦う場面に何回も遭遇をしてしまう。モンスターを倒すためには、武器を使ったり、あるいは魔法を唱えて、モンスターを倒さなければならない。
(↓)のようなイメージが伝わっていただけるだろうか。(画像のみを参考にしていただきたい。)
いつもこつも、モンスターを無事に倒すことができればいいものの、ときにはモンスターが強くて、パーティーのメンバーの誰かが死んでしまうことがある。モンスターを倒したあとに、さらに進むわけだが、パーティーの全員が生きている場合は、人間がまっすぐに隊列しているが、誰か死人が出てしまった場合は、その人は死んでいるため、人間ではなく棺桶を引きずって目的地へ向かうような構図となってしまう。
(↓)YouTubeのサムネイルを参考にしていただきたい。
私は意識が朦朧としている中、ドラゴンクエストのパーティーの隊列で死人が出た場合のシチュエーションを思い出していた。
そう、今の私には、ドラゴンクエストでパーティーのメンバーに死人が出た場合のシチュエーションにピッタリである。何も事情を知らない人が見ると、死体を収容して運んでいる光景にしか見えないはずである。

真夜中に、ポーターたちが必死に私をホロンボ・ハットへ搬送しようとしている中、こんな阿呆なことを想像していた私は、我ながら不謹慎な人間である。でもでもだって、と言い訳をしたくはないが、どう見ても死体を収容して運んでいる場面にしか想像ができなかった。もうちょっといい想像のセンスが欲しい。
定期的な生存確認
気分はドラゴンクエストの棺桶、実際は私を乗せた猫車はボコボコな悪路を走っていった。常時、猫車はガタガタと上下運動をするかのように揺れていた。
ところが、勢いよく走っていた猫車は突然止まり、ポーターの一人が寝袋のジッパーを顔だけが出るように開けてくれた。寝袋の中に突然ひんやりとした夜の空気が入り込んできて、意識が朦朧としている私に軽い刺激を与えてくれた。
そして、ポーターたちに「Hi!はるのぼん!」と言われた。こちらは、ドラゴンクエストとふざけておきながらも意識が朦朧としているが、いきなりのテンションが高い問いかけに、どう答えればいいかが分からずに困惑をしてしまった。
何も返事をしない私に対し、ポーターたちは続け様に言った、
「How are you?(元気ですか?)」
私は、さらに何を言っているかが分からなくなってしまった。
逆ギレをするわけではないが、「How are you?」も何も見れば分かっていただけないのだろうか。「I’m fine!(私は元気です!)」だなんて、答えられるぐらいならば、私は今頃ホロンボ・ハットではなく、ピークハントを目指している。無論、私は「I’m fine!」と答えられる状況ではないため、このようなことになっている。
今言っている意図が分からず、「あっ⋯」とぐらいしか声が出なかった。まるで、千と千尋の神隠しに出てくるカオナシが「あっ⋯」「あっ⋯」と言う台詞だ。
私がよく分からず、「あっ⋯」と発した後に、ポーターたちは何も言わずに寝袋のジッパーをそっと閉じた。そして、猫車は再びゆっくりと動き出し、加速をし出し、走り出した。
私は意識が朦朧としている中、ポーターたちの意図が汲み取れず、モヤモヤとしてしまった。
ところが、この後も2~3回、同じことを繰り返された。ある程度走っては止まり、ジッパーを開けられ問いかけ、またジッパーを閉められては走り出し、ある程度走っては止まり、ジッパーを開けられ問いかけられた。
そして、私はあることに気が付いた。
これは、私の容態を聞いているわけではなく、生存確認をしていること。容態と聞くことと生存確認はニアリーイコールな意味合いがあるかもしれないが、ポーターたちからすれば、患者(私)に何か問いかけると、その応答が、俗に言うコミュニケーション障害みたいな発言だろうが、「元気」だろうが「今すぐ死にそう」だろうが、どんなレスポンスでも生きているとみなす。患者(私)から生存確認ができたら寝袋のジッパーを閉じる。そう考えると腑に落ちることができた。
引き続き、私を乗せた猫車はホロンボ・ハットへ向かって、時々生存確認をしながらも、ひたすら真夜中を駆け抜けて行った。
あとがき
本当は、もう一話分を入れたかったものの、現時点で文字数が膨大なことになってしまい、キリマンジャロの真夜中の救急搬送についての軽い論文が出来上がりそうなため、一旦ここでおしまいとします。ちょっとキリが悪いところが気になるけれども、文章を書いた後の推敲作業で自分で自分の首を絞めてしまうため、一旦ここでおしまいとします(重要なことは2回言います。)
前半はお葬式、またはお通夜モード全開な内容となってしまいました。ドロップアウトをしたときは、心のどこかで事実を認めたくない強がりな気持ちがあり、自分の気持ちを押し殺していたけれども、今こうやって、あのときの心境をならべく忠実に書いてて思ったことが、やっぱり、心のどこかで悔しかったんだな、と思いました。でも、それをどうしても認めたくなくて、そのままホロンボ・ハットへ戻りました(本文はまだ戻っていませんが)変なところでプライドが高い自分に嫌気がさしてしまいそうです。
今は、素直にあのときの悔しい気持ちを受け入れることができるぐらいの余裕ができ、当時の心境を文字に起こすことにより、あのときの悔しさやそのほかに文字では表すことができない感情の供養(?)がある程度できたのではないかと思っています。
後半は、前半と打って変わっておちゃらけモード全開となりました。ここで勘違いをされたくないことは、文章中ではおちゃらけモード全開となっていますが、ポーターたちの大活躍により、私は瀕死の危機を免れることができ、一命を取り留めることができました。真夜中の救急搬送をしてくださったポーター4名たちには、感謝をしてもしきれないほど、とっても感謝をしております。作中では感謝の気持ちをあまり表現ができておらず、「コイツ、何様?」と気分を害された方がいらっしゃるかもしれませんが、ここだけは勘違いをしないでほしいです。
でも、今思えば、とってもとっても貴重な経験ができました。普通では味わえないボーナスステージを経験できたことは、少しだけ優越感があります。この経験のおかげで、今までギチギチしていた考え方が少しほぐれたような気がします。このことについては、どこかの記事で触れられればと考えております。
もちろん、帰国後にいつも仲良くしてくださる数名の友人には、キリマンジャロの出来事を話しました。心配してくださる反面、笑ってくださるほどの美味しいネタを持てたことを誇りに思っています。
ただ、話すとなると今回の記事の内容の10分の1のダイジェスト版での伝え方となってしまうため、なかなか上手く伝わりきれていない問題点が浮き彫りになりました。普段から話すことがあまり得意ではないため、文字に逃げてしまう癖をどうにかしたい。
話が逸れてしまいましたが、二度とこのような経験をしたくはありません。いえ、絶対にしないように万全な体制で、今後の山行を楽しんでまいります。
キリマンジャロ・タンザニアの旅の記事は、やっとこさ折り返し地点に入りました。まだまだ折り返し地点、もう折り返し地点ですが、そのあとにはサファリパークが待ち構えているため、まだまだ先は長そうです。(目指せ、年内完稿!)
いつも膨大な文字数を読んでくださっている読者の皆さま、通りすがりで記事を見つけてくださった皆さま、本当にありがとうございます。相変わらず、マイペースながらのポレポレ更新となっておりますが、引き続き、よろしくお願いいたします。
ーーー 本記事では、「私が習ったスワヒリ語」はお休みいたします。
タンザニア・キリマンジャロ登山の記事は、こちらのマガジンにてまとめております。
