【後編】【宇宙より古い星】メトシェラ星と、閉じていく宇宙の窓
【前編】はこちらです
【語り部の部屋】
ようこそ……。
また、いらっしゃいましたね。
前の夜のことを、覚えていますか。
てんびん座の方向、190光年の彼方。
宇宙が若かった頃に生まれ、130億年前後を生き延びてきた、一つの星の話をしました。

そう、メトシェラ星。
そして、
鉄をほとんど含まないもう一つの古い星。
彼らは、宇宙の幼年期を知る証人として、今も私たちの銀河の中を、一緒に旅しています。
……けれど、前の夜の最後に一つだけ、問いを残しました。
彼らは、最初の星ではありません。
すでに死んでいった、もっと古い星たちの遺灰から生まれた、次の世代です。
では、本当に最初に生まれた星は一体どこにいるのか。
今夜は、その答えを探しに行きましょう。
前の夜、私はこう申し上げました。
最初の星を探しに行けば、私たちは宇宙の果てと観測の限界へたどり着く、と。
今夜は、その言葉の意味をお話しします。
最初の星を探していたはずの私たちが、
なぜ未来の宇宙を見ることになるのか。
そして、なぜその未来では、宇宙の始まりそのものが見えなくなってしまうのか。
……さあ、ページを捲りましょう。
見えている宇宙の、その、向こう側へ。

【第三章:最初の星たちが残した、遺灰だけの証言】
では。本当に最初に生まれた星は、どこにいるのでしょうか。
宇宙の誕生から、およそ1億年から2億年後。
暗闇の中で、最初の星々が輝き始めたと考えられています。
ファーストスター。
あるいは、種族III星。
それ以前の宇宙には、星の光がありませんでした。ただ、水素とヘリウムを中心とするガスが暗闇の中を漂っていた。
そのガスが重力によって集まり、押し潰され、そしてある瞬間、初めて核融合の火が灯った。
……宇宙が、初めて星の光で自分の姿を照らした瞬間です。
それが、宇宙最初の星々です。
理論上、最初の星の多くは、現在の星より大質量だった可能性があります。
中には太陽の何百倍、あるいはそれを大きく上回る質量を持つものもいたかもしれません。
巨大な星は、激しく燃えます。
そして、激しく燃える星は、
長くは生きられません。
数百万年。
宇宙の歴史から見れば、もはやまばたきのような時間です。
最初の星々の多くは、その短い生涯の果てに崩壊し、重い元素を宇宙へまき散らしたと考えられています。
宇宙で最初に光を灯した者たちは、人類が生まれるはるか以前に消えました。
名前を与えられることもなく。
一つ一つの姿を、記録されることもなく。
けれど、完全に何も残さなかったわけではありません。
彼らが作った元素。
彼らが周囲のガスへ与えた光と熱。
彼らの最期の爆発によって生まれた、次の世代の星々。
姿は消えても、影響だけは残りました。
前の夜にお話しした、鉄をほとんど含まないあの星も、そうした第二世代の星である可能性があります。
その星の内部に刻まれた元素の組み合わせから、私たちは、さらに前の世代を推測します。
この炭素は、どのような星が作ったのか。
この鉄の少なさは、どのような爆発の後に生まれたのか。
私たちは、生き残った星を調べながら、すでに消えた星の姿を復元しようとしています。
それは遺体のない事件を、灰の成分だけから調べているようなものです。
現在、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡をはじめとする観測装置が、初期宇宙の銀河や星の光を探しています。
宇宙が若かった時代の銀河は、すでに数多く見つかっています。
けれど、第一世代の星そのものを一個の恒星として確定的に捉えた例は、まだありません。
彼らの存在は、理論や元素組成、初期宇宙に残された変化によって、強く支持されています。
それでも。
「これが宇宙で最初の星です」
と、指し示せる光はまだ、私たちの手の中にはないのです。
メトシェラ星が特別なのは、ただ古いからではありません。
宇宙の初期を知るための証拠が、今も私たちの手の届く場所に残っている。その事実そのものが幸運なことなのです。

【第四章:138億年の宇宙が、465億光年ある理由】
ここで、少し奇妙な話をしましょう。
宇宙の年齢は、およそ138億年。
そして光の速さには、限界があります。
ならば、私たちが見通せる宇宙の半径も、138億光年ほどのはずだと思いませんか。
……ところが、違います。
現在、観測可能な宇宙の半径は、およそ465億光年だと考えられています。
年齢の、三倍以上です。
光は138億年ほどしか旅していないのに、なぜ、その光を放った場所までの現在の距離が、465億光年にもなるのでしょう。
その理由は、
宇宙そのものが膨張しているからです。
非常に遠い初期宇宙の領域から、138億年前に光が旅立ったとします。
その光は私たちへ向かって進み始めました。
光は常に、その場所の空間を光速で進みます。
けれど、その光が旅している間にも光源と私たちの間にある空間は膨張し続けました。
光が進んでいるあいだに、その旅路そのものが長くなっていったのです。
その結果。
光が旅した時間は138億年ほどでも、光を放った領域までの現在の距離は、400億光年を超えることがあります。
私たちが見ているのは、
天体の現在の姿ではありません。
その天体が、はるか昔に放った光です。
光源が今も存在しているとしても、その現在の姿は、私たちには見えません。
今現在、どのような形になっているのか。
どれほど遠くへ隔てられているのか。
あるいは、すでに消滅しているのか。
今届いている光は、
その答えを持っていません。
私たちは夜空を見上げるたびに、現在の宇宙を眺めているつもりでいます。
けれど、実際に読んでいるのは。
すでに遠く隔てられた誰かが、大昔に残していった、置き手紙なのです。
差出人が今どこにいるのかも。
まだ生きているのかどうかさえ、
その手紙には、書かれていません。

【第五章:閉じていく窓】
さて。
今夜本当にお話ししたかったのは、
実はここからです。
宇宙は、膨張しています。
しかもその膨張は現在、加速していると考えられています。これが何を意味するのか。
少し、想像してみてください。
遠くの銀河は、私たちから離れていきます。
そして加速膨張がこのまま続くなら、ある距離より向こうの銀河から、これから放たれる光は、私たちへ届かなくなります。
光が、止まるわけではありません。
その場所では、常に光速で進み続けます。
それでも、光源と私たちの間にある空間が膨張し続けるため、永遠にこちらへ到達できない光が生まれるのです。
すでに旅を始めている古い光は、しばらくの間、届き続けます。
けれど、その光も宇宙の膨張によって波長を引き伸ばされていきます。
赤く。暗く。弱く。
やがて、
観測することが極めて難しくなるほどに。
銀河が突然、消えるわけではありません。
一夜にして、夜空から抜け落ちるわけでもありません。
ただ、少しずつ。
限りなく静かに。
その銀河から届く情報が、
細くなっていくのです。
最後には、そこは存在していても、二度と確かめられない場所になる。
……これは、はるか遠い未来の話です。
現在の人類が心配するような時間ではありません。けれど宇宙論では、そのような未来が真剣に考えられています。
加速膨張が今後も続くなら。
遠い未来、私たちの局所銀河群に属さない銀河は、一つずつ観測できなくなっていきます。
その頃、天の川と近隣の銀河は合体し、一つの巨大な銀河のような姿になっているかもしれません。
その外側には、
何もないように見える、暗闇。
……もしその時代に、新たにどこかで文明が生まれたとしたら。
彼らが夜空を見上げても、遠方の銀河は一つも見つからないでしょう。
銀河の距離と赤方偏移の関係を測ることもできません。
宇宙の大規模な膨張を示す、観測対象そのものが残されていないからです。
ビッグバンの名残である宇宙背景放射も、膨張によって波長を引き伸ばされ、検出が極めて難しくなっているかもしれません。
軽い元素の比率や、銀河に残された古い星々。
わずかな痕跡から、過去を推測することはできるかもしれません。
けれど、私たちが現在持っているほど豊かな証拠は、もう残されていないでしょう。
そのとき、彼らはどう考えるでしょうか。
こう結論するかもしれません。
観測できる宇宙には、この孤立した銀河だけが存在する。宇宙は静的で、昔からこの姿だったのだ、と。
……彼らの観測は、間違っていません。
計算も、正しい。
観測装置にも、故障はありません。
目の前に残されているものを、誠実に、丁寧に調べ上げた、その結果として本当の歴史とは、まるで違う宇宙へたどり着くのです。
彼らは、結果として間違っています。
けれど、彼らは愚かなのではありません。
証拠がもう残っていないのです。
……そして彼らには、自分たちが何を失っていたのかを確かめる方法がありません。

【語り部の部屋:最後に】
さあ……。
今夜の話は、ここまでにいたしましょう。
私たちは、幸運な時代に生きています。
宇宙の膨張を観測できます。
遠くの銀河の光を見ることができます。
ビッグバンの名残である熱を、今もかすかにではありますが検出できます。
古い星の元素を調べ、宇宙の最初期に何が起きたのかを推測できます。
そして190光年先には、宇宙の幼年期から生き延びた星が、今も燃えています。
メトシェラ星。
それは、宇宙初期の証人です。
ただ、証人が生きていることと、証言を聞き出せることは、同じではありません。
この星が、どこで生まれたのか。
どの銀河を旅してきたのか。
その空に、どのような星々が輝いていたのか。
130億年近い時間の中で、何を見てきたのか。
星は、何も語りません。
私たちは、光と元素のわずかな違いから、その過去を想像するしかないのです。
宇宙の歴史を読み解くための材料は、まだ、私たちの手元に残されています。
けれどその窓は。
今この瞬間にも未来へ向かって、ごく僅かずつ、静かに閉じ続けています。
……ここで、
一つだけ、問いを置いていきます。
遠い未来の観測者たちは、失われた証拠の存在を知らないまま、不完全な宇宙像を組み立てるでしょう。
彼らには、それが不完全であることが分かりません。観測できるものが少ないのです。
では。
私たちは、どうでしょうか。
私たちが今、宇宙のすべてだと思って眺めているこの空も。
今観測できる証拠だけを集めた、不完全な景色にすぎないのではないでしょうか。
私たちに一度も光を届けることができず、何の痕跡も残さなかったものを。
私たちは、失われたとは呼べません。
存在したことさえ、知らないからです。
最初から知らないものを、失った、と気づくことはできません。
ファーストスターは、直接その姿を特定されないまま消えました。
それでも、遺灰の中に痕跡を残しました。
では。
遺灰さえ残さず、
光も、元素も、空間の歪みも、
何一つ私たちへ届けなかったものは。
いったい、どれほどあったのでしょうか。
……そろそろ、窓を閉める時間ですね。
もし、帰り道に夜空を見上げることがあったら少しだけ、思い出してみてください。
今夜あなたが見ているその星空は、宇宙のすべてでしょうか。
それとも、閉じかけた窓の隙間に残された、ほんの切れ端でしょうか。
190光年の彼方では、宇宙の幼年期から生き延びた星が、今夜も静かに燃えています。
その星が見てきたもの全てを、私たちが知る方法はありません。
……そして、知る方法がない、ということと、
そこに何もなかった、ということは、
同じことではないのです。

どうぞ、お気をつけてお帰りください。
それでは。
良い、夢を……。
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