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ぼくものがたり【第58回】二通の感謝状――戦争の面影

家には、鍬太郎が残した感謝状が数多くある。
その中でも、最も当時を物語るのが、この二通だ。

昭和15年と昭和20年、二人の陸軍大臣から届いた感謝状
昭和15年2月7日――陸軍大臣・畑俊六名義(鍬太郎宛)
昭和20年3月1日――陸軍大臣・杉山元名義(喜代柗〈まつ〉宛)
※「柗」は「松」の異体字で、当時の公式文書によく使われた表記です。


二つの感謝状には、それぞれ陸軍大臣の名前がある。

左の感謝状は、昭和15(1940)年2月。
まだ、戦争が遠くの話だと思っていたころ。

表記されている、陸軍大臣・畑俊六は
「誠実な人格者」とか、
「天皇陛下の信任厚い良識派」として知られていた。

鍬太郎にとっては、
「正義の戦いを支援している」という純粋な誇りがあった。
畑将軍のような立派な人が率いる軍なら間違いないと思っていた。

しかし、日本はその後、
敗戦への坂を転げ落ちていった。

右の感謝状は、
昭和20(1945)年3月、陸軍大臣・杉山元の名で届いた。

この感謝状が届いたとき、
祖父・鍬太郎はすでに亡くなっていたんだ。

病床で死を予感しながら、親父に頼んで寄付したものだった。
「自分の分まで、世の中の役に立ててほしい」とね。

この頃、戦況は悪化し、
サイパンが陥落して、日本本土への空襲が激しくなっていた。
昭和15(1940)年の頃の高揚感は、もうどこにもなかった。

この二通の感謝状が語っているのは、それだけじゃないんだ。
たった5年間の日本の、「国力の差」がはっきりと見える。

同じ環境で保管されていたのに、
今の紙の状態が、まったく違うんだ。

昭和15(1940)年当時は、まだ良質な紙が手に入った。
だから、長期保存にも耐えられる、厚手の高級紙が使われている。

昭和20(1945)年になると、物資不足で、
藁(わら)や雑草などを混ぜた、粗末な紙しか使えなくなっていた。

藁や雑草を混ぜた紙は、時間とともに茶色く変色し、
もろくボロボロになっていく。

国力が底を突き、国民が空襲と飢えに苦しんでも、
日本軍は、感謝状を作り続けた。

その軍の切羽詰まった状況が、
ボロボロの紙から、指先に伝わってくる。

紙に触れると、そこに戦争そのものが染みついているような、
得体の知れない恐怖を感じるんだ。


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