ぼくものがたり【第41話】戦後のお風呂――垢(あか)だらけでも「いいお湯でした」
僕の家には、戦後も色々な人が間借りをしていたんだ。
相変わらず、行商に来る人も多かった。
着物の生産地から着物を売りに来た人、
この人たちは、反物という、着物を作る前の生地を、
たくさん持ってきていた。
お袋も「きれいですねぇ」なんて目の保養をしていた。
富山の薬売りをしていたおじさんや、
包丁なんかをたくさん持ってきた刃物屋さんもいた。
みんな数日から1か月くらいいた。
毎年来るので、馴染みになって、
僕たち家族は皆さんと親しくしていた。
他にも、家の建て替えで一時的に、一家で間借りする人。
「とりあえず子どもたちだけ」とお子さんたちだけ預かる場合もあった。
困った時はお互い様。
そんな風に、うちにはたくさんの人が同じ屋根の下で暮らした。
近くの親戚が、お風呂だけを借りに来ることもあった。
なので、うちのお風呂にも、いつも大勢の人が入っていた。
もともと水道はあったけれど、
戦争で負けて、どこの家も水道が出なくなっていた。
しかたなく、井戸の水を使っていた。
だから、お風呂の水は、いくら汚れても、なかなか替えられなかった。
お風呂は、家の奥にあったから、
井戸の水を、窓からバケツで運ばなくてはならなかった。
(家の間取り図は👇第2回「ぼくの生まれた家」をご覧ください)
https://note.com/hiromi3333/n/n9688d076dff6
水を替えるには、井戸からみんなでバケツリレーして、
風呂に誰かいて、受け取らないと水を入れられなかった。
お風呂は五右衛門風呂と言って、
風呂の下から薪を燃やして沸かした。
薪と言っても、ちゃんとした薪は贅沢なものだったから、
そこらへんで燃えるものを拾ってきて燃やした。
井戸は鶴瓶井戸(つるべいど)って言って、
縄の先にバケツを付けて、滑車にかけて、
一回一回、下から汲み上げなければいけなかった。
水をくみ上げるのも、けっこうな力仕事だった。
だから、1回のお風呂で何十人も入ってた。
7、8センチくらい垢(あか)が溜まっていたけれど、
みんな垢は取らずに、よけて入っていた。
垢の部分を取っちゃうと、また水を足すのに大変なので取れなかった。
それが当たり前で、「汚いから入りたくない」
なんて言う人は、ひとりもいなかった。
それどころか、みんなサッパリした顔で、
「ありがとうございました。いいお湯でした」
って、言っていた。
そんな時代だった。
今じゃ考えられないけど。
今でも風呂に入ると、たまに、その人たちの顔を思い出す。
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