ヴンダーカンマーの記憶③ エクソティカ(Exotica)の記録
Exoticaの記録 (約3,400字/読了目安:9分/全8話)
今日は、収蔵品の来歴を照合する作業をしている。
遠い土地からもたらされたもの――エクソティカ。
仮面、織物、祭祀に使われた器。
紳士が世界中から集めたものが、当時の呼び名のまま、この収蔵庫に残っている。
この館の古い分類は、今の博物館ほど明瞭ではない。
人の手による技巧品でありながら、遠い土地の品でもある。
そんなふうに、一つの品が複数の分類にまたがっていることもある。
今では、それを無理に整理し直してはいない。
どこに分類されたのかということも、その品がこの館でどう見られてきたのかを示す記録だからだ。
作業台の上に、一面の仮面がある。
南米、ペルー北部の海岸で栄えた、シカンと呼ばれる古い文化のものだ。
金を主とした合金で打ち出された顔。
両の眼は、外側へ吊り上がるように細長い。
誰かの顔を写したというより、人ではない何かの顔に見える。
記録によれば、本来、この顔には辰砂の朱が塗られていた。
今はところどころ朱が失われ、その下から金色の肌が覗いている。
紳士の蒐集台帳にも、赤い顔料について短い記述がある。
けれど、それ以上のことは書かれていない。
当時は、分からなかったのだろう。
近年、この文化の葬送仮面に残された赤い顔料を分析した研究で、辰砂だけではなく、人の血液に由来する成分と、鳥の卵に由来する成分が検出された例があるという。
何のために、それらが使われたのか。
死や再生に関わる意味があったのではないかとも考えられている。
そこから先は、まだ分からない。
紳士がこうした品を手にした頃には、知りようのなかったことだ。
僕は、金の上に斑に残った朱を見る。
同じものを見ているのに、僕たちに見えているものは、あの頃とは違う。
これは、生きている人間が被るための仮面ではなかった。
高位の人物が葬られるとき、その顔を覆うために置かれたものだという。
特徴的な眼は、この地で信仰された神格を表すとも考えられている。
死者はその顔を与えられ、やがて崇敬される祖先となった。
だから、この眼は最初から何も見ていない。
見るための顔ではなく、見送られるための顔だ。
僕は、館に残る紳士の蒐集台帳を開いた。
購入の年。
仲介した商人の名。
支払った額。
その額は、当時としても破格だったらしい。
「相手は喜んで差し出した」
几帳面な字で、そう添えてある。
台帳には、値段と商人の名だけが並んでいるわけではなかった。
頁をめくると、別の品について、
「女性の飾りと言われている」
とある。
また別の品には、
「持ち主は、おそらく高位の人物だろう」
買い付けの際に聞いたらしい話が、細かな字で書き留められている。
中には、
「魂が安らげるように」
そんな、記録というより祈りに近い言葉まであった。
紳士は、何も考えずに集めていた人ではなかったのだと思う。
遠い土地に生きた人間を想像することもあった。
欲しいものには、十分な対価を払う人だったとも聞いている。
若い頃は、金銭を渡せば、それで正しく手に入れたことになると思っていたようだ。
遠い土地の品々が、珍しい発見として華やかに語られていた時代でもあった。
その品が自分のところへ来るまでの道筋を遡って考えること自体が、まだ当たり前ではなかったのだと思う。
奪ったのではない。
買ったのだ。
台帳の字は、そう言っている。
ただ、台帳にはその先が書かれていない。
商人は、誰からこれを手に入れたのか。
その誰かは、どこからこれを持ち出したのか。
副葬品は、墓の中にあったものだ。
死者とともに残るはずだったものが、いつか誰かの手でそこから取り出された。
それが市場に出てくるまでの間に何が起きたのか、台帳は記していない。
調べていくと、この仮面が生まれた土地そのものが、長い時間の中で幾度も支配者を変えてきたことが分かった。
シカンはチムーに征服された。
そのチムーも、やがてインカ帝国に組み込まれた。
国の名も、支配する者も変わった。
それでも人々はその土地に生きた。
受け継いだ技術を次の時代へ渡し、暮らしを繋いだ。
そして十六世紀のスペイン征服以後、その土地はさらに大きな変化に巻き込まれていく。
戦乱。
植民地支配。
外からもたらされた疫病。
強制された労働。
その後の長い時間には、古い墓が掘り返され、そこに納められていた品々が市場へ流れた時代もあった。
ただ、この仮面が、いつ、誰によって墓から出され、どの道を通って紳士のもとへ届いたのか。
そこまでは分からない。
誰か一人の手で、ここまで来たわけではない。
いくつもの時代と、いくつもの手を渡ってきた。
この収蔵庫には、似たように来歴の途切れたものがある。
異教のものとして取り上げられた祈りの道具。
戦のあとで持ち主を失ったもの。
墓から出てきたもの。
正当に買った、という言葉は、その品が自分の手に届くより前までを保証するわけではない。
台帳の頁の余白に、別の字があった。
同じ人の、少し年老いた字だ。
「私は盗んでいない。」
その下に、もう一行。
「だが、これは盗まれたものではない、とは書けない。」
それだけだった。
言い訳も、後悔も、書いていない。
返せばいいのだろうか、と思う。
返すことに意味がないわけではない。
今もその土地に生き、文化を受け継ぐ人々がいる。
本来あるべき場所について、考え続けなければならないものもある。
それでも、返すという一つの行為だけで、すべてが元に戻るわけでもない。
一度暴かれた墓を、誰にも暴かれなかった墓へ戻すことはできない。
失われた埋葬の姿も。
失われた朱も。
誰が、どのような祈りとともにこの仮面を置いたのかという記憶も。
もう、完全には戻らない。
知らなかった、では済まないのだと、僕はその二行を読む。
それでいて、紳士は、済まないものを抱えたまま、記録から消してもいない。
僕は作業台の上の仮面を覗き込む。
金の顔と、自分の顔が並ぶ位置まで身をかがめる。
僕の片方の眼が、金の眼に重なる。
強い日差し。
乾いた大地。
高い空を渡っていく、大きな鳥。
僕の知っているその土地は、写真と本の中のものだ。
それでも、この仮面がかつて浴びた光を想像することはできる。
そして、暗い墓の中で誰かの顔を覆い、二度と見るはずのなかった光の下へ、再び現れた日のことも。
金の眼には、何も映らない。
見ているのは、僕の眼だけだ。
この顔の下に眠っていた人は、もういない。
その人を見送った人々も、もういない。
それでも、彼らが残したものは、ここにある。
僕は仮面から離れ、来歴の欄に記録する。
分かっていること。
分かっていないこと。
分からないことは、分からないまま、そう書く。
二百年前には、ただ珍しいものとして集められた品もある。
紳士たちには、見ることのできなかったものがある。
物が残った。
記録が残った。
だから今になって、同じ文化の仮面に残されたわずかな顔料から、かつては知りようのなかったことまで読み取れるようになった。
歴史そのものが変わるわけではない。
けれど、そこから人間が読み取れるものは変わっていく。
今の僕たちには意味の分からないものにも、未来の誰かには読めるものが残っているのかもしれない。
この館の至宝は、あの動かない人形だという。
なぜ、と思う。
ここには、あの人形より古く、稀少で、歴史の重いものがある。
あの人形が至宝なら、この仮面は何なのだろう。
紳士は、老時計職人に関わってから変わったのだと聞いた。
託す側にも、失う側にも、
その物を手放すまでの時間があると、本当の意味で初めて知ったのだと。
この余白の二行は、そのあとに書かれたものだと思う。
紳士が、未来の人間に何が分かるようになるのかまで考えていたわけではないだろう。
ただ、少なくとも残した。
自分には分からないことを、分からないまま残した。
それが正しかったのかどうかさえ、後の人間に委ねるように。
そのおかげで、二百年後の僕がここにいる。
紳士の知らなかったことを調べ、
紳士の書かなかったことを、この台帳に書き足している。
至宝と呼ばれているのは、あの人形そのものではないのかもしれない。
そこまで考えて、僕はまだ言葉にはしない。
得たものと、失わせたもの。
その両方を、切り離さずに書いておく。
そして、今はまだ知り得ないことのために、残しておく。
今日、その台帳に、僕の字が加わる。
この物語には、寄り添うBGMがあります。
