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映画「晩菊」の原作を読む(その3)〜林芙美子「白鷺」は“女と娘“

(承前)

映画「晩菊」、原作として三作目にクレジットされている林芙美子作品は、「白鷺」である。私の持っている版の末尾には、昭和二十四年三月七日とある。1949年である。

本作は、“女と娘“の話と書いたが、娘は養女である。もっと正確に書くと、この短編は“娘の結婚に刺激された女“の話、“女の娘時代“の話である。

とみのもとに、十八歳になったばかりの養女、さち子から手紙が届く。<どうしても結婚したい男があって>、<何とかして許してほしい>と書かれている。小田原で世帯を持ちたいと言うのだ。

とみは、木挽町(現在の歌舞伎座付近、念の為)にあるさち子の店を訪ねる。仔細を問い正し、一旦さち子と別れたとみは、新宿にある信子の店に向かう。信子は、かつて赤坂の料亭で働いていた頃の朋輩である。信子と話しながら、とみは過去を思い出す。

明治三十九年(1906年)ひのえ午の生まれのとみは、若い頃は<絶世の美人とうたわれた女>だったが、その美貌ゆえか、時代そして戦争に振り回され、男が通過していき、アルコールにも溺れ、今や会社の便所掃除をしている。

さち子の結婚という出来事を機に、彼女の人生が反芻されていく。それは、林芙美子にしか著すことができない、激しいものである。

「晩菊」のきんは、金はあるが子供はいない。「水仙」のたまえは金はないが息子がいる。もっとも、この息子は問題児だが。「白鷺」のとみも金はないが、養女がいる。養女は叔母に対し恩義は感じているが、男の元へと移動していく。相対的には、誰が一番幸せなのだろうか。

戦後間もない頃、読者の周囲あるいは読者自身の境遇と共鳴するところが、相当にあったのではないだろうか。人気作家、林芙美子がこの三作の中から見えてくる。

さて、映画「晩菊」は、この三人の女にまつわるエピソードを使いながら、三人を映画の中で結びつけ、小説とはまた違った世界を創作している。

この三作を読むと、改めて成瀬巳喜男、映画「晩菊」のスタッフの手腕、そして三作に登場する人物から新たな造形を行なった俳優陣の素晴らしさに感じいった


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