見出し画像

夏の星々(140字小説コンテスト2026)一次選考通過作

星々はnoteの生成AI学習対価還元プログラムに参加していません。
(掲載作品のAI学習データへの提供をおこなっていません。)

季節ごとの課題の文字を使ったコンテストです(春・夏・秋・冬の年4回開催)。

夏の文字 「器」
選考 ほしおさなえ(小説家)
 季節の星々選考委員会(石森みさお/kikko/酒部朔日/へいた)

140字小説コンテスト「季節の星々」

一次選考を通過した109編を発表します(応募総数978編)。ご応募いただきありがとうございました。

受賞作(入選4編+佳作6編)は9月下旬~10月上旬の発表予定です。
優秀作(入選〜二次選考通過の全作品)は雑誌「星々」(年2回発行)に掲載されます。
また、年間グランプリ受賞者は「星々の新人」としてデビューし、以降、雑誌「星々」に作品が掲載されます。

受賞作の速報はnoteやX(旧Twitter)でお伝えします。

一次選考通過作

青塚 薫
指の腹ほどの小さな蜘蛛が、電信柱を器用によじ登り、空に垂れ下がる電線の上を歩いた。相変わらず頭上には空があった。風が吹き、落ちそうになった蜘蛛はそのまま電線の裏側へと回った。すると空が見えなくなった。電線の横から足元を覗くと、そこに空が広がっていた。蜘蛛は空へと飛び降りた。

赤い尻
発掘現場で二十年近く土器洗いをしている。たいていはプレハブで。簡易テントの場合もある。一度だけ、精神科の廃病棟がプレハブ代わりだった冬がある。だだっぴろい吹き抜けの玄関ホールは無限に寒く、ラジオ放送は霧散した。土器洗いには軟らかい豚毛の歯ブラシが最も適している。それだけを信じて。

赤い尻
コンビニ冷やし中華のプラ容器には民藝を感じる。油分が残らないようよく洗って、いろはすを注いでおけば、光合成がはじまる予感がする。早く水草を入れないと。枝豆のカラ入れにするなんて品性に欠ける行為だよ。……ガラ? カワ? サヤ? 何でもいいけど、今年の新作はやたらとハムの塩気が強い。

灯月
この国では子どもが生まれると一人に1台アンドロイドが支給される。よき相棒として互いに成長しともに生涯を過ごすためだ。だが、時々物扱いした挙句壊してしまう者がいる。その場合、水晶でできたアンドロイドの心臓が透明のままなら器物損壊、赤く染まっていれば殺人として罪に問われることとなる。

赤野凪
夕立のあと、庭に伏せたガラスの器が空を映していた。覗き込むたび雲が流れ、鳥が横切り、花火が咲く。器はただそこにあるだけなのに、世界は静かに形を変え続ける。翌朝、水だけが残っていた。空は一晩だけ、私の庭で眠っていたらしい。夢から覚めたような朝の光が、その名残をそっと抱いていた。

あきざくらあひる
マンションの1階に住んでいる人間にだけ与えられた小さな庭へ置いた小さな木製のベンチへ腰掛ける。お気に入りのマグカップへ注いだビールの泡がなくならないうちにと口を付けた。半分ほど飲み干して残りを見ると、少し残った泡に宙の星が浮かんでいる。私を囲う器のような小さな庭で、星を捕まえた。

あきざくらあひる
綺麗だね。砂浜へ寝転び波の音を聞きながら宙を見上げ彼が呟く。そうだねと適当に返事をすると砂のついた掌が私の手に重なった。指を重ねてから、結婚しようか、とひと声。反射的にそうだね、と返す。家庭という器に入ることを想像して息が苦しい。どうせならこのまま波へさらわれたいと星へ願った。

朝本箍
器は満たされることを願っていた。汁に始まり、液、果ては血までが注がれても叶わず、ならばと山海の幸や得体の知れぬ肉も詰め込まれたが同じこと。中は茫洋として見えぬまま。器は最早満願の日を恐怖すらしている。何が自らを満たすのか。答えはしかし確実に近づいているのだ。

梓夏梅
祖父の手にかかると土でしかなかったものが、焼かれて器となる。僕も会社の熱さに揉まれて営業マンになるはずだった。けど、その熱さに馴染めなかった。
「物によって、合う温度があるんだ」
帰ってきた僕に祖父は一言だけ呟いた。以来、僕は器の入った窯の番をしている。器に合う温度を探りながら。

あまなす
かすかに聞こえてくる幻想的な音の連なり。どこかで奏でられる楽器の音色。なんという楽器かしら。教えてくれない? 問いかけには応じてくれなくて。いいのよ、気にせずお続けなさい。窓際のハーブは外を向いて、耳を傾ける。あなたならわかる? ハーブからも返事はない。いいのよ、それで。

亜麻布みゆ
灼熱を浴び、鉄製の器となった盆地の真ん中に、小さな公園を見つけた。誰もいない公園には、色褪せた遊具が照り返している。ただ、木馬だけが揺れていた。近づくにつれ、軋んだ音が大きくなる。「水場へ」と言うと、木馬が静かに止まった。恐る恐るまたがった途端、足首がつめたくなった。

あわい雪
毎年夏休みに訪れる祖父母の住まう古民家は、大きな器のようだった。お盆の時期、縁側にあった風鈴がチリンと鳴って、客の訪れを告げる。客人たちはお茶を飲み、祖父と談笑していた。祖父の死後、風鈴は鳴らなくなった。人も物怪も、等しくもてなされていたあの器の中で、祖母はどう暮らしたのだろう。

五十嵐彪太
何をやっても上手くいかない人生だ。仕事も、人付き合いも、炊事洗濯もピンと来ない。人見知りを滑舌の悪さのせいにしてみたり、不器用を小さな手のせいにしてみたり。ひょんな時にまぐれは起こる。その日、朝食のトーストの焼き具合が完璧だった。以来、私は「トーストだけはちゃんと焼ける人」だ。

犬田はっぱ
器の大きな人間といえば、2組の雲山さんだ。何をされても、いつもにこにこ。それを面白く思わない海野が挑戦状をたたきつけた。卒業までに一度でも雲山さんを怒らせれば海野の勝ち。ただし、それまで海野以外誰も雲山さんに干渉できない。勝負1日目、雲山さんは「今日は上履きがある」と上機嫌だ。

右近金魚
私、旅に出るわ。雲のソンブレロをひょいとかぶり、鞄に野原をつめて。今朝散っていった花達を髪に編んで、小麦畑をザクザクと歩く。拾った兵器は弦を張って楽器にするの。歌いながら歩くわ。沈んだ舟を岸に寄せたり、青い実を失くした木々の涙を拭ったりして。私、そんな旅に出るわ。ひとりで行くわ。

内山 亮平
私の両腕はインパクトドライバー、所謂、螺子やボルトを固定するあれだ。だから、誰とも手を繋いだことはない。経験が無いので、繋ぎたいとも思わないが。昔は兵器として戦場にいたらしい。私にはそんな記憶も記録もないが。そんな私は今日も螺子を回す。橋を作るために。誰かと誰かを繋ぐために。

慈セレン
この前もらったカップのじいちゃんの方を割っちゃった、と祖母が言った。私は、じいちゃんの方なの、と聞く。祖父は頷いて、片づけたよ、と答える。割れてしまった陶器は、ていねいに新聞紙に包まれて勝手口の隅に置かれている。贈ったのはペアだから、割れた方も残された方も同じ模様をしていたのに。

m.moon23
お探しのものはこちらです。店主は黒い電話を指差した。いえ違います。でも僕は、僕は何を探しているんだっけ。電話が鳴る。ほら貴方様あてですよ、早く。急かされるまま受話器を取る。男の子の笑い声と窘める母の声。もう1人は姉さんか。痛いほど耳に押し当てた。これだ。これでまだ、生きていける。

おおらり
長年親しまれたAIサービスが終了となり、供養のために多くの人が寺を訪れた。各々がサービスに繋いでいた人形、ロボット、丸や四角のデバイスを手に持っている。聖火に当てたAIの器を持ち帰る人々。もう話さなくともそばに置きたいのだろう。「気が晴れた」という声に、魂の在処とその数を考える。

かさねるい
二つずつ揃えた食器もサイズ違いで選んだパジャマも、この部屋のそこかしこに君と僕がいて、どこを切り取っても君だけにも僕だけにもならなくて、それがなんだか心地良いんだって君に言ったら、もう私なしじゃ生きていけないねって満足そうに笑うから、そういうことにしておきたくなった夏のはじまり。

形霧 燈
嫁いできたころ、妻は素顔を見せない人だった。台所にも口紅をつけて立った。そのひとがいま黙って、尿器を私に預ける。便所にそれを運ぶとき、私は体温を抱いている。六十年をかけて私たちはここまで来た。夏の終わり、蝉の声が減った夜。細い手が、そっと私の袖を握った。

形霧 燈
自意識をからだに詰めこんで生きてきた。理想に灼かれ、焦燥感のまま空回りし、ささいな言葉に反応してきた。いま、午前三時の台所で搾乳器を動かす。娘はしゃぶりつくだろう。義母はいいお乳が出たと褒めてくれるだろう。ああ、わたしはやっとただの器になれた。このままぜんぶ吸い出して。

桂松柚
俺は狸を買ったらしい。お茶碗の形をしているやつだ。某中古販売サイトで見つけた。破格の2000円。説明文にはこう書いてある。
「鳥根県の伝統工芸品。出雲陶器の一種。文服茶釜。あと彼は狸です。」
本当にこれは狸なのか?そもそもお茶碗って茶釜なのか?……発送地がLAになってるんだが?

蒲田おじ
家に食器がない。カップ麺にコンビニ弁当、パックのままの半額惣菜。机の見栄えは最悪だ。けれど、殴る父から逃げた家には、母との笑い声がある。
​いつも取り繕った「正しい食卓」で怯えていた。見かけだけの常識を、食べ終わったゴミと共に捨てていく。私たちは今、欠けた器のまま生きていく。

亀山壱星
上空で見放された僕の脳内を駆け巡った記憶はテナガザルに怯えていた森でも線香花火の提灯が地面に吸い込まれる一瞬でもなかった。上空三百メートルから大地へと墜ちていくのみの僕が思い出したのは学校の柵を飛び越えたあの日、あの瞬間だった。今、鱗のような眼に映るこの世界は浅い器のようだった。

キカイ工
日曜の朝、最終兵器が勝手に起動してキッチンでトーストを焼いていた。瞬時に都市を消滅させる機能をパンの焼き加減のためにフル活用したらしい。どうですか、と聞くので僕はジャムを塗り食べた。美味しかった、と伝えると兵器は照れて「今日のことは、いつか全てなかったことにします」と下を向いた。

如月恵
台風で電車が止まり、駅から溢れ出る帰宅難民の中に俺は居た。街灯がまばらになるにつれ人も別れて行き、独り、夜道を歩く。雨風が強く、闇に浮かんだ電話ボックスに駆け込んだ。緑の公衆電話、唯一覚えていた電話番号を押す。ここでがんばるけん、と答えて重い受話器を置いた。実家はもうない。

木畑十愛
醜い言い合いに疲れた人々は、優しい言葉だけを選ぼうと努めた。愚かしさを不器用と呼び、欠落を個性と呼び、不足を伸びしろと呼び、後悔を糧と呼び、物事により良い名前を与え続けた。それを誰かが欺瞞と呼び、配慮と呼ぶよう正された。何故良く在ろうとしたのか。言葉に出来る者はもう此処にいない。

草野理恵子
僕はゆっくりと家族を失っていった。最初は帽子そして手袋。彼らは家族と言ってもそれほど親しくはなかったからさみしくなかった。そのうち家族は下着一枚になり吊られて揺れていると、清潔という言葉で表せそうな気がした。最後に僕という器の家族と別れ清潔だけが残った。世界はさみしくなかった。

クナリ
やっと自分の焼いた器だけで一通りの食事ができるようになった。私は娘を呼び、白い菓子皿に葛桜をのせて黒文字をさしこんだ。遠い冬の名残のような低温の透明がつっと切れる。娘は笑っている。今年から始めた二人暮らしはあまりに平穏で幸せで、頭の裏で不幸せに身構えようと獣が身じろぐ気配がする。

倉井雪月
夏が来ない。まだ今年は表舞台に立ちたくないみたいだ。本来は水泳だったはずなのに、体育は器械運動になった。跳び箱の列に並びながら、夏を呼ぶ方法を考える。体育館の前方では、1組がマット運動をしている。ふいに佐々木の姿が目に入った。手をついたかと思うと、脚が宙へ伸びて風を切る。あ、夏。

暮宮右京
お前は当主の器に非ず。父の言葉が、俺の皿に大きなヒビを入れた。涙する弟の手を振り払い、川を流れ流れて数十日。金継ぎを生業とする男に出会い、割れた頭の皿を直してもらった。恩義を感じ、修行し始めて早十年。河童にとって頭の皿は心そのもの。同胞の皿を直す日を夢見て、師匠と共に胡瓜を齧る。

黒月兎
1Kでペンギンを飼うことにした。餌は魚でいいらしい。嘴を器用に上に向けて魚を受け取る姿は何とも愛らしい。見切りシールのついた丸アジ、三尾で二百七十円。我が家のエンゲル係数の上昇を確認、うけけけけ。そうだ、キッチンをリノリウムの床にしてやろう。ぺたぺた音が鳴ってきっと楽しい。

黒月兎
剝き出しの尻に触れた途端に、ひやっと思わず驚き跳ねた。今どき1K六万四千円の賃貸ですら暖房機能つき便器が備え付けだというのに。小さく舌打ちをしたら、懐かしい芳香剤の匂いに気付く。七年振りに帰省した実家の、記憶よりずっとうら寂れた佇まいの隅の、少し背の低くなった母を感じた。

昂機
また失敗したのね。器の字、右下の口から声がする。母だ。私はペンで口を■に塗り潰した。そんな目をして。左下。可愛くない子。左上。次々と湧く声を全て■で塗り潰す。最後に残るは右上の口。あんたのペットになれて光栄よ。残った犬がひくりと嗤う。私はその喉元へ、静かにペンを突き立てた。

昂機
器械体操の授業中、体育館の天井から細くて長い腕が二本、降りてきた。マットに転がる私をなめらかに掬い上げ、服の埃まで払ってくれる。散々私に向けられたくすくす笑いがぴたりとやんだ。「おねえちゃんなの?」腕は答えない。私の前髪をほんの少し撫でたあと、音もなく天井へとのぼっていった。

木南木一
父は陶芸家だった。売れた器より、割れた器を庭へ埋めた。「土は忘れない」とだけ言った。父が死んだ春、庭を掘ると白い欠片が幾重にも現れた。私は墓石を建てず、その土へ白い花を植えた。翌年、根が欠片を抱いて地上へ押し出した。花は一輪も咲かなかった。私は父の骨より先に、それを拾った。

木南木一
父はよく、私は人の上に立つ器ではないと言った。だから役所の窓口で、番号札を呼ぶ仕事を選んだ。蛍光灯は朝から白く、椅子はいつも一つ足りない。冬、老いた父が申請書を持って来た。住所の欄で手が止まっている。私は番号ではなく名前を呼んだ。父は小さく頭を下げ、私の前で順番を待った。

早希子
ろくろを回す。ガタガタと形が崩れ又、粘土を一から回す。鮮やかな陶器が窓側に並んでいる。初心者の私はシンプルな一色のブルー。焼いて出来た陶器に命が生まれる。筆で色を塗れば塗る程生きてくる。他の人の陶器にも色が塗られる度に命が芽生える。窓の外に赤い花の蕾が、こっちを向いて眠っていた。

錯千メイハ
君の脳内に小さな算盤があった。おかげで上手く同期できたんだ。ゼンマイの軋む拍動と。たとえ計算器のない夜明けでも。けれど困ったな。引っ越してきたみたいだ。私の方へ。一緒に居すぎたせいだね、きっと。だから私は、もう行かなくちゃ。パチパチと珠を弾く指が、時間をまっすぐ動かしていくぜ。

さくら咲くra
愛ちゃんは不器用だった。ボタンを段違いでとめたり、靴紐がうまく結べなかったり。ママは愛ちゃんを「ぶきっちょさん」と呼んだ。愛ちゃんは桃子ちゃんと友だちになった。「ぶきっちょって、どういう字?」「わかんない」二人で漢字を決めた。「武器っちょさん」愛ちゃんは強くなったような気がした。

塩川
もう終わりだ。可能性は年々萎み、次第に退屈な代物になっていく。俺には何もない。死のう。かつて俺の器にはあらゆる可能性の入る期待があったのに今や何も入らぬ。単発のバイトで老人の世話をしていると「いいわね若くて」と。いや若くないです。「若いわよ、何でもできていいわねえ」

式島純
器量良しだねーと褒められる妹が羨ましくて器になんにも載せなくなった。あたしの質量は減ったがまだまだ足りねえ。つめたあい手術室でろくろに乗ってぬろぬろ鼻顎おめめ整えたらすんばらしい器になりました! 仕上げに火を通したらパリンと割れて粉々になったあたしを昔のあたしが見下ろしている。

東雲 陣
僕は長年この家を見守ってきた花柄の大きなお皿だ。サラダ用の器として使われていたが、それも今日で終わりだ。子どもがお手伝いの時に僕を割ってしまったからだ。もう役立たずの僕だが、どうか僕がいたことを覚えていて欲しい。どうか野菜を食べて元気に生きて欲しいそう思ってしまうの傲慢だろうか。

jus
暗がりの隅にひっそりと、しかし歴戦のごとき傷と年輪をこさえた動物たちは、いま役目を終えて休息の日々を送る。喧騒と喜怒哀楽に彩られた過去の日々を互いに懐かしみ、武勇伝よろしく語らうのだ。ライオンも象も兎も、それぞれの幼かりし主に思いを馳せつつ。食器棚の奥は、誇らしき寝床だった。

jus
高名な陶芸家が焼いた陶器の壺を割ってしまった。その壺を盗みに来るという怪盗からの予告状に動揺したためだ。割れた陶器をこっそり処分すると、精巧な贋作を創り上げた。当日、怪盗は贋作には目もくれず、処分された壺を見事回収。後で知ったことだが、その日は金継ぎ師も同時に盗まれていたらしい。

志由
一年に一度だけ、廃校した母校に忍び込む。音楽室には、埃を少し被った楽器たちが月の光を浴びながら並ぶ。窓を開けると、部屋が呼吸をするように風が巡る。ピアノの花瓶に、花を飾る。今年も来られてよかった。黒板の隅に続けて、「九月、来ました」と残す。僕たちのバトンはまだ続いているようだ。

白妙
ここ数日良く咳が出るので、呼吸器内科を受診した。
問診表に記入し、肺のレントゲンを撮る。お医者さんはレントゲンを指さしながら言った。
「見える? 肺の中に蕾が出来てるから」白黒で分からないが確かに何かある。
花が咲いて、咳と一緒に出たら終わりとのこと。それからは華やいだ咳が出る。

ソヴソゴ
母は朝から晩までねっとりした土と向き合っていた。使いきれない数の食器が積み上がっていく。「作らなくちゃ」と母は呟く。父が出て行ったときも、弟が死んだ時も。いつも手は土の色だ。それが日常だった。「あなたのお葬式の時に使ってもらいなさいね」と歪な皿を渡される。私はただ見つめ返す。

宇宙野いるか
給湯器の知らない声。この部屋の浴槽は、大人にとっては小さくて、私は身体をぎゅっと縮こめていた。明日は四月一日。改札の向こうにいる親の顔を思い出す。水が頬を滴り落ちた。いーち、にー、さーん。風呂場に響く私の声。数えるたびに筋肉はほどけていって、ついに風呂は私で満たされた。

空見ハル
触れれば願いが叶う器を手に入れた。金持ちか、若返りか。何を願うか悩んでいると、通りがかった猫が先に触れ、器の中に入って丸くなってしまった。翌日、辺りを見渡しても何も変わっていない。ただ、器の中で、猫が世界一満ち足りたような顔で寝息を立てていた。

たーたん
三角フラスコの中で膝を曲げる妖精は、もう通れない口を見上げた。指を入れ、チロチロと舌先と触れ合うのが楽しい。ある日かぷりと噛みつかれると、指が腫れ抜けなくなった。妖精はその指を抱いて蠱惑的に微笑む。「やっと器に入れた」その夜、腹の中で羽音がした。フラスコの妖精は抜け殻だった。

高村芳
玄関に、ぽっかり口をあけた花器がある。生けられていた花々が枯れてしまったので、水とともに捨ててしまった。花を買っていた妻はもういない。陶器をどうやって捨てればいいのかわからない。未練たらしい乾いた水跡だけが、花器の表面と私の内側に残っている。

立花 腑楽
祖父が居眠りしている。
禁忌を犯すように、枕頭に置かれた補聴器を自分の耳にかけてみる。
枯草を踏み歩くような音が脳裏に響いた。晩秋の気配がそこにあった。
遠くで風も鳴っている。細く伸びる風の音は、女の叫びに似ていた。
祖父が目を覚ます。返せ、と差し出す手がぶるぶる震えている。

たな
うちのマグカップが付喪神になった。年代物ではない。なんなら百均だし。ただこの付喪神大変デリケート。遊びに来た友達が「安い器ほど割れないよね」と言ったらピキッとヒビが。引き出物の美麗なグラスをおろしたときもパキパキッと。おかげで金継ぎが趣味になった。手放せないよ。私と似ているから。

田中 康士郎
町では十八歳になると、心の器を役所で測る。怒りや悲しみを多く入れられるほど立派らしい。私は最低値だった。母は泣き、父は黙った。帰り道、橋の下で震える犬を抱くと、胸の奥で何かがこぼれた。器がないぶん、私は全部、外へ渡せる。

田中 瑞希
君の夢を見た。
入道雲の下、君はぼくの横を歩いていた。湿った熱風はぼくの心をなでた。白いワンピースの君は空のラムネ瓶を傾け、カランとビー玉を鳴らした。麦わら帽子の下で君は笑っていた。
目を覚ますと、涙で視界が霞んだ。
窓際の花器に挿した一輪のアガパンサスが、ぼくの方へ傾いていた。

玉井種璃
 祖母の形見の湯呑みには小さなヒビがある。
「お茶が零れちゃうよ?」と心配そうに尋ねる幼い私に「ここから福が満ちるんだよ」と、生前の祖母は笑った。そして、私は今、その器でお茶を啜る。漏れることはないその隙間から、あの日の温もりと優しい笑顔が、今夜もじんわりと私の心に満ちていく。

ツキミサキ
初めて彼の歌を聴いた時私は動けなくなってしまった。時が止まった。彼の中心から押し上げられた空気が彼の喉を通る時、彼の感情を内包し外へと放出される。彼の中心にある空洞の太さのまま声が吐き出されていた。彼は楽器のように歌う。いや彼は、世界にひとつしかない楽器そのものなのかもしれない。

月夜でタンゴ
その男は片口と言うのだろうか、器を手にして酒を注ぎ、飲んでは旨い旨いと言う。ある日あんた役目を継いでくれと言うので「あっ、はあ」と答えた。次の日男が死んだのを知り店に行く。男の器を手にして酒を飲むと「旨い旨い」自分の声だった。ははっ、役目を継いだんだ。死ぬまでの旨い旨い。

津田正宗
ヒステリックな怒号の後、夕食の器が空を飛ぶ。その瞬間はスローモーションのような放物線。鋭い音が耳に刺さる。みるみるうちに息子の口がへの字に曲がり泣き始めた。さっきまで獣だった生物が眉を上げて、一児の母のような表情を作り始めた。僕は床の彩りを拾いながらそれを確認した。

鶴川ユウ
 練習でもできたから大丈夫だと、自分に言い聞かせた。
 全国大会出場がかかった器械体操の最終種目は床だった。
 私は目を閉じる。
 足裏でマットを蹴る感触、髪の逆立ち、体重を支える腕の引き攣り、着地を受け止めたマットの凹み、そして歓声を。
 目を開ける。私は助走を始めた。

常盤久美子
「年の功を見たいか?」そう言うとじいちゃんは頭をパカっと開け、両手ほどの透明な容器を取り出した。中は茶色い液体が幾重にも重なっていて、下にある層ほど色が濃く、古いものらしい。蓋を開けると熟成されたウイスキーのような香りが漂う。ここぞという時よく振るんだ、と得意げに笑った。

戸田鳥
柔らかくつぶれそうな桃を母は器用に剥いていく。弟は干からびた蝉の抜け殻を丁寧に廊下に並べている。碁盤の目に並べ終わったそこへ猫がひゅんと現れて、蝉のひとつを持ち去った。泣き出す弟の口に母が桃を突っ込むと、桃の甘さに弟が笑う。猫も桃の香りにつられたか蝉を返しにやって来た。

冨原睦菜
昨日は歴史博物館に遠足に行った。みんなはつまんなーいって言ってたけど、ぼくはワクワクした。ぼくのお父さんは陶芸家だから、きっとここの土器はご先祖様の作ったものかもしんないし。ひとつだけ特別に展示されてるやつを見てたら急に、粘土をこねてる気がした。これ、昔、ぼくが作ったやつじゃん!

東洋豊水
「ご飯茶碗の淵に人差し指ひっかけて食べていたら叱られたっけ」「懐かしいな、何度叱られたことか」「お父さん、食器にはうるさかったよね」「いや、そこはかわっていないよ、今も拘りはあるっぽい」「でももう何度落として割ったことか」「入る施設の食器は割れないみたい」「最期ってそんなもんか」

なかいゆき
ガラスを薄く延ばして何層にも重ねていく。浜辺の白色、トウモロコシの髭茶色、線香花火の弾ける黄色。夏の思い出を重ねた器は、掌に収まるサイズ。喉が渇いたので炭酸を注ぐ。一気に飲み干せば、泡が弾けて器は煌めく。夏が喉を通って体中を駆け抜ける。

長尾優陽
人間はみんな、河童の仲間なんじゃないかと思ってきた。皿と言うには少し深い、器のようなものが、頭の上にのっている。中では飲みたくなるような乳白色の液体が、表情とともにたぷたぷ揺れる。あれはなんなんだろう?まあ、いいか。だってほら、目の前で笑うあなたの器は、こんなにも満たされている。

永田 望実
茶器はいつも目が回っている。自身が生み出される時はもちろんのこと、茶道で人間に使われる際もくるりと回されるからだ。自身の正面も分からず機械の上で、人間の掌の上でぐるぐると。さらには値をつけられ売り買いされる。人から人へと、地球上を何度も旅するせいで目が回る。

永津わか
引っ越してこの方、近所の出窓にいるねこはいつも形を変えている。ある日は壺に漬かり、ある日は金魚鉢に浸っていた。物の多い家だと思っていると、夏の真昼、ねこは皿の上で溶けていた。あ、垂れる。思わずかけ寄ると、皿はみょんと伸びてボウルになった。なるほど、自由なのは器の方だったらしい。

ナカヤアメ
さあ遠慮なくお食べ。ニッコリ笑ったおばあちゃんの手から、ドーンと素麺の山が現れた。その山をめがけて、色んな方向から箸が刺さる。僕の箸が捕まえた分はちゅるんと逃げた。今度こそは、と勢いよくつゆのプールにダイブ。ぐるんぐるんと回したら氷が踊り、カランコロンとガラスの器が歌をうたう。

75
主人を失った家は侵入者を許さない。たとえ身内であっても。体内から集めた熱ですべてを溶かそうとする。便りはなかった。私も連絡しなかった。冷蔵庫の中は空っぽで、使い古した食器には水が張ってあった。黒ずんだ床だけが、まだ主人を呼んでいた。

Nazori −ナゾリ−
「大体アイツは器が小さいんだ!」と、友人が酒を注ぎながらこぼした。「なぜあんなヤツが上司なのか」、「自分に勝っている要素が何一つないくせに」とも。

ただ、でかい口を叩くわりに、さっきから日本酒をお猪口でちびちびちびちび。そんなお前の愚痴を肴に、ジョッキで呑むビールの美味いこと。

野田莉帆
マイ洗面器の中には秘湯がある。服を脱いで右足を入れると、洗面器の底からまろやかな湯が溢れ出す。気がつけば、どっぷりと肩まで浸かっていた。湯けむりが立ちこめていて、何人かの人影がかすかに見える。みんな、マイ洗面器から入ってきたのかな。ぼんやりと思う。カポーン、と聞き慣れた音がする。

はやくもよいち
レンブラントが好きだ。ただ現実は勝手がちがう。
我が家の放蕩息子は帰ってくるなり、こう聞いた。
「うちの蔵にいい器、あったよな?」
悪い仲間とは手を切ったそうだが、反省の色は見えない。私は何に用いるのかと詰問した。
「首桶が必要なんだ」
自力で始末をつけてきた息子の成長を喜んだ。

原若菜
老婆が割れた器を持って店にやってきた。「この器をどうしても直してほしい」と言う。でも、原型をとどめていないほど砕けていて、元に戻すことは難しく、私は返事に困った。すると「元の大きさより、小さくなってもいい」と静かに言った。
修理を終えた器は、彼女の手のひらに優しく収まった。

針生 巡
大器晩成型を自称していた大叔父は、何も成さぬまま八十五歳でこの世を去った。火葬場からの帰り道、「虹が出てる」と母がつぶやく。あれは大叔父だろうと一同しんみりしていると、虹の上にさらに虹がかかった。皆で思わず写真を撮る。すると頭上から笑い声がして、三本目の虹が空に大きく弧を描いた。

春瀬綾
先輩に叱られた。あの一点で試合に負ける。夏が終わってしまう。玄関を開けると廊下に空腹を呼び起こす匂いが満ちていた。「あ、こら。」咎める声を横目に、器に山盛りの少し焦げたからあげを一つ頬張る。涙があふれた。「公園、行ってくる。」「もう一個食べる?」「五個は取っておいて。」

羊の耳
わたしはベルトコンベアの前に立ち、その上に載って流れてくるもやもやした綿飴のようなものを「愛」や「祈り」といった型に押し込める。はみ出した部分が実はとても大事なことを知っているので、工場長に黙って破棄分を容器に残す。裏口から風に流す。赤ちゃんが見る夢の中へと飛んでいきますように。

羊の耳
人の住むことのなくなった実家の窓辺には今も花器が置かれている。母はいつもそこに季節の花を飾っていた。梅雨には紫陽花、夏には白百合を。思い出の中に一つだけ知らない花があった。朧げな遠い記憶を辿ってゆく。花弁を掻き分ける幼い私の指。母の驚いた後の笑顔。そうだ、それは私が生まれた花だ。

ひとつ はじめ
陶器で出来た箸置き。茶色いカエルが黒い箸を背負いこちらを見ている。私の手元では赤いカエルが箸を支えている。半年前からは赤ガエルしか仕事をしていない。
いつかカエル達にも話さないとな。深夜の電話で飛び出した私が何を聞いたか。もうそこにあの人は座らないと。

火隆丸
村祭りの夜、山から鬼がおりてきた。鬼は村の者が酔い潰れて寝ていることを確かめると、祭りの場に残された器を拾い集めた。器の食べ物はきれいに平らげられ、わずかな香りが残るばかりであった。鬼はねぐらに戻ると、自分の子供たちに祭りのかけらを見せた。山奥の洞穴に、にぎやかな祭りが広がった。

瓶底カモメ
夏休みの自由研究で娘は家族の言葉の角度を測る事に決めた。私や夫との会話中、満月形の分度器を言葉の中心に当てては「357度!360度!?」と嬉しそうにノートに記録していく。結局、娘の測る私達の言葉に鋭角は無く、いつも360度に近い角度だった。笑い合う時は勿論、喧嘩している時でさえ。

藤沢恵
頭に水槽を乗せてる人とすれ違った。可憐にメダカが泳いでいる。気づくと、通りは器を乗せた人で溢れていた。僕はたまらなく恥ずかしくなって傘を畳んだ。思えば僕にもずっとそれは乗っていた。水が入るのが怖くて、いつも傘で隠していたんだ。雨粒がひとつ、僕の金色のバケツをカキンと鳴らした。

敷知遠江守
俺はどうにも要領が悪いらしい。狩りに行けばすぐに得物に逃げられる。木を伐ろうとしても人の何倍も時間がかかる。
そんな俺は女性たちに混ざって土をこねて土器を作っている。
「男の人って強く土をこねられるから、焼いた時に土器が割れなくて良いわ」
何となく生きる理由が見いだせた気がする。


いくつもの山を越えた先。動物達の寝所に緑の楽器がある。風に吹かれた青葉が奏でる命の調べ。若い大樹だ。雲が雨を降らせて川となり海へ辿り着くように、ここを発つ者はいずれ還ってくるという。産声が聞こえる。小さな小さな声だ。顔を出した双葉は歌う。これまで見てきたものを、これからのことを。


雨を呼ぶ。脱皮を済ませた蛇が森を走りまわる頃。水晶のようなうろこを拾い集めて、透明な器を作る。地酒を注いで宴を開けば、水脈が目を覚ます。湧き水のせせらぎ。神様の道だ。山を下り里へ流れ、やがて厚い雲を呼ぶ。雷鳴。蛇は空へ昇り、黒雲に穴を空ける。一筋の光。雨上がりの早苗に虹がかかる。

星屑あくしあ
昼の光は器の底で煮えていた。窓の向こうでは陽炎が道をほどき、蝉の声は熱そのものになって降り注ぐ。冷えた麦茶を飲み干しても渇くのは喉ではなく午後だった。硝子の器の面を伝う無数の水滴だけがかすかな涼しさを宿し、黙って夏を部屋に満たしていた。私はその隣で、精一杯の息をするしかなかった。

穂澄わたり
面倒くささ一杯。朝の自分への応援を一杯半。それを明日いいことありますようにの祈りで洗ってやる。できあがり予約をしたらおしまいだ。翌朝、ぽんっと蓋を開ける。星のような光が詰まった炊飯器。炊きたてご飯は優しく甘い。君のおかげで、自分が少し好きになって、今日もいい日になると思えるのだ。

佛淵和哉
「このカレーって言う料理うまっ!」と急に繰り出してきた先輩に対し、驚いて何も返せなかった僕を一瞥する事なく先輩はカレーの器を覗き込んでいる。「お前食ったことある?」と48歳初のカレーに目を輝せた先輩に僕は「無いです」と嘘をついた。先輩は嬉しそうに「そうか」とスプーンを口へ運んだ。

まーこーママ
育児は大変だ。赤ちゃんの頃は寝ているだけなのに、私には余裕がなかった。一歳で動き出し、二歳で食器はすべてプラスチックになった。三歳で食べるのが上手になり、四歳で少しずつガラスに戻った。割れ物を持てるようになったのは、子どもだけではない。私の器も、少し丈夫になった。

槇佑
鳴らない楽器を蒐集する演奏家がいた。弦を弾く音も鍵盤を叩く音もしない。演奏家が雑踏の脇でそれらを奏で始めると、行きかう人々は足を止め、会話をやめて耳をそばだて、辺りはたちまち静かになってゆく。やがて、往来に聞こえる音は蝉の謳歌と風の戯れ、そして、どこかで西瓜を売る声だけになった。

三浦涼佳
花火大会の帰り道、屋台で余った金魚を一匹もらった。透明な器の中で揺れる小さな尾びれをじっと見つめながら、友達と並んで自転車をこぐ。器の水がこぼれてしまわないように、二人でわざとゆっくり、でも笑いながら走った夜道は、いつもよりずっと長く、そしてどこまでも涼しく感じられた気がした。

三浦涼佳
朝顔の観察日記、最後のページに「花より、器のほうが気に入りました」と、少し照れながらも正直に書いた。素焼きの鉢は毎朝手のひらにひんやり冷たくて、水をやる短い時間がいちばん好きだったからだ。担任の先生には笑われたけれど、今年の夏休みはそれで十分よかったのだと、今でも思っている。

三尾一加
社会人になった春、陶器市で湯呑みを買った。窯元がある故郷の町には、高校を卒業して以来、戻っていない。家に帰ってお茶を注ぐと、ざらざらした焼き物の肌から鳥のさえずりが聞こえてきた。山だったころの記憶が残っているらしい。毎朝、ふるさとの音を聞いて仕事に向かう。今は蝉の声でにぎやかだ。

未はる
小さな赤い火元から、細い煙が昇っていく。緑色のぐるぐる巻きが、落ちて器にまた、白いぐるぐる巻きを作る。蝉の声も風も止まって、開け放した庭で炎天下が澱む。そこはどれほど熱いだろうか。赤は緑を食べ終えて、緑は白に写し取られた。扇風機を止め、黒い靴を履く。じいちゃんを迎えに行く時間だ。

みひろ
蝉の声が嫌いだ。夏が嫌いだから相乗効果だ。
蝉を閉じ込めてやろう。
大きな蓋つき器が家にあったのを思い出した。
だけど、どうやって閉じ込める?
思い悩んでいると、蝉の声がぴたりと止んだ。
器も用無しか?違うな。鳴いていた蝉に罪はない。
器に閉じ込めるのは、僕の嫌いな夏そのもの。

宮本杏
机の上に蓋付きの菓子器があった。中は海と砂浜で、波が打ち寄せる音がする。疲れていた私は覗き込んで落ちてしまい、蓋が閉まった。蓋の裏側は、夕焼けで薄い茜色。風が吹く浜辺で、足を波に浸しつつ考えた。愛猫がイタズラしないといいな。器が割れたら、海も帰れない私もパリンと割れちゃうかもな。

睦月ミコト
村の裏山には器塚がある。欠けた茶碗も、割れた湯飲みも、役目を終えるとそこへ還る。祖母は「器には人間の声が沁み込むから、お墓があるんだよ」と教えてくれた。春になると器塚には白い花が咲く。花びらが風に舞うたび、村じゅうの「いただきます」が少しだけ優しく聞こえる。

紫冬湖
大事な食器を割ってしまったので金継ぎした。食卓が彩り豊かになって嬉しかった。大事な指を切り落としてしまったので金継ぎした。指輪をはめているみたいで素敵だった。大事な記憶がひび割れてしまったので金継ぎした。思い出の狭間に黄金の稲穂が揺れる。穏やかな気分のまま、私は永遠に瞼を閉じた。

紫冬湖
僕の幼馴染は縁結び師だ。普通の人には視えない、細くて絡まりやすい赤い糸を、選りわけて器用に結ぶ。彼女が結んだ縁は切れにくいとの評判で、毎日ひっきりなしに依頼者がやって来る。僕は退屈になる。指先の糸を弄び、ぐしゃぐしゃにする。それを呆れながらほどく間だけ、彼女は僕の隣にいてくれる。

森林みどり
一人暮らしの彼女はアパートの洗面台で亀を飼っていた。「亀は夜中に鳴くの。かわいいのよ」とひそひそと笑った。丸顔の上に、金属フレームの眼鏡が鼻を押し潰すように乗っかっていた。僕は見たことはなかったが、今もありありと思い出せる。白い陶器の窪みの中で石鹸みたいに眠る彼女の冷えた甲羅を。

夜市川 鞠
僕は他の河童よりも一回り頭の上の皿が大きく生まれた。この皿に恥じぬよう器の大きい河童になれと言われて育った。だから、皆が嫌がる役も率先してやってのけたし、大好きなきゅうりを食べられても寛大な心で許した。ある日、自慢の皿が割れてしまった。随分小さくなってしまったけど、これでやっと。

ヤンコロガシ
満月から次の満月まで星の形の器に朝露を一粒溜め続けたら願いが叶うと本に書いてあった。朝露はすぐに乾いたけど、始めてしまったからと惰性で続けていたある日、今日は満月だとラジオが言った。裏切られたような気持ちで乾いた器を洗い流して電気を消すと、キッチンのシンクが、ほのかに光っていた。

夢野墨香
父が欠けた茶碗を捨てようとすると、母は「まだ器として働けるよ」と庭の隅へ運んだ。春には花を、夏には木漏れ日を、秋には落ち葉を、冬には雪を受けとめる。巡る四季の中、その光景を目にするたびに私は思うのだ。役目を終えたものなんて本当はひとつもないのかもしれない。

由良ちひろ
彼女は石器時代から生きていると言うが、勿論信じちゃいない。使い慣れているからと黒曜石で器用に拵えたナイフを愛用し、食べられる木の実と見れば籠一杯に採ってきてもだ。だけど、最後に食べようと取っておいたナウマンゾウの肉を兄弟に食べられた話をする時だけは、やけに真に迫って見えるんだよ。

吉野緑青
がなり声が響き渡る。えっ、と思ったけど癖になる歌だ。上手くはないけれどこころを惹きつける。魂の籠もった歌はその歌手の鬼器なのだろう。一躍スターダムに駆け上がり、紅白歌合戦。全国ツアー。絶頂のとき、喉を潰して引退。耳鼻咽喉科で名医として働いている。やさしい声で患者さんを救っている。

462番
器が口を開け待っている。手に持ってなでるとノドを鳴らしてよろこぶ。かわいいやつだ。炊きたてのご飯を湯気と一緒に入れると、器はいきなり食べはじめるから僕はあわててカレーをかける。ミニカレー丼、今日僕の唯一のご飯はあっという間に消えてしまうけど、耐えがたい空腹と愛おしさが僕を満たす。

綿谷衛
彼が花を買ってきた。
「今更?」と言うと「あげたことなかったから」と気まずそうに笑った。
「器は?何にいれるつもり?」
そこで初めて彼は花が花のまま存在し得ないこと気付いたみたいだった。
私はコップに挿された花を見る。彼を好きになった理由と好きじゃなくなってしまった理由が揺れた。

参考作品 一次選考通過作 二次選考通過作

いいなと思ったら応援しよう!