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50代からの知的冒険|切手と国家の物語②手彫り切手から見えてくる明治国家の矜持

少年時代の憧れ「手彫り切手」のお年玉

昨年末に書いた「50代からの知的冒険|切手と国家の物語①」で書いたように、小学生高学年の頃の私は、お年玉をもらうと、近江八幡駅前の平和堂にあった切手ショップに行き、全財産を使っていた。

私の親族で、唯一の学生である姪っ子にお年玉を渡しながら、あの頃を思い出していた。

正月休み、最近立ち寄るようになったマニアックな切手販売店(どこの店かはしばらく伏せる)に足を運んできた。こどもの頃から欲しかった切手を買うためだ。

お目当ては、あの頃はとても手が出なかった手彫り切手だ。

明治4年(1871年)に日本で最初に発行された切手の現物

日本で最初に発行された龍文切手。かつては、目が飛び出るような値段で売られていた。

見返り美人などの戦後の切手が大きく値を下げる中で、手彫り切手は今も高額だが、かつてのように手が出ない値段ではなくなった。

かつて高価だった戦後の切手趣味週刊の切手

この歳になって、自分自身へのお年玉も悪くない。

手彫り切手という「芸術品」

明治初期、日本にはすでに、極小の世界に美と技術を凝縮する力があった。

龍文切手を見ると、一見して「これが切手?」と思う人も多いだろう。目打ち(縁のギザギザ)も裏糊もなく、国名の記載もない。

一緒に購入してきたのは、翌年発行された龍銭切手だ。明治政府は、外国との貿易を円滑に行うために、近代的な統一通貨制度の確立を急いでいた。通貨制度の近代化に伴い、単位は「文」から「銭」へと移行し、龍銭切手が登場することとなった。

1872年4月に発行された龍銭切手

大きさを確認してもらうために、ピンセットで固定して写真を撮ってみた。2センチの正方形という微小な空間の左右に見事な龍が彫られている。目打ちはあるが、裏糊はまだない。

和紙でつくられた龍切手は極めて脆い。使用済みを水に浸して剥がすこともできない。この切手は、おそらく複数の郵趣家に大切に扱われ、150年の月日を経て私の手元にわたってきた。

私は、この時代の切手は一枚一枚が芸術品だと思っている。実物を見ると、龍の姿が浮き上がって見える。手彫りで彫刻された原版(銅板)から凹版印刷されているからだ。

原版が手彫りなので、それぞれの切手のデザインや印刷が微妙に異なっており、龍の一部が彫り忘れられているものも存在する。そのあたりも、郵趣家の興味をそそるところだ。

切手が語る、明治国家の危機感

郵便と切手は、単なる通信手段ではなく、独立国家としての覚悟そのものだった。

切手の実際の彫刻と印刷を手掛けたのは、太政官札(紙幣)の製作も行った松田敦朝だ。

当時、欧州でつくられた通貨(紙幣やコイン、切手)には、国王の肖像が使われていたが、わが国では、人の手に触れる通貨や切手に天皇陛下の肖像を使うことに強い抵抗があったようで、天子を象徴する龍が通貨にも切手にも使われている。

この考え方は戦後まで続いたため、長く天皇家が切手に登場することは無かった。

1959年に初めて肖像画が切手となった皇太子(現上皇陛下)ご成婚記念切手

同時期に20円金貨を製作した加納夏雄の彫金技術は、お抱え外国人を驚かせたという逸話が残っている。

江戸時代の職人文化日本人の手先の器用さが、近代化に大きく貢献したことは間違いない。

ただ、これだけ短い期間で切手の発行に至った背景には、独立国としての明治政府の強烈な危機感があったと思う。

電話がない時代、郵便は唯一の連絡手段だった。実際、郵便制度がなかった日本には、1860年代に英仏米が日本国内に郵便局を開設し、本国との通信を確立している。

郵便制度の確立は、国家の主権に直結したのだ。

後に、日本が統治した朝鮮半島や中国の一部の地域では日本の切手が使われた。切手の発行は、国家の主権を巡る極めて厳しい戦いでもあったのだ。

戦時中の日本の普通切手(左から乃木大将、靖国神社、台湾オーロワンピ灯台)
ハングル文字が加刷されて朝鮮半島で使用された
日清戦争後に発行された菊切手(支那加刷)

通信を保障できない国家の独立が危ういのは、今も昔も同じだ。現代のサイバー防衛にもつながる話だと思う。

切手は、手紙を運ぶ料金の約束手形のようなものだ。郵便網が整わなければ、切手は空手形になる。

江戸時代の飛脚という素地はあったものの、切手の製作と販売、手紙の集配と運搬を全国で一気に整えるのは簡単なことではない。

明治政府は、国家の威信をかけ、わずか数年で切手の製造と郵便網(当初は東海道が中心)を構築してみせた。そのスピード感と統治能力は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の時代を生きた人々の熱量を感じさせる。

桜切手から小判切手へ

龍から桜、そして小判へ──切手の変遷は、日本の近代化の歩みと重なっている。

郵便量の増加を受けて、明治政府は1872年8月に桜切手を発行している。龍切手同様、実に味わい深い手彫り切手だ。

私のコレクションの中でも最も自慢なのが「三連の桜切手」だ。

民間の松田印刷で製作された和紙の手彫り切手

三島駅前郵便所の不統一印(明治初期の消印)が押されている。三島を地盤とする政治家として、この切手を私自身が手にしていることに感慨を覚える。

桜切手の中央には「郵便切手」という記述があり、切手としての体裁が整ってきていることがうかがえる。

郵便創設を建議し、郵便制度を確立したのはお馴染みの前島密だ。その功績を称えて郵便の父と呼ばれている前島密の肖像は、切手の中で繰り返し使われてきた。

1927年発行の万国郵便連合加盟50周年(左)と、1946年発行の郵便創設75周年記念
戦後の普通切手には常に前島密が登場してきた
1985年発行の前島密生誕150年記念(左)と、1994年発行の「郵便切手の歩み」シリーズ
※ちなみに、龍文切手もしばしば記念切手に登場する。

前島が一円切手の地位をぽすくまに奪われたのは、朝日新聞の「声」欄に掲載された女性からの「1円切手の前島密さんの顔が怖い」という投書がきっかけだったらしい。

日本郵便のお手紙より

「これも時代か」と感じずにはいられないが、最近のシールになった切手を見ると、少々寂しい気がしないでもない。

自力で切手を発行し、郵便制度を確立した日本政府だが、郵便料の増加を受けて、1876年に新たな切手を発行することになる。小判切手の登場だ。

小判切手は日本らしさ(菊の文様など)と国際性(英語表記)を兼ね備えている。このシリーズはお抱え外国人であるエドアルド・キヨッソーネ抜きには語れない。

1994年発行の郵便切手の歩みシリーズより

外国から借りた知恵を土台にしながら、独自の技術を確立していく。小判切手には日本の真骨頂が表れていると思う。

次回は、時代を昭和に移して、「切手に標語の消印が押された時代があった」というタイトルで書くことにする。

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